10. 瀬尾 弦之介
先程の伊崎の態度。凄く気になる。彼は俺に何かを話そうとして辞めた。いや、それだけでは無い。伊崎は普段人の話を適当に聞くような人間では無いのに、今日の彼は何処か上の空で終始意識が変な方向へと飛んでいた気がする。
正直俺は彼を、自分の組の若頭を疑っている。彼が笹塚と旧知の仲で仲が良かったからという訳では無い。彼が不知火組の人間として、1人の駒として動くにはあまりにも今回の件は、あまりにも彼の私情……彼の感情の様な物が関わり過ぎている気がする。
だからこそ多分俺は彼を疑っている。自分の1組員としての利用価値よりも、自分の私情である過去を大切にするのでは無いかと。彼にとって今よりも過去の方が大切で彼の過去の友人であった笹塚を彼が擁護し庇うのでは無いか…と。
此方としても伊崎の様な優秀な人材を失うのはきつい。伊崎は昔から様々な面で組に役立っている。
例えば、情報収集。彼は情報収集に優れていて、組の雇った情報屋より早く情報を手に入れ共有する事が出来る。他にも武術に長けているので要人や組長の護衛に最適であるし、それなりに礼儀もなっているので客人の対応も任せることが可能。性格の方は変わり者と表現する他無いが、組の人間としては申し分ない男で今現在、不知火組の戦力を彼が大半担っているし、おそらく彼がこの世界やこの組から逃げればこの組にとって結構な驚異になると思う。
「國澤を呼んでこい。」少しの間一人で悩んだ挙句、結局は自分の側近に伊崎の監視をさせるという考えに至った。何度も言うが彼を信じて居ない訳では無い。ただ、彼が心配なだけだ。彼が笹塚と俺の板挟みになって苦しい思いをしないかと心配なだけであって…… 。
もし俺が彼を少しでも疑っていたとして、俺は疑っている事を認めないだろう。それを認めてしまえば彼もまた『組が殺すべき人間』として対象になってしまうからだ。個人的に俺は伊崎の事が好きだった。恋愛感情というより、彼自身の彼の物事に対する考え方、彼の感性が好きだった。言い換えるのであれば、彼自身に惚れているといっても過言では無いかもしれない。彼自身に惚れていたからこそ、まだ若い彼を若頭につけたのかもしれない。
「失礼します。……兄貴?」そのような事を考えている間に、國澤がこの部屋に辿り着いていた様で心配そうな顔が此方に向いているのに気がつく。どうやら彼が来るまでの少し長い間、俺は1人で物思いに浸っていたらしい。自分らしくは無いなと思いつつ目の前の國澤を呼び出したのは自分だ。取り敢えず目の前にあるソファーに腰かけるように命令する。この心の1部で伊崎を崇拝している様な男のことだからきっと、ちょっとした命令程度の話でも話が長くなってしまうだろうと俺は考えた。
「で、話って何ですか。」話を切り出してくるのは向こうから。大体いつもそうであった気がする。いつも俺が話始める前に彼は話が何なのかを急かす。別に急かすのが悪いと言いたい訳では無いが、此方にも此方のリズムというものが存在しているのだ。正直そこを考慮して欲しい。
「國澤、お前に頼みがあるん」「本当ですか。」話を遮るのは本当にやめて欲しい。このあと相手が重要な事を言う可能性があるなどとは考えられ無いのだろうか。彼が無学なのは知っていたがこれでは今度礼儀を鍛え直さなければならないと思った。
「本当だ。話は最後まで聞け。」毎度毎度言わなければならないのが本当にイライラする。ポケットからライターと煙草を取り出し、煙草の煙を深く肺に届く様に吸い込む。煙草のニコチンを摂取すれば大分気も落ち着いた気がした。さて、本題に入ろうと國澤の方を見ると此方に熱い視線をぶつけている様だった。
「お前に命令だ。伊崎の行動に関して俺に一挙一動も見逃さずに毎晩報告しに来い。」この言葉を告げると、彼は大分驚いた様子で此方の顔を見つめて来た。「お言葉ですが…伊崎様の…ですか?伊崎様は兄貴に信頼されている筈では……。」彼は凄く焦った様子だった。組長である俺の命令でさえも聞けないのだろうか。それとも俺よりも伊崎を信頼していると言うのだろうか。
「お前なら命令に従ってくれるよな?」取り敢えず緩く彼の精神に圧力をかけるような言葉を放ってみる。そして彼の様子を伺ってみるが、彼は未だ焦った様子でソワソワしている。この言葉の意味が分からない筈は無い。今まで彼に命令する為に幾度となく利用してきた言葉である筈だ。彼の口は開かず沈黙…が続く。
「黙るな。お前の弟がどうなっても知らねぇぞ?」彼の病気の弟でさえも脅しに使う。それが俺。彼には幾らでも投資しようと考えているし、彼の事は正直信用しているが彼が脅さなければ動かないのは考えものだ。「弟だけは…辞めてください。」彼の弟は重度の心臓病で高額の医療費がかかる。その医療費を払っているのは不知火組だ。この資金が払われなくなれば、彼の弟は行く場所が無くなり治療も出来ないだろう。
「従い…ます。」俯き気味で答える國澤。俯かずに返事の一つや二つ位はしろと内心思うが、そんなのに構っている暇は無い。俺はいち早く笹塚を殺し月下組を壊したい。何故いち早く殺したいのかと言われれば答えられそうに無い。特に理由は無いのだから。ただ、殺さなければならない。そう考えていただけであるから。
「もう良いぞ。話は終わった。帰れ。そしてさっさと任務にでも就いて1つでも多くの情報を集めてこい。」火のついたままの煙草を思い切り灰皿に押し当て火を消し、立ち上がる。相手の話を聞く気は傍から無い。そのように行動をすれば國澤は何も言えないまま部屋から出ていった。
部屋に静寂が訪れる。部屋に1人で居ると見たくも無いものも見えてしまうものだ。ぼーっと遠くを見ていただけなのに視界にはアルバムが潜り込んで来た。思わず、アルバムの入った本棚の目の前まで歩いて行き、アルバムを手に取ってみる。試しに1冊ペラペラと適当に捲っていれば一枚の写真が目につく。その写真は俺と伊崎と笹塚が3人で撮った写真。写真の中の3人は顔に満面の笑みを浮かべ笑っていた。皆で1つのケーキを囲む写真や、3人で抱き合って撮った写真。少し遠くに旅行に行った際、撮った夕飯時の浴衣を着た写真。
嫌な位に懐かしいものばかりだった。
数ページ捲った後、ふと手を止めた。この部分からは2人だけの写真。伊崎と俺だけ。思わずそれ以上アルバムを見ずに閉じる。元に戻す気にもなれず、近くに放り投げる。このアルバムはもう見たくない。そう思った。俺は笹塚を殺さなければいけない。過去に実の弟の様に可愛がって来た彼をこの手にかけなくてはならない。
きっと手をかければ後悔……するだろう。しかし俺は組長として役目を果たさなければならない。その為には組の『裏切り者には命は無し。』というルールは絶対だ。そうは思わないか?組長がルールを守らずに、組員達がルールを守るような人間になる筈が無い。俺は不知火組の組長だ。組長らしく自分の過去に可愛がっていた人間であってもルールは必ず守らなければならない。俺はそう考えていた。
ただ、この3人で写っている写真を見ると最悪な気分になりそうな気がしたので、部下にアルバムを全て燃やさせてしまおうと使用人の女に「これ、燃やしとけ。」とだけ命令をしておく。最初使用人の女は『こんなもの燃やしてしまって良いのですか?』とでも聞きたそうに此方をじっと見つめてくるが、気を取り直したのか1度深く呼吸し「了解しました。」と平然を装ってこの場を立ち去っていく。
だからこの女は使用人止まりなんだと内心思いながらも俺は無言で彼女にアルバムを渡す。彼女が本当に燃やしたのかなど興味は無かった。後日変な場所から出てきたとしても許すつもりだ。俺はただ、自分の目の前から、自分の身近からあのアルバムを遠ざけたかっただけだったからだ。
取り敢えず笹塚を殺す作戦。決行まで後2週間だ。それ迄今思ったことは全て忘れてしまおうと、他の事を考えようとする。が、何を考えようと結局は伊崎、笹塚の関わる事ばかり。どうやら神様は忘れさせてはくれない様だ。
…………神様なんて端から信じて無いが。
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