第六話 お隣さんのサキュバスさん

6-1 隣人、そして酔っぱらい

 その人が引っ越してきたのは夏の終わりだった。


「やかましいわね……」


 日曜。

 僕がテレビを見ながらパソコンで作業していると、苛立たしげに崎山さんが起きてくる。


 そんな彼女の言葉に答えるように、またガタン! と音がする。

 隣の家から壁越しに物を運ぶ音が響いているのだ。


「何を朝っぱらからガタガタやってるのかしら」


「お隣の人が引っ越してきたみたいですよ」


「引っ越してきた?」


「ほら、先日出ていったでしょ。あの後すぐ埋まったっぽいです」


「さすが人気の『住みたい町』ね」


「惜しかったですね、もう少し早かったら家借りれたのに」


「借りる? どうして?」


「あ、なんでも無いです」


 物件が空いたら出ていくという概念は無いらしい。

 まぁ、僕からしたらその方が嬉しいわけだが。


 崎山さんと共同生活がはじまりもうすぐ半年。

 この生活もすっかり馴染み、彼女と一緒に過ごす時間はいつしか当たり前になっていた。

 だからこの生活が崩れてしまうのは、なんだか寂しい。


「この分だと今日は一日引っ越し作業でうるさそうね……」


「まぁ仕方がないんじゃないですか。たまには」


「あなたはもっと嫌がりなさいよ。せっかくの休みが潰されてるのよ」


「逆になんで崎山さんはそんなプンスカしてるんですか……」


「何? 私が狭量な心の持ち主だとでも言いたいの?」


「いや、別に」


「はっきりしない男ね。だから童貞なのよ」


「それって、サキュバスの力で分かるんですか?」


「女子だから分かるのよ。童貞特有の異臭がね」


「そんなに臭うかな……」


「体臭の話じゃないのよ」


 苛ついてるせいか、崎山さんの言葉もいつもより刺々しい。

 一所懸命体臭を確認する僕に、崎山さんははぁとため息を吐いた。


「こんなにガタガタ音が鳴ってたら気が滅入るわ。遠藤くん、せっかく休みなんだから何か買い出しでも行きましょう。ケーキとか、和菓子とか、菓子パンとか」


「甘いのが食べたいんですね。まぁ、もうすぐ仕事も片付くんで、それからなら別に良いですよ」


「休みの日まで仕事しないでよ。こっちが滅入ってくるわ」


「崎山さんはもう少し働いたほうが良いですよ」


 バイトをしているとは言え、この人のフリーダムな生活は見てて不安になる。

 今まで出会ってきたサキュバスはそれなりにちゃんと仕事をしていた。

 この人が怠惰なのは、サキュバスだからではない。

 崎山さんだからだ。


「失礼なこと考えてる?」


「何も考えてませんよ」


 そこでテレビから明るい女性の声がする。

 アイドルの真澄レムである。


「また真澄レムのテレビ見てるの? ホント好きねえ」


「好きなのは否定しませんけど。結構午前のこの時間帯の番組によく出てるんですよね。今売れっ子っていうか、女優業にも手を出してるみたいですし」


「ふぅん……」


 さほど興味もなさそうに崎山さんはテレビを見つめる。

 その横顔を僕はチラリと盗み見た。


 相変わらず整った顔だ。

 崎山さんの顔面レベルは真澄レムにも引けを取らない。

 気を抜くと思わず見入ってしまうほどだ。


 すると崎山さんは僕の視線に気づく。


「何よ? 何かついてる?」


「あぁ、すいません。見とれてました」


「んぐ……変なこと言わないでよ」


 崎山さんが頬を赤くする。

 普段、軽口の応酬がほとんどなので、こう言うリアクションをする彼女は珍しい。

 いつもこう言う感じだと可愛いんだけどな。


 照れているのを悟られないようにするためか、崎山さんは壁越しに隣の家を見る。


「それにしても、隣人ねぇ」


「どうかしたんですか?」


「いや、別に」


「うん?」


 この時の僕は、崎山さんの表情の真意を理解できていなかった。


 ○


 数時間後。

 僕たちは買い物を済ませ、買い物袋をそれぞれ手にして家路についていた。

 両手に色んなお菓子が入った袋を抱えた崎山さんは、すっかりごきげんだ。


「なかなか良いのが買えたわね。」


「まぁほとんど崎山さんのお菓子ばっかですけど」


「なにか文句でも?」


「いえ……」


 エレベーターに乗って、自分の部屋へ。


「今日の昼食は任せてください。美味しいホットドッグ作りますから」


「何か自信あり気ね」


「キャベツと玉ねぎとソーセージを刻んで、カレー風味の味付けをするんですよ。実家で母親がよく作ってくれてたんですけど、パンをトースターで焼いてケチャップつけて食べると抜群です」


「早く食べましょう。ほら早く、すぐ早く」


「はいはい」


 廊下を歩きながら、まるで犬みたいに食欲に従順な崎山さんに思わず苦笑すると。

 ピタリと不意に、崎山さんが足を止めた。

 不思議に思い、彼女を振り返る。


「どうかしたんですか?」


「あれ」


 言われるがまま視線を追って、ギョッとした。

 女性がそこに倒れていた。


「大丈夫ですか!?」


 慌てて駆け寄る。

 髪の毛で顔は隠れて見えないが、知らない人なのは何となくわかった。

 この人が件の隣人だろうかと、何となく察する。


 女性は苦しそうに呼吸していた。


「どうしましょう、救急車呼んだほうが良いですかね」


「遠藤くん、この人、酒臭いわ」


「えっ……」


 言われてすぐにプンと鼻腔をつく臭いに気がつく。

 ゴリゴリに酒臭い。


「日曜の昼間からこんなグデングデンになるまで飲んでるのね……」


「崎山さんみたいですね」


「殺すわよ」


 そんなくだらないやり取りをしていると、「んん……」と色っぽい声を出しながら女性が寝転がった。

 見えなかった彼女の顔が、そこで露わになる。


 瞬間、僕と崎山さんは息を飲んだ。

 そこで横たわっていたのは、アイドルの真澄レムその人だった。



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