6-3 二人の関係

 次の日。


「うう……気持ち悪い……」


 僕が会社で頭を抑えていると、先輩の南穂さんが物珍しげに僕の顔を覗き込む。


「遠藤さん、どこか調子でも悪いんですかぁ?」


「昨日ちょっと飲みすぎちゃっただけです……」


「あらぁ」


 僕は二日酔いだった。

 最悪の気分だ。

 眼の前がぐるぐるする。


 昨日、真澄レムの酒の勢いに飲まれて我ながら飲みすぎたと思う。

 朝、遅刻しかけたこともあり急いで家を飛び出してきたのだが、会社に着いて落ち着いてきたらどんどん体調が悪化し始めた。


 崎山さんは無事だろうかと思いながら頭痛と戦っていると。

 不意にスマホが鳴る。

 崎山さんからだった。


『きよう しじみ じる』


 今日、しじみ汁。

 どうやったらこの短い文章がここまでゾンビの書いたような文章になるのか甚だ不明だが、 彼女もまた二日酔いに苦しんでいることだけは分かる。


 吐きそうになりながらも何とか仕事をやり過ごし、半休を取っていつもより少し早い時間に帰路についた。

 かなり融通が利くのは、我が社のホワイトたる所以である。

 転職バンザイ。


 駅前のスーパーで海鮮売り場へ。

 並び立つ魚介類からどうにかしじみを見つけて手を伸ばす。

 すると不意に横からにゅっと別の手が伸びてきた。


「あっ……」


 防止、黒マスク、サングラス。

 身バレ防止が徹底しすぎてて逆に怪しいその人物は、真澄レムだった。


 ◯


「いやぁ……お恥ずかしい。まさか遠藤さんもしじみ狙いとは思わなくてぇ」


「あれだけ飲んだら誰でも二日酔いになりますよ」


「でもいいんですか? 私までごちそうになってしまって」


「まぁ、ここまで来たら二人も三人も変わらないと言うか。お隣さんですし」


「隣人に恵まれてよかったぁ……」


 スーパーの帰り道を真澄レムと二人で歩く。

 二人ともヨレヨレだったが。

 幸いにして、過ぎ去った夏の気候は気持ちが良かった。

 二日酔いでなければ、さぞ過ごしやすい日だったろう。


 それにしても。

 まさか昨日までテレビで見ていた人と、こうして歩くことになるとは。

 人生何が起こるかわからないものだ。


「遠藤さんと崎山さんはもうお付き合いされて長いんですか?」


 不意に飛び込んできた一言に、思わず咳き込む。


「……付き合ってはないです」


 僕が言うと、真澄レムは「えっ?」と目を丸くした。


「だって同棲してるんですよね?」


「何か成り行きでそうなったと言うか。流れというか」


「じゃ、じゃあひょっとして、か、体だけの関係?」


「違います!」


 思わず叫ぶと、真澄レムはキョトンとした顔をしていた。


「男女で同じ家に生活してるから、てっきりそう言う関係だと」


「まぁ、普通はそう思いますよね」


「お二人は友人関係なんですか?」


「うーん、それも違うというか」


「じゃあ主人と召使い?」


「どんどん悪くなってる……」


 主従関係か。

 何故かしっくり来て、微妙な気持ちである。

 でも言われてみれば確かに、僕と崎山さんの関係は曖昧だ。


 僕たちは一体、どういう関係なんだろう。

 僕は一体、どういう関係になりたいのだろう。


「遠藤さんは、崎山さんのことどう思ってるんですか?」


「どうって……」


「だってあんなにキレイな人、近くに居たら普通好きになりそうじゃないですか」


 確かに崎山さんは美人だ。

 スタイルもよく、平たく言えばおっぱいもでかい。

 同じシャンプーを使ってるはずなのに何故か彼女からはいい匂いがする。

 辛辣しんらつな物言いも、慣れてしまえば彼女の個性だ。


 とは言え彼女はものぐさだ。

 家事もほとんどこっち任せ。

 食べてばっかで何故か太らない。

 人を顎で使ってくる。

 ろくな人間ではない。


 だがそんな彼女は、僕にとって今やなくてはならない存在になっていた。


 崎山さんと同棲を初めてもうすぐ半年。

 良いところも、悪いところも見てきた。


 居るのが当たり前というか、居て欲しいと言うか。

 少なくとも、僕は彼女と過ごす時間を嫌だと思わない。

 だからこの曖昧な関係を形にするのが、少しだけ怖くもある。


「ほらほら、本当のとこどうなんですかぁ? 意識してんでしょ? 白状してくださいよぉ」


 そんな僕の気も知らず、いたずらっぽい表情で真澄レムはウリウリと肘で僕をつついてくる。

 反応に困って乾いた笑いを漏らす。


 すると、不意にカシャリと何か聞き覚えのある機械音がした。


 思わず振り返る。

 しかし、誰の姿もなかった。


「どうしたんですかぁ?」


「いや、今一瞬人の気配がして」


「人の気配ぃ? 誰もいませんけど」


「気のせいですかね」


 先程耳にした、あの機械音。

 まるで、カメラのシャッター音のようにも聞こえたが。

 聞き違いだったのだろうか。


「それよりぃ、しじみ汁飲みましょ! しじみ汁!」


 僕が首をひねっていると、真澄レムは僕の腕をぐいと引っ張った。

 急な接近に心臓が高鳴る。

 出会った時から思ってたが、この人ちょっと距離感がおかしい。


 僕の腕を元気よく引っ張る真澄レムは、すぐに顔面蒼白になり壁際でえづき出した。


「……うえぇ、気持ち悪ぅ」


「二日酔いなのにはしゃぐから……」


 この時の僕はまだ知るよしもなかった。

 翌日、まさかこの時撮られた写真がきっかけで、真澄レムの熱愛報道が流れるとは。

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