4-3 サキュバスさんは労働中
その店は『黎明堂』と言った。
中を除くと、女の店員が立っていた。
彼女の顔は、どこか覚えがある。
以前散歩した時、崎山さんが彼女のことを『サキュバスだ』と言っていたからだ。
「ということは、ここはやっぱり……」
サキュバスの巣……なのかもしれない。
巣、という言い方が正しいのかはわからない。
僕にとって、サキュバスと人は変わらない存在だからだ。
日本人とアメリカ人と言うくらいに、サキュバスと人は些末な違いしか無い。
同じ言葉を話すし、同じものを食べるし、考えを共有できる。
ただ、彼女たちは、僕たちとは違う体質や能力を持っているだけなのだ。
それ以外は、ほとんど同じ存在でしか無い。
巣と言うよりは、集い場とか憩いの場とか、そんな表現の方が正しいのかもしれない。
店の中に入ると、パンが焼ける良い匂いがしてきた。
クリームパンにカレーパン、クリーム入りのクロワッサンにドーナツ。
色々なパンが並んでいる。
どれも美味しそうな物ばかりだ。
ちゃんとしたパン屋に見えた。
「いらっしゃいませ」
レジに立つ女性を近くでそっと観察する。
薄い顔立ちをした人だった。
鼻は小ぶりだが、スッと筋が通っており、肌も白く透明な印象を受ける。
崎山さんは女性的なスタイルだが、彼女は細身で線が細い印象だ。
やっぱりどう見ても人間だ。
でも、崎山さんも南穂さんも僕からしたら人間にしか見えないから、見た目で判断しないほうがいいだろう。
むしろ人間離れした可愛さという点では、サキュバスの可能性の方が高い気もする。
ダイナマイトな印象のあるサキュバスだが、こういう透明感のある女性もいるのかもしれない。
人間を捕食するために、人間に好かれる外見をして、おびき寄せる。
生物学的に見れば、合点が行くような気がしなくもない。
そこまで考えて僕は頭を振った。
これでは、まるでサキュバスが獣じゃないか。
こういう考え方はよくない気がする。
見ると、エプロンにネームプレートがついていることに気がついた。
『岬 なずな』と書かれている。
ここにサキュバスが入れ替わり立ち替わりして、男どもを誘い、奥に誘っているのだとしたら。
そんなうらやまけしからん――いや、そんな不埒な真似はさせるわけにはいかないのだ。それはもう、そうなのである。出来ればその毒牙にかかってみたいとか、そんなことは決して考えていない。そう神に誓って絶対に。
商品を眺めながらそんな邪なことを考えていると、次に目に飛び込んできた光景に仰天した。
「さ、崎山さん!? 何やってんですか!」
エプロンをつけた崎山さんがそこに立っていた。
崎山さんは思わず突っ込んだ僕をみて、キョトンとした顔をする。
「あら遠藤くん。何って、バイトだけど」
「バイト!? 崎山さんが?」
全く予期していない答えに、僕はドギマギした。
しかし崎山さんは動じない。
「何よ、私だってそれなりにバイトくらい出来るわよ。こう見えてもこの街に来るまでは普通に働いていたんだから」
「はぁ……。まぁ、そうですよね」
崎山さんの表情は相変わらずクールで読めない。
だが、嘘を言っているようには見えなかった。
僕の心に引っかかっていた氷が、徐々に溶けていく。
不安や、疑いはいつだってそうなのである。
一人で考えている間は全然消えないのに、少し話せばすぐに吹き飛んでしまう。
今までのことは、全部、僕の杞憂だった気がしてきた。
「それで、あなたこそ何やってるのここで」
「えっ? いや、それは……」
しまったと思う。
良い言い訳を全く考えていなかった。
言葉に詰まっていると、崎山さんがハッと何か気づいた素振りを見せる。
「もしかして、つけてきたの? この私を」
「あ、いや、その……」
言葉が出てこない。眼光が鋭い。きつい。
「はい……」
僕が認めると、崎山さんは「やっぱり」と呆れた様子でため息をついた。
やばい。めっちゃ怒ってる。いや、当たり前か。
こんな崎山さんをみるのは初めてだ。
「崎山さん大丈夫ですか? その人ストーカー? 警察呼びます?」
なずなという店員が訝しげな顔で言うと、崎山さんは静かに首を振った。
「いえ、これ、私の同居人なんで」
「同居人? 彼氏なんですか?」
「彼氏じゃないわ。こんなゴボウ野郎」
「いやぁ、ハハハ」
思わず乾いた笑いが漏れ出た。
そんな僕が気に入らなかったのか、崎山さんはますます顔をひきつらせた。
「本当にゴボウね。イモ男、こんにゃく顔、もやしっ子、このところてん男爵」
「食物繊維で例えるのやめて!」
「なずなさん、申し訳ないけど、この男を奥の部屋に連れて行ってもらっても良いかしら。後で締め上げるわ」
「わ、わかりました」
「ひぃん……」
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