1-3 同居人
崎山さんが出ていって、再び我が家に静けさが戻った。
何だか妙に広く感じる。
「これで良かったんだよな」
よくわからない罪悪感が、心の中に芽生えていた。
この町がサキュバスの故郷だとか、彼女がサキュバスだとか。
どれも馬鹿げていて、荒唐無稽な話だ。
でもなぜか、僕はそれが嘘のようには思えなかった。
彼女は母親が事故に遭ったと言っていた。
もし、父親も亡くなっていて、彼女が天涯孤独だったのだとしたら。
彼女の最後の寄る辺が、この町だったんじゃないだろうか。
――まともな物件はもうほとんど埋まっちゃってるんですよね。
不動産屋のお姉さんがそう言っていたのを思い出す。
だから彼女は、わざわざ僕の家に来たんだ。
きっと、信用してくれていた。
このままじゃ、寝覚めが悪い。
「くそ!」
僕は崎山さんを追いかけた。
でもどこに行ったかわからない。
きっと駅にいるはずだ。
彼女に行く宛なんてないのだから。
「崎山さん! どこですか!」
駅前で彼女の姿を探す。
でも、あのバカでかいリュックを下げている人は見当たらない。
一体どこに行ったっていうんだ。
いろんな場所を探したけれども、とうとう彼女の姿は見当たらなかった。
こんな広い町だ。
きっと、他の人に交渉して次の家を見つけたんだろう。
彼女くらいの美人なら、次の行く当てなんてすぐに決まってる。
そうだ、きっとそうに違いない。
一瞬だけ、嫌な想像が頭に浮かんだ。
立場の弱さに漬け込んで、好き放題されたりしないだろうか。
変質者に監禁されて、事件にまで発展してしまうのでは……。
「いやいやいや、考えすぎだって」
大丈夫だろう、たぶん。
僕はもうすぐ新しい会社に勤めるんだし、まずは新生活が大事なんだ。
人のことなんて構っている余裕なんてないはずだ。
だからもうお酒でも飲んで彼女のことは忘れよう。
僕はなんとなく、崎山さんと出会ったというあの店に向かった。
駅前にある、小さな居酒屋。
ガラガラと、店の戸を開ける。
「あら、遠藤くん。また会ったわね」
ドンガラガッシャーンと店中の椅子を巻き込んでギャグ漫画のように僕は倒れた。
「人を追い出しておいて酒を飲みに来るとは、いい度胸ね」
「何やってんですかこんなところで……」
「何って、行く当ても無かったから飲んでたのよ。どこかの誰かさんのせいでね」
その彼女の姿を見ていたら、何だかさっきまでのことが馬鹿らしくなってきた。
僕はフッと笑う。
「崎山さん、やっぱり、良かったらうちで暮らしませんか」
「遠藤くんは私じゃ不服じゃなかったの?」
「不服なんかじゃないですよ」
僕が手を差し出すと、崎山さんはしばらく逡巡した後。
「じゃあ、よろしくお願いするわ」
そう言って、僕の手を取った。
「死んだお母さんも、これで浮かばれますね」
「死んでないわよ。失礼ね」
ドンガラガッシャーンと店中の椅子を巻き込んでギャグ漫画のように僕は倒れた。
「事故に遭ったって行ったじゃないですか!」
「車と軽く接触しただけよ。ほんの軽い打撲」
「『幸せだったと思う』とか意味深なこと言ってたでしょ!」
「いや、だって幸せそうだし」
無茶苦茶だこの人は。
無茶苦茶な人だった。
でもまぁ。
「遠藤くん」
「はい」
「これからよろしくね」
それでいいかと、思ってしまうのだ。
その日は何だか浮かれてしまい、駅前で散々飲んだ後、家に帰って更に宅飲みまでしてしまい、日を跨ぐ頃には、二人共すっかりベロベロだった。
「崎山さん、ソファで寝たら風邪ひきますよ」
彼女はなまめかしく胸元に手を這わせる。
吸い込まれそうなほど美しく白い肌。
唇は艶やかで瑞々しく、触れるとプルンと弾けそうな魅力に包まれている。
ゴクリとつばを飲んだが、煩悩を振り払うように首を振った。
信用してもらって同居するのに、初日から襲うような馬鹿な真似はしたくない。
「……仕方ないなぁ」
僕は毛布をかけようと彼女に近づく。
すると、そこで気づいた。
「なんだこれ」
妙な角のようなものが、彼女の頭から生えている。
よく見ると、ズボンの腰の部分から尻尾のようなものも飛び出ていた。
思わず触れる。
「あん……んん……」
崎山さんが妙に艶めかしい声を出すので飛び退いた。
何だこれは。
ひょっとして彼女は、本当に……?
「サキュバス?」
それが、僕と崎山さんの出会いだった。
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