18. 瀬戸 水行

「ねぇおじさん。おじさんって情報屋だったよね?調べて欲しい人が居るんだけどさ。良いかなぁ?」僕は顔に満面の笑みとも言い難い、何か企んでいる様な笑みを浮かべながら仕事の間にそう尋ねた。

「いいよ。誰かな?」おじさんは特に表情を変えずに了承してくれた。恐らくこの人は大した事では動揺しないのだろう。もっとも、次に僕が口から放つ言葉に対して、どのようなリアクションを取るかは不明だが、僕はどこか心の中で彼が表情を変え何かしらのリアクションをして来る事を期待していた。僕はもしかしたら、僕のしようとしている事を否定して欲しかった、止めて欲しかったのかもしれない。けれど、僕自身にも分からなかった。

「神崎四季って子の情報知りたいんだけど。可能かな?」僕が聞いているのは可能か否か。 この時点で彼はまだ全然断る事も可能だったし僕に調査の理由を尋ねてくるのも十分に可能だった。


「ああ。良いよ。いつまでがいいかな?」なのに、それなのに彼は何事も無かったかの様にサラッと答える。僕の希望通り、理想通りには行かなかった。人生なんてこんな物だ。神崎四季との1件も、今回も、産まれてからも。希望通りに行った試しなんて殆ど記憶に無いに等しい。

「有難う。期限は、来週末までで良いよ。特に情報の系統は希望無いから。」これ以上深く関わる必要は無いと僕は直感で考えた。彼は少なくとも神崎四季と親密な訳では無く、ただの依頼者と情報屋。彼の様子を伺った所で恐らく神崎四季とは殆ど関わりが無いだろうし、さっさと話を終わらせたいと思った。

「うん。分かった。じゃあ情報集まり次第連絡するね。」おじさんは相変わらず表情も変えずにそう答えると、奥の部屋に入って行ってしまった。恐らく、あの情報が沢山ある部屋に今回の依頼内容をメモしに行ったのだろう。


僕は今、店の中に大したお客も居らず暇だ。だから取り敢えず、サラミをスライスする事にした。冷蔵庫からサラミの塊を取り出す。冷蔵庫の中にあったサラミは脂肪の部分と外側の部分がしっかりと冷えていて手の皮を貫通しそうな程冷たく感じた。スライスした後のサラミを入れるケースを見ると、もう数枚しか入っていなかった。恐らく、メニューにあるおつまみのスライスの皿1人前分も無いだろう。

サラミに包丁を入れる。サラミはいつも通り硬いので、豆腐の様に軽く力を入れただけじゃビクともしない。少し手に力を入れて、包丁を動かすとサラミに切れ込みがスっと一筋入る。そのまま更に包丁を動かすと、いよいよサラミは塊から1枚の薄いサラミになった。

「おーありがとね。」背後から急に来られたのでビクッとする。近付いてくるのであればもう少し物音を立てて欲しいところだ。「急に来ないで。驚くでしょ。」僕が半分呆れた様にそう告げると、おじさんは相変わらずの軽い雰囲気で「ごめんごめん。」とだけいい、そのまま僕の隣に立つ。

僕はコロコロと変わる周囲の雰囲気に集中出来ずにいて、サラミのスライスをミスしてしまった。丸くならずに欠けてしまったサラミをまな板の端に寄せる。「いいよ、それ賄いに使うから。」おじさんは失敗したサラミを見てそう言うと、隣で賄いのメニューを考え始めた。僕は軽く礼を言い、またサラミを切るのを再開した。


「お疲れ様ーもう上がっていいよ。」それから来た客を接客し気が付けば閉店時間を過ぎていた。僕はおじさんが作ってくれた先程のサラミが乗ったサラダと、チーズのリゾットを食べていた。「うん、食べ終わったら帰るね。」僕はまだ温かいリゾットをお茶と一緒にグッと飲み込みながら、そう告げる。おじさんは何時も食べたい物なら何でも作るよと言う。おじさんの素性は知らない。ただ僕の事を異様に可愛がってくれる。

僕がおじさんの部屋を覗き込んだ事、今となって少し後悔しているがあれは仕方が無かったことだ。僕の職業柄知る必要があったんだ。仕方が無い。僕は自分自信にそう言い聞かせた。そうでも無ければ、今すぐにでも自白しそうだったからだ。

ただ、別にここで働きたい訳では無い。別に此処で無くても良いのだ。ただ、何となくここから立ち去るのが嫌だった。その理由はここに居たいと言うよりも、おじさんのこの優しさに甘えていたいと言う気持ちの方が理由としては相応しい気がする。そもそもそんなタチじゃ無いだろと言われればそうだ。昔から孤独に生きてきた。そんなタチでは無い。誰にも優しくされなくたって、生きてきた。

ただ違う。それだと、心のどこか片隅がどうにも誤魔化せずに空っぽなまんまで、何か足りないと思ってしまう。或る意味これは他人の優しさへの依存かもしれない。ただ僕はそれをそのままの形で自然に受けて入れていた。本来人間は他人の優しさを浴びせられるべきなのだろう。僕はそう気が付いた。


「今日はもう帰るよ。お疲れ様。」もうと言ってももう1時半をすぎ2時近い。十分夜更けているし帰るには十分な時間だ。僕はエプロンを脱ぎ、カバン片手におじさんにそう告てドアノブに手をかけた。

「あ、ちょっと待ってくれ。これ、持ってきなさい。」おじさんは僕の事を引き止めた。最初僕はおじさんを無視して帰ってしまおうかと考えたが、この間半分無視するような状態で帰ってしまったので、2連続無視のような行動を取るのは気が引け、その場で立ち止まり振り返った。

おじさんは僕に白いビニール袋を差し出す。恐らく情報では無いだろう。情報をビニール袋に入れて手渡すアホの様な情報屋ははこの世に存在しないと僕は少なくとも信じている。

「これ、何ですか?」自分の目で見れば良いのだろうが、自分で見るのも面倒臭かったし、自分で見たところで中に入っているものが理解出来ない物だったらどうせおじさんに聞くことになるので、僕は素直におじさんに問いかけた。

「フランスパンだよ。近所のパン屋さんから貰ったの。この間、向こうの冷凍庫が壊れた時にこっちのスペース貸した時のお礼だってさ。ほら、1人じゃ食べ切れないし水君まだ若いんだから沢山食べて欲しいでしょ?満足にお給料も渡せてないし。だから受け取って?」

僕はここまで言われると、受け取らざるおえなくなって、半分困惑しながらもおじさんから袋を受け取った。「それじゃあ、今度こそ帰るね。」僕はそう告げると、今度こそカバンとビニール袋を両手に持ち立ち去った。


「ただいまー。」同居人が居る訳でも無いので言ったところで何も返ってこないのは知っていた。玄関は電気を付けないまま暗い短い廊下を歩き、奥にある部屋に足を踏み入れる。相変わらず山積みになっていて整理整頓されていない資料と、最近ゴミを捨てていない為ゴミの溜まったゴミ箱、そして依頼人に依頼金として貰った多額のお金が入った封筒。

僕はその部屋の奥にある、クローゼットの扉を開いた。広くは無いが、一般的なファミリー層が使うようなサイズの物で、中には勿論洋服では無く拳銃や手榴弾、閃光弾などが入っている。違法、合法、改造品、自作、様々な種類の武器がここには入っている。

僕はその中にある様々な武器を一つ一つ手に取って眺めた。中には思い入れのある武器もあるし、作ったり買ったは良いが1度も使って居ない武器もあった。僕は1本のナイフを手に握った。このナイフの事は良く記憶している。

黒い持ち手に、刃先に少し赤黒い血液の様な物が付着したナイフ。その血液の様な物はもう乾ききっていて、指で触れても指に何も付着しないが、未だに生々しい記憶だけは僕の脳裏にしっかりと染み付いている。

僕はこのナイフで、愛しい彼女の腹部を深く刺した。死なない位の浅さで深く刺した。彼女への僕の一途な愛が伝わって欲しくて、彼女の腹部を深く刺した。彼女が愛を抱いていたであろう相手の所為にして、達成感で愛で満たされながら彼女の腹部を刺した。

ナイフに付着した血は軽くしか拭き取らなかった。血液と言えども、彼女の体の一部が付着しているナイフだ。どんな物よりも僕にとっては価値がある。それこそ、財布の中に入っている紙切れよりも遥かに。


僕はもう一度そのナイフをしっかりと握った。そして決めた。僕は、このナイフで彼女の腹部を刺そう。そして、僕はもう一度彼女に愛を伝えて今度こそ彼女を自分のモノにしようと。僕はあの日よりも、遥かにしっかりとナイフを握った。心にみるみる湧いてきたのは殺意とは違う、親が子供に向ける愛情に近い気がした。

もっとも、僕は愛を受けて生きてはいないので、親からの愛情がどのようなものなのか具体的には知らないけれど、僕が彼女に抱いている感情は少なくとも友情でも嫉妬でも無いと僕は思っていた。


僕は決めた。

明日1日、月下組の屋敷の前で張り込みをして門の護衛が手薄になるタイミングを探っておこうと。そして、手薄になるタイミングで屋敷の中に盗聴器を仕掛けてしまおう。と。

容易では無いのは知っている。何たってヤクザの屋敷だ。容易に入れる訳ないし、忸怩ればこの命を差し出すことになるだろう。ただ僕にとって、彼女は命よりも大切な物だし、命の引き換えでも良いから彼女を手に入れたい。そんな思いの方が強く、僕はそんな事微塵も怖いと思っていなかった。僕が怖いのはただ、彼女に嫌われ、捨てられる事だけだった。

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