3-6 喰う者散らす者
崎山さんが立っている。
一体どうしてここに?
「人の晩御飯はお預けで、自分はかわい子ちゃんと飲み会とは随分ね」
そんな僕の疑問をよそに、崎山さんはいつもと同じような調子で、何でもなさそうに、スタスタとこちらに歩み寄ってくる。
さっきまで周囲の人は誰も僕らに気づいていなかった。
その中で正確にこちらを捉えて歩み寄ってくる崎山さんに、南穂さんはあからさまに狼狽していた。
「あ、あれ? あなた誰ですかぁ? まさか、遠藤さんの彼女さんとか?」
「勝手にそんなごぼう野郎の彼女にしないでくれる?」
ごぼう野郎。
それは男としての尊厳を打ち砕くには十分な言葉であったそうな。
「何で私たちが見えてるのかって顔してるわね」
崎山さんはまっすぐ南穂さんを見る。
「サキュバスにフェロモン効かそうだなんて数年早いわよ」
「サキュバス……? あなたも?」
どうやら南穂さんは崎山さんがサキュバスだと気づいていなかったらしい。
サキュバスは無条件でお互いを認識できると思っていたが、どうやら違うようだ。
すると南穂さんは、突如として意地悪い笑みを浮かべた。
その表情には、悪意が感じられる。
「あ、わかったぁ。あなたのご飯を私が取っちゃったから怒っちゃったんですよね? 私だってぇ、遠藤さん意外に沢山キープはいるしぃ、他の人のだって知ってたらうかつに手を出したり――」
「ちょっと黙ってくれる?」
崎山さんはピシャリと言葉をかぶせる。
そして南穂さんと対峙すると。
そっと彼女の頬に手を伸ばした。
「な、何? まさか暴力「大丈夫」」
崎山さんは鋭い眼光を向ける。
すると。
「ちょっと散らすだけだから」
南穂さんの全身から、オーラの様な不思議なモヤが出てくるのが分かった。
突如として自分の体からにじみ出たモヤに、南穂さんは驚愕の表情を浮かべる。
「あなた、ちょっと食べすぎね」
「な、何これぇ?
「ただの精力よ」
崎山さんの目が、一瞬だけ光った気がした。
「覚えてなさい。食べる者もいれば、散らせる者も居るってことを」
そして、彼女はフッと息を吐く。
その瞬間、南穂さんの全身からにじみ出ていたモヤが、まるで風に散らされるかのように霧消するのがわかった。
同時に、南穂さんの目から光が失われる。
彼女はまるで意識が飛んだかのように呆然と立ち尽くしていた。
その姿は競馬で全財産破産したおっさんのようでもあった。
一体何が起こったのか分からないでいると、「遠藤くん、平気?」崎山さんが声を掛けてくる。
「帰るわよ」
スタスタと歩き始める崎山さんの背中を追う。
振り返ると、南穂さんは僕らが立ち去ることにも気づいていない様子で、やはりずっと立ちっぱなしだった。
「えっと、どうなったんですか?」
「散らしたの」
「散らした」
「精力を過剰に取りすぎてたから。欲望がコントロール出来なくなってた」
「放っておいて大丈夫なんですか?」
「十分もすれば戻るわよ。さっきの記憶は飛んじゃうと思うけど。遠藤くんと飲みに行って、途中で別れて帰ったって誤認するでしょ」
「それなら良いんですけど」
すると一瞬だけ。
崎山さんは、何だか悲しそうな表情を浮かべた。
「サキュバスも、色々抱えてるってことよ」
その意味深な言葉は、何だか妙に胸に響いた。
なんだか色んな事が一気に起こりすぎて、情報の処理が追いつかない。
散らすだとか、南穂さんがサキュバスだったこととか。
わからないことは色々ある。
だが、最もわからないことがあった。
「崎山さん、なんでここに居るんです?」
「嘘つかれたから。とっちめてやろうと思って」
「嘘?」
崎山さんはギロリと僕を睨む。
「身近な人の嘘にご用心ってね」
そこで思い出す。
今朝の占いの話だ。
「人がお腹空かしてるのに、呑気に美女と飲み会とは最低ね」
「いや、入社の歓迎会してくれるって言うから。それに嘘じゃないでしょ」
「都合悪いこと隠すのも嘘と変わりないわよ。言い訳なんて男らしくないわ。もともとか」
「好き放題言ってくれる」
しかしながら。
それでも助けに来てくれたということは、彼女なりに僕を心配してくれたのだろう。
何だか申し訳ないことをした。
「わかりましたよ。じゃあ帰りに何かケーキでも買いましょうか」
「ケーキで釣られるほど私は安くないわよ。ショートケーキとチーズケーキを」
「安い女」
そんなやり取りをしながら、僕らは家路についた。
◯
次の日。
会社に行くと、ばったり南穂さんに会った。
「あ、遠藤さぁん。おはようございますぅ」
「あ、おはよござます」
昨日の事があったから、何だか気まずい。
しかしそれはどうやら僕だけのようで、彼女は「昨日はありがとうございましたぁ」と何事もなかったかのように頭を下げた。
「昨日はすいませんでしたぁ。私、酔っ払ってたみたいでぇ。気がついたら一人で帰っちゃっててぇ」
「あ、いえ。流れ解散みたいなものでしたし。気にしないでください」
「そうだったんですねぇ。また飲みに行きましょうね」
「あはは……はぁ」
思わず苦笑いがこみ上げる。
そんなこちらの様子も気づかないで、南穂さんは部長に呼ばれると「はぁい」と駆けていった。
「サキュバス……か」
何かの与太話だと思っていたその奇妙な隣人は、僕らの直ぐ側に居るらしい。
でも、今回の件を通して。
僕はもう少し、サキュバスについて知ってみたいと思った。
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