6-5 彼女の真意

 こうして、僕と真澄レムの偽装恋人生活が始まった。


「遠藤さん! 今日も買い物に行きますよ!」


「あ、はい。それじゃあ崎山さん、行ってきます」


「ふんっ」


 偽装恋人生活と言ってもさほど大したことではない。

 一緒にスーパーで食材を買って一緒に帰ったり。

 時折、駅前の飲み屋で一緒に飲んだり。


 とにかく、二人で過ごす時間を多く作るようにした。


 町中で隣り合って仲睦ましげに話せば、僕らの姿はどう見てもカップルに見えた。

 そうやって、雑誌の記者に写真を撮られる機会を作ったのだ。


「ふぅん……また写真撮られたの……」


 そしてまた、報道がテレビでされる度に。

 崎山さんの機嫌は見る見る悪くなっていった。


「そうした方が世間の注目を集められるみたいです」


「ずいぶん距離近いわねぇ? さぞかし嬉しかったでしょう」


 こめかみに血管が浮かんでいる。


「いや……すいません」


「スケベ。変態。ドスケベ。ロリコン。痴漢。ストーカー。ペドフィリア」


「言い過ぎじゃない?」


「足りないくらいよ」


 恋人関係の偽装に賛成したのは自分なのに。

 とは言え、崎山さんが焼きもちを焼いてくれるのは、何だか嬉しい気もするわけで。


 それに、確かに役得なのだ。

 あの真澄レムに微笑みかけられたり、甘い言葉を囁いてもらったり。

 普通なら、一生涯味わうようなことのない機会なのだから。


 真澄レムはかなり可愛い。

 あんな女の子に毎日のように微笑まれたら意識しない男は居ないだろう。

 真澄レムの一挙一動に心が揺れないと言えば、それは嘘になる。


 本来なら距離を取るべき状況でも、作戦のためだからと言われればそうもいかない。

 そう、これはもう拷問なのだ。僕は決して楽しんでなどいないし真澄レムの横顔可愛いなとか産毛が光に輝いてキレイだなとか指が柔らそうとか唇ツヤツヤだなとか思ってなんかない。

 いや、もう本当に絶対に。


 そんな感じで心が揺れながら日々は過ぎていく。


 会社でも同僚や先輩に羨ましがられ。

 南穂さんからは少し冷ややかな目で見られ。

 家に帰れば苛立たしげに崎山さんから舌打ちされ。


 そんな日々が、一週間ほど続いた。



「遠藤さん、大丈夫ですかぁ?」



 ある日の夜の帰り道。

 真澄レムと駅で待ち合わせて帰っていると、彼女は心配そうに話しかけてきた。

 彼女がスッと顔を寄せると、フワッと石鹸のいい香りが鼻腔をつく。


「……ちょっと疲れただけですよ。色々バタバタしてたでしょ」


 僕が力なく言うと、彼女は「そうですか……」と少し悲しそうな表情を浮かべた。


「やっぱりご迷惑でしたよね? こんな申し出」


「悪いのは真澄さんじゃないですよ。全部ストーカーのせいです」


「それだったらいいんですけどぉ……」


 空にはポッカリと月が浮かんでいる。

 今宵は半月だ。

 僕らが歩くと、コツコツと足音が響いた。

 辺りに人の気配はない。


「ねぇ、遠藤さん。ちょっと手、繋ぎませんか?」


「えっ……?」


 それは初の申し出だった。

 今まで恋人のフリはしてきたのだが、それはあくまでフリ。

 事が終わり次第言い訳出来るよう、親密に見えても過度な接触はしないようにしていた。

 友人関係にあると言えば、それで押し通せるくらいの距離感は保ってきたのだ。


 それなのに、手を繋ごうだって……?

 彼女はその意味が分かってるんだろうか。


「大丈夫ですよぅ、今、特に周りに人はいません。確認しましたから」


 僕の心を読んだかのように、彼女は言う。


「それなら、なおさら演技する意味も無いんじゃあ」


「もう、鈍いなぁ……」


 真澄レムはそう言うと、上目遣いに僕を見た。


「私がそうしたいと思ってるから提案してるんですよ?」


 何だって?


 驚いて見ると、街灯に照らされた真澄レムの頬は朱色に染まっていた。

 それが暑いからではないことは明白だ。


 ダメだ、遠藤進。

 これは罠だ。

 耳を貸してはいけない。

 芸能人が素人にやるような、ほんの気まぐれなのだ。

 心を無にしろ、遠藤進。鉄になれ。


「えっへへへ、やったぁ。嬉しい」


 気がつけば僕の手は真澄レムの手に握られていた。

 そう、残念ながらこの世には引力というものが存在する。

 僕はこの世に存在する巨大な物理法則に抗えなかったのだ。


 握った真澄レムの手はずいぶん小さくて、柔らかい。

 こんな手で恋人繋ぎをさていたら一瞬で灰になっていただろう。

 危なかった。


「実は、遠藤さんに恋人役をお願いしたのは、ストーカーだけが理由じゃないんですよねー……っていったら、怒ります?」


「えっ?」


 不意に予想だにしない言葉が放たれる。

 僕が驚くと、真澄レムはタハハと笑った。


「実は私、事務所に頼んでしばらく騒動が収まるまでお休みいただいてるんですよ」


「あぁ、通りで最近テレビで見ないと思いました」


「こんな状況ですし、テレビに出てもやりづらいなって話になって。でも実は、それを狙っても居たんですよねー……」


「どう言うことです?」


「私、もう二十一歳じゃないですか。アイドルも卒業間際のタイミングで、次の芸能人としてのキャリアをどうするって状態で。だから今が頑張り時だからって、ずっと耐えて来たんですよね。頑張ったお陰でようやくバラエティや女優の仕事もいただけるようになったんですけど、ふと、このままで良いのかなって思ってしまって」


 彼女はそっと、空に浮かんだ月を見上げる。


「私も普通の女の子ですから。たまにはアイドルをお休みして、普通の恋もしてみたいな、なんて思っちゃったんですよね」


「それで、僕に恋人のフリを頼んだんですか?」


 真澄レムは頷いた。


「テレビで恋人騒動が出た時、チャンスだって思ったんです。ストーカーを追いやるためって名目で活動を休止して、お休みできればなーって」


 ここ最近の彼女の行動にようやく合点が行った気がした。

 真澄レムの行動は、アイドルとしては軽率な気がしていたからだ。

 ストーカー騒動や仕事の喧騒から解き放たれたかったのかも知れない。


 彼女は休みたかったのだ。

 そして僕を使って、ついでに擬似的な恋愛を楽しもうと考えた。

 今まで出来なかったことを、この機会にやろうとしたのだろう。

 じゃないと、次に解放されるのがいつになるか分からないから。


 メチャクチャだ。

 メチャクチャだけど。


 僕は何故か、彼女を責めることは出来なかった。


「遠藤さんとご飯に行ったり、買い物したり、ありふれてる時間かもしれませんけど、私はすごく楽しかったんですよね。のびのび外を歩いて、堂々とやりたいことが出来て。だから、ついつい気が緩んじゃったのかもしれません」


 彼女はそっと、僕と繋いだ手を見つめる。


「だから思い出を作ろうなんて思っちゃったのかな」


「真澄さん……」


「分かってるんですよね。こんな状態、長くは続けられないってこと。行き過ぎると、今まで積み重ねてきたものまでなくなっちゃうって。遠藤さんと崎山さんにもご迷惑になりますし」


「迷惑だなんて……」


「だって遠藤さん、崎山さんのことが好きでしょう?」


 その言葉を言われてギクリとする。


「どうしてそう思うんですか?」


「やだなぁ。見てたらわかりますよぉ」


「サキュバスの力ですか?」


「女の子の力です」


 僕は未だに、自分の崎山さんへの気持ちがわからないでいる。

 そんな僕の気持ちを、真澄レムは「恋だ」と言う。


 僕は、崎山さんに恋をしているのだろうか。


 真澄レムと過ごす間も、ずっと後ろめたさを感じていた。

 崎山さんと過ごす時間は僕にとってかけがえの無いものであるのは確かで。

 崎山さんに冷たくされればがっかりするし、僕への脈を感じれば胸が踊った。


 この気持ちは、やっぱり恋なのだろうか。


「それに、崎山さんも――」


「えっ?」


「……何でもありません」


 真澄レムはこちらにニッと微笑んでみせた。


「もう終わりにしましょうか、遠藤さん。ストーカーは捕まらなくて失敗。だけど今なら、遠藤さんも私も、何事もなかったいつもの生活に戻れると思います」


 彼女は、テレビで浮かべているような笑顔だった。

 それが作り笑いだとすぐに気づく。


 確かにこのまま関係を解消して、元のお隣さんになれれば楽になるだろう。

 でも、それじゃあ彼女は何も救われていない。


 ――この町に来たサキュバスが、不幸であっていいはずなんてないもの。


 いつかの崎山さんの言葉が脳裏をよぎる。

 こうして僕たちが出会ったことは、きっと何か意味があるはずだ。

 このままじゃ、寝覚めが悪い。


「真澄さん、もうすこし続けてみませんか、恋人のフリ」


 僕が提案すると彼女は「えっ」と意外そうな顔をした。


「せっかく知り合ったんですから力になりたい。それにこのままじゃ僕もモヤつきます。出来る限りのところまでは協力させてほしいんです」


「本当にいいんですか?」


 僕は頷いた。


「それで、一つ提案なんですけど」


「提案?」


「さっき、普通の女の子みたいに恋もしてみたいって言ってたでしょ。だから――」


 月明かりに照らされた彼女の手を、僕はそっと握りしめる。


「デート、してみませんか? 二人で」

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