第2話
「あ、あの、今海野さんから連絡があったんですけど、火撫さんの所から逃げた三匹が、隊長の所に行かずに、
「だから言ったろ!人数が足りないって。海野の親父の式でも使えよ!」
少女の慌てた声に、隊長は得意げに返す。
一瞬の逡巡の後、僕は責任を取って自分が追跡する旨を伝えた。
現在僕らが駆け回っているこのK山は、川と村に挟まれるように鎮座している。隣の山とは尾根で繋がっており、その山との間が麓の川の水源となっている。今回、地震虫を追い込む予定の川がそこだ。
川はK山の南側で大きなカーブを描き、K山の南側を取り囲む様に流れている。麓の反対側に広がっているのは稲作の村。
現在本隊が村民の避難を行なっている。
この村はもう一つ産業の支柱は林業だ。
当初はK山の南側、川の有る側で伐採をしていた。その結果土砂崩れが多発、麓の川が埋まり農業用水の確保ができないことが多々有った。
困った村民は、今度は村側での伐採を始めた。面積や本数を管理し、土砂崩れを必死に防いだ。それが結構な稼ぎになったらしい。多額の現金に興奮した村民は、大型機械を導入、そして村と直通の大きな林道をいくつもこしらえた。
何が言いたいかというと、その林道は地震虫にとってのファストパスであり、村民にとってはあの世への直行便のレールだということ。
さっき逃げたという三匹が林道へ行く可能性は十分にある。それだけは絶対に阻止しなければ。
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林業で栄えた村というのも頷ける。
とても木が多い。視界が確保できない。
早急に地震虫を見つけなければ。そんな焦りが胸の奥で
少々荒っぽいし、リスクも有るが仕方ない。山を駆け降りることで十分に助走はついた。
今から、跳ぶ。
斜面の途中の少し開けた所、おあつらえ向きの広場が目に入った。
方向転換し、そちらに向かって駆け降りる。
人工筋繊維の調子は悪くない。躍動し、活力を求めて体中で疼いている。身を少し屈めて跳躍に備える。
今だ。
走る勢いそのままに、勢いよく跳ぶ。
高く、よりも速く。そして前へ。
頭上の枝葉を吹き飛ばし、真夜中の森から跳び上がる。
猛スピードで上空を滑空する中、地震虫三匹が目に入った。遂に林道を発見してしまったらしい。
林道までは20メートルもない。
体長6メートル以上の奴らなら数秒で着くだろう。
左腕を展開する。
夜目にも黒いその銃身はまだ温かい。
素早く左腕を構え、指の股で照準し、八発の榴弾全てを連射した!
三発が怪物達の進行方向で炸裂し、足止め。残り五発は全弾命中。
地響きのような轟音と雷のような光を放ち、榴弾は二匹の獲物を屠った。
射撃の反動で運動エネルギーを消費し、僕の体が描いていた放物線は急角度に変わる。
落下していくその先には怪物の巨体。
生き残りの一匹の背中の上に着地する。衝撃で地震虫の外骨格がひび割れ、僕の足にもそれが伝わる。
鈍い痛みを無視して、背中にできた傷に左腕を突っ込みその肉をちぎり取った。
吠え声を上げる地震虫。
荒れ狂い、地団駄を踏んで僕を振り落とそうとする。
「危なっ……」
思わず漏らした声は、やけにいがらっぽく喉に絡み付いた。
地震虫の苦痛のダンスは、周囲の木々を薙ぎ倒し、地形さえ変えていく。
苦痛に耐えられない、とばかりに荒げる声は止まない。
「あ"あ"……あ"ア"ア"ーあ"ッア"ぁ」
歪んで
聞きつけた仲間に加勢されては困る。
カートリッジを交換し、傷口に手を差し込んだ。
射撃。
巨体を真っ直ぐに貫通するのではなく、斜めに発射された弾丸は、怪物の頭まで達し、額を食い破った。
その一撃で、地震虫は動きを止め、長い足を折り地面に崩れ落ちる。
硬質な外骨格に阻まれずに進んだ弾丸は、火薬に与えられたエネルギーを使い切り、容赦なく地震虫の体を破壊した。
加えて、今回使用したのはリーサル型スラッグ弾。炸裂して相手を殺すのではなく、己が質量と、体内でバラバラになるという仕組みで相手を殺す凶暴な弾丸。
対怪物用の、冗談のような威力は遺憾なく発揮された。
限界を迎えた地震虫の背中が裂け、辺りに外皮と肉と体液の飛沫を撒き散らした。
粘つく体液は僕の左半身にも遠慮なく掛かり、まだら模様を描いている。
目元から頬にかけてびっしりとこびりついた体液を拭いとる。
通信機をONにして、三匹を仕留めたことを伝え、その場に座り込んだ。
駆け続けたせいで膝が笑い、射撃の反動で肩が熱を持っている。
体液がまだ顔に付いている。
地震虫の体温が分かる。
また拭う。それでも気持ち悪い感触に変わりはない。
拭う。
拭う。
拭う。
拭う。
気づけば、頬に痛みを感じた。
血が出る寸前まで擦った頬の痛みが、僕の頭を急速に冷やしていく。
どこからか声がする。
聞き取りづらい小さな声で。何かを繰り返し呟いている。言葉と言葉の切れ目が分からず、言語として認識できない。
でも分かる。
誰かが喋ってる。
分からないのがむず痒い。
頭蓋骨の内側で蠅が飛ぶような。
隠しきれない異物のような。
痛痒感と不快感。
何て言ってるんだ……?
胸の奥で心臓が早鐘を鳴らしている。
気づいてはいけない言葉から目を背けるため?
心臓に合わせて呼吸も加速していく。喉を息がなぞる音が木霊する。
乾いていく口。膿んでいく頭。
自分の視界に入るものが何なのか、分からなくなった時、呟き続ける声がようやくはっきりと聞こえた。
とれないとれないとれないとれないとれな
いとれないとれないとれないとれない……
自分の声だと気づくのに、そう時間は掛からなかった。
何故か痛む目を凝らして見れば、頬を拭っていた左手が体液で濡れている。
こんな手で擦っても汁が取れるわけがないのに。
薄ら笑えてきた。
落とした汚れをまた付けるなんて。
折角の苦労が台無しに……なってる……
笑みを浮かべながら左手を地面に何度も擦り付けた。
分かっていた。
頬に付いた体液というのは、途中から唯の錯覚だったのだろう。
本当は分かっていた。
それでも、何かを拭い去りたい気持ちに変わりは無かった。
取れないのは肌に染み付いた粘っこい汁じゃない。
心を染める臭い血だ。
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どれくらい手を擦っていたのだろう。気がつけば膝の笑いは収まり、心臓も落ち着いていた。
頭の中の膿がすっかり出ていったかのように、全てを冷静に捉えられる。
慌てて腕時計を確認すると、思ったよりも時間は経過していなかった。
大きく息を吸い、そのまま立ち上がる。
「…………………………………よし」
一声、叱咤激励のためなのか、自分の声を確かめるためなのか。
分からなかったが、胸元で滞っていた鬱屈も不快感も、声と共に押し流された気がした。
そして、今下ってきた山道を再び山頂目指して走り始めた。
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山頂に近づくにつれ、倒木や、何かを突き刺したような跡が多くなってきた。
地震虫が力任せに通った跡だ。
走り続けて汗ばんできた体が心地よかった。
自分の体温。
何者をも想起させない慣れ親しんだ温度だ。
しかし、月の投げかける銀細工のような光は僕の心を蝕むように冷やしていった。
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一際大きな松の倒木を飛び越えると、その先にちょっとした空間が広がっていた。
円形に木が刈り取られ、整地されている。
木材の積載場だろうか?隅の方には木材が山と積まれており、中央の広場からは林道が四方に伸びていた。
地震虫は一匹も居なかった。一匹も。生きている個体はだが。
地面に
死屍累々の只中に立っているのは一組の男女。
この二人が、頼れる同僚その一とその二である。共に優秀な戦闘巧者だ。
女性の方は長い足によく似合うパンツスーツ姿。上はジャケットを着ず、第二ボタンまで開けた真っ白なカッターシャツにベスト姿という出で立ちだ。
しかしこの女性の最も特筆すべき点は、足の長さやこちらに向ける視線の鋭さでも、美しさでもない。
尻尾が生えているのだ。この女性に。
筋肉の張った小さな尻の少し上辺り、丁度尾てい骨のある場所から、2メートルほどのしなやかな尾が揺らいでいる。
その尾は粘ついた液体で、夜目にも分かるほど煌めいている。
地震虫の体液だ。
この場の死骸の少なくとも半分以上は、彼女の手、もとい尾に掛かったものだろう。
ならば残り半分は、横に立つ男性に仕留められたものだと考えるのが妥当だ。
非常に恵まれた体格と、角ばった筋肉質の体を強調するように金属製のアーマーを身に纏っている。フレームとアクチュエーター、そしてそれらを覆うパネルで構成された鎧は何本もの透明なチューブで彼と繋がっていた。
彼の両手にはそれぞれ長さ一尺五寸、幅二寸ほどの短刀が握られており、こちらも地震虫の体液で月光を弾いていた。
性別も見た目も違う二人だが、こちらに向ける視線は似ている。
優しさと安心……そして疑問。
最初に口を開いたのは、頼れる同僚その二、
「火撫君、さっきから君との通信がオフラインのままだが、何か有ったのかい?」
まさか……そんな。
いつでも仲間からの通信に反応できるようにしておいた筈が。
慌てて通信機を耳から外し、愕然とした。
地震虫の体液でべっとりと汚れ、沈黙していた。
あの三匹倒した報告を最後に、通信機は壊れてしまったらしい。黙ったまま慌てている僕に、頼れる同僚その一、
「あの、火撫君聞いてる?何か有ったの?」
「すいません、僕の通信機が虫汁で壊れてたみたいで……」
一息で話した声は、思ったよりも素直に出た。
「なるほどね。まあ、不可抗力……かな?」
苦笑混じりの声で
「それで、僕に伝えたかった内容って何だったんですか?」
「うん、実は地震虫の大きな群れが逃げ出して、村に降りそうになってるんだ」
嫌な予感。
「遭遇したら連絡をください、って言うつもりだったんだけど、その様子じゃ……会ってなさそうだね……」
嫌な予感的中。
走っている最中に感じた違和感はこれだったのか。広場に着いたときに霧散していた。ここで、大量の地震虫を見たから。
そう、走っている間、地震虫に出会わなさ過ぎた。
開けていない山道を走った僕と違い、林道を見つけたのだろう。
結果、運良く、嫌運悪く奴らと出会わなかった。
そこまで考えたところで悪寒が走った。
血の気が引いていくのが分かる。
すれ違った地震虫達は、もう村のすぐ手前にいてもおかしくない。
「隊長は、すでに山の頂上まで着いたそうだけど、私達が戦っている間に引き返して下の村の様子を見に行ってくれてるの。今はその報告待ちよ」
「そうですか……」
本当にタフな人だ。
この山を簡単に一往復するとは。
苦笑していると、
「…っ……ザッ、ザザッ…あザッ……あの皆さん」
通信は麓の僕らのベースからだった。ノイズが酷く、少女の声が電子的に歪んでいる。
その声は、先程隊長と言い争っていた頃に比べ、随分と小さくなっていた。
「今ザッベースの近くに虫がたっザザッくさん来てるんです……濁天と一緒に、機材を持てるだけ持って避難してきたんですけど、どうしたら良いでしょうか?」
息が荒く、かなり早口になっている。言葉には表さなくとも、伝わってくる恐怖と焦燥。
「ベースから東にしばらく進めば村の入り口に近づくはず。さっき体調が向かったから合流して。それと……怪我はない?」
「はいぃ……私も濁天も無事です……」
「そう、良かった。くれぐれも見つからないようにね」
「了解しました。隊長に会えたらまた連絡します」
そう言って通信は途絶えた。取り敢えずの安堵が僕らの間に広がる。
その途端に通信が入った。今度は体調から。
緊張した面持ちで通信機に手をやるレイジさん。
この長い夜は、ここからが本番だった。
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