4-5 敵じゃないから

「岬さん、そろそろ上がります」


 不意に従業員室のドアが開いて、崎山さんが顔を出した。

 彼女の顔を見て、なずなさんがガタリと立ち上がる。


「えっ、あぁ……もうそんな時間なのね。お疲れ様。上がってください」


 僕も時計を見る。

 いつの間にかずいぶんと話し込んでしまったらしい。

 そこでふと、崎山さんと目が合う。

 僕を見た崎山さんは、驚いた様子で目を丸くした。


「あら、遠藤くんまだいたの?」


「まだいたのって、崎山さんがここに座っとけって言ったんじゃないですか」


「そんなこと言ったっけ」


 なんだこの人は。

 適当だ。

 めちゃくちゃ適当だ。


 何を考えているのかわからないし、ポーカーフェイスだから感情も読めない。


 だけど。

 悪い人じゃないのは知っている。


「遠藤くん、立ちなさい。もう良いから、帰るわよ」


「あ、いま触れないでください。足がしびれてぎゃひぃぃん!」


 ◯


 帰り道。

 降っていた雨は、すっかり上がっていた。


「晴れてよかったわね」


「あの、崎山さん」


「何?」


「すいませんでした。疑って」


「大方サキュバスが徒党を組んで男を喰ってるとか、そんなこと考えていたんでしょ」


「うぐっ」


 ドンピシャ過ぎて言葉も出ない。


「ほんとどうしようもないわね。このオクラは」


「食物繊維はやめて……」


 僕ががっくり肩を落とすと、崎山さんはふっと呆れ笑いを浮かべた。


「それより、まかない代わりに売れ残りのパンを貰ったから、帰ったら食べましょう」


「はい。美味しいコーヒー入れますよ」


「遠藤くんの分はないけどね」


「えぇ……」


 空を見ると、雲が晴れ、青空が広がっている。

 優しい日差しが濡れた地面を照らし、世界が輝いているように見えた。


「昔はそんな時代もあったみたいね」


「そんな時代って?」


「サキュバスが人を食う時代」


 崎山さんの言葉に、ドキッと胸が鳴る。


「でも、サキュバスは化け物じゃない。どこにでもいる、普通の女性と変わらないの」


 崎山さんは、そっと寂しそうな顔で僕の顔を見つめる。


「撃たれれば死ぬし、射されれば死ぬ。殴られたら痛いし、好きでもない人に触れられたくはない。心ない言葉で傷つくこともあれば、好きな人と恋だってする」


 崎山さんはそっと僕の手を取った。

 一瞬緊張が走ったが、僕はその手を受け入れた。


「遠藤くん、サキュバスを怪物に思わないで。壁を作って、外に出さないで」


「はい……」


「昔、食べるものがなくて、サキュバスは沢山の男性の精を吸った。それで、サキュバスを恐れた人たちはサキュバスを逆に襲ったの。男は性欲が強いからね。そのまま男を喰ったサキュバスたちは慰みものとなり、ひどい扱いを受けたそうよ」


「それは……何とも言えない話ですね」


 だけど、想像に固くない。

 きっと酷いことが、この国の歴史で実際に行われていたのだろう。


「遠藤くんにはサキュバスを敵にしてほしくないし、恐れて欲しくない」


「はい……すいません。でも僕は、崎山さんを恐れたりはしてないです」


「じゃあ、どうしてわざわざ後なんてつけたの?」


「それは……心配だったから。悪いことしてたら、止めようと思ってました。もし南穂さんみたいに、崎山さんが暴走していたとしたら、それを止めるのは……僕だと思ってますから」


「そう」


 すると。

 崎山さんは、何だか嬉しそうな笑みを浮かべた。


「なら良いわ」


 彼女はそう言って、僕の手を離し、再び歩き出す。

 崎山さんと僕は大丈夫だ。

 そんな気がした。


「もうすぐ夏ですね」


「そうね」


「夏になったら、どっか行きましょうか。連休もありますし」


「夏祭りに行きたいわね」


「夏祭り?」


「ほら、先日行った神社あるでしょ? あそこのふもとで出店が出るみたいなの」


「へぇ……そうなんだ。確かにそれは楽しみですね」


「綿あめに、焼きそば、からあげに、広島焼き。楽しみだわ」


「食以外の楽しみも見つけて」


「この街、他にも色々とイベントが多いみたいよ。自治会が色々精力的みたいで。クリスマスは大きなツリーが飾られるし、街中にイルミネーションが輝いたりなんてのもあるみたい」


「さすが住みたい街に選ばれるだけはありますね」


 ふと、考えてしまう。

 この共同生活は、どこまで続けられるのだろうかと。

 この街のイベントのどれほどを、僕は崎山さんと過ごすことが出来るのだろうかと。


 僕が真剣に考えていると、ふと崎山さんが僕の顔を覗き込んできた。

 そのきれいな顔を突然視界に出さないでほしい。

 心臓に悪いから。


「そういえば、遠藤くん聞きたかったのだけれど」


「なんですか?」


「遠藤くん、会社は?」


「はっ?」


「いや、会社」


「はっ?」


「はっ?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る