第二話 サキュバスの神木
2-1 サキュバスさんと散歩
こうして僕と崎山さんの奇妙な同棲生活が始まった。
あの時見た尻尾や角は、あれ以来見ていない。
と言うより酔っ払ってもはや夢か現実かも定かではなかった。
でも、そんな事はどうでも良いのだ。
こんな美人と一緒に暮らせるなんて、過ちの一つでも起こるかもしれないのだから。
そう思っていた。
「遠藤君、ポッキー取ってくれるかしら」
「はい」
崎山さんはものすごくものぐさな人だった。
と言うより、何かをしている様子がほとんどない。
毎日ごろごろして、テレビ見て、動画配信サービスで映画を見て、時折ベランダから外を眺める。
そしてなぜか、もっぱら僕の買い置きしておいたポッキーを強奪して勝手に食べていた。
いったい何なのだこの人は。
これならまだサキュバスの性奴隷にされるだとか、誘惑されてなんでも言うことを聞かせられるとか、その方が良かった気がする。
そして何より一番腹立たしいのが、こんな生活も悪くないなとか内心ちょっと心が浮足立っている自分自身である。
「崎山さん」
「どうしたのかしら、遠藤君」
「僕はもうじき仕事が始まるわけですが」
「それは大変ね」
「崎山さんは仕事とかしないのでしょうか」
一瞬、部屋の空気が止まる。
その間も崎山さんは真顔で僕の顔を見ていた。
そんな顔をされると、まるで僕が罪人のようではないか。
「私、サキュバスだから人間界での仕事はどうしたらよいかわからなくて」
「急に悪魔ぶるのやめてくださいよ! あと僕のポッキー食べ過ぎね!」
「ちっ、細かい男ね……」
崎山さんは忌々しげに顔を歪めた。
しかしここで負けてはならないのである。
「一応同棲――ルームシェアしているわけですし、出来ればその、家賃とか、食費とかは折半したいのですが。こっちも転職したてですし」
「遠藤君」
「はい」
「甲斐性って知ってるかしら」
「労働から逃げるな」
すると崎山さんはどこか遠くを見ながらポッキーをポリポリとかじった。
その姿はどこか物悲しく、哀愁すら感じさせる。
「私もね、労働したく無いわけじゃないのよ。でもね、この体がそれを許さないの」
「ひょっとして何かの病気とか?」
「面倒臭いだけだけれど」
「働け」
すると崎山さんは「うるさいわねぇ」と立ち上がると、ぐっと伸びをした。
「ほら、行くわよ」
「行くって、どこに?」
「散歩よ。働き口を探すんでしょう。歩いて見て回るの」
「ネット使えばよいのに……」
◯
家を出た僕たちは、夢見町を歩いて回る。
ゆっくりとした足取りで、穏やかな町を眺めながら。
「静かね、遠藤君」
「まぁ、今日平日ですし」
何だか、ずっと崎山さんにペースを握られっぱなしだ。
改めてこうして歩くと、夢見町はとても穏やかで優しい町だ。
昔ながらのひなびた街並みと、都心の便利さが融合して、ちょうど良い形に調和している。
小さな商店がいくつも立ち並び、駅前まで歩けば大きなスーパーもある。
住宅街を抜ければ公園があり、時間帯歩行者天国の大通りもあり、イチョウやサクラの並木道もあった。
「過ごしやすい町ね。あのお肉屋さん、おいしそう」
「結構交通の便も良いですよ。新幹線の駅も近いんで、そこまで手間じゃないですし」
「飲み屋さんも多いわ。あのそば屋さん、気になるわね。そばがきで一杯グッとやりたいわ」
「服屋や雑貨屋も結構良さげですね」
「あの揚げ物屋さんおいしそう」
「食べ物屋さん以外も見て?」
崎山さんと出会ってからまだ数日程度しか経っていない。
それなのに彼女と過ごす時間は、どこか穏やかで優しい。
初対面の人にありがちな気まずさや、沈黙の痛さもない。
空白を会話で埋める必要も、僕らの間にはなかった。
商店街の真ん中にあるパン屋で買い物をすると言うので待っていると、紙袋いっぱいに菓子パンを入れた崎山さんが戻ってきた。
いつもは無表情なのに、心無しか顔がほころんでいる。
「ほら、遠藤君見て。焼きたてよ」
「いい匂いですね」
「ここのパン屋、前から気になってたのよね。メロンパンもザクザクだわ。クリームパンはふわふわ。コロッケパンはサクサクね」
「あ、僕にはくれないんですね……」
崎山さんはまるでハムスターのように頬を膨らませている。
ここまで食い意地が張っているとむしろ見ていて清々しい。
「ねぇ、遠藤くん」
「はい?」
「あのパン屋の店員さん、どう思う?」
「どう思うって……」
崎山さんに促されるように視線を向ける。レジ打ちをしている女の子のことを言っているのだろう。
表情が明るく、スタイルも良い。どう見ても美女だ。
「めっちゃ可愛いですね」
「あの子、サキュバスよ」
「ええっ!?」
「言ったでしょう。夢見町はサキュバスにとっての楽園。魂の故郷のようなものだって。ここには沢山のサキュバスが集まってる。間違っても襲われないよう、気をつけることね」
崎山さんは何でもなさそうにそう言うと、スタスタと歩いていってしまう。
間違っても襲われないように……か。
とりあえず僕は明日からこのパン屋に通うことを心に決めた。
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