7-7 答えはいつかきっと
僕たちは水族館の中を見て回った。
広い館内は、また平日ということもあり人の姿があまりない。
静かな館内で、僕と崎山さんだけがこの世界に居るような錯覚すら抱く。
それはどこか寂しい印象を受けたが――
「見て遠藤くん、ペンギンよ」
「可愛いですね」
「ペンギンって鳥類よね?」
「そうですよ」
「食べると美味しいのかしら」
「そこに興味持つ?」
崎山さんと居ると、別にどうでもいいかなと思ってしまう。
奥に進むと、やがて壁一面が全て水槽になっている一帯にたどり着いた。
大型のサメや魚がそこで一緒に泳いでいる。
「見て遠藤くん。ジンベイザメよ」
「でかいですね」
「もう少しまともな感想はないわけ?」
「口でかいですね」
「フォーカスを口に絞っただけじゃない」
「じゃあ崎山さんが手本を見せてくださいよ」
「ジンベイザメって食べるとどんな味なのかしら」
「あ、もう大丈夫です」
崎山さん、何だかはしゃいでるな。
いや、崎山さんだけじゃない。
正直言うと、僕も心が高揚している。
普段と違うシチュエーションだからだろうか。
それとも、崎山さんの過去話を聞いて距離が近づいたのだろうか。
後者だと良いけど。
「昔来た時はあんまり思わなかったけれど、こうしてみると幻想的な場所ね」
「……そうですね」
水槽の明かりに照らされる崎山さんはとてもキレイだ。
気を抜くと思わず見惚れてしまいそうになる。
無邪気な崎山さんの姿を見ていると、まるでサキュバスの騒動なんて無かったかのように思える。
平穏無事で、当たり前の毎日。
それは、とても貴重でかけがえのないものだ。
崎山さんは、その価値を知っている。
そして僕も、崎山さんと過ごせる時間の大切さを改めて知った。
結局、僕らは二時間くらいかけて館内を見て回った。
「流石に疲れたわね」
「どこかでちょっとお茶して帰ります?」
「パフェが食べたいわ」
「じゃあ駅前の方に向かいますか」
と、そこで出口近くにある売店に目が留まった。
おみやげコーナーだ。
「崎山さん、おみやげ売ってますよ。せっかくだから何か買いません?」
「えぇ……? いい歳して何買うっていうのよ」
「良いじゃないですか。記念ですよ」
「記念、ねぇ……」
二人で売店を見て回る。
比較的広い売店内では、オリジナルのクッキーやら、魚のぬいぐるみやらが置かれていた。
しかしながら、それらを買うにはちょっと幼稚な気もしないではない。
と、崎山さんが何かをジッと見つめていた。
海の生物をかたどった小さなキーホルダーだ。
先程見たケープペンギンがついている。
「それ、気に入ったんですか?」
「う……まぁ、ね」
先程興味ない素振りを見せていたこともあり、崎山さんはバツが悪そうだ。
相変わらず素直じゃない人だな。
「せっかくですし買いましょうか」
僕がキーホルダーを手に取ると、彼女は「あ……」と小さく声を出す。
「でも……」
「記念ですよ、記念」
会計を済ませてキーホルダーを手渡すと、崎山さんは嬉しそうな笑みを浮かべ。
すぐにハッとしてそっぽを向いた
「……ありがとう」
「どういたしまして」
水族館を出た僕たちは、近くのカフェで少し休憩したあと家路についた。
帰る頃にはすっかり陽が傾いており、地面に落ちる僕たちの影は長くなっている。
「遠藤くん、今日は悪かったわね」
並んで歩いていると、隣の崎山さんがポソリとつぶやいた。
「子供の頃のこと、誰にも話せてなかったの。だから聞いてもらえてよかった」
「僕も、聞けて良かったです。崎山さんのこと、知れましたから」
「私は遠藤くんのことほとんど知らないけどね」
「別に隠してるつもりもないですが……」
「それは知ってる。今度、遠藤くんのことも聞かせてよ」
「つまらないですよ、僕の過去なんて」
「確かにそうね」
「もうすこし興味持って」
心が死ぬ。
「それにしても、遅くなっちゃったわね」
「新幹線、まだあると良いんですけど」
「流石にまだ大丈夫よ」
「帰る前に咲さんに挨拶しないと。ご在宅だと良いですね」
「流石に居ると思うけど――」
話しながら崎山家へと戻ってくると。
門扉のところに、足に大きなギプスをはめ、松葉杖をついた男性が立っていた。
メガネをかけた、五十代くらいの、気の弱そうな男性。
隣には咲さんの姿もある。
あれってひょっとして……。
「げっ……」
男性を視認した崎山さんが顔をしかめた。
気配を感じたのか、男性はこちらを向くとパッと表情を変える。
「蓮ちゃーん!」
瞳をキラキラと輝かせ、足を怪我しているとは思えない速度でこちらに近づいてくる。
男性が崎山さんに抱きつこうとすると、崎山さんはそれをアイアンクローで阻止した。
「黙りなさい。近寄らないで」
「そんなぁ……」
「あの、崎山さん。そちらの方ってもしかして」
僕が尋ねると崎山さんは顔をしかめたまま「生物学上で言うところの父親に分類される男よ」と言った。何だその言い方。
すると崎山さんのお父さんは、そこで初めて気づいたかのように僕に目を向ける。
「ん? 蓮ちゃん、こちらの方は?」
「蓮の彼氏ですよ、壮一さん」
いつの間にかこちらに来ていた咲さんが代わりに答えた。
その言葉に崎山さんのお父さん――壮一さんが「えっ? 彼氏?」と「目を丸くする。
すると崎山さんが顔を真っ赤にして叫んだ。
「か、彼氏なんかじゃないわよ! ストーカー! そう、ただのストーカーよ!」
「その紹介の仕方はまずくない?」
このままだととんでもない汚名を着せられそうだ。
仕方なく、僕は一歩前に踏み出した。
「えっと、崎山さん――蓮さんと同棲させていただいています。遠藤と言います」
「ど、どど同棲!? 蓮ちゃん! お父さんそんなの知らないぞ!」
「当たり前じゃない。母さんにしか伝えてないんだから」
「しょんなぁ!」
壮一さんはガックリと肩を落とす。
そんな彼の肩を、咲さんが優しく支えた。
「まぁまぁお父さん、蓮ももう大人ですから」
「ううう……かあさぁん」
二人の様子を見て、崎山さんが大きくため息を吐く。
「こうなると思ってたから、さっさと帰りたかったのよ……。まさかこんなすぐに退院してくるなんて」
「蓮ちゃんが帰ってきてるからお医者様に土下座して退院したんだよぉ」
「みっともないことしないでよ。無様ね」
「ううぅ……」
「崎山さん、流石に言い過ぎでは……」
流石に可哀想になって口を挟むと、崎山さんは氷のような冷たい瞳を浮かべて鼻を鳴らした。
「良いのよ、こんな父親。この歳の娘と一緒にお風呂に入ろうとする変態なんだから」
なんだって?
「それは、確かにズルいですね」
「……ここにも変態が一人居たようね」
崎山さんは頭を抑える。
「とにかく、もう私たちは帰るから。遠藤くんだって仕事があるんだし」
「そんなぁ……。蓮ちゃん、もう一泊くらいゆっくりして行けばいいじゃないか。昔みたいに一緒のお布団で寝よう」
「殺すわよ」
「トホホ……。昔は『大人になったらお父さんのお嫁さんになる』って言ってくれていたのに」
「何年前の話してんのよ……」
どうやら崎山さんが家を出た原因の一端は父親にあるらしい。
このやり取りを見る限り、分からないでもない気はする。
「あの、すいません」
僕が声をかけると、壮一さんはこちらを向いた。
「今日はあまり時間が無くてろくにご挨拶も出来ないんですけど。いずれまた改めて正式にご挨拶をさせてください」
「遠藤くん、と言ったかい?」
「はい」
「一つ確認しておきたいんだけれど」
「何でしょう」
「君と蓮ちゃんはその……つ、つつ、つ……付き合っているのかな?」
「いえ。ただの同居人です。ルームシェア、みたいな。
「そうか……それなら良かった「でも」」
僕は言葉を被せる。
「いずれは、正式にお付き合いしたいと思ってます」
僕がそう言うと、壮一さんが息を飲み、咲さんはうっとりとした顔でため息を吐いた。
そして、崎山さんの顔は夕焼けのように真っ赤に染まっている。
壮一さんは僕に近づいてくると、真剣な顔で顔を覗き込んでくる。
「遠藤くん」
「はい」
「娘をやる気はない! 同棲も許可したくない!」
「ちょっと父さん!」
割って入ろうとする崎山さんを、壮一さんは手で制する。
「だけど……娘が決めたのなら僕は何も言えないよ」
「はい」
「君たちはこれからも同居を続けるつもりなんだろう?」
「崎山さんが良ければ、ですけど」
すると崎山さんは、そっと顔を伏せた。
「別に……嫌だなんて言ってない」
「あぁ、どうしよう。僕の愛娘がすっかり女の顔にされている……」
「変な表現すんじゃないわよ!」
怒鳴り散らかす崎山さんをよそに、壮一さんは僕の肩にポンと手をかける。
「とにかく、ただ、一つ約束してほしい」
「何でしょう」
「娘を大切にしないと許さないからね」
真剣な顔だった。
僕は真正面から見つめ返す。
「はい。必ず大切にします」
「男の約束だ。もし破ったら、君を殺す」
たまらなく逃げ出したい。
「遠藤くん、そろそろ時間。荷物回収してさっさと行くわよ」
「あ、はい。それじゃあ失礼します。咲さんも、ありがとうございました」
「またいつでもいらっしゃい。あ、そうだ、遠藤さん」
「はい?」
咲さんはそっと僕に耳打ちする。
「蓮、ああ見えて結構寂しがり屋だから。うんと甘やかしてあげて」
咲さんはそう言うと。
世にも美しい顔で、ニコリと笑った。
どこからいたずらっぽいその表情は、僕には女神のようにも見えた。
○
崎山家を後にした僕たちは、二人で帰りの新幹線に乗った。
何だか頭がボーッとする。
あまり意識していなかったが、実は疲れが溜まっていたのかもしれない。
そう言えば、ここ数日は崎山さんの心配ばかりしてまともに寝てなかった。
すると、不意にコツンと肩に何かが触れる。
崎山さんが僕にもたれかかっていた。
「私の地元、遠藤くんに見てもらえてよかった」
それは、どういう意味なのだろう。
そう思うと同時に、手すりに置いていた僕の手に、崎山さんの手が重なる。
……今は深く考えないほうが良さそうだ。
「僕も良かったです。崎山さんのご両親とお話が出来て」
「今度は遠藤くんの地元にも連れて行って」
「ええ、必ず」
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