6-2 アイドルの事情
「それで、どうするのこれ」
我が家にて。
崎山さんが、部屋の真ん中で大の字になって眠る真澄レムを見て呆れ顔をする。
放っておくわけにも行かず。
かと言って救急車を呼ぶほどでもなく。
仕方無しに僕たちは真澄レムを部屋に上げていた。
「ふごご……」といびきを立てながら眠る彼女の姿はおっさんそのもので。
いつものアイドルの面影はない。
「真澄レムってアイドルよね? いいの? お酒なんて飲んで。未成年じゃないの」
「一応年齢は二十一歳らしいです」
「合法か……」
アイドルが一般的に引退する年齢は二十一歳だと言う。
そう言う意味では、この年齢で業界の第一線で活躍する彼女はとても稀有な存在だ。
こうしてお酒を飲まなければやってられないこともあるのだろうと、何となく察する。
すると不意に、真澄レムがパッチリと目を開いた。
不思議そうに天井を見つめる彼女を、僕と崎山さんは覗き込む。
「うぶっ!」
途端、胃の中の物がせり上がってきたのか、彼女は両頬を限界まで膨らませた。
まるでピンを抜いた手榴弾だ。
「わー! 吐かないで!」
「トイレ! トイレこっちだから!」
「んぐぐぐぐぐぐぐ!」
オロロロロロ、と吐瀉音が響き渡る。
史上最悪の情景だった。
「遠藤くん、後で一応便器拭いといてくれるかしら」
「別にいいですけど、自分ではやらないんですね……」
やがてジャーッと水の流れる音とともに「うえぇ……ぎもぢわるい」と彼女が顔を出す。
「最悪の気分だよぉ……」
「こっちのセリフだけどね」
「水飲みます?」
「あ、ども……」
何故か差し出したグラスではなく、手に持っていたペットボトルを奪われ、真澄レムはゴクリゴクリと腰に手を当て豪快にラッパ飲みをし始める。
「もうあの水飲めないわね……遠藤くん」
「はい……買ってきます……」
もはや息をするようにパシられている事実も気にならない。
呆然と目の前で水を飲む女性を見つめた。
あの真澄レムが家で水を飲んでいる。
ちょっと信じられない光景だ。
テレビでは、収録された番組に映る真澄レムが画面に向かって「それじゃあスタジオ戻しまーす」と言っていた。
戻したのはゲロだったけど。
◯
「いやー、面目ない! ご迷惑をおかけしました! まさかお隣さんの家だったとは!」
三十分後。
吐いて水を飲んだらスッキリしたのか、驚異的な速度で回復を果たした真澄レムが、テーブルで僕たちの対面に座り頭を掻いていた。
ペコペコと頭を下げる彼女は、清楚で可憐なアイドルと言うより大阪のおっさんだ。
「ここ最近全然お酒飲めてなくて。散策でブラリと散歩したら駅前についつい美味しそうな居酒屋さんが! カウンター形式の小っさいお店で、ついつい吸い込まれちゃったんですよねぇ!」
「あそこね……」
「あそこですね……」
行きつけの店がすぐに思い浮かぶ。
酒飲みの嗅覚は大体似るらしい。
「あ、名乗り遅れました! 私の名前は――」
「知ってるわよ。真澄レムでしょ。アイドルの」
「ご存知でしたか! いやぁ参ったなぁ!」
「ここにいるゴボウ男があなたのファンなの」
「どうも、ゴボウです」
「ゴボウにまで好かれるなんて! きんぴらとか、
真澄レムはそう言うと、どこか気まずそうに口の端を引きつらせた。
「あのー、それで、ご迷惑掛けた上に図々しいとは思うのですが……私が酔いつぶれてゲロ吐き散らかしたことは、どうかご内密にしていただけないでしょうか。ほら、一応アイドルなので、世間様にこの体たらくが知られるとイメージがぁ……」
「別に言わないわよ」
「言ったところで得にもなりませんしね」
僕らが適当に相槌を打つと、真澄レムは「本当ですかぁ!?」とその瞳を輝かせ、僕らの手を取った。
その行動に思わずドギマギする。
「さささ、崎山さん! ま、真澄レムの手が、手がぁ!」
「遠藤くん、まずいわ! 握手代を請求されるわよ!」
慌てふためく僕らを気にもせず、真澄レムは「良かったぁ!」とよく通る声を出す。
「引っ越しそうそうやらかしたかと思ったぁ!」
「やらかしてはいるの。そして別にやらかした事実が消えるわけじゃないのよ、残念ながら」
「本当にありがとうございますぅ!」
「全然人の話聞いてませんね……」
「安心したら喉乾いて来ちゃいました。ビールいただけます? 冷蔵庫にありましたよね?」
「ちょっとは遠慮しなさいよっ!」
ものすごい勢いだ。
いつもは真顔でボケる崎山さんがここまでツッコミに回るのは初めてかもしれない。
仕方なくさっき買ってきたおやつを
日曜の真っ昼間から飲むビールは大層美味かった。
「それにしても、よく日曜の昼間からあんな場所で飲んだくれて倒れられるわね」
ようやく空気が落ち着いてきて、崎山さんが尋ねる。
「一応アイドルなんでしょ? ちょっと危機感がなさすぎない?」
すると真澄レムは「あははは」と乾いた苦笑いを浮かべた。
「ここ最近ほとんど出かけられてなくってぇ。ストレスが爆発しちゃった感じですねぇ……」
「出かけられてないって、やっぱり売れっ子アイドルってそんなに忙しいんですか?」
尋ねると「や……そうじゃなくて」と彼女は首を振る。
「実は、ストーカーに遭ってるんですよね。それでこっちに越して来たんですよぉ」
「ストーカー?」
僕と崎山さんは顔を見合わせる。ただ事じゃない。
真澄レムは言いにくそうに頬をポリポリ掻きながら、ズズッとビールを口に運んだ。
こんな状況でも飲むのは止めないのか。
「結構前からエグいストーカーに遭ってて……。出かけたら速攻で追いかけられるし、郵便ポストに気持ち悪い写真入れられたり、男の俳優さんと共演したら嫌がらせがめっちゃ来たり。それで一念発起して、引っ越しすることにしたんですよね。物件探してたら、この町の噂を聞いて。調べたらちょうど良い物件があったから飛びついちゃってぇ」
「町の噂?」
「あっ……」
僕が首をかしげると、真澄レムは何かまずいことでも言ったかのように口に手を当てた。
その態度がよくわからずにいると、「バカね」と崎山さんが口を開く。
「町の噂なんて一つしか無いでしょ」
そこで思い出す。
「この町にきたサキュバスは幸せになれるってやつですか?」
「そう」
「さ、サキュバスをご存知なんですか?」
真澄レムが瞳を輝かせる。
崎山さんは静かに頷いた。
「ご存知も何も、私はサキュバスよ。ついでに真澄レム、あなたがサキュバスだってことも知ってるわ」
「お、おおおお姉さんもサキュバスなんですかぁ!? ほ、ほほほ本当ですかぁ!?」
ずいと机に身を乗り出した真澄レムは、ジーッと瞳を輝かせながら崎山さんを見つめる。
大きな瞳に映し出された崎山さんは、その勢いに圧されるように身を引いた。
「な、何よ……」
「私、自分以外のサキュバスって初めて目にしましたぁ! すごぉい、こんな美人なんだ……」
「あなたも美人だけどね」
崎山さんがフッと笑うと、真澄レムは「これはもう運命ですねぇ!」と声を上げた。
「飲みましょう! 歌いましょう! まさか引っ越してきて一日目にこんな親切なお隣さんと知り合って、あまつさえそれがサキュバス仲間だなんて! 今日は飲むしかないですよぉ! もっとビールください!」
「だからあんたはもっと遠慮なさい!」
騒ぐ真澄レムの勢いにすっかり飲まれ。
僕らは冷蔵庫に入れていたビールを飲み干す。
やがて彼女が酔いつぶれて眠る頃には、すっかり陽も暮れていた。
「むにゃむにゃ……これは奇跡ですよぉ、崎山さぁん、遠藤さぁん……」
「やっと眠ったわね……」
「アイドルの癖にめちゃくちゃ飲みますね、この人」
机に突っ伏す真澄レムの顔は、心底穏やかな表情をしていて。
今まで彼女が、本当に抑圧されていたのだと察してしまう。
崎山さんも同じなのか、ビールを口に運びながら、悲しげな瞳で真澄レムを見ていた。
「ストーカーねぇ……」
「崎山さんも覚えがあるんですか?」
「私は無いけど、いたら怖いだろうなって思っただけ」
「安心して飲みにも行けないくらいだったんでしょうね」
「せっかく知り合ったんだし、何か力になってあげたいですね」
「そうね……」
崎山さんは、そっと顔を上げる。
「この町に来たサキュバスが、不幸であっていいはずなんてないもの」
その言葉はどこか、彼女の中にある過去の闇を感じさせた。
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