16. 瀬尾 弦之介

「失礼します。」部屋のドアを叩く音が静かな部屋に響く。誰が来たのか声で分かった。「國澤だろ。入れ。」そう俺が告げると、ドアの向こうの彼は黙って入ってきた。俺がその男に視線を向けると矢張り國澤だった。昨晩の伊崎に何か動きがあったらのだろうか。正直報告が楽しみだ。

「何だ?報告か?」國澤に問いかけると、落ち着いた様子で「はい。」と答える。この様子だと大した事件は起こっていなさそうだ。正直大きな事件の1つや2つ起これば面白いのにな…と内心思っている。それは誰にも言わないでおこう。「話せ。昨日の伊崎の様子はどうだった。」俺はこの先彼の口から発せられる話がつまらなさそうだと直感で思ったので、煙草に火をつけた。

「昨日伊崎さんはシマにあるホストクラブの偵察に行かれました。」ただ、それだけの報告だった。それ以上でもそれ以下でもなかった。まるで誰かがコンビニに行ったことに関して告げ口された時の様なつまらない気分になった。「んで?何かあったのか?」何も無さそうだとは思ったが、何かあった場合面白いので一応何かあったのか聞いておく。案の定國澤は何も言わずにその場で俯いてしまったので、確認の為に「何も無いんだな?」と問いかけると、俯いたまま國澤は首を縦に振る。

「申し訳ございません………。」彼は俯いたままそう告げたが、そもそも俺は彼に対して怒ってない上に別に必ず何か情報を手に入れてこいと命令した訳では無い。このままだと俺が悪いみたいで嫌だったので、「別に。報告してくれて有難うな。」と言っておく。先に言っておくが、俺は彼の為に言った訳では無い。だったらだったで少し面白い気もするが、そんな事は断じて無い。“俺が悪いみたいで嫌だったから。”であって、全くもって相手の事は考えていない。本当だ。

ただ彼は、この言葉を何か勘違いした様で顔を上げると少し驚いた顔で此方をじっと見てくる。そしてそのままの顔で「ありがとうございます。」と威勢よく言うものだから思わず笑いそうになる。これ、完全に勘違いしてるな…と思いつつも面白いので取り敢えず聞かなかった事にしておく。ネタバラシをしたら面白くない。

「今日も監視を頼む。」彼にそう告げると、彼は威勢よく返事をした。恐らく、先程俺に褒められ味をしめた彼が、もう一度また俺に褒められたいと考えたのだろう。面白い奴だ。この間まで脅されでもしないと仕事しようとしなかった癖に。

「戻って良いぞ。」取り敢えず話は終わったのでそう声をかけると、彼は威勢よく「失礼しました。」と告げ部屋から出ていった。完全に浮かれている。俺は彼を見てそう思った。そして正直この程度で浮かれるのであれば、この世界に合ってないとは思った。


さて、話は変わるが明日が作戦を実行する日だ。伊崎を使い、笹塚を誘き出す作戦。本当はもう少し早く実行に移せば良かったのだろうが、それには情報が少な過ぎた。初期段階では向こうの存在所か生存しているのかどうかすら情報が無かった。

ただ善は急げという。情報が手に入れば直ぐに行動に移す。できる限り早く、できる限り早くこの件を終わらせなければならない。ここまで長引かせてしまったのだから。

俺は片手に日本刀を持ち、立ち上がる。明日に向け地下にある訓練場に行こうと思ったのだ。取り敢えず組員の誰かに相手をして貰おうと。

組ぐるみの問題で、俺が動かない理由もない。その上、過去に俺の知り合いだった人間と来た。久し振りに動くのでその為に準備が必要だ。折角笹塚の相手をするのだから漫然な準備が。手に握っている日本刀の音がカチャカチャと響く。刀の刃が鞘とぶつかり合って居るのだろう。


壁や床が1面コンクリートの地下の訓練場に足を踏み入れる。冬が近付いてきて少し冷えるが、今から格闘技やらで動くから直ぐに体は暖まるだろうし別に暖房の温度を上げなくても良いだろう。暖房も入れなくて良い位だ。

俺は日本刀を片手に近くに居た藤田に話しかける。「なぁ、藤田。俺の相手しねぇか。お前も良い訓練になるだろ。俺の相手するなんていつもじゃ出来ねぇし。」彼は一瞬鳩が豆鉄砲を喰らったような顔でその場に立ち尽くしていたが、数秒間が空いたあと「是非。是非させてください。」と元気良く答えたので安心した。恐らく俺が自分から訓練の相手になってくれないかと頼む事が不思議だったのだろう。

「んじゃ、やろうぜ。取り敢えず素振りして来るから適当に竹刀と俺の防具を用意しといてくれ。」藤田は暫く前から此処で練習していた様なので、体は温まっているだろうと思い竹刀と防具を取りに行かせる。俺はその間にこれから戦うのに備えてウォーミングアップを始め、体、特に肩を温める。


「取ってきましたよー。兄貴の防具と竹刀。」藤田は俺の防具を持って来てその防具と竹刀を俺の目の前に置くとそのまま立ち上がり、防具置き場に再度戻って行った。恐らく、彼は素振りだけしていて掛かり稽古などはしていなかったので、自分の防具は奥の部屋に置いたままなのだろう。

俺がウォーミングアップを終えた頃に丁度彼は自分の防具を持って此方に戻って来た。取り敢えず水分補給をし、防具を装着していると「今日はよろしくお願いします。」と丁寧に挨拶された。そういえばこの青年と剣を交えるのは実に数ヶ月ぶりで彼がこの組に入った時が最後だった気がする。

「おう。よろしく。」俺は適当に返事を返すと、丁度防具の装着が終わったので立ち上がる。久し振りに防具を全身身につけ剣を握った気がする。とても新鮮な気分だ。周りの世界が違って見える。

俺が何かに浸っていると、彼も防具の装着を終えた様で竹刀を片手に此方に向かって来る。


「んじゃ、始めるか。」久し振りの組員との練習。最近していたとして、1人でする事が多かった。若しくは自分の一番信頼している伊崎と一緒にしていた。ただ今日の俺は彼を誘う気は全く無かったし、彼としたいと微塵も思って居なかった。それどころかそこら辺にいる適当な組員としたいとまで思っていた。

「はい。」今の相手は藤田だ。伊崎の事も笹塚の事も考えるのは辞めて1度相手に集中する事にした。伊崎の顔を見ると笹塚を思い出して、必ずと言っていい程脳内に思い浮かべてしまうから伊崎とはやりたくないと思ったのかもしれない。

「普通に行くか。掛かり稽古でも。」藤田は1度面越しの表情で難色を示したが、その後直ぐに「はい。」と威勢良く返事をすると剣を構えた。俺も、彼がやる気になり安心して剣を構える。審査員も、部活の顧問の先生も、部長も居ないが、取り敢えずノリで「ようい。始め。」と高校生のノリっぽく言ってみる。


すると途端に、少し静かだった訓練場に獣の様な声と防具と剣、剣と剣がぶつかり合う音が響く。掛かり稽古は簡単に言うと、受ける側と攻める側に別れてする稽古なのだが、取り敢えず俺は先に受け手側をした。受けながら、藤田が以前よりも上達していて少し感動した。これからも頑張って欲しいと思う。

暫くして、30秒でセットしたタイマーの音が響く。音を聞きピタリと止まった藤田は防具を外さずに「どうでした?」と聞いた。恐らく、自分の攻撃に対してどう思ったか、改善点は有るかなどを聞きたいのだろう。

「ああ、前よりも上手くなったと思う。ただ、攻撃に夢中になって胴の隙が有り過ぎる。腹、刺されんぞ。」俺は思った通りの事を口に出す。藤田は一応こっちの世界の人間であるし、精神的に強い青年では有るので、これくらい言った所で人前で泣き出したりする事は無い。今もそうだ。彼は「了解です。胴の隙ですか。」なんてご律儀にノートを撮ってきては、面と篭手を外しノートにメモを取っている。この向上心が彼の魅力かもしれない。


「さぁ、兄貴の番ですよ。」そして彼はまた面や篭手を装着し、今度は俺の番だと受ける準備をした。手に力を入れ確りと竹刀を握る。「ようい、始め。」彼は俺にも聴こえる様に声を張って告げる。別に俺の耳が悪い訳でも無いのにと内心思うが、彼なりの良心だろう。否定はしないでおく。俺は過去の部下は殺そうとするが、他人の良心を踏みにじる程悪人では無い。

剣を持つのは久し振りだった。いや、正しくは竹刀を持つのは久し振りだった。以外にも、日本刀より少し重みを感じる竹刀を綺麗に勢いよく振り上げ、振り下ろすのは意外と難しい。


暫くしてまた30秒が経過した様でタイマーが鳴る。「どうだった?」藤田が正直に言ってくれる事を期待して問いかけた。勿論、正直に言ってくれる確証は何処にも無かった。「実践に使うのであれば………もう少し振りかぶるのから振り下ろす迄を素早くした方が良いのでは無いでしょうか。」彼は緊張した様子で答えた。その言葉を聞くと、彼を自分の組に入れて良かったと思った。

「そうか。ありがとう。」俺が礼を言うと、彼は特に表情を変えずに一喜一憂せずに「はい。」とだけ答える。この男も面白い。先程の國澤とは正反対だ。同じ門番で同じ時間にシフトが入っている者がここ迄正確に違いがあるにも関わらず、関わり合えるのも尊敬ものだ。



それから俺と藤田は2人で稽古を再開し、暫くの間稽古に勤しんでいた。

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