第八話 ハッピーマリーマリークリスマス

8-1 クリスマスイブ

 暗闇の中、恐ろしい唸り声がする。


 ううぅ……。

 ううぅ……。


 うめくような唸り声。

 絞り出したように低く、それは響いている。


「何だ?」


 その声に思わず目を覚ました。

 ボーッとした意識の中、うつらうつらとしているとまたあの声が聞こえてきて覚醒した。


「気のせいかな……」


 遮光カーテンから僅かに光が漏れている。

 どうやらもう朝らしい。

 スマホの時計を確認すると朝九時だった。

 いつもならとうに出社の時間だが、今日は土曜だ。

 弊社は土日祝日が休みという現代社会パンドラの箱に残された遺物最後の希望だった。


 ううぅ……。

 ううぅ……。


 またもや唸り声が聞こえる。

 寝ぼけた僕の幻聴かと思ったが、どうやら夢ではないようだ。


 ついにおばけでも出たのだろうか。

 それともポルターガイストか。

 そもそもおばけとポルターガイストは同種のものでは?


 色々考えながらベッドを抜け、リビングへと向かうとソファに座ってテレビを見る崎山さんがいた。


「おはようございます」


「おはよう、遠藤くん」


「崎山さんはパラノーマルアクティビティと呪怨が同種の映画だと信じられますか」


「いきなり何の話よ」


 崎山さんは呆れたようにため息を吐くと何事もなかったかのようにテレビに目を向けた。

 腕を組みながら時折り首を捻り「ううぅ……」と声を出す。

 唸り声の主は彼女か。


「どうしたんですかそんなに唸って。下痢ですか」


「失礼ね」


 息を吐くようにいつもの軽口を叩き合う。

 この人との連携プレーも随分スムーズになってきたな。


 同棲した当初はこうして冬を一緒に迎えることになるとは思わなかった。

 もうすぐ年末か。

 誰もがお気楽になるこの時期に、崎山さんは何やらひどく悩んでいるようだった。

 よくよく観察すると、テレビに映画は流れているもののまるで見ている様子がない。


「この映画、ホーム・アローンですか?」


「えっ……? 知らない、誰よこの男」


「マコーレ・カルキンでしょ」


 子役を男呼ばわりする人を初めて見た。

 名作だし、見てる映画の主演くらいは把握しておいてほしいものだ。

 にしてもえらい古い映画を見てるな。


 いつも番組は集中して見るタイプの崎山さんがここまで心ここに在らずなのは随分と珍しい。

 こうして悩む彼女を見るのは、ひょっとしたらこれが初めてかも知れない。


「何か悩みですか?」


「ちょっとね」


「相談乗りますよ」


 しかし、意外にも――


「いいの」


 と、彼女はピシャリと言った。

 まるでシャッターを閉ざすかのような拒絶の声。

 内心少し傷ついていると、追い打ちのような言葉が飛んできた。


「遠藤くんには言えないことだから」


「ええ……?」


 僕には言えないだって?

 いや、確かに何でもかんでも話すような関係ではないが、それでもここまで露骨に隠されるとは。

 呆然としてる僕をよそに、彼女は「部屋で考えるわ」と寝室に篭ってしまった。

 閉められたドアは、心を閉ざした合図にもみえた。


 ◯


「どうなってるんだよ……」


 何だか家に居づらくて僕は街に出ていた。

 街はイルミネーションや派手な装飾がされて居て何だか賑やかだ。

 心なしかカップルも多い。


「カップルか」


 僕と崎山さんもそうなれるのではないかと期待した。

 何せ彼女の実家に挨拶までしたのだから。

 あの時の崎山さんは満更でもなかった……ような気がする。


 しかしながら僕は紳士な男である。

 家に帰って何だか甘い空気が流れていたものの、獣のように襲ったりなどはもちろんしていない。

 我々は人間で、理性のある存在であり、断じて関係を進展させようとしてフラれたらどうしようとか、ひよったわけではないのだ!


「はぁ……」


 明るい街中に不釣り合いな重いため息を吐いているとお腹がぐぅっと鳴った。

 そう言えば朝飯も何も食っていない。

 冬の空気は冷たく、容赦なく僕の体を突きさしてくる。

 何も食べていない状態では瞬く間に体が冷えてしまう。


「パンでも買うか……」


 確か近くに黎明堂があったはずだ。

 少し歩くとすぐに看板が見えてくる。

 冬らしくデコレーションされており、店先には先日なかった手書きの黒板も店先に出ていた。

 今日のおススメパンが書かれている。


 店に入るとレジカウンターに立っていたなずなさんが「あ、遠藤さん」と声をかけてくれた。


「珍しいですね、日曜に来られるなんて」

「ちょっと事情がありまして」


 崎山さんがここでバイトを始めてから黎明堂にはたびたび足を運ぶようになっていた。

 出勤の日は昼ごはん用にここのパンを買っている。

 お陰ですっかりなずなさんとは顔馴染みになった。


「それにしても……」


 お店の中をチラリと眺める。


「ずいぶんと様変わりしましたね」


「それはもう! 今日はクリスマスイブですから」


「えっ?」


 携帯を見るとその通りだった。

 12月24日。クリスマスイブだ。

 だからカップルが多かったし、お店の装飾が派手だったのか。

 朝の段階では寝ぼけていたこともあり全然気づかなかった。

 呆然とする僕をよそになずなさんは続ける。


「うちもパン屋とは言え結構クリスマス需要あるんですよ。この時期はケーキのスポンジがよく出ますから」


「クリスマスイブなのにですか?」


「ええ、意外と多いんですよ。恋人と作りたいって人」


「へぇ……」


「遠藤さんも今日は崎山さんと過ごすんですか?」


「えっ? どうだろう……」


 今朝の崎山さんの態度を思い出す。

 もしかして僕がクリスマスイブだって気づいていなかったから思い悩んでいたんだろうか。

 いや、崎山さんの性格だとそれはないか。


「ないんじゃないですかね。特に約束もしてませんし」


「えっ? そうなんですか? だって――」


「だって?」


 言いかけてなずなさんはハッと口を塞いだ。


「いけない、これ言っちゃダメなんでした。アハハ、忘れてください。それではありがとうございました」


「まだ何も買ってない……」

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