15. 笹塚 聖良

2人の間には無言が続いている。普段から寡黙な2人であったので仕方が無い事かもしれないが、もう約数十分も無言で歩き続けている。然し、それを気不味いとはお互い片時も思って居ないだろう。普段からお互いどちらかが話を降らない限り話さない。お互いこの沈黙には慣れている。

ただそれでも、先程の事があったので聞きたいことが口を開けば溢れてしまう程山ほどある。ただ今は外だ。外で聞くのは得策では無い。答えたくない様な事を聞いた時に逃げられる可能性だって十分に考慮出来る。だから俺は神崎と話すのに部屋で一体一で話すべきだと思っている。だから、いつもより少し早足で屋敷の方へと足を進めた。


屋敷に着くと、1部の組員達が心配そうに此方を見ている。神崎と伊崎の出来事は知らない筈なので、恐らく俺が敵の組の若頭である伊崎と落ち合った事に対して心配しているのだろう。

使用人の横を通ると「今日はお帰りが遅かった。」等と小言が聞こえる。いつもならそれにイライラして問い詰める所だったが、今日はそれ所では無い。それよりも先に神崎の口から直接、事の経緯を聞きたかった。

取り敢えず神崎の手を引いて、自室に足を踏み入れる。「そこに座れ。」俺は普段腰掛けている椅子では無く、2人がけのソファーの片方に座った。丁度向かい側が空いているので、神崎に座る様に勧めると彼女は素直なのか何も言わずに腰を下ろした。


「い゛っ…。」神崎の細い手首を俺の大きな手で掴む。ホストクラブに居た時から彼女の手首に対して多少の違和感は抱いていた。彼女はホストクラブで俺に腕を握られた時に少し表情を歪めた。痛みを堪えるようなそんな顔をした。

「怪我、してんだろ。」恐らく彼女は右手首に怪我を負っている。原因は知らないが、恐らく道中でならず者に襲われたか何かだろう。彼女は追求されなければ最後まで隠し通そうとしたに違いない。案の定彼女は小さな溜め息を吐いた。

「ほんの少しですよ。ほんの少し。軽く捻っただけです。数日すれば回復します。」彼女は俺の腕を振り切ろうと、腕を思い切り振ったが俺の手でがっしりと掴まれた彼女の細い手首は離れる事を知らず、更に痛みが走った様で彼女は歯を食いしばり声を押し殺した。

「大丈夫には見えねぇよ。良いから見せろ。」俺が今でも彼女手首を離す気が無いので諦めたのか、「ジャケット脱ぐので1回手を離してください。」と告げる。俺は別に彼女の事を疑っては無いしただ心配なだけだ。彼女にジャケットを脱ぐ意思があるのなら別に手を掴んでる必要は無いと手を離す。彼女は諦めた様子で、ジャケットを脱ぐとそのジャケットをソファーの自分のすぐ隣に置く。


ジャケットを脱いだ彼女の右手首には赤い…と言うよりももう紫色に変色し始めている手形の痣があった。アホ野郎。と言ってやりたくなったが、その言葉を喉の底に押し殺して、「おい、誰か救護班の奴を呼んでこい。」と少し大きめの声で部屋の外にいる使用人に声をかける。

その間彼女は「別に…そんなの良いですよ。」と俺を止めようとするが俺はそれをお構い無しに使用人に医療班の奴を呼びに行かせる。「お前も俺にとっては大切な組の一員だ。」彼女にそう告げると困った顔をして、斜め下を見てしまった。彼女は言い返せなくなってしまったらしい。


暫くまた二人の間に静寂が続く。俺にとっては気不味くも何でも無かったが、彼女にとっては気不味い静寂だろう。彼女と俺は医療班の組員が来る迄の間、目を合わせる事は無かった。

医療班の組員が部屋に到着すると、彼女の手首に軽やかに手早く包帯を巻いていく。彼女は矢張り丁寧で自分の部下である医療班の組員達が立ち去る際にも「ありがとうございます。」と丁寧に礼を告げた。

「我慢は良くないからな。怪我をしたら言え。」少々キツくなってしまったかもしれないと口に出してから思ったが、再度顔を上げ此方を見た彼女を見るに、彼女がただポーカーフェイスなのかは不明ではあるが、取り敢えずなんとも思っていない様だ。


「話の本題に入る。伊崎とお前に昔、何があったのかを正直に教えてくれ。お前目線の話で良いから。」はっきり言った。聞きたい事を濁す必要も無いと思った。濁した所で大回りになるだけだろうと。彼女は矢張り口を噤んだ。何も言わずにただ此方をじっと見ていた。彼女は此方の出方を見ているのだろうかと思えてしまう程に無言で此方を見ていた。

「そんなに嫌なら、立ち去れ。そして二度と顔を見せるな。」俺は口を開かない彼女を試す事にした。彼女は此処で組に対する忠誠を見せるのか。

それとも、組を捨て話さない代わりに自分だけ逃げるのだろうか。

彼女はその場に暫く無言で座っていた。立ち上がる事も無かったし、口を開く事も無かった。彼女は相変わらずただ無表情のままだった。顔から読み取れない感情。彼女は今何を考えているのだろう。


「話を始めろ。」試しにそう告げてみる。そう言った所でこの状況が打開されるとは微塵も思って居なかったが、打開される可能性もあるのでは無いかと期待を胸に告げた。

息の通る音がした。彼女はゆっくりと口を開きそして深く息を吸った。ゆっくりと目を閉じ、開くのを繰り返した。「………あれは約2年程前の事でした。」彼女は弱々しい、何か物音があればかき消されてしまう程の小さな声で語り出す。


約2年前、神崎四季と伊崎蒼は繁華街で出会ったらしい。その時丁度中学一年生だった彼女は父親とその再婚した妻である義母と、父親と義母の教育方法が可笑しいというのを理由に、距離を取っていたそうだ。

その時に自分の本当の母親に繁華街で再会したらしい。だが、母親は既に彼女の教育を投げ出して居ただけでは無く、パチンコやホストに明け暮れて自分の実の娘である四季に見向きもしなかった。彼女はもう既に母親と再会した時点で何処かに逃げ出したいと考えており、実の母親と出会った数日後に父親と義母に何も言わずに何も持たずに家を飛び出したそうだ。

勿論、中学校に通うのも辞めてしまったし、1文無しで家を出てきてしまった為、満足に食事を食べる事も出来ず適当に拾い食い等をする日々だったそうだ。彼女に救いの手を差し伸べる人間は現れず、とうとう食べる物も尽きて道端で死にかけて居た時、伊崎が彼女の前に現れたそうだ。

伊崎はその時、丁度不知火組の組員で神崎が毎日寝泊まりしていたボロ屋から少し歩いた場所にある不知火組の屋敷に住んでいたそうで、丁度通りがかった伊崎が彼女に対してありったけの飲み物食べ物と新しい服を与えたそうだ。

それから彼女は瀬戸という男に出会う。どうやら瀬戸という男は伊崎と過去に関係がある様で、伊崎の事を慕っていたらしい。


初め俺は何故その瀬戸という男の名前が神崎と伊崎2人の過去話に浮上して来たのかが理解出来なかった。伊崎と神崎の因縁なんて大したこと無い内容だと思っていたし、第三者が関わっているなどと到底思ってもいなかった。


そして事件が起きたのは約半年前。5月の話らしい。四季は繁華街で男に誘拐された。初めは見知らぬ男だと思っていたらしいが、暫くしっかりと男の顔を見て神崎は思わず「瀬戸さん?」と彼の名前を問いかけたらしい。

縛られた彼女の顔を覗き込んで居たのは先程の話に出てきた瀬戸という男に違いは無く、その瀬戸は彼女に告げたらしい。「伊崎君の命令だ。問い詰めるなり、追い詰めるなりするなら僕では無く彼にしてくれ。僕は何も知らない。」と。


瀬戸という男がどれ程信頼に値する男かは俺は知らないが、彼女が彼を信じるの言うので有れば本当なのだろう。ただ俺には、伊崎が神崎を襲わなければならなかった事情も、理由も予想が付かないし考えられ無かった。だからこそ、俺は「瀬戸という奴を過信せずに、少しは疑えよ。」と助言した。

彼女は「勿論です。今瀬戸に関しても調べています。個人的にはまだ引っかかる部分があるので。」と答えたので、俺は内心安堵したのと彼女を側近に置いて良かったと心の底から思った。

もし彼女が、微塵も瀬戸に関して疑う事をせずに自分の被害という事実だけで瀬戸を過信していれば、彼女を側近の座から下ろそうと考えていたかもしれない。それ程に俺はこの世界に他人に対する『疑い』は大切だと考えていた。


そして彼女の話にはまだ続きがあった。彼女は誘拐された後何もされなかった訳では無く、その瀬戸と言う男に腹をナイフで深く刺されたそうだ。そして彼女を解放した。

そこで俺は疑問に思った。解放するのにナイフで刺す意味が分からない。仮に解放するのであれば、何もせずに解放した方が良い。自分から証拠を残しに行くことになるからだ。

それに、彼女を傷付けるのが最初から目的であれば何も誘拐する必要も無い。逆に誘拐すれば、その分罪を重ねる事になるので、カタギでもそうでなくても後々の処理や警察に捕まった場合の罪が面倒な事になるだけだ。俺なら、腹にナイフを刺したいのであれば、彼女を誘拐せずに彼女の腹にナイフを刺すだけ刺して逃げるだろう。


「そうだったか。」俺は全て神崎から話を聞いてこの件において様々な疑問点を見出した。恐らく俺の予想では伊崎から話を聞いた所で2人の間に全くもって交わらない部分が発生するだろう。

そこを上手く解き、解決し仲介するのが恐らく今の俺の立場であり俺の役目だと思う。それなら俺はこの立場を、この役目を全うする以外彼女達のこの問題を解決するのに協力する術は無い。俺はそう確信した。


「1つ神崎に連絡だ。伊崎と話した時に聞いた話だ。彼奴は敵とはいえ俺の過去の仲間だ。信じてやってくれ。」俺はこう前置きを置いてから話を始める。こうとでも言わないと彼女は今から話す内容のソースを確実的に求めると思うし、伊崎から聞いた等と言うと絶対に疑ってかかるだろう。

「俺、実は不知火組の組長に命狙われてるんだ。今度、不知火に呼び出されて出かける機会があって、その時にどうやら刺客によって俺を殺す予定らしい。そこで1つ頼みがあるんだ。聞いてくれるか?」彼女の様子を伺う。もし拒否するような反応や態度を示したらこの提案を彼女にするのは辞めようと考えた。

「何でしょう?」彼女は真顔で特に表情にも態度にも何も示さずに淡々とまるで作業の様に問いかけてくる。普段の彼女と全くもって変わら無い。俺は内心安堵しつつ話を進めた。「お前に俺の護衛を任せようと思う。勿論、護衛に他の組員を付けるがお前中心で俺の護衛をして欲しい。」彼女は俺の言葉を聞いて、喜ぶ訳でも驚く訳でもただただ「はい。」とだけ答えた。

彼女のこの言葉を了承と取って良いのかは分からないが、恐らくこのリアクションを了承と取っても良いだろう。彼女はそれ以上言わなかったし、特に嫌な顔もしなかった。

「時間と場所は後日教える。今日はもう遅いから休め。」部屋の時計の針は深夜の1時を指していた。もう十分に夜は更けた。彼女の様な年齢の人間が起きている時間では無い。

彼女はまた「はい。」と短く返事をすると、「失礼しました。」と一言告げ最低限の物音しか立てずに静かに彼女は部屋から出ていく。


部屋の中が静かになる。取り敢えず伊崎にも事情を聞きたいと思い、彼のメールアドレスに『神崎と伊崎の過去の件について教えて欲しい。直接話すのは正直叶いそうに無いので、メールで送ってくれ。成る可く早く。』と送る。

文字を打ち終わると眠気に襲われる。ここ数日きちんと寝ていなかった気もする。この服装のままで寝る訳が行かないので、着替えなければと思うが、取り敢えず1回座ろうとソファーに腰かかると、強い眠気に襲われてそのまま目を閉じた。

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