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平鍋 鐶
第1話
かじかむ指で服の袖を捲ると、淡く光る腕時計の文字盤は三時四十八分を表示していた。
四月初旬の中部地方の山間部。そびえ立つ山々の厳しさは日本アルプスという言葉を否応なく想起させる。
朝と夜の狭間と言えるこの時間。驚くほど寒い。山々を冷たく照らす月に目を向けつつ、感覚の薄れた手指を動かし、血を通わせる。
そのとき、耳に掛けた通信機からか細い少女の声が溢れでた。
「水谷さんと
「なあ、海野に通信繋げるか?この人数で地震虫を全部追い込むのは無理だ。こんな作戦はクソ!」
通信機から聞こえた少女の声は、突如割り込んだ中年男性の声にムッとしつつも口調に出さず、静かに返した。
「海野さんとは今通信できません。式を扱うために、集中してるんです」
「はあ?集中したいからって仲間からの通信絶つかよ普通。これだから思い上がったお子様は……大体お前も、アイツの言うことなんかに素直に従わずに通信繋げよ。バカ!」
「お言葉ですが、ここまで来て急な作戦変更は失敗を招くだけですよ。黙って成功率上げるために頭使ったらどうですか?」
中年の声に苛立ちが滲むと、少女の声も段々と刺々しくなっていく。いつしか二人の言い争いは個人攻撃へと発展していた。
「そもそも、うちの課に人員が少ないのは貴方の人望が壊滅的に足りないからですよ?自覚して下さいね?」
「何言ってんだバカ!ウチの課は生意気なクソガキのせいで人気が無えんだぞ。分かってんのか?ク・ソ・ガ・キ?」
二人の声量は、気づくと最初とは比べ物にならない大きさになっていた。通信機からは失笑や溜息が聞こえ始める。
そこで僕から一言。
「他の班の人の迷惑になってしまうので、お互いに引きましょう、ここは……」
「「はあ!?」」
マズい。本格的に怒らせたかもしれない。
「「悪いのは俺私じゃありませねえよ!」」
火に油とはまさにこのこと。二人の声量は注意する前の5割り増し。その上、互いへの責任の擦り合いがヒートアップしていく。
仕方なしに、通信機のボリュームを下げ、今晩僕のすべき事を思い出す。
ここは山間の寒村。住人達が厄介な化け物、地震虫の被害に遭っている。今回はその討伐作戦。先程名前の出た水谷さんとブースターさんが、地震虫を地下から追い出す。それを僕らの課が麓の川まで誘導して、本隊に仕留めてもらう。きっとうまくいく……はず。数分前までは自信を持って断言できたが……
腕に付けた通信端末を操作し、頼れない同僚との通信を一旦オフライン。替わりに、頼れる同僚との直接通信を繋ぐ。
「
頼れる同僚その一の、凛として澄んだ声が通信機から聞こえてきた。
「火撫君の今いる位置から、隊長寄りに少し移動して。隊長の初動が遅れると思うから、カバーしてあげてね」
その声も、的確なアドバイスも、僕の心をしっかりと落ち着かせてゆく。
「了解。
「少し下がって、討ち漏らしを仕留めるよ」
頼れる同僚その二の自信のある声を聞いて安堵したその瞬間、空気が変わった。
体の隅々まで即座に張り詰める。
緊迫感そのものが気化して、この山一帯を覆っているのではないかと疑いたくなるような空気を鼻から吸い込む。
土の香が濃い。
突然の轟音。その正体は咆哮。山の頂から降ってくる獣のような唸り声は、明らかな怒気を孕んでいる。
来たか……
潜んでいた木から飛び降りて、僕は斜面を駆け上がり始めた。
山の村側に待機していた僕と隊長と
戦力差は甘々の試算で一対十五〜二十。悪寒の走る数字を作戦前のミーティングで告げられ、気温との相乗効果で震えが止まらない。
無意な思考と回想で頭を埋めながら走っていると、大きな竹藪に突き当たった。背の高い竹藪は、漆黒の壁の如し。
闇の向こう側から漂う気配。日本の野山の生き物を超えたサイズのナニカが蠢く音がする。他の皆からの報告が無いということは、一番槍を務めるのは僕になりそうだ。
眼前の闇から、僕の二の腕ほどの太さもある竹をへし折る音がする。そのどこか景気の良い音に、足がすくむ。
通信機をONにして、一呼吸。そして
「火撫、接敵しました。位置は六合目、Dの2の8です」
「こちら
「こちら
その言葉に一息つく間もなく竹藪を震わす咆哮。生臭い呼気と共に、嗅覚と聴覚を攻め立てる。
「隊長、戦闘の許可を!」
「おう!作戦コード87604と特別遊撃課長、
隊長の号令が言い終わる前に、体は既に動いていた。左腕の第二武装をアクティベートするコマンドを拡張神経系で伝える。
滑らかに左腕の肘から掌までが左右に展開。丁度左腕を縦に真っ二つにした様な格好になる。別れた腕の間から顔を出したのは大口径の銃身という物騒なシロモノだ。
竹藪の中の音源に狙いを定め、少ししゃがみ込む。太腿に移植された人工筋繊維に力が篭っていく。
体内で捻れ、渦巻く力を太腿に集め一気に解き放つ!
跳躍。
瞬時に高度十数メートルまで到達。上空の涼しい空気に周りを包まれる。吐いた息が月に照らされ白く光った。
斜め下眼下に広がる竹藪の中心に照準する。蠢く蜘蛛めいた影に左腕の銃口を向けた。
一瞬息を止め、神経接続トリガーに意識を集中。左腕の中に、意識の流れを確かに感じた。
マズルフラッシュが森を照らし、直後に銃声が聞こえた。眼下の影に向かって飛んでいく榴弾。やけにゆっくりと。迫る榴弾が近づき、近づき、……着弾。
強烈な爆風と衝撃が竹藪を揺らす。眼下の影は着弾時の閃光に照らされ、その禍々しい姿を晒したが、濛々と立ち込める煙にすぐに隠された。
気がつけば体がゆっくりと引かれている。
僕の体は重力由来の加速、
唸り声を上げる眼下の影に、空中で拳を振り上げる。夜の空気が耳元で啼くのが聞こえた。
金属と、シリコンと、強化プラスチックと、僕の知らないナニカで構成された僕の拳が、蓄えた運動エネルギーを、落下の勢いを、全力で叩き込む!
拳に伝わる衝撃。榴弾でヒビの入った背中を確実に打ち砕いた感触。痺れる腕から、相手の痛みが伝わってきた。
黒煙は衝撃で千々に吹き飛び、異形の影はその姿を晒した。
地震虫。その胴体は蜘蛛によく似ている。節くれだった八本の足や膨らんだ腹はB級パニックムービーの巨大蜘蛛そのもの。しかしそれらの特徴を、唯蜘蛛に似ているだけ、というレベルに抑えているのはその顔による影響が大きい。
顔は、蜘蛛ではない。どんな見方をしてもどの角度から見ても、蜘蛛ではない。
顔は『ドラコニス・シノエンシス』。中国のドラゴン、龍に酷似している。
地震虫はその巨体を土で汚した。榴弾と拳の連撃は、充分に致命傷になり得た様だ。
背中から飛び降り、動かない地震虫の顔のそばまで近づいた。
爬虫類的でありながらどこか獣のようでもあるその顔は、沸騰した殺意と食欲で歪んでいた。驚いたことにまだ意識がある。反吐を吐き、歯茎を剥き出しにし、こちらに凄んでいる。トドメだ。
龍の如き顔に、もう一度拳を叩き込んだ。
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地震虫が完全に沈黙したのを見届け、その場を後に走り出した。
今のは気の早い一匹狼に過ぎない。これからぶつかる相手はもっと厄介だ。腹を減らした地震虫の群れは非常に統率が取れている。
古来より、地震の原因は鯰であると言われることが多い。しかし、中には違う存在に原因を見出した人達も居た。
その原因が地震虫。
コイツらの鳴き声がすると地震が起きる。
コイツらが姿を現したら地震が起きる。
そんな言い伝えが各地に広まったのには理由がある。地震虫は本来地中に巣を作り、地上で餌を取って暮らす生活をしている。
彼らの主な天敵は地震。地下生活では、巣を崩され生き埋めになる危険と隣り合わせだからだ。
結論を言うならば地震虫達は地震予知をしているだけだったのだ。震源に近い地震虫が、僅かな揺れを察知し、鳴き声で伝える。そのリレーを繰り返す内に、地震虫の鳴き声は地震の原因とされる様になったらしい。
作戦前の、そんな講釈を何故か思い出していた。
今回叩いた地震虫のコロニーはかなり大きい。総数実に百匹超え。気の立った個体が一匹でも里に下りれば、一晩で壊滅的な被害を出すだろう。それだけは防ぎたい。
<< >>
通信機からノイズが、次いで少女の声が聞こえてきた。
「今海野さんから連絡が有りました!火撫さんの20メートル先に中規模の群れが居ます!接敵まで残り……もう10メートルです。」
9……8……7……6……。
太鼓を乱打する様な足音が響く。
左腕を、構える。
5……4……3……2……。
自然と足が動き、音のする方へ走り出していた。
1。
胸の内のカウンターが0を刻む間もなく、それらが視界に飛び込んだ。
7、8匹の地震虫がこちらに向かって来る。
ぶつかり合う様に走りながら左腕から一発、そのまま横に飛ぶ。
一射目命中。
逆さになった体を、右手で地面を押して逆立ちする様に跳躍。地震虫を飛び越えるように飛び、上空からもう一発。
二射目命中。
一匹目の地震虫を仕留める。
そのまま群れの中央に着地し、榴弾をバラ撒いた。神経接続トリガーが冴えている。
五射目で弾切れ。太腿のホルスターから抜いた新しいカートリッジと交換する。その隙を狙って振回される太い足をのけぞって回避。鼻先スレスレを通るその足を右腕で掴んだ。
地震虫の力と人工筋繊維の筋力が拮抗する。一瞬の停止を狙い、のけぞったまま射撃。腰に走る衝撃。榴弾は命中し、地震虫の足の付け根で炸裂した。
勢いよく上体を起こし、千切れかかったその足を強引に引きちぎる。粘つく透明な汁が断面から吹き出す。
千切った足を棍棒の様に振り回し、残り二匹を叩き伏せ、榴弾を撃ち込んだ。
気がつくと、顔中が粘つく汁に覆われていた。無味無臭だが、中々に気持ち悪い。腕で拭って顔を上げると、右方向に逃げていく三匹の地震虫が見えた。
マズい……。
まだ手に持っていた足を捨て、通信機にがなり立てた。
「隊長、地震虫が三匹そっちに向かいました!左からの接敵に警戒して下さい!」
「了解!」
ドッと疲れが襲って来る。戦闘は始まったばかり。夜はまだ明けず、村民の避難も完了しない。
何となくだが、嫌な予感が胸の内に巣食っていた。
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