4-4 出会いとパン屋

 岬なずなに連れられ、僕は従業員室に入れられると、そのまま地べたに正座させられた。


「じゃあ、崎山さんが来るまでしばらく待っててください」


「はい……」


 しぶしぶ、従業員室の地べたで正座する。

 逃げるのも手だったが、逃げると後が怖い。

 妙な勘違いをした僕にはもう、道は残されていないのだ。

 そう、崎山さんにバチ切れされるという道以外には……。


 三十分が経った。

 三十分経っても、僕はまだ律儀に正座を続けていた。


 当然のように足がしびれ、しびれを超えてもはや感覚がない。


 完全に血が止まってるんじゃないか? これ。

 というか律儀に正座する必要ないんじゃいか? 


 もう少しこう、適当な時間まで足を崩すとか、色々効率よくやる方法はある気がするのだが。

 我ながらこの不器用さには飽きれざるを得ない。


「あれ、まだ居る」


 不意に従業員室のドアが開いたかと思うと、先程のなずなという女性が入ってきた。

 彼女は生真面目に正座を続ける僕を見て目を丸くする。


「あのー、しんどくないんですか? それ」


「しんどいです。すごく……」


「足、崩さないんですか?」


「今崩すと多分……死にます」


「何か大変そうですね」


 顔に憐れみの表情を浮かべ、なずなさんは僕の前のパイプ椅子に腰掛ける。


「あの、お店は良いんですか?」


「いまちょうどピーク抜けたので、あとは崎山さんにお任せです」


「そうですか……」


 そこでふと気になり、尋ねる。


「うちの崎山さんは、どうですか? ちゃんとやれてます?」


「ええ、そりゃもう。なんだったら、即戦力ですよ。崎山さん、相当仕事慣れしてますね」


「えっ? そうなんですか? 意外だ……」


「意外?」


「崎山さん、うちだと何もしないんで、てっきり仕事なんてできないんだと。一日窓から入ってきた野良猫と戯れて、映画見て、お菓子食べて、寝てます」


「幸せそうな生活……」


 なずなさんはそっとため息をつくと、ふと何か思い出したかのように言葉を続けた。


「そういえば、崎山さんと同棲されてるんですよね」


「はい。まぁ……成り行きで」


「お付き合いされてるんですか?」


「どうですかね。付き合っては無いと思います。たぶん」


「あ、微妙な関係なんだ」


「いや、そうでもないんですが」


 言葉の歯切れが悪くなるのは、なんとなく、ただ付き合って無いと否定するのが悔しいからだ。


「彼女は、いつからここでバイトを?」


「一週間くらい前からです。ちょうどうちで勤めてくれてたアルバイトの子が抜けちゃって。そしたら崎山さんが働きたいって。何故か男性からの応募が多かったから、助かりました」


「なるほど」


 確かになずなさんほどの美人が働いてるとあっては、男どもがお近づきになろうとするのも無理はないかもしれない。


「崎山さん、同居人の話をよくされるんですよ。それって、あなたのことですよね」


「僕のことを?」


「はい。同居の方は優しいけど、迷惑かけっぱなしだから恩返したいって」


 もしかして、アルバイトをし始めたのもそれが理由なのだろうか。

 家賃は折半と口うるさく言い続けた成果が、このアルバイトなのかも知れない。


「このお店は、岬さんが」


「なずなでいいですよ」


「じゃあ、このお店はなずなさんが店長なんですか?」


「店長は主人です。このお店は、私と主人で開いたものなんです」


「へぇ……」


 そこで、ふと彼女の正体が脳裏に浮かぶ。


「えっと、なずなさんはサキュバスなんですよね」


「そうですけど、よくわかりましたね」


「以前、このお店を通った時に崎山さんに言われたんですよ。まだ彼女がここで働く前です」


「すごいですね。サキュバス同士でも、相手がサキュバスって気づくのは難しいのに」


 意外だったが、そういえば以前南穂さんに襲われた時も、彼女は崎山さんのことをサキュバスだと気づいていなかったな。


「顔立ちで分かるって言ってましたよ。涙袋とか、ほくろの位置とか、特徴があるって」


「そうなんだ……」


 崎山さんの話はサキュバス界の常識だと思っていたのだが、どうやら違うらしい。

 不可解である。


「なずなさんも、この街がサキュバスの街って知ってきたんですか?」


 すると彼女はそっと頷いた。


「私は、この街の外ではあまり居場所がなくて。昔、サキュバスってバレて、トラブルになったんです。世間ではサキュバスって知られてないから、すぐに体を許す女だって、そんな誤解を受けてしまって」


「それは……酷いですね」


「そんなとき、この街の話を耳にしたんです。サキュバスの聖地があるって」


「ここにきたサキュバスは、幸せになれる?」


「はい。……私は逃げるようにこの街に越してきて、そして主人と出会いました」


 主人って、あの厨房でパンを作ってる人か。


「ご主人とはどこで?」


「このパン屋です。元々私はこのお店の常連で。毎日、あの人がレジに立ってたんですよ。笑顔とか、仕事に一生懸命なところに惹かれて、励まされて。仕事を探しているって言ったら、じゃあうちはどうですかって。それで、ここで働き始めたんです」


「へぇ、いい出会いですね。今は、幸せなんですか?」


 彼女は静かに頷いた。


「毎日忙しいけれど、やりがいのある仕事があって、大切な人が居て、友達も出来て。この街に来て良かったって、そう思っています」


「それは良かった」


 崎山さんはどうなのだろう。


 彼女もまた、幸せを求めてこの街にやってきたはずだ。

 それなのに、やっと信じたはずの同居人に妙な勘ぐりをされて、あとまでつけられて。


 崎山さんは今、一体どんな気持ちで居るんだろう。


「僕は……最悪だな」


 思わず、そんな声が漏れた。

 崎山さんがここで働き出したのは、僕に誠意を示すためだったはずなのに。

 僕が、その想いを踏みにじってしまったのだ。


「崎山さんに謝らないと……」


「大丈夫ですよ。きっと、許してくれます」


「どうしてそう言えるんです?」


「だって、崎山さんは、あなたのこと……心から信じているみたいだから」


「そうなんですか?」


「サキュバスは普通、自分の正体を明かしたりしません。信頼しているから正体を明かすんです」


「出会った初日に聞きましたけど」


「えぇ……?」


 微妙な空気が流れる。

 何なんだあの人崎山さんは一体。

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