第一話 僕とサキュバスさん

1-1 突然の来訪人

 崎山さんが初めて僕の家を訪ねてきたのは今から一年前のことだった。


 都心で働いていた僕は、二十代半ばにして一念発起し、それなりの企業に転職。

 住んでいた場所を離れ、この夢見町に引っ越してきた。


 会社から電車で片道四十分。

 中都市で駅前にはそれなりの飲み屋が並び、スーパーや雑貨屋、本屋も並ぶ。

 それなりに充実した町が、夢見町だった。


 転職先の条件も悪くなく、前より給料も時間も余裕がある。

 新しい家は一人暮らしにしてはちょっと広い1LDKの間取りで、都心より家賃は安い。



「いやぁ、遠藤さん運が良いですよ。夢見町、超人気の町ですからね」


「そうなんですか?」


「ですです。まともな物件はもうほとんど埋まっちゃってるんですよね」



 妙に美人な不動産屋のお姉さんがそう言っていたのを思い出す。


 生活基盤が整っている夢見町は、住みたい町でも上位に入るらしい。

 僕が見つけた物件は、その中でもトップクラスの優良物件だった。


 新生活は、トントン拍子に進んでいるように思えた。


「ふぅ、ようやく片付いたな」


 引っ越しの荷物の開封や家具の配置などを一通り済ませ、一息つく。

 数日後にはもう新たな仕事が始まるのだ。


「とりあえずやっとくのは、必需品の購入と、あとちょっと町も見回っときたいな。それから棚とかを買うのと」


 その時、ピンポーンと言う呼び鈴の音が室内に鳴り響いた。


「ん? お客さん?」


 引越し先の単身男性の家を尋ねる人間なんて限られている。

 せいぜい大家かどこぞのセールス、最悪宗教勧誘だ。


 少し訝しみながらのぞき穴より外を眺め、僕は眉を潜めた。


 そこに立っていたのは女性だった。

 背中に異様にでかく膨れ上がったリュックを背負う女性。

 大家にもセールスにも宗教勧誘にも見えない。


 首をひねりながらドアを開ける。


「どちらさま……」


 言い掛けて、息を呑んだ。

 彼女があまりにも美しかったからだ。


 黒く透き通るようなロングヘアー。

 ゆったりとしたニット越しにもわかるスタイルの良さ。

 陶器のように白く、きめ細やかな肌。

 メガネ越しにもわかる、整った顔立ち。

 鼻腔を包む、石鹸のような優しい香り。


 一瞬で目を奪われた。

 呼吸することすら忘れる。


 そんな僕の様子に気づいているのかいないのか、彼女はその艷やかな唇を震わせ、言った。


「今日からここに住みたいのだけれど」


 時が止まる。

 今何て言った?


「はい?」


 僕は薄ら笑いを浮かべたまま首を傾げる。聞き間違いだろう。


「すいません、もう一度よろしいですか?」


「今日からここに住もうと思うの、私」


「えっと、部屋番号を間違っているのでは」


「間違っていないわ。だってあなたがいるもの」


 彼女はまっすぐ僕の顔を見つめる。


「あなたが住む家にお世話になりに来たの。私」


 意味不明すぎて当惑してしまう。

 すると「とりあえず上がるわね」と彼女は部屋に上がり込もうとしてくる。

 しかしながら、背中に背負ったリュックが大きすぎてその歩みは途中で止まった。


 玄関でつっかえている。


 しばらくもがくも、つっかえた荷物はビクともしない。

 彼女は表情を変えることなく、真顔で僕を見た。


「助けてくれないかしら」


 何だこの人。

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