ep.6 私自身にできること
「いくらあなたの頼みといえどもこればかりは許可できません」
「生半可な気持ちでこれをしたためたわけではありません。どうかそれをご理解していただきたく」
「ですがやはり……」
エスカは難色を示した。だがしかし後ろから「いいぜ」という声が聞こえた。エスカは慌てて振り向いた。
「その決闘、受けてもいいぞ」
センリは起き上がって言い直した。
「……フッ、その言葉に二言はないな」
「ああ。四六時中お前からぐちぐちと言われるくらいなら一発で終わらせたほうがいい」
「センリさん……ッ! 何を言っているのですか!」
エスカは取り乱した様子で2人の間に割って入った。
「互いに承諾した時点で如何なる理由があろうとも決闘の取り消しは不可。それが慣わしです、姫様。どうか最後まで見届けてください」
「オルベール! いったいどうすれば……!」
エスカは助けを求めたがオルベールは首を横に振った。
「そんな……!」
エスカは膝から崩れ落ちた。
「決闘って言うからには勝ち負けで何かがあるんだろ」
「もちろんだ。私が勝った場合は姫様や我々の目の前に二度と現れないと誓ってもらう」
「俺が勝ったら?」
「それは貴様自身が考えろ」
「ふーん。分かった。それで決闘はいつだ?」
「明日の正午。場所は次の目的地ラボワのどこかになるだろう。決まり次第、追って伝える」
「明日までお預け、か。まあいい。それまで精々腕を磨いておけよ」
「貴様のほうこそ無様な負け方をしないように勉強しておくんだな」
最後にそう言葉を交わして2人は互いに背を向けた。
「……ああ、どうしましょう……」
エスカはどうすることもできない無力な自分を責めた。
決闘は双方どちらかが絶命するか降参するかで決着となる。しかし降参するという行為は一生の恥とされ、死よりも名誉を重きとする王族・貴族は決してそれを選ばなかったという。
「エスカ様。きっと大丈夫です。ですから最後まで見届けましょう」
「……どちらかが死ぬかもしれない。そんな恐怖を前にしたらとても正気ではいられそうにありません」
「確かにエスカ様のおっしゃる通り一対一の決闘には死がつきものです。……しかしながらそれは実力差がない場合の話です」
「オルベール。それはどのような……」
「エスカ様は私の生まれをご存知ですか?」
「……いいえ」
「私は貧民街で生まれ育ちました。金も学もない下層階級の者がたとえ騎士団に入ったとしても昇進は見込めない。実際にそういう場所でした。ですが今、私はこうしてエスカ様のそばにおります」
「もしかしてオルベール、あなたは……」
「はい。私は幾度となく決闘を繰り返してきました。決闘という神聖な儀式ならば相手と周りの者たちは否が応でも認めざるを得ない。もちろんその地位に見合った能力を身につける努力もしましたし、相手方に決闘を承諾してもらえるよう根回しもしました」
「あなたが戦った方は……?」
「安心してください。みな存命です」
オルベールはフッと笑った。エスカはほっと胸を撫で下ろした。
「実力差が大きければ相手を殺さずに降参させることができるでしょう」
「……ですが、そう上手くいくでしょうか」
「きっと上手くいきます。彼が本当にあなたにとっての勇者ならば」
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城塞都市ラボワ。元々は小国だったが、アガスティア王国に与して西の防衛拠点を担う存在となった。街をぐるりと囲う堅牢な城壁は小国時代に造られたもので、今もなお市民の安全を守っている。現在では人口が増えたがために城壁の外周にも街が形成された。
エスカ一行が到着した時にはもう夕刻だった。ぞろぞろと長い行列を作り中央通りを抜けるとそこに城壁が現れた。重々しい門が開いて、そこから案内されたのは城壁内にある宮殿だった。そこは旧王宮である。
ここにはしばらく逗留するので、騎士たちは馬車の荷台から荷物を降ろして宮殿内に運んでいった。オルベールは先頭に立って彼らに指示をしていた。口には出さないものの騎士たちはみな決闘のことを気にしていた。
「センリさん。私がお部屋までご案内します」
「ああ」
センリはエスカに先導されて自分の部屋へと向かった。その途中、エスカは重い口を開いた。
「あの、決闘のことですが、どうか命を奪うようなことだけは……」
「それはお前が決めることじゃない」
「……どうかお願いいたします。代わりに私のことは煮るなり焼くなり好きにしていただいて構いませんから」
エスカがそう言った直後、センリはピタリと足を止めて冷たい視線を向けた。
「自惚れるな。お前自身に価値などない」
「…………」
「自覚があるのか分からないが、お前は差しだすことしか能がない。地に根を張った果樹のようだ。人じゃない」
「…………」
エスカは何も言うことができなかった。言葉の重みにすら耐えきれず受け止めることすら叶わなかった。
それからのエスカは放心状態だった。センリを部屋まで案内すると、そのまま自分の部屋へと頼りない足取りで向かった。
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「……ご馳走様でした」
シスター服から新しい服に着替えたエスカはフォークとナイフを置いてナプキンで口元を拭いた。王女のために用意された特別な夕食はそのほとんどがまだ残っていた。
「お口に合いませんでしたか……?」
「いえ、そんなことはありません。とても美味しかったです。ただ、考え事をしていたら食事が喉を通らなくて……。ごめんなさい。丹誠を込めてわざわざ私のために作っていただいたのに」
「いえいえ、私めのことなどお気になさらずに。明日は食べやすいように喉越しの良いものをご用意させていただきます」
「ありがとう」
エスカは礼を言って席を立った。それから自分の部屋ではなく屋上に向かった。
肌に突き刺さるような夜風。宮殿の屋上は暖かい中とは打って変わって風邪を引きそうな寒さだった。だがその寒さは今のエスカにとって問題ではなかった。むしろ心地良いとさえ感じているようだった。
暗がりに浮かぶ月は小望月で明日にでも満月になりそうな具合。月下に照らされた宮殿外周の壁は侵入者をいち早く発見するために見張り台も設置されていた。当然、王女を護衛するために騎士たちが見張り役となっていた。
「エスカ様。どうしてこんな場所へ」
「オルベール……」
屋上には見回り中のオルベールがいた。
「こんな場所にいては体に毒です。さあ、中へ入りましょう」
「ねえ、オルベール。私は間違っていたのかしら」
「……どうされました?」
これまでとは違う雰囲気のエスカを見てオルベールはふと足を止めた。
「私は今まで何かを差しだすことで何かを得ていました。家族へ、友へ、そして民へ。ですから差しだすもの全てに価値があると思い込んでいました。しかしさきほどセンリさんに言われて気づきました。それがただの驕りであると」
「……エスカ様」
「私は、王女という樹から落ちてきた果実を拾って渡していただけなのですね」
「エスカ様。差しだすことで得た数多くの笑顔。あなたはそれが全て偽りだったとお思いですか?」
「……偽りではないと思いたいですが、今となっては分かりません」
エスカは完全に自信を喪失していた。
「エスカ様はたびたび貧民街へ出向かれては炊き出しを行なっております。そのおかげで命を明日に繋ぐことができた子供たちもたくさんおります。彼らは純粋な笑顔で感謝を申しておりました。確かにセンリ殿の言うことにも一理はありますが、誰しもが彼のように自らの意思に基づいて行動できるわけではありません」
「では私はいったいどうすればよいのでしょうか……」
「他の誰でもないあなた自身にできることを見つけていくことが大事ではないかと。私はそう思います」
「私自身にできること……」
エスカはオルベールの言葉を反芻した。
「ありがとう。オルベール。少しですが光が見えた気がします」
「いえ。大したことはしておりません。それよりもこれ以上ここにいては本当に風邪を引いてしまいます。さあ、中に入りましょう」
オルベールはエスカの背中を優しく押して中に入るように促した。エスカはわずかばかりすっきりした表情でそれに従った。
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