8-5 スーパー(の)アイドル

 ジュエリーショップを出た僕は、右手に持った小洒落た紙袋を眺める。


 つい買ってしまった。

 価格にして8万円。

 普通のサラリーマンからしたら、結構な値段だ。


 だがこれも必要投資。

 崎山さんが喜んでくれるなら、それでいいと思う。


 思えば、プレゼントとは本来そうあるべきだ。

 相手が喜んでくれるから贈るもので、許しを請うためや下心の為に贈るものではない。

 そんな初歩的なことを、僕はずっと忘れてしまっていた気がした。


 確かにプレゼント購入のきっかけはろくでもなかった。

 だが今となっては、これをつけて喜んでいる崎山さんの姿が見たいとすら思っていた。

 まぁ、さっきの店員の態度から察するに本当に喜んでくれるかは怪しいが。


 いや、そもそも恋人でもない人間に何万もするプレゼントを渡されても困惑するだけでは?

 クリスマステンションになってすっかり浮かれてしまっていた。

 よくよく冷静に考えたら僕の行動、かなりまずいのでは?


 それに問題はこの包装だ。

 いかにもプレゼントという感じの、小綺麗な紙袋と小箱。

 このまま帰れば『プレゼント買ってきましたよ!』と全力で主張することになるだろう。

 帰りしなに紙袋だけでも処分してしまったほうが良いかもしれない。


 ふと時間が気になってスマホを見ると、時刻は既に15時を過ぎていた。

 崎山さんは夕方まで時間を潰せって言ってたっけ。

 そろそろ戻っても差し支えないだろうか。

 今から電車に乗れば18時までには自宅につくはずだ。


 電車に乗って夢見町の駅まで戻る。

 昼間電車に乗った時よりもカップルの数が多い気がした。


 皆、これからディナーなどを楽しむのだろう。

 そしてイブの夜を二人っきりで過ごすというわけだ。


 羨ましいような、そうでもないような。

 悶々とする気持ちが心でざわめくのを感じる。


 やがて夢見町へとたどり着いた。

 冬の空が暮れるのは早く、夢見町に戻ってくる頃にはもうすっかり暗くなっていた。

 夕日は沈み、空には雲も増えてきている。


「何か食材でも買っていったほうが良いかな」


 改札を抜けるふと足を止めた。

 このまま何も買わずに家に帰ったらどうなるだろう。




『ただいま帰りました』


『遠藤くん、遅かったわね。晩御飯は?』


『えっ? 買ってませんけど』


『役に立たないわね、この難消化性デキストリン』




 まずい。

 このままではまた食物繊維で例えられてしまう。


 いや、食物繊維ならまだ良いのだ。

 しかし食物繊維ではなく難消化性デキストリンとして扱われるのは何だか嫌だ。

 それだけは避けねばならない。


 仕方なくよく行く駅前のスーパーに立ち寄った。


 イブのスーパーはいつもと雰囲気が違っていた。

 小さなパッケージに入ったケーキや洋菓子、フライドチキンにローストチキンなんかが中心に展開されている。

 お菓子やジュースもいつもより安く、店内の装飾もクリスマスカラーだ。

 クリスマスを全面にプッシュしているのが見てとれた。


 店内に流れるBGMも、軽やかな鈴の音が鳴り響くクリスマスソングになっている。

 何だか今日一番クリスマスっぽさを感じている気がするのは気のせいだろうか。


 適当に惣菜を眺めながら酒類のコーナーへ向かう。

 いの一番に酒を見に行ってしまうのはもはや習性だ。


 チューハイやらが立ち並ぶ冷蔵棚を眺める。

 すると、すぐ横に帽子とサングラスとマスクを着けた女性がやってきた。

 あからさまに怪しい。


 しかし見た目と裏腹に、やたらとスタイルが良い。

 ジロジロ見る趣味はなかいが、どうしても目につく。

 ニット帽からはみ出た髪の毛はサラサラだ。

 もしかしなくても美人なのがわかった。


「ひょっとして、真澄さんですか?」


 僕が声を掛けると「うひぃ」と眼の前の女性は腰を抜かした。


「しゅ、取材だけは勘弁をぉ! 無罪ですぅ!」


「何勘違いしてるんですか。僕ですよ」


「あれ? 遠藤さん?」


 彼女は立ち上がるとサングラスとマスクをずらす。

 やはりお隣さんにしてアイドルの真澄レムだった

 相手はこちらを見てホッとしたように胸をなでおろしている。


「何だぁ、突撃取材かと思っちゃいました。まぁ、特にやましいことはないんですけど」


「すいません、お忍びでしたか。何やってるんですかこんなところで」


「決まってるじゃないですか、今日のお酒とアテを買いに来てるんですよぉ!」


「一人で飲むんですか?」


 にしては随分量が多いな。

 カゴにロング缶10本は入っている。

 彼女は「もちろん!」と得意げに胸を叩いた。


「クリスマスイブはファンたちの目が厳しいですからねぇ! 今日明日はどこにも出かけられないとなったら、やることは飲酒しかありませんよ! 飲酒!」


 アイドルの発言ではない。


「クリスマスの特番とか、ライブとかはないんですか?」


 僕が尋ねると彼女はこわばった笑みを浮かべる。


「それがぁ、最初はやろうって話してたんですけど……。ほら、この間のストーカー事件のこともあったので、今年は自粛しようってなっちゃって」


「それは……残念ですね」


 彼女からしたら、アイドルとしてライブに出る機会はとても貴重な気がする。

 それも、クリスマスイブならなおさらだ。

 だが、僕の心配をヨソに「ま、別に良いんですよ」と真澄レムは肩をすくめた。


「年末年始は色々お仕事が入ってるので、つかの間の平穏だと思います」


「真澄さんが良いならいいんですけど。でも宅飲みするなら声かけてくれたら良かったのに。僕も崎山さんも全然付き合いますよ」


 すると彼女は重たいため息を吐いた。


「本当はそうしたかったんですけどねぇ。今日ばかりは一人で飲んでSNSに写真を投稿しないとダメなんです。ローストビーフにチキン、それらを一人で食べながらビールでぐでんぐでんになった画像を投稿し、ファンを安心させる。アイドルの努めですね」


 嫌な努めだ。

 なんか生きづらそうで気の毒になってくる。

 売れっ子芸能人は皆このような感じなのかもしれない。


「遠藤さんは、これから帰りですか?」


「ええ。帰る前に晩ごはんの食材でも買おうかと思いまして」


「えっ? でもさっき崎山さん、買い物してましたよ」


「本当ですか?」


 驚いて尋ねると彼女は頷いた。


「たくさん食材を買い込んでましたねぇ。それに果物も! 豪勢だったので遠藤さんとパーティーかなと思ったんですけど」


「それって、いつくらい前の話ですか?」


「5分、10分くらいですかね? ちょうど私と入れ違いだったので。何だか急いでるみたいで声も掛けられなくて。遠藤さんと待ち合わせでもしてるのかなって」


「崎山さんは僕と待ち合わせしてても焦ったりしませんよ。30分寝坊した挙げ句アクビしながら歩いて来ますから」


「辛い……」


 それにしても、まさかニアミスだと思わなかった。

 一体何のためにそんなに食材を買い込む必要があったのだろう。


 もしかして、友達とパーティーでもしているのだろうか。

 しかし相手が思いつかない。


 夢見町に来てからそれなりに知り合いは増えた。

 だが、彼女にプライベートで遊ぶ友人が出来たと言う話は聞いたことがない。


 そこで初めて僕は、崎山さんが男と密会する可能性に思い至った。


 もし僕以外の男と約束していたとしたら?

 それで夕方まで戻ってくるなと言っていたのだとしたら?


 そんなことはないと思いたいのに、悪い妄想が頭を巡る。

 無意識に、右手に握りしめた紙袋のヒモをギュッと握りしめていた。

 すると僕の視線に気がついたのか、真澄レムが僕の手に握られた紙袋をジッと見つめる。


「それ、もしかしてプレゼントです?」


「えっ? えぇ、まぁ……」


「崎山さんに?」


「そう……ですね。日ごろのお礼のつもりだったんですけど」


「ふぅん?」


 すると急に真澄レムが冷たい視線でこちらを睨んだ。

 どうしたんだ。


「それ、私がイメージモデルになってるブランドなんですけど……」


「知ってますよ。真澄さんのポスターがきっかけで買ったんですから」


「えぇー!? だったら私にも買ってくださいよぅ!」


「真澄さんは既に持ってるんじゃないですか? イメージモデルになってくるくらいでしょ?」


「そりゃそうなんですけど。何だか複雑……」


 真澄レムはしばらく渋い顔で唇を尖らせていたが、やがて「まぁ良いでしょう」と妙にかしこまった物言いで一人で頷いた。


「せっかくのクリスマスイブですから今日は許します。崎山さんにはお世話になりましたしね」


「はぁ、どうも?」


 何だかよく分からずポリポリと頬を掻いた。


 気がつくと、辺りに少しずつ人の気配が増えてきていた。

 夕食時になり、店内が混みだしているのだ。

 あまり長居はしたくない。


「僕はもう帰りますけど、真澄さんはどうします?」


「私はここに残ります。何せ、今日は雑誌の記者がどこにいるか分かりませんから。非常に残念ですが遠藤さんとは別行動です。私を置いて先に行って下さい。ここは私が食い止めます」


 彼女が誰から何を食い止める気なのかは最後までわからなかった。

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