7-6 過去
清水寺を出た僕たちは、ゆっくり坂を下りながら二人で歩いた。
崎山さんは手に持った物を見て、微妙な顔を浮かべている。
「まさかこの私がこんなもの買わされるなんてね」
崎山さんの手には恋愛成就のお守りが握られている。
僕も同じものを買った。
何だか流れというか、その場の雰囲気に飲まれて買ってしまったのだ。
「まだお昼すぎね。お腹が減ったわ」
「何か食べていきます?」
「そうしましょうか」
タクシーに乗って河原町へ向かい、近場の創作料理のお店で昼食を取った。
狭いがかなり洒落た店で、普段一人では絶対こんな場所に来ないだろう。
中に居る客もカップルや女性客が多い。
「あら、結構美味しいわね。もぐもぐ」
「口に物入れすぎじゃない?」
崎山さんは相変わらずのマイペースだ。
何事もなかったかのような彼女の様子に、こっちまで気が緩んでくる。
気づけば普通にデートを楽しんでしまっているな。
崎山さんと同棲して半年。
よくよく考えたら、二人で旅行に出かけたこともなかった。
だからこう言う機会は、貴重かもしれない。
一通り食事を終えて一息ついた。
これで咲さんに言われたミッションは最低限こなした気がするが。
次はどうしよう。
考えていると崎山さんが「行くわよ」と立ち上がる。
「行くって、どこに行くんですか」
「水族館よ。京都水族館。知らない?」
「あんまりは……近いんですか?」
「そんなに遠くないわよ。タクシーで数メーターくらい」
「そのタクシー代は……」
「ありがとう」
「あ、ハイ」
何だかんだいつもの感じで流されてしまう。
奢ってもらって当たり前の姿勢がどうとか言う書き込みを以前SNSで見た気がするが、もはや僕らの場合は殆どそれが当たり前になっていた。
何というか、崎山さんを奢ることはほとんど抵抗とか、不快感がない。
彼女の雰囲気がそうさせるのか、僕らの関係性がそうなのか。
いや、これもしかしたら主従関係が成立しているせいかもしれないな?
店を出たところに停まっていたタクシーに乗り、次の目的地へ向かう。
「崎山さんが水族館好きなのは意外ですね」
「昔よく行ってたの。結構静かで落ち着いててね。嫌いじゃないわ」
「へぇ……」
「何せ田舎だからね。大阪にでも出ないと、あんまり行く場所もないのよ。あとはお酒飲むくらいしかやることないわ」
「もうちょっとあるんじゃない?」
どんな青春送ってきたんだ、この人は。
「そう言えばここって崎山さんの地元なんですよね」
「そうよ」
「地元の友達もやっぱりサキュバスなんですか?」
「んな訳ないじゃない。全員普通の人間よ。そもそも、そんなにゴロゴロいるもんじゃないのよ、サキュバスは」
「そうなんだ……」
夢見町に居すぎて感覚が麻痺していたが、そもそも性の女神の子孫がサキュバスだとするならば、希少ながらも少しずつその血は受け継がれてきたのかもしれない。
「地元の友達とは会わないんですか?」
「会わないわよ。地元離れた子も居るし、そもそもそんなに長居するつもりも無かったし。それに……」
「それに?」
「何でもない」
崎山さんはふいと顔を背ける。
その姿が何か引っ掛かった。
タクシーで少し走ると目的の水族館に着いた。
もっと混んであるかと思ったが、思った以上にガラガラだ。
と言うか、よくよく考えたら今日は平日なのだ。
今更になって会社を休んだ罪悪感が湧き上がってくる。
すると崎山さんに背中をバンと叩かれた。
思わず「痛っ!」と声を上げる。
「何するんですか」
「心ここに在らずって顔してるからよ。どうせ仕事のことでも考えてたんでしょう」
「まぁ……そうですけど」
「ホント社畜ね」
「そんなに言うほど仕事に縛られては居ないですけどね」
「それなら、たまに出かけた時くらい満喫なさい」
我ながらずっとそのことが引っかかっていて、心から楽しめずにいた。
崎山さんはそんな僕の性分を見抜いたのだろう。
よく見られているなと思う。
彼女はもう、僕の良き理解者だ。
改めて実感すると同時に、何だかそのことがとてもむず痒い。
「相変わらず人少ないわねここは」
崎山さんは入口近くの小さな魚の水槽を眺めながら呟く。
「でもここに来ると、不思議と落ち着いた」
「落ち着く?」
「私、あんまり友達多くないのよね。だからよくここに一人で来ては、魚を眺めていたの」
「へぇ……意外ですね」
先程のタクシーでの会話を思い出す。
友達についての話題になった時、明らかに歯切れが悪くなった。
何か言おうとして、言葉を飲み込んでいた。
地元に、あまりいい思い出がないのかもしれない。
今までの崎山さんの態度を考えても、とても友達が少ないようには見えない。
飄々と人と接していたし、常にマイペースで我が道を行く。
それが僕の知る崎山さんだった。
「良かったら聞かせてくれませんか? 昔の話」
「別に良いけど……」
崎山さんが自分の過去について語るのは、初めてかもしれない。
「昔のことよ。自分がまだサキュバスだと知らなかった時、力が暴走して同じクラスの男の子を酷い目に合わせたことがあるの」
「気になってたって言う男の子ですか?」
崎山さんがピクリと反応する。
「……母さんから何か聞いた?」
「何となく、ですけど。詳しくは聞いてません。気になっていた男の子を傷つけてしまったとだけ」
「本当言わなくて良いこと言うんだから……」
崎山さんはそっとため息を吐くと。
少しだけ寂しげな表情を浮かべて話し出した。
○
小学校の頃の話よ。
私には仲が良い人がいたの。
同じクラスの藤宮くん。
顔を合わせてはよくバカな話をしたし、思春期にしては珍しく、一緒に遊んだりもしてたわ。
彼が他の女子と話すとそわそわしたし、妙に気になってた。
今思うと惹かれてたのね
藤宮くんには他に仲の良い女の子がいてね。
私と藤宮くんが話していると、よくその女の子が話に割って入ってきた。
その子と藤宮くんが話すと、いつも不安になったわ。
いつか、自分のなんて相手にしてくれなくなるんじゃないかって。
別に彼は誰のものでもないのに、おかしな話だけど。
ある日、私がいつものように彼と話していると、また例の女の子が話に入ってきた。
声をかけられて、遊びに誘われて、藤宮くんを連れて行こうとした。
それを私は引き止めたくて、彼の手を握った。
「いやっ! 行かないで!」
感情的になった私が叫ぶと同時に。
サキュバスの力が発現した。
全身から溢れ出たフェロモンが周囲に広がり。
藤宮くんの精気を思い切り吸ってしまった。
次に気がついた時、そこは地獄みたいな情景になってたわ。
私の催淫フェロモンを浴びたクラスメイトたちは全員倒れていて。
私が握った藤宮くんの手は、カラカラに干からびていた。
彼は干からびたミイラみたいになって倒れていた。
絶叫に近い私の悲鳴を聞いて、ようやく隣のクラスや教師たちが騒動に気づいたの。
私がやったことは、誰も気付かなかった。
ガス漏れの線で片がついたみたいだけど、それにしては不可解な状況が多すぎた。
何より、藤宮くんが干からびた原因を誰も説明出来なかったしね。
私は自分のしでかしたことの大きさが怖くて、誰にも言うことが出来なかった。
母さんだけが、何となく状況を察していた。
そして、自分がサキュバスだということを知ったの。
○
「その……藤宮くんはどうなったんですか?」
「分からない。しばらく入院してそのまま転校して行ったきりだから。元気にやってるかもしれないし、もしかしたら男性の機能を失ってるかもしれない」
それは……何ともやるせない話だ。
「私はそれ以来、何となく人とは距離を置くようにしたの。高校でも、大学でも、人と過度に触れ合うことはやめたわ。友達も居なくはないけど、適度に距離は空けてきたつもり」
今まで、崎山さんがたまに見せる悲しげな表情が気になっていた。
サキュバスに関する事件に巻き込まれた時。
ふと過去を回顧せねばならなかった時。
彼女は不意に、悲しげな表情を見せる。
それは、崎山さん自身が過去に起こしてしまった事件が原因だったんだ。
「ようやく分かりましたよ、崎山さんのこと」
僕は目の前の水槽を眺める。
「崎山さんが仕事についてないのも、それが理由なんですね。人と関わることが怖いから……」
「いや、ただ労働が嫌いなだけだったけれど」
「今の同情返してもらっていいですか」
「サキュバスが暴走することはね、よくあることなのよ。好きな人に過度な嫉妬や独占欲を抱いたがために、相手を傷つけてしまう。ただ、サキュバスの性質上、暴走しても周囲に認知され辛いから、気づかれていないだけね」
「気づかれた方が、サキュバスにとって幸せなんでしょうか」
「幸せなわけ無いじゃない。世間のサキュバスへの認知を考えてみたら、ろくでもないことにしかならないわよ。性の見世物にされて、良いように使われて……最低の人生が待ってるわ」
「そんな前時代的な……」
そこまで言って僕は言葉を飲む。
今の世界が、本当にそんな風になっていないと言えるだろうか。
ネットで見世物にされ、コンテンツとして良いように消化される。
サキュバスの存在が露呈したら、見世物になるのは想像に難くない。
「ふさぎこむまではいかなかったけど、ずっと心にオブラートを被して暮らしてきたわ。人とは適度に距離を取って、自分をごまかしているのがわかってた。だから母さんから夢見町の話を聞いて、ずっと行ってみたいと思ってた……」
「それで崎山さんは夢見町に来たんですか?」
「ええ」
崎山さんは頷く。
「でも崎山さん、人と関わることを拒むって割には、いきなり人の部屋に来たりしてましたよね。そもそも、飲み屋で飲んでた僕と意気投合してたくらいだし」
「うるさい男ね……」
忌々しげに崎山さんは僕を睨んだ後、そっとため息を吐いた。
「あの時は夢見町に来たっていう高揚感もあったし、それに――」
「それに?」
彼女は僕の目を真っ直ぐ見つめる。
「何故かわからないけど、この人は大丈夫だって……そう思ったの」
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