7-5 あなたは今幸せですか

 食卓に並んだ料理を見て、思わずため息が出た。

 ローストビーフにスパゲティ、手製のコロッケにエビフライ。

 ここ最近では食べていなかった類のご馳走たち。

 子供が喜びそうな類のメニューではあるが、長旅で空腹だった身体にはガツンと効いた。


「ちょっと遠藤くん、ひとでがっつかないでよ。意地汚いわね」


「そう言う崎山さんこそめちゃくちゃスパゲティ盛ってるじゃないですか」


「私は良いのよ。母の味だから」


「理不尽だ……」


「ふふ、仲が良いわね。沢山あるからゆっくり食べなさい」


 こちらを見る咲さんの瞳は優しい。

 そんな彼女に、僕は改めて尋ねた。


「崎山さんのお父さん……旦那さんとは夢見町で出会ったんですよね」


「ええ。当時私が勤めてた職場の得意先の人でね。猛烈にアプローチされたの」


「へぇ……良いですね。でもお母さんお綺麗ですから、他の男性からもアプローチされたんじゃないですか?」


 ピクリと反応する崎山さん。

 下手に褒めたのが引っ掛かったらしい。

 怒られるかと思ったが、幸いにも咲さんが気にせず流してくれた。


「そうね。確かに、いろんな人から声は掛けてもらっていたかも。でも、みんな下心からだってすぐにわかっちゃって」


「それは……サキュバスだから?」


 僕が言うと、咲さんはそっと寂しそうな顔をした。


「知っているんですね。私たちのこと」


「まぁ、一応……」


「最初に出会ったころに話したの」


 崎山さんが補足すると、咲さんは何故か嬉しそうに微笑みを浮かべた。


「先制パンチかましたのね。でも、よく信じましたね。こんな荒唐無稽な話」


「最初は何言ってんだこの人って思ってました。でも、崎山さん平然とサキュバスの力を使うから。信じざるを得なかった感じです」


「何よ。人を異常者みたいに」


 睨み合う僕らを見て、咲さんは可笑しそうに口元を抑える。


「本当に息ぴったりね。なんだかお父さんとの若い頃を思い出すわ」


「お二人もこんな感じだったんですか?」


 すると崎山さんが肩をすくめた。


「ぜんぜん違うわよ。お父さん、お母さんにべた惚れだもの。見てて辛いから家出たの。息がぴったりでも、ベクトルが全然違うわよ」


「そうなんだ……」


 崎山家は家族円満な感じなのかと思ってたのだが、どうやら崎山さんは父親を好いていないらしい。

 何となく僕が崎山家の事情を察していると、不意に咲さんが箸をカチャリと置いて「ところで」とつぶやいた。


「一応、聞いておきたかったのだけれど」


「はい? なんでしょう」


「あなたたち、まだセックスはしてないのよね?」


 どんがらがっしゃーんと僕と崎山さんは椅子ごと背後に倒れる。


「ななな、なんてこと聞くのよあんたは!」


「うら若き男女が半年も一緒に暮らして性行為もしてないなんてあるかしらと思ったのだけど……。我が娘ながら奥手ねぇ」


「この男とはそういう関係ではないのよ」


「嘘おっしゃい」


 ピシャリとした物言いに、崎山さんが黙る。


「あなたもなんとなく感じたから、遠藤さんの家に押しかけたんでしょ」


「感じたって?」


 僕が首を傾げると、咲さんは頷いた。


「この人が運命の人だってね」


 咲さんがそう言うと。

 崎山さんの顔が、見る見るうちに赤くなっていった。

 普段とはまるで違う彼女を見て、思わず目が合う。


 すると、サッと目を逸らされた。

 どうやら図星らしい。

 何だこのリアクションは。

 完全に予想外だ。


 奇妙な沈黙が食卓に満ちる。

 妙に気恥ずかしい。

 どうしようかと思っていると、咲さんが立ち上がった。


「遠藤さん、今日は泊まっていってくださいな」


「ホテル取るつもりだったんですけど……本当にいいんですか?」


「ええ、かまわないわ」


「ちょっとお母さん、勝手に決めないでよ」


「そのまま蓮のこと、夜這いしてもいいんですよ」


「はぁっ!?」


 とんでもないこと言い出した。

 慌てふためく崎山さんに「冗談よ」と咲さんが笑う。

 心臓に悪い。


「ま、それはそれとして。あなた達、明日観光に行ってらっしゃい」


「観光? 何でまた」


 すると咲さんが呆れたようにため息をついた。


「蓮、適当なことしてたら、遠藤さん、他のサキュバスに取られちゃうわよ」


「え……?」


「サキュバスとて恋は戦い。だからちゃんと欲しい人は自分でつかむの」


 崎山さんと目が合う。


「じゃあ……行く?」


 顔が赤い。

 何だその可愛いリアクション。

 まるで……普通の女の子みたいじゃないか。


「行きます」


 ○


「お風呂いただきました」


「はぁい」


「良かったんですか? 一番風呂で」


「構わないわよ。長旅で疲れたでしょう」


 なんて至れりつくせりなんだ。

 食事が終わり、風呂に入った僕がリビングに来るのを見て崎山さんは立ち上がった。


「じゃあお母さん、私入るから」


「どうぞ」


 そう言った崎山さんはこちらをジッと見てくる。

 何だろう。


「言っとくけど遠藤くん、覗かないでよ」


「覗くか!」


 どれくらい同棲してきたと思ってるんだいやそりゃあ見たいけどそもそも僕が覗きなんてするはずないじゃないかしかしながら一度くらいは見てみても良いのではないという考えが無いわけではないのだがそんな邪な考えをしていては信用というものがしかし据え膳食わぬは男の恥とは申しますゆえ男子たるものここで決断するべきなのはああでも母親が居るじゃないかとんだ変態だと思われる僕は一体どうしたら。


 僕が思い悩んでいる間に「気持ち悪い男ね」と言い残して崎山さんはさっさと風呂に行ってしまった。心が死ぬ。


 咲さんと二人リビングに取り残され、何だか気まずい。

 テレビの音だけが、静寂を和らげてくれる。

 すると「遠藤さん、こちらどうぞ」とテーブルの対面の席に座るよう促された。

 言われるままに椅子に座り、咲さんと向き合う。


「普段はこの広いお家にお二人なんですよね」


「蓮が出ていってからはそうね」


「寂しくはないですか?」


「慣れたらすぐよ」


「崎山――蓮さんが子供のころからここに住んでたんですか?」


「ええ、暮らしていたわ」


 微笑む咲さんの姿は、まるで天女のように美しい。

 とは言え、天女どころか淫魔の類なのだが。

 いや、しかしいつか聞いたサキュバスの起源を思い出すと、天女と言う考え方で間違っていないのかもしれない。


 天に存在する性の女神が地上に降り、人間との間に生み出された存在。

 それが、夢見町で言うサキュバスの起源だったことを、僕は夏祭りの日に知った。

 元々はサキュバスなどと呼ばれるはずがない存在だったが、彼女たちの血が海外にまで及んだ時、そのように呼ばれるようになったのだという。


 サキュバスは今も世界中にいる。

 ただ、その存在が認知されていないだけだ。


 性の女神は自らの子孫であるサキュバスを祝福するために、夢見町を作った。

 彼女がサキュバスを守れるのは、あの小さな町の中だけだったのだ。


「咲さんは元々、夢見町で暮らしていたんですよね?」


「そうよ」


「僕は……蓮さんから夢見町がサキュバスの楽園と聞きました。そこに住むサキュバスは幸せになれるのだと。そんな場所を出ることに、抵抗はありませんでした?」


 僕が尋ねると、咲さんは少し考えた後――


「正直言うと、少し不安だった」


 と言った。


「町の庇護を受けられないと、酷い目にあってしまうんじゃないかって」


「じゃあ、どうして?」


「あの人が、『僕が守るから』って言ってくれたから。信じることにしたの」


 その瞳は。

 迷いのない、真っ直ぐなものに思えた。


「町を出てからはどうでした?」


「百点満点の幸せかって言われたらそうじゃなかった。喧嘩したこともあったし、嫌な思いだってした。ただ、不幸だと思ったことは一度もない。思い返せば、幸せだったと思う。もちろん、今も」


「そうですか……」


 不安もあるし、時に喧嘩もするけれど、それだけじゃない。

 咲さんが歩んできたのは、どこにでもある当たり前の幸せに思えた。


 特別じゃなくて良い。

 大切な人を大切だと思えるまま一緒にいられる人生は、普通で、当たり前で、幸せで貴重だ。

 その感覚はきっと、大人になった今だから分かるのだろう。


 でも、と咲さんは言葉を継ぐ。


「蓮は少しだけ心配かも」


「どうしてですか?」


「あの性格なのもあるけれど……実は小学生の頃、蓮が一度事件を起こしたことがあってね。あの子はそれから、人と関わるのが少しだけ怖いみたい」


「事件?」


 初耳だった。

 咲さんは頷く。


「当日、気になる男の子がいたらしくて。でも他の女の子と話しているのを見て、嫉妬してサキュバスの力が暴走したみたい」


「そ、それってどうなったんですか?」


「どうもならなかった。問題にも、解決することも。サキュバスの力に、証拠は残らないものね」


 そう言った咲さんの表情に、少しだけ影が落ちる。

 もう少し聞きたかったが、そこで咲さんはパンと手を叩いた。


「今日はもうこの辺にしましょう。遠藤さんも疲れたでしょう」


「え、ええ……」


 何となく、強制的に締め出された感じだ。

 これ以上は本人に聞けと言うことか。

 腑に落ちないまま、僕はリビングを後にした。


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