13. 神崎 四季
「昼間は有難う。ちょっとした物だけれど、これ。貴女に。」昼間にピンポンダッシュを頼んだ浅村という女の組員に礼のつもりで適当に昼間帰り際に買った髪飾りを渡す。ただのシンプルな黒い髪留めだ。私は彼女の食べ物の好みなんて知らなかったし、彼女が普段どんな物を好いているのかも知らなかった。
だから彼女の少し長い髪の毛を見て髪留めを贈ることを思い付いた。
「有難うございます。」彼女は私から袋を両手で受け取るとその場で開けずそのまま片手で握っていた。恐らく彼女はこの部屋にいる限り私からの贈り物を開ける事は無いだろう。
私は彼女に早く自分からの贈り物を見て欲しい一心で「部屋に戻って良いわよ。」と彼女に声をかけると、彼女は珍しく少し浮き足立った様子で楽しそうに私の部屋から出て行く。私から贈り物を貰ったのが相当嬉しかったのだろう。行動に感情が現れやすいので分かりやすい。
彼女が部屋を去った後、昼間のカメラのメモリーを整理しておく事を思いついた。恐らく、もうカメラのデータは全てパソコンに移してしまったのでカメラ本体のデータを残す必要は無いだろう。取り敢えず今後必要が無さそうな写真を全て消してしまおうと、カメラの電源を立ち上げ1枚ずつ写真の精査を開始する。といっても普段から写真を撮る環境にあった訳では無かったので大した写真も無かった。
入っていた写真は、瀬戸の写真と本当に短い間しか居なかったが何故か孤児院の人が自分を撮ってくれた写真。誕生日の時の写真だろうか。少し俯き気味にHappy birthdayの文字が書かれた帽子を被り写真に写っている。写真の中の私は笑っては無かった。無表情。これに尽きる。
他にカメラロールに入っていた写真といえば、風景画像ばかり。昔の私は風景画像を撮るのが趣味だったのだろうか。記憶喪失では無いが、その様なものが自分の趣味だった記憶は全くもって無い。綺麗なのか、上手いのかは別として趣味だとすれば悪い趣味では無い。特に夕焼けの写真が好きな様でカメラロールは1面夕焼けに染っていた。
そんな少し昔、といっても1ヶ月2ヶ月前のことを思い出し懐かしんでいるとスマホの着信音が鳴る。どうやら誰かからメールが来た様だ。どうでも良いメールだったら無視しようかと取り敢えずスマホの画面に表示された宛名を確認すると、『組長』の文字。自分に何か緊急の用事があったら大変だと思い、取り敢えず面倒だがメールを開く。
『例の昼間に送った地図の場所に来てくれ。若頭宛に使いを頼まれたと告げれば入れるらしい。今同席している奴にそれなりに小綺麗な格好で来る様にと言われたのでそうしてくれ。』
メールにはそう書かれていた。確か、昼間のメールに添付されていた地図には近所の繁華街のホストクラブが書かれていた筈。組長は本当にそこに居るのだろうか。正直自分の中では一定の疑いを持っていたが、自分の選んだ組長だ。もし裏切られたとしてそれは従うと決めた自分の責任なので、取り敢えずメールに書かれている通り、それなりに小綺麗な格好に着替えることにした。
取り敢えず繁華街に行く為、何時命を狙われても大丈夫な様にジャケットは絶対に来て行くことにした。ジャケットには内ポケットが付いていて、いつもそこにナイフを隠している。今持っているナイフは少し前に武器の無い私が組長から拝借した物だが、持ち主では無い私にとっても凄く使い心地が良い。恐らく何らかの拘りを持って作られたのだろう。
ただ小綺麗な格好と1口に言っても、普段小綺麗な格好をして出掛ける経験等無かったので、よく分からない。取り敢えず着替える前にある人を呼びに行く事にした。この人ならきっと私の格好を決めてくれるだろう。
「浅村、今から着替えて出掛けるのだけど小綺麗な格好をして行くの。決めてくれないかしら?」私が先程渡した髪飾りを付けた浅村は自分の部屋の前で困った顔をする。だがその様な顔をされても私が困る。私は今彼女に聞かなければ聞く人が居ない。暫くの間彼女をどう説得しようかとその場で立ち悩んでいると「仕方が無いです。組長を待たせる訳にも行きませんし。お部屋に移動しましょう。クローゼットの中を見てみます。」彼女は冷静な様子でそう告げると自分の部屋のドアを閉じ、ドアに鍵をかけた。
2人で私の部屋に戻ると、取り敢えずクローゼットを開いてみる。普段自分の着替えは決まった物ばかりで、部屋のテーブルのすぐ側に置いてしまうので、良く考えればここに来てからクローゼットはあまり開いて無かった。それ故に、中に入っている洋服や靴を確りと見た事が無かったので、意外に中に沢山の服が入っており驚いた。
「此方とかどうでしょう。」少し俯き気味で彼女がクローゼットから引っ張る様に取り出したのは黒い少しフリルの付いたワンピース。所謂ミニワンピといった所か。誰の物なのか知らないが、恐らく私の部屋にあるということはこの屋敷のオプションか、組長か誰かからの贈り物だろう。
取り敢えずこの部屋にあったということは自分のものには違いないと私は礼を浅村に告げ「着替えるから一旦出て貰える?」と声をかけ、と部屋から人払いした後着替えを始める。適当にクローゼットから薄めのデニールのタイツを取り出してミニワンピの下に着るとしよう。このまま何も履かずに街に出るのは正直心許ない。
ワンピースは身につけるととても体に調度良い。誰からの贈り物か知らないが丈も肩幅も全てが調度良い。ただ普段からこの様な少し露出度の高い服を着る訳では無いので少し恥ずかしい。浅村を呼ぶ前にタイツとジャケットを身につけた。
「わぁお似合いですね。」部屋に響く少し喜ぶ甲高い女性の声。女子高校生かとツッコミたくなったが良く考えれば女子高生なのは自分。何も言うことは無かった。「ありがとう。可笑しく無いかしら?」普段はパンツスタイルの為、着慣れないワンピース。自分に似合わない事は無いかと自分の見てくれを気にして思わず問いかける。
「可笑しくないですよ。毎日この格好で居て欲しい位です…。あっ、すみません。思わず……。」彼女は笑いながら初め言っていたが、途中で焦った様子で口を噤み此方の様子を伺う様に視線を向けて来る。私の気に触ったとでも思ったのだろうか。ここは何と言うのが正解なのだろうか…。人との関わりが少なかった私は、この様な場面に出会った経験は少なく対応にも慣れておらず、内心これで良いのだろうか…と思いつつ「可笑しくないなら良いの。ありがとう。」と礼のみを告げる。
するとどうだ、彼女はほっとした様子でその場に立っている。彼女の様子を見るにどうやら私の対応は正しかった様だ。「出掛けるから東尾と園田を呼んできて。護衛の仕事だってね。」そのままいつも通り、自分の護衛である男達を呼ぶ様にと浅村に告げる。本当は浅村にこの仕事をさせたいのだが、今日は私もこのような格好だ。念には念を入れなければならない。浅村、彼女には申し訳ないが今度の機会に自分の護衛をさせようと思う。
暫くして準備を終えた私が1人、玄関で待っていると東尾と園田がスーツを着て歩いて来る。「何方迄?」体が兎に角大きい東尾が私の頭上から問いかけるが、私は話す必要は無いと無視し、「着いてくれば分かるわ。」とだけ告げ、そのまま黒いブーツに足を捻り込む。別にキツイわけでは無い。この靴が異常な位に自分にフィットしようとして来るからだろう。
ドアを少し開ければ矢張り冬の外気は冷たい。取り敢えず、ジャケットの内ポケットに入っていた黒い皮の手袋を手に嵌める。外は少し賑わっていた。すれ違うのは大人ばかり。自分か浮いて見える気がする。いつも通り少し離れて自分を追う護衛達2人の存在を確認し私は繁華街に足を進める。
相変わらず賑やかな繁華街。もう日付も変わる時間だと言うのに、酒臭い男や化粧臭い女に何度も何度もすれ違う。ここまで人と出逢えば知り合いとすれ違っても可笑しくは無いのだが、流石に会うことも無い。会ったとして、私のクソみたいなホストに溺れた母親か瀬戸か、伊崎か……と言った所だろう。それこそこの時間で繁華街で出会う様な人物は社会的に普通では無い。下手すれば社会不適合者の域に達していると私は思う。
早く目的地まで歩いていってしまおう、と少し早足で歩き出す。特に何があった訳でも無い。ただ、さっさと頼まれた仕事を終わらせ屋敷に戻りたいと思っただけだ。何しろ今日は寒いし、もう早めの忘年会をしているのか知ら無いが道端で今にでも寝てしまいそうなサラリーマンだって居る。こんなにも汚い街にずっと滞在していたいとは誰も思わないだろう。
暫く歩いていて、丁度少し人の少ない場所に差し掛かった時自分の目の前の方から如何にもチャラそうな男2人が歩いて来て、「おねーさん遊ばね?」と声を掛けてくる。こういうナンパが今でも流行っているのだろうか。呆れる。された側の女性は嬉しくも何とも無いのに。ナンパされて嬉しいのは男性が女性にナンパされる逆ナンパだけだろうと思い、半分呆れながら相手に「遊びません。」と答える。
それでも矢張り諦めてはくれない様で、男の方は2人でしつこく「遊ぼう、遊ぼう」と声を掛けてくる。次第にお金や食べ物など金銭や物で釣るようになって来て、益々怪しい匂いしか感じない。着いて行く気は無い。という事実を何度伝えても何度もしつこく誘ってくる。
「こっちおいでよ。」背の高い金髪の方の男性は、ヤニで黄ばんだお世辞にも綺麗とは言えない歯を剥き出しにして笑いながら私の腕を思い切り掴む。「痛っ。何すんのよ。」思わずもう片方の手をポケットの中に突っ込み、何時でも反撃出来る様にナイフをキツく握る。男の方を睨み付け、その場で踏ん張り引っ張られない様にしていると背後から肩にぽんと手を置かれる。しまった。男達2人の仲間だろうか。私は背後を見れないまま、その場に硬直した。
「俺らのツレに何してるんすか?」自分の頭上から聞こえる声。その声は何度も聞いた事がある為聞き覚えのある声。ふと声のする方を振り返る。「東尾………。」声の主は東尾。私が先程護衛として連れて来た男だ。大きく少し荒れたゴツゴツした肩で重量を感じる手で、しっかりと押さえられた私の体。「ちぇっ。ツレが居たのかよ。おい帰るぞ。」男達2人も東尾が私のツレだと確信したのか、金髪の方の男性が掴んだ手をパッと離しそのまま繁華街の方へと走っていってしまった。
「大丈夫でしたか。姉貴。」直ぐに東尾は私の肩から手を離すと心配そうに掴まれた方の手首を見詰める。少し痛みはあったが、道は薄暗い為赤くなって居ても気が付かれはしない。なので、「ええ。平気です。助かりました。有難う。」とだけ平たく礼を言っておく。こうすれば満足するだろうし、これ以上余計な心配はしないだろう。
「姉貴、兄貴が心配しますよ………。」周囲の騒がしい賑やかな声や物音で掻き消されそうな位に弱々しく園田は呟く。私は彼の言葉に何とか耳を傾けて言葉を拾うと「組長には黙っておいて頂戴。」とだけ告げまた歩くのを再開する。成る可く早く目的地に辿り着かなければ時間が遅くなってしまい、無駄な心配をかける事になり、情けない事に先程の1件も組長の耳に自分の口で告げなくてはならなくなると考えたからだ。
それから3人で殆ど何も語らず暫く歩いて、入ったのとは逆側の繁華街の入口辺りに黒いマンションの様な物が建っており、その建物の1階部分にはメールに添付されていた住所にあるホストクラブの出入口と瓜二つの出入口が在る。「貴方達は先に帰りなさい。何かあったら呼ぶわ。」従者2人に先に帰るようにと告げると2人は命令に逆らうこと無く、そのまま踵を返し来た道へと戻っていく。
一応彼らの人影が見えなくなってから、私は1度深く息を吸いドアノブに手をかける。ホストクラブに関しては嫌な記憶しか無い。私の母親はホストクラブやギャンブルに依存する情けない母親。ホストクラブに金を使う為に自分の子供の教育を放棄した母親。過去に私に自分の理想の完璧を押し付けたにも関わらず私を捨てた母親。本当に嫌いだ。母親も、父親も、妹も。本当に私は彼らが嫌いだ。
深く吸った息を全て吐き出す。これで無になれた気がした。今は任務。私は何も考え無い様にただ冷静にドアを開ける。「いらっしゃいませー。」と派手な店内に少なくとも顔は良い男性達の声が響く。入口のすぐ目の前が会計兼受付の様で、そこには少し童顔の青年が立っていた。微妙に愛想が良いその青年に「若頭様に使いを頼まれました。若頭様は今何方に?」私は只只事務的に青年に問いかける。
私の要件を聞き、青年はカウンターから出てくると、口の前に中指を立ててシーっのポーズをすると手招きし、部屋の奥の方へと足を進める。私もその青年の後ろを何も言わずに着いていく。青年は若頭という男の知り合いなのだろうか。となれば、この青年も別の組の人間なのであろうか。様々な考えが脳内に浮かぶが今は何も言わずに青年の背中を追う。
「此方です。」青年はスタッフルームの手前にある、1つの大きな扉の前で立ち止まる。どうやらその部屋には鍵がかかって居るようで、青年が何やらスマートフォンでメールらしきものを送っている。きっとその若頭宛だろう。メールらしきものを送信し、暫くするとドアの鍵がガチャりと開く音がする。
すると青年は何も言わずにその場から離れていく。私は青年に何も言われない儘、その場に立ち尽くしていたが入れという事だろうか。ドアノブに手をかけ、ドアをそっと引く。ドアの隙間から部屋の中の人間と目が合った。1人は組長。化粧をしている。もう1人は………。
もう1人の男にドアを閉められる前に入ろうとドアを勢いよく開き部屋に飛び込む。部屋のドアは乱暴に閉まると、ガチャりと鍵のかかる音がする。
「お前が何故此処に居る。伊崎。」
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