第3話
高校受験は滑り止めになんとか受かったもののランクは最低だった。なので誰もお祝いなどしてくれなかった。両親はもうほとんど口をきいてくれなくなった。ピアノも捨てられた。
ピアノは両親がいないのを見計らってよく練習していた。しかしもう必要ないからと勝手に捨てられてしまった。高校三年生の夏だった。理由はピアノをこっそり弾いていたのがばれていたから。それと学業の成績が落ちていたからだった。最低の高校でさらに最低の成績に母親はピアノを捨てることに決めた。母親は一方的に叫び私を叱責した。私は部屋に閉じこもって何日も泣いていた。親の前では泣けなかった。
私は家をでてしまった。事実上の高校中退。両親や親戚は私に高校はともかく大学はいいところにと言っていたが、私には大学を受験するほどの学力もなかった。勉強してもなにも頭に入らず、ただ眠らない日々が続き、自分ではどうすることもできなかった。
はじめて親の財布からお金を抜いて飛び出した。それでもいくらもない。
同じ県内だとすぐに見つかってしまいそうだから思い切って都会に出た。県外にひとりででるのはこれがはじめてだった。
なんのコネも縁もなく未成年の保証人もいない女ひとりが、さまよい行き着く先は水商売しかなかった。コンビニや飲食店のアルバイトは面接さえしてくれない。とりあえずの雨露を防ぐための住処も確保しなければならない。
街には公衆電話ない。携帯電話も持たされていない身としてはアポイントなしでとびこむしかなかった。なんの様子もわからない。コンビニで求人雑誌を立ち読みして、道に迷ったり住所を忘れたらまたコンビニに入り同じ求人雑誌同じ求人項目を見つけてその店を探す。
なにをするところか想像はついても実際リアルではわからない。店を前にして足が震える。涙があふれてくる。
そこに通りがかった男に声をかけられる。その店の従業員だった。目はサングラスごしにギラついているのがわかる。しかし優しい笑顔で、コーヒーでも飲むかと言われた。素直についていった。
面接ではたどたどしく自己紹介をした。帰る家のない田舎からでてきた家出だと正直に伝えた。それさえも受け入れてくれた。
家出娘とはいえ仕事はしてもらうと男は言った。裸になることはできるかと言った。
私はツバを飲み込んだ。
「悪いことは言わない。田舎に帰りなさい。見たところ不良少女ってわけじゃないだろ」
男はサイフから一万円札を抜いてわたした。
私は服を脱いだ。上着をとったらブラジャーのホックを外すこともパンツを脱ぐことも躊躇いはなかった。
「お前さん、思い切りはいいが、ここは裸になって終わりじゃないんだぜ。それからなにをするのか知っているのか」
私は首を横に振った。
「その様子じゃキスもしたことないだろ。試しにオレにできるか。こんなヤニくさいおじさんとよ。ファーストキスがオレでも構わないのか。ここで働くっていうのはそういうことだ。キスだけじゃない。男のアレも握り、それを舐めたりもするんだ。不特定多数の。それも毎日。それがここで金を得る手段だ。それができるっていうなら共同寮だが入れてやることはできる。その覚悟があるのか」
私の足はいうこときかないぐらい震えていた。頭の中で金属音が反響している。
男はにらみつける。
私は男に体当たりして唇を唇にぶつけた。
男は悲鳴をあげた。
「なんて下手くそなヤツだ。まあでもこういう おぼこ がいいっていう物好きもいるからな」
男は私の体を押しのけた。
「覚悟はわかった。もう服を着てもいいぜ。一応体験入店という形で二週間は時給制だ。それを越えられたら本採用ってことで、指名料や業績手当もつけてやる。もう今から写真とって予約かけるぞ。いいか」
私はうなづいた。震えは止まっていた。
私はそこで何人もの客をとるようになった。寮に待機して携帯電話で呼び出しがあったら指定されたホテルに向かう。デルヘルというシステムだ。ホテルに行けばもう客と私ひとりしかいない。危険があればすぐに店に電話をしてスタッフに来てもらう手筈にはなっているが、それでも五分十分はかかるし、そもそも電話をする余裕もあるかどうかわからない。偉そうにしたり罵ってくる客はまだいいほうで、不潔だったり暴力をふるってくる客もいる。ホテル側には複数人でひとつの部屋に入ることのないようになっているが、それでもドアを開ければ数人で待っていることもある。
中でもやっかいなのは本番強要だ。店では本番禁止、発覚したら罰金百万円としているが、それでも強要してくるヤツはしてくる。どういうわけか、みんなやっているだろ、お前もほかではやっているんだろ、などと言ってくる。
気のいい優しそうなサラリーマンほど力任せに本番強要してくる。頑なに断るとツバを吐きつける。精液をどれだけ浴びせられようと体はなんともなかった。だけどツバを顔にかけられると涙があふれた。私の涙をみても客は不機嫌のままなにか声をかけることもしない。なにか侮辱的なことを言っては早々に服を着て出て行ってしまう。裸のままベッドでうずくまる私はどういう顔をしているのか。
私は何人も客の相手をしてきたが誰一人として顔を覚えていない。顔を見ないようにしてきたとはいえキスをしなければならないし顔同士は近づく。それでもすぐに忘れる、いや覚えられない。男の顔はどれも同じだった。
夫とはその時期に出会った。店の従業員だった。そういう水商売には向かない朴訥とした身なりも冴えない青年だった。彼もまた田舎から都会にただ憧れてでてきた者だった。都会との折り合いもつかずに流れるままに今の職場にたどりついたという感じだった。
体つきだけは恵まれていたが度胸がないので暴力的危機に反応することができず、またこういう界隈ならではのノリや雰囲気についていけないのだった。
店の女の子に手を出すのは御法度といわれる世界であるが運転の送り迎えなど繰り返していくうち情が芽生えてくるのであった。田舎の閉塞感がお互いの共通話題だった。
彼は日々のパワハラに限界を越えてしまい、店を辞めてしまった。私も追いかけるように店を辞めた。ふたりとも職歴もないゼロになってしまっていた。彼が辞める間際に私は携帯電話の番号を書いたメモをわたした。それがかろうじてふたりをつなぎとめる連絡先だった。彼から連絡がこなければ今生の別れとなるその一縷の望みは、つながった。
ここにいると誰に見つかるかわからない。思い切って東の都会にでることに決めた。
あそこに行けばより多くの人が行き交う中で見つかることはない。
ふたりはなけなしのお金を払ってさらに東に向かった。
彼は職業訓練校に通いなんとか資格を得て就職することができた。それでも生きていくのが精一杯の毎日で結婚式もあげられずに月日だけが流れていった。
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