サキュバスさんと同棲中

サキュバスさんと同棲中

プロローグ

プロローグ

 僕の住む街にはサキュバスがいるらしい。

 それを教えてくれたのは、他でもないサキュバス本人だった。


「遠藤くん」


 それは穏やかなある春の日だった。

 僕が自室で漫画を読んでいると、同居人の崎山さきやま さんが声を掛けてきたのである。


「どうしたんですか?」


「猫がね……」


「猫?」


 崎山さんが静かに窓の外を指差す。僕が不思議に思っていると、外から猫のけたたましい鳴き声が聞こえてきた。

 あの異様な鳴き声は……サカリの時に出す声である。


「やかましくてこのままだと映画の声が聞こえないわ」


「考えればもう春ですもんね。そんな時期ですか」


「そうなの。だから、遠藤くんに猫を皆殺しにしてもらおうと思って」


「出来るか!」


 麗しい見た目に反してえげつない事を言う人だ。

 崎山さんはそっとため息を吐くと「仕方ないわね」と窓を開けた。

 そのまま、静かに片手を外に向ける。


 不意に、室内に香水にも似た甘ったるい匂いが漂って来た。

 なんだかその匂いを嗅いでいると、妙に視界がクラクラし、身体が熱くなる。

 端的に言うとムラムラする。

 そしてその匂いは、どうやら彼女から放たれているらしかった。


「この匂い、崎山さんですか?」


「ええ。ちょっと猫を誘き出そうと思って。フェロモンを出しているの」


「なるほど、フェロモン」


「大丈夫よ、猫にしか効かないから」


「猫にしか?」


「ええ」


「僕は猫だった……?」


「はっ?」


 そんなやり取りをしているとどこからか猫が姿を現す。

 甘えたような声を出しているのは、崎山さんを繁殖相手として認識しているのだろうか。

 それを見た崎山さんは「来た来た」と声を出す。


「見てよ遠藤くん。去年と同じ猫よ」


「そう言えば去年もこんなの居ましたね。よく覚えてますね」


「遠藤くんの記憶力がないだけでしょ。この子、よっぽど性欲が強いのね」


「僕の方が強いですが」


「猫と張り合うのやめてもらって良い?」


 崎山さんがそっと猫の頭を撫でる。

 すると、不意に猫から薄い煙のような、モヤのような物が湧き出てきた。

 それはまるでオーラのように見えた。


 崎山さんはそのモヤに、フッと息を吹きかける。


 すると、一瞬で立ち込めていたモヤは霧消した。

 先ほどまで奇妙な声を上げていた猫が、途端に大人しくなる。


 それはどこか、魂を抜かれたようにも、果てた後のようにも見えた。

 いわゆる賢者タイムである。


「これでよし。散らしたわ」


「散らした」


「性欲をね」


「性欲を」


 壊れたテープレコーダーのように同じ言葉を繰り返す僕を放って「さて、映画映画」と崎山さんは部屋に戻って行く。


「遠藤くんも見ましょうよ。この映画、面白いわよ」


「まだ始まったばっかりなんですか?」


「一時間くらい経ってるけど」


「なんで誘った」


 彼女の名前は崎山 蓮さきやまはす

 僕の同居人で。

 サキュバスだ。

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