勝負如此ニ御座候(しょうぶかくのごとくにござそうろう) (二)
五
――――あれが、宮本武蔵か。
夕刻の寺尾邸で清秀が初めて見たかの大剣豪は、五尺七、八寸の背丈に右手に五尺ほどの長い杖をついていた。その杖の端に紐を通す穴を空け、紐は手首に巻いている。
『原城で石をぶつけられた』
とのことであった。
聞けば、小笠原信濃守様の護衛で最前線まで行かれ、それで投石を受けたとの由。
名のある兵法者であろうと戦場ではたかがしれているということか、あるいは賊徒たちの最後の抵抗はそれほどまでに激しいものであったのか。
いずれ戦場の飛び道具の傷は
とはいえ。
口々に武蔵の弟子たち、知人たちは戦場の話を聞きたがって、武蔵は軽妙に受け答えしていた。この時に武蔵の弟子の誰かに聞いたが、飲み食いこそは好まないが、こうして人と話すのは好きなのだとか。
(一刀斎様とは違うのだな)
と清秀は思った。
天下無双の大剣豪が愛想よく振る舞い、聞かれるに任せて饒舌に答えるのは意外でもあり、何処か軽薄さが感じられた。
彼の師である外他一刀斎は人嫌いでこそはなかったが、俗世とはあまり関わりたがろうとしない人だった。
小野忠常や柳生兵庫助も、殊更に権勢を誇るでもなく、抑制的な生き方をしていたのが雰囲気として伝わった。超然としていたと言ってもいい。
剣術者は禁欲的であらねばならぬ、と考えてはいなかったが、武蔵が俗っぽく楽しげにしている様は意外に思えたのだ。
『それで、武蔵、お主に仕合してもらいたいのだ』
宴もたけなわ、お忍びという体で寺尾家にやってきていた義直公は、武蔵に事情を話した。
武蔵は断った。
島原にて怪我をしたということに重ねて、自分はすでに老足にて歩くのもままならず、若い兵法上手と仕合するなどとてもとても……
その言い分に皆は残念がったが、すでに老齢であり、戦傷のある者に無理に仕合させるわけにもいかない、と納得した。
最初からたまたま逗留した武蔵に、何処ともしれぬ若造と仕合をさせるというのが無茶な話なのである。
もっとも、その時の清秀は、
(まあ、武蔵ともあろう者がこんなところで負けてしまうのも、風聞が悪いからな)
そのようなことを考えていた。
当時の清秀は二十四歳。気力体力ともに充実していた頃合いである。外他一刀斎の薫陶を受けた身であるという自負もあれば、小野忠常、柳生兵庫助に認められたことによって自信もついていた。
伝説的な存在である宮本武蔵といえども、すでに老いたる身、やわか無様に負けはすまい――
負傷の身であるのならばなおさらだ。
万全ならばともかく、怪我の後に長旅の疲れもあるだろうことを考えれば、自分が負けるとは思えなかった。
それは多分、この時は他の者もそう思っていたはずだ。
『つまらぬことを言うでない』
と言ったのは、光義公だった。
父と同道して来ていたのであるが、武蔵と父の対話が終わったと看て言う。
『宴の席の座興のようなものよ。何、音に聞こえた二天一流の太刀筋、少しばかり見せて貰えればそれでよいのだ。老いたる身の汝に、今更勝負も何もなかろうよ。その上に戦働きに疲れていて、誰も汝が勝てるとは思ってはおらぬ』
『――――――』
武蔵は顔色一つ変えなかったが。
周囲は、光義公の言葉に息を呑んだ。義直公ですらも口を半ば開けて何か言おうとして、適当な言葉を出せずにいる。
柳生兵庫助が静かに頭を振った。
当の光義公も、自身の言葉を失言だったかとすぐに悟り、何か言い添えようとしたが、上手くいえずにいるようだった。
曰く言い難い沈黙が場を支配したのは、果たしてどれほどの時間だったか。
『――――承知いたしました』
永劫にも近しい数瞬を経過した後、武蔵はそう言って平伏した。
そしてその後、すぐに庭に降りた武蔵と清秀とは対峙する。
その瞬間まで。
木刀を立てて右に
清秀はこの老人に負けるとは思っていなかった。
さて、どうやって花を持たせる勝ち方をしようか、などと考える余裕さえ持っていた。
光義公の稚拙な挑発に、武蔵は年甲斐もなく腹を立てたのだろうと思った。いずれ武士ならば面子があるので引き下がれない。そのこと自体は清秀にも理解できることであるが、かと言って、自分がここで武蔵相手に遠慮する理由もない。
せいぜい、天下無双の名に傷つかない程度に粘ってくれればよい。
そんな気分であった。
それが。
通常、立ち合いは五間(約10メートル)ほどの距離で対峙するものであるが、庭の広さの都合もあり、三間(約5メートル)ほどで向かうことになった往年の大剣豪は、二刀をだらりと下段にしたままで彼を見ていた。
二重の瞼の下、琥珀色に薄い眼差しで清秀を見ている。
背筋に震えがきた。
怖い、と思った。
他に言い表しようのない感情だった。
清秀は生まれて初めて、剣の戦いで恐怖を感じたのだ。
たちまちのうちに額に汗の珠が幾つも浮かび上がる。
「ッ……ぅうううう……」
思わず、喉の奥から我がことと思えない唸り声が漏れた。
清秀は外他流の
逡巡していたのは一瞬だったか一刻だったか。
それでも彼は。
踏み出した。
巌が、動いた。
先程までは人の丈の巨岩の如き威容であったのが、彼の踏み出しに応じ――いや、踏み出す直前に動き出していた。
さながらそれは、水流に転がる小石のような淀みのなさであった。
「ずぅ」
するりと、いつの間にか間合いは一間(約2メートル)にまで詰まっている。
二刀は中段へと持ち上がっている。
「おおッ!?」
思わず声を上げた清秀が一歩引き。
「たあん」
低く、決して大きくない、不思議な気合だった。
それなのに、清秀の身体はそれだけで停止した。
武蔵も。
何故か、そのまま動かなかった。
ただ、目を細めたままで清秀を見ていた。
「――――ッ」
清秀は肚の底より気合をひねり出し、新たに踏み込み。
二刀が前に出ていた。
咄嗟に一歩引くと。
武蔵の姿勢は変わらなかった。
間合も変わっていない。
「おお……」
それが何を意味しているのか、清秀はその時には悟っていた。
咄嗟に大きく跳び下がりながら、構えを車に引き落とし――
武蔵の二刀の切っ先は、先程と同じ距離にあった。
「うっ……」
こちらの跳ぶに合わせて武蔵もそうした、というわけではないことは見ている。武蔵はこちらが動く寸前に動いていたのだ。
まるで、自分がいつ跳ぶかを知っていたかのようだった。
そして。
二刀はかちりと小さな音を立てて組合わされ。
前に出た。
武蔵の前進に、清秀はただ下がることでしか応じられなかった。
最初の一歩から三呼吸の後、また武蔵は出た。二歩。そして次は二呼吸の後に四歩。一呼吸の後に五歩。
…………
気がつけば、武蔵の前に出るままに、清秀は下がり続けていた。構えを変えようとしても同じだった。こちらの動作の開始より明らかに半歩早く武蔵は踏み出していた。
完全に拍子を読まれていた。間合を取られていた。
どのように打とうとしても、武蔵は前に進むだけで、全てを封殺した。
ふと、武蔵が立ち止まった。
そこは、武蔵が木刀を組み合わせた位置だった。
庭を一周したのだ。
武蔵は切っ先を落として木刀を二本とも左手に持ち替え、上座で呆然と見ている者たちを見た。
「
そのように宣告したのだった。
六.
「――――――」
嶋清秀老の語りを聞き終えた厳延は、息をするのも忘れていたかのようだった。
清秀老はその様子を少し眺めていたが。
「……今思えば、武蔵殿は儂の驕りも読み取っておられたのだろうな」
到底、座興などとは言えぬ。相手に花をもたせようなどとは欠片も考えてない、圧倒的な力による――それは蹂躙と呼ぶに足りた。
光義公を諌めるためであるだけでは、ここまではすまい。
老齢であることを侮っていたのを察していたに違いなく、俗っぽい振る舞いを小馬鹿にしていたのも伝わっていたのかもしれぬ。
「それにしても、やりすぎでは……」
そう口にしてしまったのも無理もないことではある。
武蔵の御前仕合は、あくまでも作り話と思っていたから聞けたというところがあった。
本当にそんなことをしてしまえるということがまず考えられず、できたとしてもそれをやってしまうというのが想像の拉致外であった。
「死道におゐてハ、武士ばかりに限らず、出家にても女にても、百姓以下に至迄、義理をしり、恥をおもひ、死する所を思ひきる事は、其差別なきもの也」
――義理を知り、恥辱を恐れて死ぬことを選ぶのは、武士だけではない、出家から女から、全ての者がそうである。
とは、当の宮本武蔵が自ら書いたことである。
恥をかかされれば死をもってそれを晴らすしかない――という気風は、元禄の頃には薄れていたが、ないでもなかった。
武士以外は昔ほど面子に拘ることはないが、武士が面子を重んじることは今も昔も変わらない。
ましてこれは元禄ではなく、寛永の時代の話だ。
武蔵が勝つと思っていた人間がその場にどれだけいたのかは不明であるが、ここまでの一方的な勝ち方をしてしまうなどと予想した人間は、一人としていまい。
それをあえてやったということは、武蔵はこの時、彼を殺すつもりであったと見做してもそう間違いではないだろう。
それとも、そこまでの意図はなかったのだろうか。
今となっては解らない。
そのあまりにもな結末に誰一人として声も出せず、庭にいる二人を観ているしかなかったという。
これが今に伝わる、宮本武蔵の徳川義直公の御前仕合の真相であった――
いや。
「話によるならば、武蔵殿が仕合した相手はもう一人いたはず……」
伝え聞いた話であるから、何かしら何処かで歪んでしまっているのかもしれない。
「お主は、気が付かないでいいことに気づく」
清秀老はあからさまに眉をひそめたが。
やがて。
諦めたように溜め息を吐いた。
「儂が為すすべなく敗れたのを見て、なお挑もうなどと思うような恐れ知らずは滅多におらぬ。だが、客人の恥は柳生の恥と、すわ仇討ちとばかりに高田三之丞殿が挑まんとされた」
「高田のお爺が!」
祖父である柳生如雲斎の第一の高弟と謳われた使い手だ。叔父御に剣の手ほどきをした一人でもあり、彼自身も幼少の頃に稽古をつけてもらったことがある。その時にはすでに高齢であったが、気性は剛情で、往来の兵法者が道場を訪ねてきた折りは、自らが立ち合うことこそなくなっていたものの必ずその場にいて目を光らせていた。万が一門弟が負ける時があれば自分の番だ――と、晩年までそのような態度のままであった。
(確かに、高田の爺がその場にいたのならば……)
武蔵に挑むなどということも、ありえる話であるが。
だが聞くところによると、二人目も同様に負けたという。
いかに武蔵といえども、そんなことがあり得るのだろうか、と思う。
厳延の記憶にある高田三之丞は、叔父御にも劣らぬ凄まじい名人であった。若き日のこととはいえ、武蔵にむざといいようにされるとも思えない。
それとも武蔵とは、あの爺ですらも子どものように手玉に取るほどのものだったのだろうか。
「急くな」
と清秀老は嗜める。
「高田殿が挑もうとされたが、それも如雲斎様に止められた。なんと言っても柳生第一の高弟である御方には違いない。それこそ面子に関わる」
それは。
「……武蔵殿とは、それほどのものだったのですか!?」
目の前の老人がかなり使うとは言っても、その業前を目撃したわけではない。だが、高田三之丞は彼の師の一人でもある。どれほどの使い手かも具体的に知っているのだ。
あの人が負けると、そう思わせるほどのものだったのか。
「儂の未熟を勘案しても、隔絶された腕前であったよ。天下無双とはまさにあのこと。二刀が一刀でも同様に負けていたに違いない」
それでも……高田殿や如雲斎様の如き柳生のお歴々ならば、むざと敗れることはなかったろうが。
そう言い添えてから。
「高田殿が止められ、そこで立ち上がったのが、連也斎殿よ」
「叔父御が――――」
その場にいたのか。
そして武蔵に挑んだというのか。
いや、しかし。
「その頃は、叔父御はまだ十三、四であったはず……」
聞くところによるならば、十三にして如雲斎の口述を筆記して兵法書を書いたというが、それにしても武蔵と対峙するには若すぎるのではないか。
清秀老は「うむ」と言った。
「皆が止めたが、連也斎殿、頭を巡らせたか――『これは座興なれば』というた」
あくまでもお遊びである、と強調した。
その言葉を向けられた義直公は「座興か」となにかに気づいたように頷き、武蔵と如雲斎を見る。
武蔵は如雲斎と視線を交わしてから、僅かに頷いた……ように、清秀老には見えたという。
『よい座興であった』
と義直公は告げ、清秀老に下がるように促し、若き連也斎が代わりに庭に降りた。
「あくまでも座興のこととして、貴方の面子を立ててくださったのですか――」
「……その後のことは、同じことの繰り返しであった」
さすがに十四歳では、後の柳生きっての名人であろうとも、天下無双の宮本武蔵を相手にして敵うはずもない。
結末は話に伝わっていたのと同じだった。
二人目もまた、ほぼ同様の展開で仕合は進んだ。
「いや、」
「連也斎殿は打ち込んだ」
「―――――――――ッ」
「当然、留められたが」
清秀老は、遠くを見つめながら言った。茫洋たる眼差しは、どうしてか剣呑な光をたたえていた。
――十字に組み合わされた二刀は、連也斎の打ちを留めた。
そのままに武蔵は進み、どういうわけか連也斎は留められた袋撓を引くこともせず、全身から汗を滴らせて武蔵に追い回されるに任せた。
自分もこんな風に負けたのか、と清秀老はその時思った。
先の仕合と同じ位置にて立ち止まった武蔵は、しかし連也斎には何も声をかけず、そのまま義直公に一礼した。
その後は、武蔵は何事もなかったかのように宴の席に戻り、如雲斎と何か言葉を交わしていたようであったが、さすがにそれは聞こえなかった。
そして宴の後、光義公は清秀老を呼び出して「すまなんだ」と直接の声をかけた。
「大曽根のご隠居御自ら……」
さすがに、自らのしでかしたことを反省したということなのだろうか。
清秀老は「さて」と呟く。
「後で聞いた話であるが、儂の顔は、死人の如く青くなっていたそうだが……」
「それは……」
無理からぬ話だ。
厳延は想像してみる。御歴々の御前にて意気揚々として挑んだ仕合で、相手があの宮本武蔵とはいえ、軽く追い回されて無様に負けてしまったなどと。
その後、十歳も年下の叔父御にかばわれるようにされてしまったこと。
恥辱のあまり、死んでしまいたくなるだろう。
清秀老は。
「死人の如くなどと言われてもな」
「すでに死人であったのにな。兵法者としての儂は、その時に死んだのだ」
死にたいではなく。
自分は、もうすでに死んでいるのだと言った。
七.
「それは、その、武蔵殿に、その時の敗北に心魂を殺されてしまったと、そのような……?」
宮本武蔵に負けるということは、それほどのことなのか。兵法者として生きる道を挫けさせるほどの衝撃があったというのか。
清秀老はそれには答えず。
「兵法者として死んでしまっては、もはや仕官どころではない。母を如雲斎様と珠殿の任せて、何処かへと去ってしまおうかと思ったが――」
連也斎殿に、止められた。
「叔父御に……?」
「『外他流の太刀筋、学ばせてくだされ』とのことであったが、儂は血族に対して連也斎殿が慮ってそのように言われたのだと思った……」
その後は、二人は如雲斎の許可を取り、どちらが師というでもなく弟子となるでもなく、修練の成果を見せあい、試しあった。師弟ではなく、共同研究者というべき関係であった。
「連也斎殿は、儂より十歳年下であったが、才覚は凄まじいものであったよ」
「はあ……叔父御が外他流の研究をなさっていたとは……」
複数の流派を学ぶ兵法者も特段珍しい話ではない。厳延の祖父である如雲斎も、若き日に新当流の薙刀を学んでいた。
兵法者として一人前に生きるということは、いついかなる事情で他流仕合をせねばならぬか解らない。
だから他流の技を学ぶというのは理にかなっている。
それが将軍家指南も務めたことがある小野家の一刀流に近しいものとあれば、むしろ知ろうとして当然であるかのように思えるが。
――とはいえ、そんな話はまったく聞いたこともなかった。
(本当のことなのだろうか)
と、そこで初めて疑問が湧いた。
今までつらつらと、あまりにも刺激的な話を息継ぐ間もなく重ねられてつい真に受けていたが、話の全部が真実であるという保証は何処にもない。あるいは一部だけ本当なのか、それとも一部だけが嘘なのか。その全てが虚構なのか。
厳延がそのように考えたのは、さすがに彼の叔父である連也斎についてはしっくりこなかったからだ。
(叔父御はそのようなものを残していなかった)
何かしら外他流についての覚書のひとつふたつは、ありそうなものではないか、と思う。
少なくとも浦屋敷には、そのようなものはなかったのは間違いない。そう確信をもって言えるのは、当の連也斎の遺言によって遺品を彼が処分したからである。連也斎は財産を尽く処分するように遺言したのだ。
さすがに敬愛する叔父であり師である人の遺品を、何も確認することもなく処分するということは躊躇われた。
使用人が自分たち親族の目を盗んでかすめ取るということも考えて、叔父御の体調が悪くなりだした頃にはすでにそのことを聞かされていた厳延は、浦屋敷にある物を叔父御と他の門弟たちの立ち会いのもとで確認している。
それに。
外他流についての研究をしていたのなら、弟子であり甥である自分には何かしらの話を伝えていたのではあるまいか。
(そもそも、今までの話からでは、なんで自分がこの人のことを知らなかったのかの説明になっていない)
と気づく。
そのことを素直に告げるべきか迷っていたが。
「…………天井裏にな、櫃が一つ残してある」
とこちらの考えを悟っていたのか、清秀老は言った。
「天井裏に!?」
「自室のな。遺品の全てを処分するように遺言したというから、あれも残してはいないと思っていたが、先日に確認するとまだあった。他流についての研究の尽く、儂から得たものも含めて、円明流のものから多々残されておったわ」
「あ、いや……先日に確認?」
清秀老は、また頭を振り。
「――――この裃をな、探しにいったのだ」
それは。
「……では、先日に浦屋敷に出た怪異というのは!」
「結局のところ、全て話さねばならんか――」
観念したかのように言って。
清秀老は話を続けた。
「儂から学び得ることは、二年で全て連也斎は習得した」
まさしく剣の天才だった。
そして十六歳になった連也斎は、彼に「嶋家を継いでください」と言った。
「嶋家の……そういえば」
叔父御は十六歳まで嶋を名乗っていた。
「最初は、師である方に渡し得るものが他にないとか言うておったがな。押し問答の末に、本音を言うたよ」
『私は、兵法の研究に生涯を捧げたかったのです』
連也斎は剣に生きたかった。そして、剣に死にたかった。
しかし母に嶋家の跡継ぎであることを望まれて、跡取りをとらなければならない。それで諦めていたが、そこに清秀が現れた。嶋家の血族であり、自分より年上の男子だ。健康でもある。
嶋家の跡を継いでもらうのになんら問題はない。むしろ理想的だった――と、連也斎は考えたらしい。
「儂は、その願いを断った」
「断った――?」
「揉めに揉めた。新六は激しい気性で、儂も引くに引けず……」
(新六?)
叔父御の、連也斎の幼名だということに気づくまで数瞬かかった。
考えれば当然のことではあったが、連也斎の号は隠居した後に名乗ったものであるから、寛永の頃からの付き合いであるのならば、そう呼んでいた期間の方がずっと短い。恐らく新六と名乗っていた時期に出会い、ずっと二人の間ではそのように幼名で呼び合うなりしていたのだろう。
「そうこうあって、母もすぐに病で亡くなり、儂も柳生家に居づらくなった。如雲斎様は気にするなと言われたが……その頃には、大曽根のご隠居が儂に侘びとして百石からの捨扶持をくださっていたのでな。思い切って柳生家も出た」
「百石も……」
「口止め料もこみ、だったのだろう。他家にてことのあらましを語ることなかれ、くらいの含みはあったわ」
さらりと答えて、以降は飼い殺しのようなものであったと言い、母の弔われた白林寺の近所に庵を結んでいたと述べた。
「そんなところに……」
白林寺は柳生家の菩提寺でもあるが、そこにこんな人が住んていたなどとは、厳延は夢にも思っていなかった。
もっとも、飼い殺し云々という話をそのまま厳延は受け止めたりはしなかった。
詫びの気持ちだけで百石もの捨扶持を出すとも思えない。望めば正式に仕官することはできただろう。それをご隠居は期待していたのではあるまいか。
あるいは先程言ったように兵法者として死んだ以上、仕官などする気にはならなかったのかもしれない。
(いや……それだと、間尺が合わぬ)
この老人はまだこの期に及んでも語っていない事情がある。隠していることがある。
そのことを今すぐ問いただすと話が滞るので、彼は黙って続きを聞く。
「連也斎殿は、嶋家については儂に譲ったのだと言い張り、以降は柳生を名乗り続けて養子もとらずに兵法三昧……如流斎殿は儂らの対立に嶋家の名が絶えるのを見かね、隠居の後は嶋を名乗ったり……このあたりの話は、別に長くなって面白くもない」
父が嶋を名乗っていたのは、そのような事情があったのか。この話だけではどうにも意図が解らないが、何か中継ぎ的な意識があったのかもしれない。
「そうこうして五十年、ご隠居からの使い以外は、時折に如雲斎様や如流斎様の便りはあったが、連也斎殿はついぞ……いや、隠居の後に一度だけ来たか」
『嶋家の家紋を入れた裃を拵えてある』
そう告げたという。
「いい加減に、養子でももらって嶋家を継いでくれということであったがな……ふん。お互い歳をとって、より頑固になっておった。その時も物別れしたが」
『この裃は櫃にいれて天井裏にしまっておく。必要な時があれば取りにこられい』
それが最後に聞いた連也斎の言葉だった。
それから十年して連也斎の死の報告を受け、葬儀にでることも憚られた清秀老は甥二人に熱田沖に散骨せよという遺言を知り……海に向かって見送りに酒を飲んでいたというのが、厳延が見かけたあの日の姿であった。
「……今日は、ご隠居様に呼ばれ登城した」
五十年以上前に一度会っただけの兵法者を、かつての光義公……光友、今は大曽根のご隠居様と通称される御方は覚えていた。
ずっと捨扶持を与え続けていたのだから当然であったが、ご隠居様は綱誠公に何かの拍子で清秀老の詳細を語ったという。
徳川綱誠公は好奇心旺盛な方であり、新陰流七世でもある。
かつて宮本武蔵に負けた外他流の兵法者、などという面白い存在を聞けば、興味を惹かれてあいたくにもなろう。
(なるほど。半ばは自分の推測の通りであったか)
清秀老を最初に見た時に考えた推論は、こと綱誠公に関する限りは当たっていたということか。
長きの間に隠遁を決め込んでいた清秀老であったが、さすがに藩主直々の呼び出しに応じないわけにもいかなかった。
それに。
『汝も
と言われた。
「三年もたつと、ようやく気づいた」
意地を張り続けて五十年以上だ。
連也斎も今は亡い。
そろそろ、よいではないか――
そう思えた。
かつて抱いた無念の全てが摩耗してしまったわけではないが。
それでも。
「それで嶋家の家紋を入れた裃のことを思い出し、浦屋敷に忍び行ったと……」
「騒ぎを起こして、済まぬことをしたと思っている」
「いえ……」
こうして真相が知れたので、もうそれは良いのだと厳延は思った。
「新しく
「なるほど」
話はあらかた終わったようで、清秀老はこちらの応えるのを待つように沈黙した。
厳延は目を細めて考える。
(どうして柳生家との関わりを断っていたのか、そのあたりの諸々の事情は話された通りで間違いないのだろう。天井裏の櫃というのも、あとで人をやって確認すればよい。叔父御の他流への知見の覚書、なぜ俺に伝えなかったかは疑問は残るが、読んでいけばそのあたりは解るかもしれない。何より、叔父御の遺したもの、まだあるというのならば……)
頷き。
「なるほど」
ともう一度言って。
「しかし――あと二つ隠されていることがありますな」
「…………ッ」
「叔父御の頼みを、何故断ったのですか?」
「それは、」
「そして、兵法者として死んだはずの貴方が、なぜ今も兵法の鍛錬を続けておられるのですか?」
八.
「貴方は叔父御より十歳年上であるなら、今は八十三歳……しかし、姿勢も
「…………」
「
「…………」
「それに、殿に呼ばれてただ話をしただけに終わらないはず。すれ違った時に発していた体躯の熱――外他流の太刀筋、披露されていたと見ましたが」
一気に畳み掛けるように厳延にそう言われた清秀老は、眉根を寄せて額に深く皺を刻んだ。
そして。
「…………まったく、見た目によらんな」
と、右手で鼻の頭を掻きながら言った。
「見た目?」
「お主の、な」
厳延はその言葉に目を細めるが、清秀老もまたそうした。覚えがある目だった。最初にすれ違った時に、彼を検分するように見た、あの眼差しだ。
あるいはそれは、ようなではなく、真実、検分であったのか。
言った。
「一瞥をくれただけで、解ったぞ。新六め、可愛い甥とはいえどあれほどに執心しておった兵法の道にて義理許しの免状を与えたかと」
「――――――ッ!」
兵法の免許に三つあり、と云う。
世にこれを術許し、義理許し、金許しとする。
真実に技術を持つ者に免許を発行するのを術許し、術及ばずとも親族友人の関係から発行するものを義理許し、金を支払うことによって得ることができるのを金許し――清秀老は、厳延が連也斎より得たものを術によるものではなく、甥だからこそ得られたものだと言ったのだ。
「貴方は……何を言っているのか解っておいでか!?」
さすがに、親族とはいえど看過はできない言葉だった。それでも柄に手を当てたいという衝動を必死に押し潰し、声を荒げて問い糾す。
清秀老は。
どうしてか、目を地面に一度落として。
「は、悔しいか―――――」
「儂も、そう言われたさ」
「…………ッ」
「それもな、武蔵殿にだ」
――一刀斎殿が免状を与えるには、ちと足りぬな。
『座興』の後、改めて盛り上がりつつある宴席の裏で、清秀はそこに加わるのもはばかられて一人呆然と庭の端で座っていた。
そこに武蔵が現れたのはなにゆえであったか。
後で聞くところによると、厠に行くと席を外したのだそうだが、その時に偶々に目に入ったからだろうか。
それとも、追い打ちを掛けるためであったのか。
後者は考えすぎかもしれない。
武蔵は清秀に声をかけてから、無造作に側の庭石に腰掛けた。
『無作法だが、仕方ない。足が痛む』
そう言ってから、顔をしかめる。
『まったく、足の萎えた年寄りに無理をさせてくれたな』
『申し訳ございませぬ……』
どう言っていいものか容易には判断がつかず、それでもどうにか答える。
自然、その場に肩膝を落として頭を下げていた。
その後、どういう話の流れがあったものか、清秀は武蔵に自身の素性と経歴、ここに至るまでの経緯を語っていた。
如雲斎にしか語っていないようなことまで、どうしてか話してしまっていたが、思い返すにこの武蔵という人物は異常に話しやすい。
時折に相槌を打つ程度のことしかほとんどしていないのに、とにかく何もかもを白状してしまいたくなっていた。
圧力をかけられているというのではなく、何かの流れ……拍子のようなものを支配されているようだった。
そして、ぽつりと言ったのだ。
ちと足りぬと。
『拙者に与えられた免状が、義理許しであったと!?』
『まあ有り体に言えばな』
さすがに、師との思い出と、僅かに残されていた矜持すらも否定されてしまったのには、残された感情の一欠片が反応していた。
だが、そのまま言葉を継ぐことはできなかった。
自分はこの人に完膚なきまでの敗北を喫しているという――その現実を前にしては、どれほどの言葉を積み重ねようとも意味はない。
『何も、お主が弱いわけではない』
『…………』
『甲乙丙丁で言えば、乙くらいつけてやろう』
『……何が足りなかったのです?』
『ん……?』
『何が足りず、甲に至らないのかと』
静かに問われた武蔵は、しばらく夜空を見上げていた。
やがて。
『意地、か』
『意地!?』
『さて、他にどう言っていいものか。
いやしくも流儀の道統を得るということならば、甲乙丙丁の甲であらねばだが――
前に出られなかったら丁もくれてやれなかったが、前に出られた。
自ら負けを認めていては丙にとどまっていたが、参ったはしなかった。
だから、乙だ』
『それは、どういう――』
武蔵はそこで『さて』とだけ言った。それだけで、清秀はそれ以上の言葉を出すことができなかった。
やがて言い表しようのない沈黙の刻が過ぎ去り――
『顔を上げよ』
と武蔵は言った。
次の刹那、武蔵が右手に携えてた杖の先端が、清秀の額に触れていた。
『―――――ッ』
痛みも感じない。ただ、載せられたという程度の感触しかなかった。絶妙な間合いであった。
そして武蔵は立っている。
いつの間にか、腰掛けていた庭石から立っている。
『面を打て』
『ただ殺すだけならば、兵法は要らぬ。ただ当てるだけならば、兵法とは言わぬ』
『…………それは、』
『流派の免状を得るということは、流派の意地を体現し、その
『そのようなことは、』
知っている――と答えようとして、清秀の唇は動かなかった。
彼は、その時にようやく悟ったのだ。
武蔵は口元を微かに綻ばせた。
『他流は知らぬ。ただ我にあっては勝ちは眉宇の間を打ってこそ勝ちと言う』
『…………』
『一意専心、巌の身となりて、そこに至るための工夫を以て流儀とする。太刀を振り回して当ててよいだけなら、それは兵法に非ず。打つと当たるは違うのだ。それで殺せたとして、太刀の徳があるとは言えぬ』
『…………』
『さて、一刀斎殿は何と言ったものか。最後の弟子だけに甘やかしたか、あるいはその紙一重、言わずともいずれ伝わっていると思ったか――』
武蔵はそこで背中を向けた。
『武蔵殿……』
『兵法は死の道に非ず、勝ちを得る道である。勝てずとも、手にあるもの、腰にあるもの、使い切らねば悔いが残ろう』
『――――』
『悔いのあるまま死んでは、つまらんぞ』
「――――さて、連也斎の後を継いだというのなら、その真面目を見せよ」
そこまで話してから、清秀老は突然にするりと刀を抜いていた。
そして流れるように間合いを空け、正眼に構えていた。
「…………ッ!」
厳延も自然、それに応じて刀を抜いている。戸惑いながらも一刀流の陰の構えに似た右脇に刀を掲げた、やや刀身を寝かせるように構えていた。新陰流に云う發草だ。
さすがに柳生一門の当主である身であった。
その動きに淀みはない。
だが。
「…………何をなされるか!?」
とは聞いた。
剣士であるのならば、いついかなる時に戦いを挑まれてもいいように備えよ――とは、常に心がけていた。
しかしそれにしても、今のこの状態はあまりにも唐突にすぎる。
この清秀老とはつい先刻に会ったばかりで、ついさっきまで身の上話を聞いていたのだ。
「何をなどと、言うな。いやしくも兵法者であるのならば、侮辱されて捨て置くなどできるはずもないだろう」
「…………ですが」
「教えてやるというのだ。兵法とはいかなることであるというか――」
そのまま、二人は沈黙した。
正月の寒い空気の中で、二人の剣士は白い息を吐き続けて対峙して。
清秀老の刀の切っ先が、上段に持ち上がっていた。
とみるや、二人の間合いは無となっていた。
「…………ッ」
厳延は目を見開いていた。
自分の額の上、一寸のところにて刃が停止している。
(応じきれなかった……!)
いかなる絶妙の足捌きか、間合いの練り、拍子の工夫があったものなのか、清秀老は微かな呼吸の緩みをつくかのように厳延を真正面から打っていた。
もしも刃がとまらず打ち込まれていたのなら、その一撃で彼は絶命していたに違いない。
(これが八十を過ぎた老人の技か……!)
果たして彼の叔父である連也斎であっても、八十まで生きてたとしてこれほどの技ができたものか。
清秀老は口元を歪め、数歩と下がりながら鞘に収める。
「
「それは……」
その言葉は、かつてこの老人が言われた言葉ではなかったか。
さらに続ける。
「甲乙丙丁でいうのなら、丁だ。話にならんな」
「何、何を……!」
怒りとも狼狽ともつかぬ声を荒げた厳延を、清秀老は静かに眺めやり。
「儂は、切り落とすべきであったのだ」
そう言った。
(切り落とし……の、ことか……?)
厳延とても知っている。
対手の剣技がいかなる千変万化しようと、その起こりを抑えて切り落とす、一刀流の根本原理。
「我が流の本義、一刀即万刀の哲理を知りながら、できなんだ。相手が二刀であろうと、武蔵であろうとも、儂は、外他一刀斎の弟子であり、免状をもらう者であるのならば、それをするべきであった。通じる通じないではなくて、そうしなくてはいけなかった」
意地を見せなくてはならなかったのだ――と、言った。
「本来、誰が相手だろうとそれができるという確信ができてこそ、免許であったろうにな」
「…………そんなことは、」
「聞いておらぬか? ふん。一刀斎様も、新六……連也斎殿も、情に負けたか、それが伝えきれなんだ。だから――」
そこで不自然に言葉を切って、頭を振った。
「いや、いい。それはもういいのだ……儂は、意地が足りなんだ。真面目を、立てられなんだ……」
それができずに、死んだ。兵法の負けとは、そういうことだ。
そしてそれができなかったが故に、悔いは残り続けた。
清秀老は、そこで背中を向けた。
「儂は武蔵殿に負けて、兵法者として死んだ。死んだが、死にきれなんだ。その悔いを晴らさねば、到底往生などできぬ」
「…………つまり、」
悔いを晴らすために、五十年をかけた。
「――――去年にな。ようやく、できたぞ。武蔵殿に、ようやく……」
宮本武蔵は、もう四十年も前に死んでいる。
ならばこの老人のいう武蔵とはなんのことなのか。
あるいは己の記憶の中にある大剣豪の姿に対してか。
そしてゆるゆるちと歩き出す。
「待たれよ!」
思わず声をかけた厳延であったが、清秀老は止まらない。
ただ、言った。
「やれたはずのことを遺して、やらないままに死ぬのはつまらんと、悔いが残るとは、武蔵殿に言われた。だがな、儂は思うのだ。悔いを晴らすために生きるのも、また剣の道ではないか――」
それは。
どういう意味か。
「意地のたりなさが悔いを残すのならば、悔いを晴らす意地を見せよ――ということだ」
それができた時こそ、汝は真に新六の後継者になるだろう。
そう告げて、嶋清秀は立ち去ったのだった。
つづく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます