5-3 夢見町の始まり
息を切らして花ちゃんを追う。
「ぜぇ……ぜぇ……は、花ちゃん、待って……」
「遠藤、しょぼい」
「そ、そんなこと言われても」
まともに登りきれない僕を見て、花ちゃんが呆れた様子で僕を見る。
悔しさよりこの歳の女の子に体力で負けているという事実への絶望の方が大きかった。
ジムに通うことを決意した瞬間である。
花ちゃんは階段を登りきりたかったみたいだが、どうやら途中で容赦してくれたらしい。
ほとんど倒れ込んでいた僕の横に、彼女は座る。
ちょうど神社へ続く長階段の中腹部分だった。
「あー、疲れた……」
僕が階段に腰掛けて汗だくで空を仰いでいると、花ちゃんが「はい」と何かを僕の頬に押し当てる。
突然やってきた冷たさに思わず跳ね上がって階段を転げ落ちそうになった。
そんな僕を見て、花ちゃんはクスクス笑う。
彼女が手に持っていたのは、ラムネだった。
妙だ。
さっきまではそんなものもっていなかったはずなのに。
一体いつ買ったのだろう。
「あげる」
「あ、ありがとう……」
花ちゃんから受け取ったラムネを口に運ぶ。
甘くて、弾けるような炭酸で、口がスッキリして、美味い。
流し込むように一気に飲んで、炭酸に少しむせた。
そんな僕を見て、花ちゃんはまたクスクスと笑う。
階下では、祭り特有の喧騒が広がっていた。
人々が道を行き交っており、ちょうちんの明かりが灯っている。
どこか遠くからセミの声も聞こえていて、夏だな、なんて感じた。
「気持ちいいね」
「私、この光景が一番好き」
「へー、そうなんだ。花ちゃんは生まれた頃からここに住んでるの?」
「生まれた時からじゃないけど、もう長い」
「へー、長いんだ」
さほど何も考えず適当に合わせていると「遠藤は?」と尋ねられる。
「僕は今年この町に来たばかりなんだ。初めてだよ」
「私の方が先輩だね」
「そうだなぁ、花ちゃんの方が先輩かぁ」
何となく顔を上げる。
すると、夢見町が一望出来た。
どこまでも続くような、穏やかで綺麗な町並み。
都会と田舎のちょうど中間の様な町で、自然が町と調和している。
美しい所だと思った。
こんな場所が故郷だったら、離れられないだろうな。
「僕もこの光景、好きだな。すごく落ち着くよ」
風が頬を撫で、額から流れる汗を乾かしてくれる。
その涼しさを噛みしめるように目をつむった。
「遠藤は夢見町の秘密って知ってる?」
そんな僕に、不意に花ちゃんが尋ねてきた。
「秘密?」
「夢見町はサキュバスが集まる町なんだよ」
驚いて思わず目を見開く。
崎山さん以外で、その話をする人がいるとは思わなかった。
どうして花ちゃんは、そんなことを知っているのだろう。
お父さんやお母さんから聞いたのだとしたら。
行き着く答えは一つだ。
「花ちゃんは、サキュバスなの?」
彼女はどこを向いているのかわからない顔で、ジッと遠い目で景色を眺めている。
「昔ね、神様の国に性を象徴する女神がいたの」
そして静かに、花ちゃんは語り出した。
○
女神は人に興味があった。
性はどの動物にもあるけれど。
人間には知性があったから。
全ての動物は、子を成し、血を受け継ぐために生きている。
でも人間だけは少し違った。
血を受け継ぐために子を成すという本能は同じでも。
人間が生み出す愛は、様々な形があったから。
地球上の生き物でもっとも賢い動物がどんな風に恋をするのか、女神は興味があった。
だから、女神は人間界にやってきた。
だけど人間界には危険がいっぱいだった。
地上に下りた女神は、野犬に襲われてしまうの。
でもそんな彼女を、一人の勇敢な若者が助けてくれた。
女神は、その若者と恋をした。
そして、その男性と何人も子を残した。
生まれた子供は全て女性で、いずれも驚くほどの美貌を持っていた。
当然、色んな男性が女神の子供を嫁に欲しがった。
領主、武将、将軍、名のある商人に、皇族。
女神の子供たちは嫁ぎ、血は瞬く間に受け継がれ。
嫁入りをはたした女たちはまた沢山子供を産み。
やがて神様の血は、この世に広まったの。
女神の血を受け継いだ子たちは、いずれも不思議な力をもっていた。
人の性に働きかける力。
ある子は性を食べ。
ある子は性を散らした。
相手を魅了する力をもった子もいれば。
相手の欲を高め、自在に操る子もいた。
女神の力は、子どもたちに様々な形で現れた。
それは、女神の血を受け継いだ子たちの個性だったのかもしれない。
だけど最初は、誰もそれを恐れなかった。
むしろ、女神の血を受け継ぐ巫女として、いずれも大切に扱われていたの。
でも、時代が進み、子孫の一人が海外に出た時。
彼女たちに宿る不思議な力は、忌み嫌われるようになった。
男たちの性を操る邪悪な存在として知られていった。
海外で、女神の子孫はサキュバスと呼ばれるようになり。
その呼び名が日本に逆輸入された。
また、悪いことは重なった。
女神の子孫の中に、力を悪用する人が現れるようになったの。
そして、いつしか人はサキュバスを恐れるようになった。
女神は嘆いたわ。
自分が地上に降りたことで、自分の力を宿した子孫が人々の恐れとなったから。
そして、子孫自身もまた、人智を逸脱した力を持つことに苦しんでいた。
女神は天に戻るよう神々から通達を受けた。
でも女神は天には帰らなかった。
代わりに、自分が住んでいた町の土地神となり、祝福を与えることにした。
それがこの夢見町。
だからこの町には、サキュバスの始祖の庇護が宿っているの。
夢見町に来たサキュバスは、幸せになれる。
そして彼女たちは生まれた時から、その自覚がある。
魂に、女神が呼びかけているから。
○
「だからサキュバスは本能的に夢見町に惹かれるし、サキュバスは運命の男を見分けられる。それは、女神のギフトだから」
「それが、この町の歴史?」
「そう……」
花ちゃんはそう言うと、両手をパンと叩いて「おしまい」とだけ呟いた。
なんだかすごい話だ。
思っていた数十倍は壮大だった気がする。
夢見町の話をする花ちゃんの姿は、どこか異質だった。
先程までの子どもらしい気配はまるでなく。
まるで人が変わったようにも見える。
本当にこれが、年端も行かない少女の語りなのだろうか。
「花ちゃん、めちゃくちゃ詳しいんだね」
僕が褒めると、花ちゃんは「当たり前だよ」と頷いた。
「だって私がその神様だもん」
「えっ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます