第三話 二人のサキュバス

3-1 朝の風景の意味深な言葉

 思えば、始まりは朝だった。



『今日の第一位はやぎ座!

 ラッキーアイテムはピンクのイヤリング!

 意外なあの人の秘密がわかるかも?』



「お、今日は一位かぁ。これは幸先良いなぁ」


 朝、僕はスーツに袖を通しながらテレビを眺め、呟いた。

 朝のニュース番組の星占いのコーナー。

 アイドルの真澄レムが今日のランキングを読み上げているのだ。


 すると「ふぁあ……」と崎山さんが眠そうな顔で部屋から出てくる。


「おはよう、遠藤くん」


「ああ、おはようございます」


 崎山さんは女性用のタンクトップ姿で、リビングに入ってくる。

 毎日見ているとはいえ、このダイナマイトボディをさらされるわけだから、健康的な男性としてはたまったものではない。


 たとえどこに視線を移そうと、凄まじい引力で眼光が引き寄せられてしまうのだ。

 そう、それはブラックホールのように。

 彼女はブラックホールである。


 そのブラックホールは、なぜか猫を抱きかかえていた。


「それでブラックホールさん、なんですかその猫」


「誰がブラックホールよ。これは近所の野良猫よ。窓の外でけたたましくサカッてたから捕まえたの」


 猫は僕の顔を見てくる。

 瞳孔が開かれており、リラックスしているのが伝わってきた。

 とてもサカッているようには見えない。


「ずいぶん懐いてますね。これもサキュバスパワーですか」


「んなわけないでしょ。遠藤くんはサキュバスを何だと思ってるのよ」


「すいません。でも、その猫どうするんです?」


「あとで性処理するわよ」


「性処理……」


 とんでもないことを言い出した。

 もしかして遠回しに誘っているのだろうか。


 違う、これはブラフだ、遠藤騙されるな。言ったら最後、慰謝料として生涯の生活費を約束させられるぞ。いや、それは崎山さんとずっと同棲することになるから、案外悪くない……?


「しかしながら、朝からそんなこと言うのは社会人としてどうかと……」


「何一人でブツブツ言ってるのよ、気持ち悪いわね」


 崎山さんは怪訝な表情を浮かべると、ふと僕の全身を品定めするように眺める。


「遠藤くん、何でスーツなんか着てるの」


「仕事ですよ。今日から新しい職場で。話してたでしょ」


「あぁ、何かそんなこと言ってた気がするわね。それで、朝ごはんは?」


「もうちょっと僕に興味持って」


 こうまで人に興味を持たれないと何だか悲しいものである。

 そんな僕の心を知ってか知らずか、彼女はソファに座ると猫と共にテレビを眺めた。



『残念!

 今日の最下位はおとめ座!

 思わぬトラブルに巻き込まれそう。

 身近な人の嘘に気をつけて!』



「最下位……」


 崎山さんの顔に絶望の表情が浮かぶ。


「崎山さん、おとめ座なんですか」


「そうよ」


「それは残念でしたね」


「最悪だわ」


 崎山さんはいつもの憮然とした表情のままガックリ肩を落とすと、ゆっくりと首だけを動かし、ジッと僕の顔を見てきた。

 動作がロボのようで少し怖い。


「な、なんですか」


「身近な人の嘘って言ってたけど」


「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ」


「目を見て言いなさい、私に嘘は言っていないと、神に誓いなさい」


 どうも相当落ち込んでいるらしい。

 面倒くさい人だ。


 仕方がないので朝食のトーストにピーナツバターを塗って渡すと、彼女は猫の背中に皿を載せ、猫に触れていない方の手で器用に食べ始めた。

 なかなかシュールな光景だ。


 しばらく崎山さんと一緒に朝食を食べる。

 焼いたトーストのサクサクという咀嚼音だけが響き、朝の平穏を感じさせた。

 テレビでは真澄レムが占いコーナーを終え、メインキャストとトークを繰り広げている。


「遠藤くん、この占いの子って……」


「アイドルの真澄レムです。めっちゃ可愛いですよね」


「好きなの?」


「超好きです」


「ふぅん……」


「それがどうかしたんですか?」


「いや、この子サキュバスだなって思って」


 飲みかけていた牛乳を吹き出しそうになり、無理やりこらえると鼻から出た。


「ちょっとやめてよ、汚いわね」


「いや、崎山さんが変なこというから」


「だってこの顔、どうみてもサキュバスだもの」


 崎山さんに言われるがまま、僕は画面を見る。どう見ても普通の美少女にしか見えない。


「全然わからんのですが」


「遠藤くんもそのうち見分けられるようになるわよ」


「そう言うもんですか」


「そう言うもんよ」


 そうしているうちに、真澄レムが「それじゃあ言ってらっしゃい!」と画面に手を振り、それを合図に時刻が朝八時を回る。

 僕は立ち上がった。


「そろそろ出ます」


「お土産は頼んだわ」


「旅行ではないのだが……」


 すると崎山さんは、何かを思い出したように「あ、遠藤くん」と言葉を発する。


「新しい仕事って今日からなのよね」


「そうですが」


「なら……」


 彼女は何か言う仕草を見せる。

 気になって見舞っていると、彼女はふと何かを考え、口をつぐみ「やっぱりいいわ」と言った。


「気になるじゃないですか。言ってくださいよ」


「別に何でもないわ。達者でね」


「夜には帰るのだが」


 不可解な崎山さんの態度だけが引っかかる。

 しかし頑なに彼女は語ろうとせず、僕はこれ以上のやり取りが時間の無駄であることを悟った。

 仕方なく、そのまま家を出る。


 この時は、まだあんなことになるとは思っていなかった。


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