8-6 二人のイブ
スーパーを出てトボトボと歩く。
結局今回も何も買わなかったな。
そう思っていると再び崎山さんから連絡が届いていた。
『食材とか買わなくていいから』
相変わらず無愛想なメッセージだ。
怒っているようにも見えるが、どうなんだろう。
足早にマンションに戻る。
玄関のドアノブに手をかけると、鍵は掛かっていなかった。
恐る恐る中に入る。
「ただいま戻りましたぁ……」
僕が言うと、奥からいつもの憮然とした表情で崎山さんが姿を見せた。
「遅かったじゃない、遠藤くん」
「そうですかね」
「そうよ。あ、それから」
崎山さんは背中に手を回すと。
おもむろに何かを取り出し、僕に向けた。
次の瞬間、パンと言う破裂音が鳴り響き思わず「うわぁ」と腰を抜かす。
「何、何事!? 敵襲か!?」
「んなわけ無いでしょ」
見るとクラッカーを持った崎山さんが呆れ顔で僕を見下ろしていた。
彼女はいつもの無表情で口を開く。
「メリークリスマス、遠藤くん」
◯
何が起こったのか分からず部屋の中に通される。
と言ってもここは僕の家なのだが。
「悪かったわね、寒い中外歩かせて」
耳を疑う。
崎山さんから謝罪の言葉が出るなど思わなかった。
雪でも降るんじゃないか。
リビングに入ると何やらいい匂いがした。
見るとソファテーブルの上に大きなローストチキンとケーキが置かれている。
それに他にもピザやらポテトやら、クリスマスらしいものが大量に。
「これは……」
「今日はクリスマスイブでしょ。だから準備したの」
「崎山さんがですか!?」
「私だってこれくらい出来るわよ。って言っても、ほとんどスーパーのお惣菜だけど」
「でもどうしてこんなに手の込んだものを? 友達とパーティーでもするつもりだったんですか?」
「何言ってるの、遠藤くんと食べるために決まってるでしょ」
「僕と?」
僕が目を丸くすると崎山さんはバツが悪そうに視線を逸らした。
「あなたには今年色々と迷惑掛けたから。サプライズ……したかったのよ」
そう言って彼女は少しだけ頬を赤らめる。
なんだそれは。
いつもは真顔で顔色一つ変えない崎山さんがそんなしおらしい顔をするのは……正直ズルい。
「でも、僕に怒ってたんじゃ?」
「何よそれ。いつ私が遠藤くんに怒ったのよ」
崎山さんが呆れ笑いを浮かべる。
そう言えば別に怒られてはいなかった。
ただちょっと、いつもよりも冷たい気がしただけだ。
あれはきっと、サプライズを隠そうとしていたのだろう。
今日一日の出来事が、パチリパチリとパズルのピースがハマるように補完されていく。
崎山さんは僕のために、クリスマスパーティーを準備していたのだ。
「それより、そんなところに突っ立ってないで座ったら?」
「えっ? あ、ええ、そうですね。それじゃあ失礼して。
フラフラとソファテーブルに近づく。
すると完成されたお惣菜の中で、ケーキだけは少しクリームの形が歪になっていることに気がついた。
たくさんの果物が乗り、豪勢に彩られている。
「ケーキって、もしかして崎山さんが自分で?」
「まぁね……」
「このスポンジも、ひょっとして黎明堂のやつですかね」
「よく知ってるじゃない。今日作りたてのものを用意してもらってたの」
サプライズを計画して。
ケーキの材料を買って。
作り方を勉強して。
それで作ったのが、このいびつなケーキなんだ。
彼女が一所懸命作ったのがわかって、何だか無性に嬉しくなる。
スーパーで大量の果物を買ったのもこのためだろう。
――えっ? そうなんですか? だって。
――いけない、これ言っちゃダメなんでした。アハハ、忘れてください。
昼間のなずなさんの言葉を思い出す。
そう言えば、何か言いたげだった。
あれはきっと、崎山さんがスポンジを予約していたことを言おうとしていたんだと思う。
話そうとして、口止めされてたのを思い出して咄嗟に僕を追い出したんだ。
僕がジッとケーキを見ていると、崎山さんは口を尖らせた。
「別にいらなかったら私が食べるけれど。無理に食べるものでもないし」
「いえ、いただきます」
僕は近くにあったフォークを手に取ると、ケーキをすくい取って口に運んだ。
少し行儀が悪いが、二人で食べるのだからこれくらい良いだろう。
「あっ」と崎山さんが声を出し、モグモグと咀嚼する僕を緊張した面持ちで眺める。
「うまいですよ、崎山さん。最高のクリスマスプレゼントです」
「そう、なら良かったわ」
崎山さんはホッとしたように胸に手を当てると、何やらモジモジし始めた。
今度はどうしたのだろう。
「もう一つあるんだけど――」
彼女はしばし口ごもると、テーブルの影に隠していたそれを取り出す。
見慣れたオシャレな紙袋。
そしてその中から取り出される、上等な箱。
「その……買ったの。安っぽいかもしれないけど」
彼女が箱を開くと、そこには見覚えのあるブレスレットが入っていた。
「ぷっ」
思わず笑いがこみ上げてくる。
突然噴き出した僕を崎山さんは怪訝な顔で見つめていた。
「すいません、笑っちゃって。実は僕も買ってるんです」
脇に置いた紙袋を取り出すと、彼女はあんぐりと口を開いた。
「もしかして同じの?」
「色違い、ですけどね。お互い似たようなこと考えてたんだなって。崎山さん、手首出してくださいよ」
差し出された細い手に、僕はブレスレットをつけてあげる。
するとお返しとばかりに、彼女も僕の手にブレスレットをつけてくれた。
それはまるで、指輪を交換しているみたいでもあった。
「本当は指輪を買いたかったのだけれど、遠藤くんの指のサイズ分からなくて」
「僕も一緒ですよ」
何だか間抜けで、それでもいつもの僕ららしくて。
どちらともなくお腹を抱えて笑った。
「崎山さん」
「どうしたの?」
「指輪、今度一緒に買いに行きませんか?」
僕が言うと、彼女は驚いたように口元に手を当てる。
「ちゃんと、プレゼントしたいんです。貴女に」
「……うん。私も、遠藤くんと同じ指輪がしたい」
それは、実質的な愛の告白でもあった。
僕らの心が、初めて通じ合った気がする。
お互いの手を重ね、顔を近づけた。
彼女の唇は、すぐそこだ。
もう少しで重なる。
そのとき――
「遠藤くん見て」
不意に崎山さんが立ち上がり、反動で僕は吹き飛ばされた。
「あ、ごめん」
「大丈夫です……」
どうして最後まで格好つかないんだ僕たちは。
そう思いながら崎山さんの視線をなぞり、僕も驚いて立ち上がる。
雪が降っていた。
ホワイトクリスマスイブだ。
帰宅した時、崎山さんの態度に雪でも降るんじゃないかと思っていたけど、まさか本当に降り出すとは。
ベランダを開けて外に出る。
冷たい空気が体を包んだが、それどころではなかった。
かなり多くの雪が降っていた。
気のせいか、どこか遠くから鈴の音も聞こえるような気がする。
「サンタさんからも贈り物かしらね」
「……かもしれませんね」
僕が言うと、彼女はそっと風になびく髪をかきあげる。
その仕草が、僕にはとても美しいものに思えた。
「綺麗ね遠藤くん」
「はい」
崎山さんは、とても嬉しそうに笑うと。
「この街に来て良かった」
と、ポソリと言った。
「この町に来る時、本当にうまくいくか不安だったの。何せ家も決めずに来たから」
「今考えたら、かなり無茶してますね」
「でもあなたが居場所をくれた」
そっと崎山さんは息を吐き出す。
吐いた息は冬の寒気に白く染まった。
「遠藤くんの精気を吸った時、あぁ、またやってしまったって思ったわ。私はまた大切な人を傷つけてしまったって」
大切な人、と彼女は僕を呼んでくれる。
「それでも、あなたは私を受け入れてくれた」
「僕は……」
僕はそっと雪を見上げる。
「僕は誰かのために行動する崎山さんだから好きになったんです」
「……うん」
崎山さんは一歩僕に近づくと――
「あなたの隣が、私の居場所よ」
そう言って、僕の唇にそっと唇を重ねた。
「出会ってくれてありがとう、遠藤くん」
夢見町で本当にサキュバスが幸せになれるのか。
今なら断言できる。
この町はサキュバスを幸せにしてくれる。
出来れば、この時間がずっと続いてくれますように。
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