ep.5 気分はさぞ良かろう

 センリの旅支度はすぐに終わった。元々家も書物もキールから借り受けたものだったので自分の持ち物は少ないようだ。少し厚手の上着姿で小さなリュックサックを背負っている。エスカは服の代えがなく修道服のままだった。


「これからどこへ行く」


 センリは意図的してエスカと目を合わさずに言った。


「はい。これから歩いて隣町のロトゥまで行きます。その後、待ってくださっている他の方々と合流してアガスティアまで馬車を走らせます」


 この世界の馬車はただ普通に馬を走らせるわけではなく魔術を使う。足に風の魔術をかけて俊足にし、治癒の魔術で疲労を和らげるのだ。かつて馬の代わりに魔術師がその力で車輪を回して動かすというものもあったが、あまりにも重労働でお蔵入りとなった。


「さっさと案内しろ」


 センリは手で払うようにして急かした。エスカは頷いて寝ぼけたオルベールとともに次の町ロトゥへと向かった。


 ロトゥまではアルベトから徒歩で半日ほどの距離。そもそもアルベトはロトゥからの農業移民が作った町である。ロトゥは農作物の生産量を上げるために農業のエキスパートたちを実り豊かな地へと派遣したのだ。


 道中、センリたちは多くの馬車とすれ違った。そのどれもが農作物をこれでもかというほどに積んでいた。人々が通り慣れているだけあって道はきちんと整備されていて危険はなかった。


 ###


 休憩を挟みつつ歩いて到着した頃には日が落ちていた。町を照らすガス灯の明かりと人々の声がエスカたちに安心感を与えた。


「このまま宿へ向かいましょう」

「そうですね。彼らも待っていることでしょう」


 合流場所の宿を目指して一行は先を急いだ。夜の繁華街には酒で酔いつぶれた者や露店で食事を楽しむ者、賭け事に熱中して盛り上がる若者などが多く見受けられた。


 到着した宿は町の中でも一際大きい宿だった。オルベール曰く他の客に迷惑がかからないように貸し切りにしているとのことだった。


 エスカが宿の中へ入ると「姫様」という声が一斉に聞こえた。声の主は姫を護衛する騎士たちだった。彼らはすぐさまエスカのもとに集まり片膝をついて頭を垂れた。ここにいるのは15名だった。


「顔を上げてください」


 その声で騎士たちは顔を上げた。


「姫様、よくぞご無事で。このガイア、もしものことを考えて眠れぬ夜を過ごしておりました」


 先頭で安堵の表情を浮かべているこの男はガイア。アガスティア王国騎士団の次期団長候補で現在は副団長補佐という肩書を持っている。


「ありがとう、ガイア。心配をおかけしましたね。ですが私はこの通り何ともありませんよ。それで、他の者たちは?」

「はい。夜に備え仮眠をとっております」

「そうですか。ご苦労様です」

「ありがたきお言葉。彼らにもあとで伝えておきます」


 ガイアは返事をして今度はオルベールのほうを向いた。


「オルベール副団長。やはり私は未だに納得できません。どうしてあの時、私は同行できなかったのですか。相手を刺激しないためとはいえ、お二人だけで行くのは正気の沙汰とは思えません。こうして無事に帰還なされたから良かったものの、もしものことがあった場合はどうするおつもりだったのですか?」

「愚問だな。そもそもそのもしもは起きない。現にこうして貴殿に元気なお姿を見せているではないか」

「……魔術でぐっすりだったくせによく言うな」


 呆れた顔でセンリはそう呟いた。


「副団長殿はお強い。それは分かります。ですが絶対はこの世にありません故、次に似たような機会があれば意地にでも同行させてもらいます」

「その必要はないだろう。エスカ様のそばには彼がいるからな」


 オルベールは視線をセンリに向けた。


「……彼は?」

「この旅の目的を思いだしたまえ」

「ッ! では彼はその勇者の一族の末裔であると……?」


 ガイアはハッとしてセンリを見た。その目には浮浪者のような身なりで感じの悪い男が映っていた。


「……本当、なのですか?」


 ガイアは信じられないと言わんばかりの顔をエスカに向けた。


「はい。本当です。私が保証しましょう」

「…………」


 姫様にそう言われては仕方がないとガイアはそれ以上の詮索を避けた。


「エスカ様はお疲れだ。そろそろこの場は解散とさせてもらおう」


 きりが良いと判断してオルベールはこの場を解散させた。騎士たちはそれぞれの持ち場に戻り、オルベール自身はセンリに部屋の場所を伝えた後、エスカを3階の部屋まで連れていった。


 センリが自分の部屋へ向かおうとすると、後ろから呼び止められた。そこにはガイアが立っていた。


「……何の用だ?」

「何の用だとは失敬だな。勇者の一族の末裔よ」


 ガイアはさきほどとは打って変わって毒気を孕んだ顏になっていた。


「気分はさぞ良かろう。救世主として祭り上げられるのは。だがな、あまり調子に乗るなよ。所詮お前は呪われた血を引いているだけの下層民。出る幕はない」

「言いたいことはそれだけか?」

「もう一つ。姫様にこれ以上近づくな。貴様のような者が触れると穢れていく」


 それを聞いたセンリはフッと鼻で笑った。


「何がおかしい」

「いや、何でも」


 センリはガイアに背を向けて階段を一段上がった。そしてこう言った。


「近づくだけで穢れるなら、もうすでに真っ黒だな」

「き、貴様ッ! それは一体どういうッ!」


 意味深な言葉にガイアはハッとして狼狽えた。しかしそんな彼をよそにセンリは階段を上がっていった。


 ###


 翌日の朝。センリは下の階から聞こえてきた怒号によって目を覚ました。ここは2階なので1階からだろう。


 センリはあくびをしながら首をポキポキと鳴らしてベッドから降り、気怠そうに部屋を出た。


 1階に下りるとそこにはオルベールの胸ぐらを掴むガイアの姿があった。そばではエスカがどうしていいか分からずにあたふたしている。


「朝からうるせえな。最悪の寝覚めだ」


 機嫌悪そうにセンリは言った。それに気づいたガイアは胸ぐらから手をパッと放して鬼の形相でこちらへ向かってきた。


「元はと言えば貴様がッ!」

「待って!」


 途中でエスカが2人の間に割り込んだ。両手を広げてガイアの邪魔している。


「姫様! どうかそこを通してください!」

「私から申し出たのです! 彼は悪くありません!」

「だとしても到底許せるものではありませんッ!」

「いいのですっ! ですから彼には何もしないでくださいっ!」


 激しく言い合う2人。収まる様子がないそれを止めるためにオルベールが動いた。


「ガイア、いい加減にしろ」


 オルベールはガイアの腕を掴んで無理やりエスカから引き離した。


「は、離せッ!」


 それでも抵抗を続けるガイアに向かってオルベールは拳を振り下ろした。


「頭を冷やせ」


 顔面を殴られたガイアは崩れるようにしてその場に膝をついた。鼻から滴り落ちる血がポタポタと床に赤い斑点をつくった。


「大丈夫ですか!?」


 エスカはすぐさま純白の手巾をガイアに差しだした。


「……姫様、これまでの無礼を深くお詫び申し上げます。どのような罰でも甘んじて受け入れる所存です」

「そんなことよりも早くこれを使ってくださいっ」

「……私にはそれを受け取る資格も汚す資格もありません」


 ガイアはのっそりと立ち上がり、おぼつかない足取りで宿の外へ。追いかけようとしたエスカをオルベールが手で制した。周囲の騎士たちはただただ呆然としていた。


「今日は次の町へ出発するんだろ。早くしないとまた寝るぞ」


 センリは眠そうにぼさぼさ髪の頭を掻いた。


「時間は有限だ。全ての荷物を載せ次第すぐに出発するぞ」


 オルベールは手をパンパンと叩いて騎士たちに伝えた。すると1人の騎士がおずおずと手を上げた。


「あの、ガイア副団長補佐はどうすれば?」

「あいつは放っておけ。出発の時間になれば顔を出す」

「……了解しました」


 答えをもらった騎士は心配そうに頷いた。人望はあるらしく他の騎士たちも同じような表情をしていた。


 ###


 準備が整い出発の時刻になった。町の東口には両の手では数えきれないほどの馬車が並んでいた。騎士たちは最終確認をして出発の時を待っていた。だがそこにガイアの姿はなかった。


「ガイアは大丈夫でしょうか……」エスカが不安そうに言う。

「心配はいりません。彼は必ず来ます」


 オルベールは確信していた。そうして実際その言葉通りとなった。


「遅れて申し訳ありません」


 一直線にエスカのもとまでやってきたガイアはすぐさまその前で跪いた。


「ガイア。今までどこに?」

「静かな場所で頭を冷やしてまいりました。そして、副団長補佐としての決意を示すためにこれをしたためてまいりました」


 エスカはガイアから白い封筒のようなものを受け取った。表面をよく見るとそこには紅く大きな×印とその交差する点に親指の指紋が押してあった。×印と指紋、そのどちらもガイア本人の血で間違いなかった。


「これは……!」

「はい。私ガイアは勇者の一族の末裔である彼に決闘を申し込みます。姫様にはその見届け人となっていただきたく存じます」


 ガイアは2人のうしろにいるセンリに視線を送った。センリは馬車の荷台で寝転んでいて空を見上げていた。

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