第四話 アルバイトはじめました

4-1  疑念と雨

 このところ崎山さんの動きが怪しい。


「おはよう、遠藤くん」


「お、おはようございます」


 朝、僕が起きると、崎山さんが何事もなかったかのようにテレビを見ている。

 そんな事、以前まではありえないことだった。

 いつもの崎山さんなら、僕が朝食をつくるころに起きてくるのだ。


「崎山さん、今日はずいぶん早いんですね」


「そうかしら。普通だと思うけれど。遠藤くんが遅いんじゃない?」


「そうかな……」


 そんなはずはない。

 いや、確かにここ最近ゲーム実況動画にハマってしまっていたわけですが。

 昨日もそれで夜ふかしをしたせいで、今日は三十分ほど寝坊したわけですが。


「僕が遅いのか……」


「遠藤くん、チョロくて助かるわ」


「何か言いました?」


「別に」


 ふいと顔を逸らされる。

 平然としているように見えるが、僕には分かる。

 彼女の態度に、どこかよそよそしさのような物が感じられると。


 とにかく、崎山さんの動きが怪しいのだ。


 何か隠しているというか、コソコソしているというか、崎山さんはクールでポーカーフェイスだから表情から本心とかまるで読めないし、全く根拠とか証拠とか何もないわけなんですが、肌感覚的に何か隠しているような気がしないでもない。


 とにかく、崎山さんの動きが怪しいのだ。多分。

 不穏な予感だけが、僕の脳裏に広がっていく。


 それもこれも、先日の南穂さんの一件が原因だ。


 音無おとなし 南穂なほ。僕の会社の先輩にして、社内のアイドル的な存在。

 彼女の正体はサキュバスだった。


 彼女は自分のに抗うことが出来ず、社内の男たちの精を夜な夜な吸い尽くすという、なんともうらやまけしからんことをしでかしていたのだ。


 僕もその餌食になりかけたところで、崎山さんに助けられた。


 しかしあれ以降、僕の中にはずっと、サキュバスに対する疑念が存在していた。

 崎山さんも、いつか南穂さんのようになってしまうんじゃないか。

 そう思いたくないのに、どうしてもそう思ってしまう。




「それじゃあ崎山さん、行ってきますんで」


「遠藤くん、傘持っていったら」


「どうしてですか?」


「今日から梅雨入りらしいわよ」


「梅雨ですか。天気予報はどうです?」


「今日は全国的に終日晴れ」


「何で傘勧めた」


 チラリと外を確認する。

 少し雲はあるものの、雨が降るようには感じられない。


「まぁ今日は大丈夫でしょう。とりあえず行ってきますんで」


「傘ないから駅まで迎えに来てとか言わないでね。面倒くさいから」


「ははは、何をおっしゃるウサギさん」


 下らぬやり取りをして、僕は家を出た。


 いつもの道をテクテクと歩く。

 梅雨に入るとは思えないくらいの快晴で雲ひとつ無い。

 こんな空を見ていると、先程までのもやもやがまるで嘘みたいに思える。


「はぁ、とにかく、このままじゃダメだよな……」


 一度時間をとって崎山さんと話し合う必要があると思う。

 話し合うと言っても何を話せばよいのだ。


 サキュバスの秘密とかか?

 崎山さんのスリーサイズとか。

 いや、流石にそれは関係ないか。しかし気になる。だが聞いたが最後、この生命の灯火は消え去るかもしれない。


 色々モヤモヤしながらやがて駅についた。

 改札を通ろうとICカードを出して、それがお守りであることに気がつく。

 以前崎山さんと神社に行った時に買ったものだ。

 どうやら定期入れを家に忘れたらしい。


「戻るか……」


 早足で家へと戻る。

 完全に遅刻だが、ここまで遅れればもはや心も凪ぐというもの。


 家へと戻った僕は、玄関のドアを開けようとして、鍵が掛かっていることに気がついた。

 いつもならこの時間は崎山さんが居るはずだ。

 鍵など掛かって居るはずがないのに。


「崎山さん、います?」


 鍵を開き、中に入る。

 しかしそこに、崎山さんの姿はなかった。


 先程まで晴れていた空から、ゴロゴロと雷の音が鳴る。

 外では、雨が降り始めていた。


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