第七話 実家に帰らせていただきます

7-1 サキュバスさん、家出する

 日曜の買い物帰り。

 駅前で買い出しを済ませた僕たちは、いつもの帰り道を二人で歩く。


「いい天気ね」


「本当ですね」


 空が青く、ずいぶんと心地よい日だった。

 街には人が賑わい、楽しげな話し声が聞こえてくる。

 どこか遠くから商店街のBGMが鳴り響き、時の流れがゆったりとしていた。


 真澄レムのこともあり、ここ最近はずいぶんバタバタしていた。

 こんな風にリラックスして休日を過ごすのは、久しぶりな気がする。


 それは崎山さんも同じようだ。

 ちょっと前までは険しく見えた彼女の表情も、ここ最近はずいぶん穏やかだ。


 平穏を、僕たちは堪能していた。


「ちょっと買いすぎましたね。主に食材とお菓子」


「大丈夫よ、痛む前に全部食べるから。任せてちょうだい。料理はお願いね」


「僕にも食べさせて」


 また太りますよと言いたかったが黙っておく。

 余計なことは言わないに限る。

 それに、今はいつもの馬鹿げた会話がどこか愛おしい。


 不意に吹いた風が、少しだけ肌寒かった。

 この間まではまだ残暑が漂っていたが、あっという間に季節は秋。

 そして間もなく冬の気配も見えてきている。


 ここ夢見町の景色もすっかり秋の色彩に染まっていた。

 紅葉が進み、特に神社の辺りはちょっとしたスポットだ。

 色づいた紅葉や銀杏の木々が美しく立ち並び、今の時期はあのへんを散歩するのが楽しい。


「もう11月ですね」


 僕がいうと崎山さんはそっとため息を吐いた。


「この時期は好きじゃないわ」


「どうしてですか?」


「何のイベントもないじゃない。一年で一番地味よ。」


「時節に地味とか言う人初めて見た」


 前から思っていたが、この人どういう感性しているんだろう。


「崎山さんは秋が好きだと思ってましたよ」


「どうして?」


「だってこの時期はスイーツが多いじゃないですか。サツマイモに栗、カボチャのお菓子とかも結構出ますよね」


「遠藤くんは私の嗜好が食で左右されると思ってるの……?」


 崎山さんと同棲して半年以上か。

 彼女の考え方や性格なんかはもうすっかり掴めているが。

 この人の個人情報だけは未だに謎でしかない。


 まともに知っているのは名前くらいのものか。

 どこの出身の人で、どのような過去を持っているのかも知らない。

 彼女がサキュバスということをいまさら疑いはしていないが。


 一体何者なのだろう、とはたまに思う。

 まさか魔界から出身というわけでもないだろうし。


 夢見町に住んで半年。

 この街にはサキュバスが集う。

 時には襲われ、時には摩訶不思議な体験をし。

 ちょっとはこの街のことも、サキュバスのことも、知ってきたつもりだ。


 ただ、それ以上に崎山さんは謎が多い。


 まぁ、何も聞かないくらいがちょうど良いのかもしれないけど。

 僕らの間には、言葉にせずとも互いに通じるような、安心感があった。

 こうした関係性は、どこか心地よい。


 街をしばらく歩き、やがていつものマンションに戻ってきた。

 ふと見ると、郵便ポストから少しビラがあふれている。


「郵便ポストパンパンじゃない」


「ここ最近回収するの忘れてましたね……」


「普段から確認しないからこういうことになるのよ。ほんとズボラな男ね」


「好き放題言ってくれる」


 不毛な責任の押し付け合いを行う。


「崎山さん、僕手が使えないんで、中身の回収たのんでいいですか」


「情けないわね、それでも男なの?」


「えぇ……」


 僕は両手いっぱいに荷物を抱えているが、崎山さんは手ぶら。

 帰りながら両手にものを持ってモグモグ食べていた名残である。


 崎山さんは「仕方ないわね……」と呟くとポストの中を除く。

 何だかんだ文句を言いながらもやってくれるのは、彼女なりの優しさだ。

 相変わらず理不尽な人だが、そういう人だと、いい加減慣れた。


 崎山さんは中からビラを取り出し、一枚一枚選別しては横にあるゴミ箱に捨てていく。


「しょうもないビラばっかね」


「たまに重要なのあるんで間違えて捨てないでくださいね」


「分かってるわよ」


 すると。

 ある瞬間、崎山さんの様子変わった。


 彼女が手に持っていたのはハガキだった。

 いかにも個人が出したと言う感じのハガキ。

 普通のビラとはちょっと違うのが分かる。


「崎山さん、どうかしました?」


 覗き込もうとすると、ヒョイと崎山さんはハガキを下げた。

 今、隠さなかったか?


「別に、何でもないわ」


 露骨に視線を逸らされる。

 絶対になんでもなくない。

 でも彼女の真顔が、これ以上聞くなと言っていた。

 無理に聞いたら喧嘩になるかもしれない。


「そうですか……」


 僕がいうと、崎山さんはどこかホッとしているように見えた。

 普段見ない彼女の様子が、妙に引っかかる。


 その日は家に帰ってからも、崎山さんの様子は何だかおかしかった。

 ボーっとしては、時にそわついたりして、妙に忙しない。

 尋ねようかと思ったが、無理に尋ねるよりは彼女から話してくれるのを待つことにした。



 そして、次の日。


 ことは起こった。



「おはようございます、崎山さん……」


 朝起きると、妙に部屋が静かなことに気がついた。

 人の気配がない。

 まだ寝ているのかと思ったが、リビングのカーテンが開いていてそれはないと知った。

 いつも寝る時に閉めておくからだ。


「崎山さん?」


 声をかけるも返事はない。

 寝室をノックした。


「入りますよ? 崎山さん?」


 中に入り、ギョッとする。

 そこには誰もいなかった。

 きれいに整頓されたベッドだけが、そこにある。


 バイトにでも行ったのだろうか。

 でも今日は休みだと言っていたような気もするじゃあ、ちょっと散歩にでも出たか。


 すると、不意に机の上に見慣れぬ紙が置かれていることに気がついた。

 それは、置手紙だった。

 僕はゆっくりと、その手紙を手に持つ。


 そこにはこう書かれていた。


『実家に帰らせていただきます。 崎山』

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