1-2 サキュバスの故郷
彼女の名前は崎山 蓮と言うらしい。
サキュバスなのだそうだ。
「サキュバス?」
「ええ、そう。私はサキュバスなの」
「なるほど」
ヤバいやつが来たと思った。
「その顔、信じていないでしょ」
「信じていないというより、引いてます」
「ずいぶんな物言いね」
「初対面の人に突然家に上がり込まれて、挙句の果てに自分がサキュバスだと名乗られてんですから、警察呼んでないだけありがたいと思って下さい」
僕が言うと「初対面じゃないわよ」と崎山さんはため息を吐いた。
「昨日居酒屋で一緒に飲んだでしょう」
「えぇ……?」
確かに昨日、僕は駅前のカウンター形式の小さなお店に飲みに行った。
引っ越しの片付けも一段落して気が緩んでいたせいか。
ぐでんぐでんになるまで飲んだ覚えがある。
いつの間にか部屋に帰っていて、ベッドの上でくたばっていた。
「住む家が見つからなくて困ってるって店主に話してたら、あなたが『自分の家広いから一緒に住みますか』って」
「僕、そんなナンパな絡み方したんですか……?」
信じられない、と言うよりも信じたくない気持ちでいっぱいだ。
今までお酒で酔いつぶれたことは何度もある。
でも、そんなナンパまがいのようなことをした覚えは一度としてない。
そんな事出来るならとうの昔に彼女くらい居る。
「家の前まで付き添ってあげたのよ、この私が」
「送ってくださったんですか、そりゃあご迷惑を」
「いや、君が勝手に歩いていたのを見学してただけ」
「さっきの謝罪返してもらっていい?」
いい加減な人ではあるが、嘘を吐いているようには見えなかった。
確かに、崎山さんの美しさは尋常じゃない。
酔っ払った自分が、彼女の美しさに魅了され、酒の勢いでアプローチをしたのだとしたら。
彼女の言うことにも、一理ある気がする。
サキュバス、と言った彼女の言葉が思わず頭に思い起こされる。
「わかりました。仮に、僕が酒の勢いに任せて適当なことを言ってしまったとしましょう。でも、だからって普通、見知らぬ男の家に住もうとは思わないでしょ」
「そうかしら」
「あ、ひょっとして誘ってるんですか?」
「誘う? 誰を」
「いや、僕を」
「どうして?」
「え、ほら、タイプとか……」
「はぁ?」
「すいません」
違うらしい。
「もし気にいる物件がないのなら、駅をずらせば一つくらい」
「ダメよ」
ピシャリとした声だった。
「この夢見町じゃないとダメなの」
「どうして……?」
「それはここが、私達サキュバスにとっての聖地――魂の故郷だから」
夢見町。
発展したベッドタウン。
この町は、古くよりサキュバスが住まい、人と共存してきた特殊な土地だそうだ。
サキュバスの祖先はここで生まれ、育ち、子を成し、繁栄していった。
今では活動範囲を広げ、日本中に存在するようになった。
しかしそれでもなお、サキュバスは皆、物心ついた瞬間から魂レベルでこの町が自分の故郷であるということを自覚している。
そして、この町に来たサキュバスは、町から特別な祝福を受けると言う。
「私の母も、父とこの街で出会って、結ばれた。この町に来たサキュバスはね、幸せになることが確約されるの。母は事故に遭ってしまったけれど、幸せだったと思う。だから私もここに来た」
「お母さんが事故に……」
サキュバス云々の話はよくわからない。
ただ、思った以上に深刻な理由で、彼女はここに来たようだ。
確かに可哀想ではあるが、それで感化されるわけには行かない。
僕は同情心を消すため、顔を横に振った。
「でも、やっぱり解せないです。いくら僕が誘ったとは言え、わざわざ独身男性の家に上がり込むのはおかしい気がします」
「そう……疑ってるのね、私を」
「まぁ、疑わない方がどうかしていると言うか。結婚詐欺とか、美人局とか。最近何かと物騒ですし」
「どうしても嫌って言うなら出ていくけれど」
「え? 出ていくんですか?」
「私も警察は呼ばれたくないもの」
あっさりと崎山さんは言う。
拍子抜けだ。
「サキュバスの力でどうにかするとか、そう言う展開に持っていくのかなって思ったんですけど。もし本当に崎山さんがサキュバスなら出来るでしょ、男を篭絡して言う事聞かせるなんて」
「出来なくはないけれど……」
崎山さんはそう言うとふっと寂しそうな表情をした。
「そうやって得た信頼関係なんて、酷く空虚で味気ないものよ」
その瞳はどこか寂しげで。
彼女の中にある暗い部分を、一瞬垣間見た気がした。
こんな美人と一緒に住むなんて、大チャンスではありますけど。
こっちも新生活があるわけで。
そもそも彼女が犯罪者でない理由なんてどこにもないわけで。
やっぱり彼女と一緒に住むことは出来ない。
「崎山さん、申し訳ないですけれど、この家にあなたを置くことは出来ないです」
「なら仕方ないわね」
崎山さんは立ち上がると、先程の巨大リュックを背中に背負う。
「残念だけど、出ていくことにするわ」
「すいません、力になれなくて」
「良いのよ。あなたの迷惑も考えないで、酒の席の話を鵜呑みにした私が馬鹿だったんだから」
巨大なリュックを背負って部屋から出ていく崎山さんを見送る。
その背中は心なしか元気がなくて。
見ていて少しだけ胸が痛んだ。
「遠藤くん」
「はい」
「リュックが引っかかったから助けてくれないかしら」
「……」
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