8-2 疑惑の二人
何も買うことなく黎明堂を追い出される。
この辺は気の利いた食事処がない。
ちょっと足を延ばすか。
と言っても数駅程度だけど。
改札を抜けて来た電車に乗る。
電車に乗っていると休日の朝なのに意外と混んでいた。
クリスマスだからデートのカップルばかりだ。
皆どこかに出かけるのだろう。
電車内に流れる妙に甘い空気に耐えられずスマホを開く。
SNSを何気なく眺めていると、目を引く記事が流れて来た。
『12月24日から翌25日の夜中までは「性の夜」!? クリスマス前夜の男女関係の実態』
何だこれは。
けしからん、実にけしからん。
何? そんなことまでするのか? 何てけしからんのだ!!
憤慨しつつ記事を一生懸命読み込んでいると、いつの間にか目的の駅を通り過ぎて職場近くまで来てしまった。
何をやっているのだ僕は。
いい歳してセクシャルなネタに食いつきすぎてしまった。
「性の夜か……」
僕と崎山さんもそんな風になってしまうのだろうか。
少しだけドキドキする。
――遠藤くんには言えないことだから。
しかし今朝の崎山さんの言葉が脳裏に蘇り、ガックリと肩を落とした。
僕と崎山さんがどうにかなるだとか、そんな虫の良い話あるはずないか。
それより、何で急に距離を取られたのかを考えなければならないのだ。
落ち込みながら電車を降りる。
まさかクリスマスイブの休日に職場近くまで来る羽目になるとは思わなかった。
僕の職場は夢見町から四十分ほど電車で進んだところにある。
この辺は飲食店が割と多く、雰囲気が良い店も多い。
普段は飲み屋街なイメージだが、こうして見てみると昼間からやってるお店も少なくなかった。
昼食をとるには十分だろう。
どの店に入ろうかと目移りしていると、「もう、待ちましたよぉ」とどこかで聞き覚えのある声が聞こえた。
不思議に思い目を向け、ギョッとする。
声の主は会社の先輩、南穂さんだった。
隣には見覚えのある男の人の姿。
「あれは……部長?」
あの凛とした姿。
50代前後くらいの年齢感と言いほぼ間違いないだろう。
社内のマドンナである南穂さんが男性と休日に逢引しているだけでも事件なのに、相手が部長ときたらもはやもう大大大事件でしかない。
どうして部長が南穂さんと一緒に?
って言うかクリスマスイブに会うってマジか。
色々な考えが頭を巡る。
情報量が多く、自分が混乱しているのがわかった。
我が部署は独身男性が多い。
ただ、部長はその中でも希少な既婚者だったはずだ。
夫婦仲が良いらしく、以前誰かが羨ましいと話していたのを覚えている。
そんな部長が南穂さんと一緒にいるだなんて。
とんでもないスキャンダルを見てしまったような気がする。
本来ならば職場の人のプライベートに干渉するだなんて良くないことなのだろうけれど。
何となく気になってそのまま後をつけてしまった。
カップルみたいに腕こそ組んでいないものの、二人共楽しそうに話している。
「一体どこに行くんだ? やっぱりデートか……?」
僕が物陰から身を乗り出すのと、南穂さんが不意にこちらを振り向くのはほぼ同時だった。
まずいと思い、とっさに近くでビラを配っていたサンタさんのヒゲをもぎ取る。
ヒゲをもぎ取られたサンタは「のわっ!?」と声を上げた。
白ひげをはやした僕を見て、南穂さんは小首を傾げたが。
「どうしたんだい?
「うぅん。なんでもありませぇん」
やがて、何事もなかったかのように近くのレストランに入っていった。
何とかバレずに済んでホッと胸をなでおろす。
「あそこが目的地か……」
「ちょっとお兄さん! ヒゲ返してくださいよ! それはプレゼント出来ませんから!」
「あ、すいませんサンタさん……」
イブにサンタに怒られるという希少な経験をした後、二人が入ったレストランに入る。
いや、これは決して後をつけている訳ではない。
たまたま職場近くまで来て、たまたまお腹が減って入ったレストランが二人のいるレストランだっただけだ。
そう思うことで事実を捻じ曲げようと考えた。
「何名様ですか?」
「あ……一人で」
イブにわざわざ一人でこんな洒落たレストランに足を運ぶ自分が情けなく感じた。
カップルばかりの店内で席は殆ど埋まってしまっている。
男一人で来ているのは僕だけだ。
かなり居心地が悪い。
「こちらへどうぞ」
店員の後を追ってテーブルに案内される。
ちょうど南穂さんたちの席から仕切り一枚挟んだ奥のテーブルだった。
南穂さんに顔を見られそうになり、とっさに顔を逸らし変顔をして乗り切った。
席につき、なるべく身を低くしてバレないようにつとめる。
「ご注文お決まりになりましたらお呼び下さい」
「アンガスビーフのステーキセットとフルーツブリュレを」
間髪を容れずに注文をすると店員が目を丸くしていた。
この状況で大声上げて店員でも呼ぼうものなら一発でバレる気がしたのだ。
さっさと注文するに限る。
しかし一人できた上に、ステーキセットとデザートまでガッツリ頼んでしまった。
余計に居心地が悪くなる。
店員が怪訝な顔して去っていくのを見送り、僕はそっと壁に背を預けた。
背後から南穂さんと部長の話し声がかすかに聞こえる。
「部長のためにわざわざ買ってきましたよぉ?」
「すまないねぇ、助かるよ。君が部下でよかった」
「えへっ、部長の為に張り切っちゃいました」
何か怪しい会話しているな……。
妙にやらしい話の気配がして意識を集中させる。
僕の会社の先輩、音無南穂。
彼女は崎山さんと同じサキュバスの一人だ。
サキュバスの欲望が暴走して、部署の人間の精気を次々と吸って回っていた。
僕も危うく餌食になりかけて、すんでのところで崎山さんに助けられたのは記憶に新しい。
部長と南穂さんが浮気していたとしても問題だが。
前みたいに、南穂さんが部長をサキュバスの力で誘惑していても問題だ。
以前のようなサキュバス特有の甘いフェロモンの香りはしてこないが、とにかく真実を見極めて奥べきだろう。
その時不意に、スマホが鳴った。
マナーモードにしておらず、黒電話の音が鳴り響く。
慌てて手に取ると、崎山さんからの着信だった。
『遠藤くん、今どこ?』
「どこって、えーと……ちょっとお昼ご飯食べに来ちゃいました。すいません」
『ふぅん?』
怒るだろうか。
普段の崎山さんなら「一人で美味しいもの食べようって言うの?」と劇詰めしてくるだろう。
彼女の食に対する執着は異常だ。
しかし意外にも崎山さんは
『ならちょうど良かった』
と言った。
『なら今日、夕方までどこかで時間潰してて。絶対帰ってきちゃダメよ』
「どうしてですか?」
『あなたは知らなくていい事よ』
「え……」
まただ、と思った。
ピシャリとした声。
こちらに壁を張るような、冷たい言葉。
何て返事したらいいか分からず呆然としていると、『それじゃ』と電話が切られた。
ツー、ツーと悲しげな通話切断音が流れる。
意味がわからなくなった僕は頭を抱えた。
「うわああ! 崎山さん、何で怒ってるんだぁぁ!!」
「あれ? 遠藤さん?」
声を掛けられハッとする。
恐る恐る横を見た。
「何やってるんですかぁ? こんなところで?」
南穂さんが目を丸くして立っていた。
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