8-3 アドバイス

「遠藤さん、こんなところで何してるんですかぁ?」


 南穂さんが不思議そうに目をパチクリしながら尋ねてくる。

 どうやらトイレに立とうとして一人で騒いでいる僕に気づいたようだ。

 油断した。まさかこんなところでバレてしまうとは。

 こうなればうまく乗り切るしかない。


「な、南穂さんこそ、ど、どうしてここにいるんですか? 今日はクリスマスイブですよ?」


 あえて突っ込んでみる。

 こちらが突かれる前に相手を突くのだ。

 しかし僕の言葉にも南穂さんはまるで動揺した素振りを見せない。


「私はぁ、部長に頼まれごとがあってぇ」


「頼まれごと?」


 意外な返事が返ってきた。

 部長と一緒にいることを隠すそぶりも見せない。


 もし二人が浮気関係にあるのだとしたら、僕と遭遇した時点でもっと慌てていてもおかしくないはずだ。

 となると、浮気じゃないのだろうか?

 疑念が湧き上がる。


「それより、遠藤さん一人ですかぁ?」


「えっと……」


 形勢逆転。今度はこちらが攻撃される番だ。

 とは言え、何と言ったものか。

 考えろ遠藤進、まさか二人を尾行していたとは言えまい。


「実は女の人と約束してたんですけど全然来ないので電話したらテメェの顔は夕方まで見たくねぇとか言われたんで一人で食べようとしてたんですよぉ電話も切られますしねぇ! 困っちゃいましたなぁっはっはっは!」


 フィクションとノンフィクションを混ぜて話す。

 僕が半ばヤケクソ気味にバカ笑いしていると、何かを察したような南穂さんが「そうですかぁ……」と一歩身を引いた。

 違う、あれは同情であって引いているわけじゃないんだきっとそうだそうに違いないそうだと言ってよ母さん。


「じゃあ遠藤さん」


「ええ、また会社で」


「良かったら一緒に食べませんかぁ?」


「えっ?」


 ◯


「はい、これプレゼント」


 流れで部長と南穂さんのテーブルに同席することになってしまった。

 アンガスビーフステーキを頬張る僕に構わず、南穂さんが笑顔で小洒落た包みをテーブルの上に置く。

 キレイな包装紙に包まれたプレゼントだった。


 部長はそれを受け取ると「悪いねぇ、南穂ちゃん」と嬉しそうに声を出した。


「それ、部長へのプレゼントですか?」


 僕が尋ねると「そんなわけないだろう」と部長が渋い表情をする。


「それじゃあまるで我々がカップルみたいじゃないか」


「カップルじゃないんですか?」


「何を馬鹿なことを! 私は妻と子を愛している! 浮気などするものか!」


「そうですよぉ、遠藤さん。それって侮辱ですよぉ? 最低です」


「すいません……」


 完全に失言だった。

 とは言え普通クリスマスイブの昼間に男女が会ってたらそう思うのは仕方がない気もする。

 どこか理不尽さを感じていると、気を取り直したように部長が咳払いをした。


「実は上の中学生になる娘が今日誕生日でね。何を上げればよいか分からなかったんだ。妻と相談して、会社の若い子に頼んでみたらって話になってねぇ」


「それで私が相談受けてぇ、簡単なコスメとか調達してあげたんですよぉ」


「それでわざわざイブに食事を?」


「だって暇なんですもん。どこかの誰かが遊んでくれないんでぇ」


 南穂さんはジッとイタズラっぽい猫目で僕を見る。

 何でこっちを見るんだ。

 からかわれているのがなんとなくわかった。


 でもよかったなと内心思う。

 どうやら部長と南穂さんは僕の考えるような不純な関係ではないらしい。


 以前、南穂さんがサキュバスの欲望を制御出来なくなっていた時のことを思い出す。

 また同じ状況になっていたらどうしようと思っていたから、そうでなくて安心した。

 それに万一この二人が本当の浮気関係だった場合、今度からどうやって会社で顔を合わせろというのだ。

 気まずくて仕方がない。


「そう言えば遠藤くんはどうしてここに?」


「えっ?」


 部長が何気なく尋ねてくる。

 どう答えたものやらと迷っていると南穂さんがニヤニヤと笑みを浮かべた。


「遠藤さん、女の子にフラれちゃったんですよねぇ?」


「別にフラれてなんていませんよ。一緒に過ごそうと思った女の人に拒絶されただけです!」


「それフラれたって言わないかい?」


 部長が「人が良さそうなのに、君も苦労してるんだねぇ」と呑気な声を出した。

 そんな僕を南穂さんがヒジでつつく。


「隠さないでもいいですってぇ。残念なクリスマスイブになっちゃいましたねぇ」


「そう言う南穂さんこそ、今日は一人なんでしょ?」


「実は私ぃ、このあと用事があるんですよぉ」


 聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。


「もしかして男の人ですか? 彼氏とか」


「惜しい! 女友達と合コンでぇす」


 当たらずも遠からず。

 部署の人達が聞いたら泣きそうな回答だな。

 僕たちの会話には入らず、部長は何やら深刻な顔をしている。


「どうしたんですか、部長。難しい顔して」


「……遠藤くん、君はその女性のこと、どう思っているんだい?」


「えっ、何ですか藪から棒に」


「いいから」


 内心ドキリとするのをなんとか誤魔化す。

 しかし部長は僕のことをじっと見つめていた。

 それはまるで心の中を探ろうとするように。


 部長は真剣に尋ねている。

 下手な誤魔化しは出来ないだろう。


「……大切な人です。ずっと一緒に居たいと思ってます」


 僕が言うと南穂さんが驚いたように口元に手を当てる。

 部長は小さく頷いていた。


「そうか。それなら、ちゃんとその人に謝るべきだろう」


「でも怒られてる理由が分からんのです」


「良いんだ。理由など分からずとも。大切な女性を怒らせた時はね、男から頭を下げるもんさ。分からなくても下げるんだ。まず下げる。頭さえ下げればどうにかなる。何事も」


 それはそれでどうなんだ。

 すると南穂さんが感心したようにうんうんと頷いた。


「やっぱり男性はちゃあんと女性の気持ちを包んであげるべきですよねー」


「気持ちを包む、ですか?」


「女性は相手が包容力のある人かどうか、常に器量を測ってるんですよぉ? 将来この人でいいのかなーとか先のことも考えて」


「なるほど……」


 南穂さんに言われるとそうなのかと思ってしまう。

 何だかんだ言って彼女はモテる女性だからな。

 でも、崎山さんが僕との将来を考えていたりするのだろうか。

 いまいち何を考えているのかわからない人だから、あまり鵜呑みに出来ない自分もいる。


「それに今日はクリスマスイブじゃないですか。イブの夜は『性の夜』なんですから、好きな人と一緒に過ごさなくてどうするんですか」


「南穂さんもそう言う話するんですね」


 彼女のような人間はこう言うセンシティブな話を振らないと思っていた。

 すると部長が憐れむような視線を僕に向けた。


「遠藤くん、男は性欲に呑まれたら負けだよ」


「僕まだ何も言ってないんですけど……」


 しかし下心がないかと言われれば否定しきれない自分がいる。

 考えていると、南穂さんはポンポンと僕の肩を叩いた。


「遠藤さん、女性を口説くならちゃんと喜ばしてあげてくださいよぉ」


「喜ばせるって言っても、どうすればいいんだか」


「プレゼントでもあげたら良いじゃないですか」


 うんうん、と部長も頷く。


「せっかく今日はクリスマスイブだからね。特別なものを贈って上げると良い。相手に日頃の感謝や想いを伝えるチャンスだ」


「プレゼントか……」


 でも、何を上げたら良いんだろう。

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