8.伊崎 蒼

「さっきの子、ちゃんと繁華街まで帰れるかこっそり見てきてくれないかな?藤田。」門番である組員とひと騒ぎ起こし俺に道を尋ねた青年が此処を立ち去って間も無い頃、俺はただの良心から先程の青年の護衛として門番である組員の内の一人、藤田に青年の後を付けて繁華街に出るのを見守る様に頼む。

彼は「了解しました。」と短く了解の旨だけ伝え小走りでその場を去っていく。取り敢えず彼の帰りを待とうと屋敷に入ろうとすれば、「ちょっと待ってください。」ともう1人の門番である國澤に止められる。

「何?どうしたの?國澤。」國澤は俺に何の用事が有るのだろうか。特にこの後用事や来客がある訳では無かったので話を聞こうと國澤の方へと振り向く。「何で俺じゃなくて彼奴なんですか。俺の方が彼奴より経験あるし、上手く出来るのに…。」どうやら話を聞く所によると自分が仕事を貰えず、もう1人の門番である藤田が仕事を貰えた事に対して嫉妬しているらしい。國澤みたいなタイプにはきちんと俺が説明しないと…と小さく溜息をつく。

「彼奴が自分の後輩で仕事を取られたのが嫌なのは分かる。だけどね、國澤。君が過去に新入りだった頃組長に組長のお買い物の付き添いとか、武器屋の商人の護衛とか色々させてもらってただろ。新入りは簡単な仕事からこなして行って、君みたいに立派な組員になって行くんだよ。だから藤田を選んだんだ。彼は引っ込み思案で君に頼ってばっかりだから、1人で仕事して貰うのも大切でしょう?」舌足らずなりに頑張って國澤に伝えたい事を言い終えた上で、國澤の方の様子を見ると此方を一直線に見つめている。その視線は俺を睨んでいる訳では無い。

彼は、俺と彼2人の目が合うと國澤は急にその場に土下座をし辺り一体に響く位大きな声で「すみませんでしたっ。俺も昔藤田と同じだったのに…俺情けない事に忘れて…藤田を嫉妬してばっかりで……。」と謝罪の意を述べる。

驚きのあまり初めの約数十秒は何もリアクション出来ずに居たが、彼の土下座するその姿を見ているといたたまれなくなって「顔上げて。立って。」と彼をその場に立たせる。初めは立つ様子は無かったが、暫くの間無言で彼を見つめていると彼も観念したのか顔をあげてその場に立ち上がる。

「ただいま戻りました。」丁度その時藤田が丁度屋敷に帰って来た。彼の息が酷く上がっている。彼はここまで走って帰ってきた様だ。「お疲れ様。おや、もう交代の時間だね?中に入ろうか。」相手に労いの言葉を述べながら、ふと腕時計を見れば時計の針は2時を指している。門番の交代の時間だ。この後彼ら2人に、特に聞いておきたい話があった訳でも無かったので、そのまま部屋に戻ろうとすると「ありがとうございました。」と國澤に背後から礼を言われる。相変わらず素直な奴で可愛いと内心思いながらもこれ以上用事は無かったので「また何かあったら相談してね。」とだけ言ってその場を後にする。そのあと藤田と國澤の2人がどうしたのか俺は知らない。


部屋に戻り暫くして部屋のドアがノックされる音が響く。「入って良いよ。」ドアに向かってそう告げれば鍵の開いているドアが開く。部屋には冷たい空気が細く流れ込む。早く閉めろと言いたい所だが、部屋には立派な暖房が付いている。少し冷えた所で直ぐにまた暖まるだろう。

部屋に入って来たのは少し俯き気味な小柄な女の使用人。組長は鮮やかな服では無く、黒い服を好む。全身黒いシャツ黒いスーツで身に纏っている辺り、組長の元に付き身の回りの世話をしている使用人だろう。そもそも俺の元に使用人は1人しか居ない上、その使用人は男だ。容姿も自由だが、流石に女装までして女声を出す事など無いだろう。それ以前にそもそもここまで華奢では無い。

「組長からお呼び出しかな?」こうなれば組長のお呼び出し以外あるまい。使用人が自分に向け話さなくて良い様にyesかnoの2択で答えられる質問を相手に投げかける。使用人は此方の方をじっと見つめて、深く1回縦に首を振る。そして蚊の鳴くようなか細い声で「組長様のお部屋です……。」と言う。それを何とか1度で聞き取ると適当に容姿を繕いながら使用人に「後数分で行くと伝えておいて。伝えたらもう戻って来なくて良いから。」と告げ、使用人を瀬尾の元に戻らせる。恐らく防音である組長自室に呼ぶという事は他の組員には知られてはならない、何か大切な話だろう。心して行かなければならないと深く深呼吸し、部屋の扉を開く。


同じ階ではあるが、少し離れた位置にある組長の自室目掛けて足を進める。組長自室が近付けば近付く程、どんどんと人通りは減り組長自室の目の前にたどり着く頃には、近くにいるのは先程自分の部屋に訪れた女の使用人のみになった。「組長様。伊崎が来ました。」彼女がドアに向けそう告げると中からは「さっさと入れろ。」という半分イライラした様な声が聞こえて来る。今日の要件は執拗以上に長引きそうな予感がする。

使用人によって開かれた扉を通り瀬尾の自室に入る。「失礼します。」イライラした様子で奥の黒い本革のソファーに深く腰掛け、煙草を吸っている瀬尾。「長ぇ話になるから座れ。」ソファーに座る程長い話と言われると本当に嫌な予感しかしない。今日は何時間話を聞く羽目になるのだろうかと、チラッと一瞬だけ腕時計に目をやる。時計は午後3時頃を指している。夜になる前に終わると良いな…と思いつつ時計から目を離して黒いソファーに座る。


瀬尾はそのまま自分のソファーに座った儘話を始めるのかと思いきや、煙草を灰皿に押し当て自分のソファーから立ち上がると灰皿を持って此方の方へと歩いて来て、俺の目の前のソファーに腰を下ろした。この男は今迄俺の記憶の中ではこの様な行動を取ることは無かった筈だ。今日の彼の行動に酷く違和感を感じる。

そう思いながら彼を目で追い彼の顔をじっと見つめていると、彼は早速口を開き「伊崎、お前に聞きたい事と知らせたい事があって呼んだんだ。」少し妖艶にも感じる笑みを此方に向けて来る。何か企んで居るのだろう。彼のこの表情を見て察した。可能であるならば今すぐ彼の話を聞かずにここから抜け出したいとまで思った。が、そういう訳には行かない。恐らく今から彼の口から発される話は、俺の愛する笹塚に関する話だろう。仮に俺が今此処で話を聞かずに逃げたとして、俺が捕まり殺されたとして、彼は笹塚に直接手を下そうと考えるだろう。2人して瀬尾の手によって死ぬ訳には到底行かない。昨日2人で逃げようと誓ったばかりだ。冗談半分だったかもしれないが、俺は確かに誓った。だから今は、静かに話を聞いて彼と生きる方法を考えるしか無い。そう思った。


「先ず質問だ。お前は藤田を何処に寄越した?」どうやら藤田の1件は瀬尾の耳にしっかりと入っていた様だ。いや、誰かが言った訳では無さそうだ。おそらく本人がその目で見たのだろう。この質問であれば何1つ俺には差し障りは無い。問題は無い。

「ああ、藤田なら迷子の繁華街に出るまで護衛に行かせた。屋敷付近の治安を守るのは組の役目です。此方が対応した迷子は最後まで守らねばなりません。」藤田の1件は何1つやましい事は無い。なんなら嘘をつく必要性もなければ、相手に調べられて不味いことなんて何1つ無い。瀬尾も俺の言葉に納得したのか頷くと「そうか…。」とだけ少し顰め面で告げる。いや何故?組の人間として当然の務めをしたのに顰め面を向けられなければいけない?理不尽では無いか?と内心思いながらもニコニコと媚びへつらう様に愛想笑いを浮かべて相手の次の言葉を待つ。


「次はお前に朗報だ。お前を笹塚に会わせてやる。」一瞬耳を疑った。俺と笹塚を会わせる?この男が何の目的を持って何の為に?瀬尾は笹塚を殺そうとしている筈なのに…彼は俺に笹塚を見つける様にと命令を確かにしたのに?恐らく今、この人が考えている事はただ1つ。俺を囮にし笹塚を誘き出し笹塚を捕え殺す気だ。ただ俺はそれを分かっていた上で、彼の口からどうしても理由を聞きたくて問いかける。

「何故俺と彼を会わせるのですか?」と。出来る限り彼の本意を察していない、知らないフリをしながら淡々と問いかける。彼は俺のその様子に全くもって気がついてい内容で嘘の言葉を淡々と吐く。

「彼奴とお前は過去に仲が良かっただろう。だから彼奴と1戦交わる前に1度男同士誰にも邪魔されずに話す場を設けようと思ってな。なんだ?嫌だったか?」嫌ならこの提案無しにしても良いんだぞ?とでも言いたげに笑う。瀬尾の良い人のフリをする演技は、とても下手で思わず笑ってしまいそうになったが何とかこらえた。この男は本当に嘘をつくのが下手だ。顔に今嘘をついています。と書かれているのが実際に見えてしまう様な気がする位下手だ。

「嫌では無いですよ。会ってきます。彼と。」もう俺は瀬尾の、嘘がバレず自分の思い通りに俺が動いた事に対して嬉しくほくそ笑んだ顔を見る気は無かった。今彼のその顔を見てしまうと、思わず下手な嘘の事を思い出し俺の笑いが止まらなくなってしまう気がしたからだ。


「んじゃ、これ。場所用意してやったからここに行け。時間はそれに書いてある。」渡された紙にははこの屋敷から約10分近く歩いた場所にあるホテルの宴会場の場所が事細かに書かれている。作戦にしても何にしても、一般人からすれば流石に会場の規模がおかしい。流石ヤクザの世界だな…と思う。

「会場の準備なんて…ありがとうございます。」相手がどういう魂胆で場所まで指定し俺と笹塚を会わせようとしているのかは理解していたが、なんにしても会場を自分の代わりに用意して貰ったのは事実だ。礼だけでも伝えようと丁寧な礼をして礼を告げる。

「構わねぇよ。お前は昔から忠誠尽くしてこの組に従って来た身だろ?気にすんな。」忠誠。この言葉は好きでは無い。今の俺に忠誠など無いに等しい。今俺は頭の中で目の前にいる自分の従うべき組長を疑い、その上この事実を笹塚にどの様に伝えようかと脳内で思案している。少なくとも組長に対する忠誠心など欠片すらも無い。

なら今俺を動かそうとしているのは何だろう。自分でもよく分からない。が、恐らく今の俺を動かしているのは心の奥底にある笹塚に対する愛情で、笹塚を大切だと思う気持ちで、ただの私情。本来組に私情は関係無い。俺は不届き者だ。このままだと組長を裏切る事になるかもしれない。ただ、それは本意では無い。

だから俺は目の前の彼に、瀬尾に俺がもし笹塚を殺せなかったらどうするつもりなのか聞こうと口を開いた。俺は瀬尾に止めて欲しかったのかもしれない。自分の理想である、尊敬する人間である、そして崇拝の対象ですらある目の前にいる瀬尾弦之介という男に、笹塚を殺さず救い自分の理想から目を背け、崇拝する人間の命令を拒否し、尊敬する人間によって殺されるであろう未来に進んでしまう事を。

だが俺は聞かなかった。正確には聞けなかった。何か言葉を相手に向け発してやろうと口を開くが、喉を通り過ぎ口から放たれるのは空気のみ。喉が振動を起こし言葉として自分の聞きたいことを発するのを拒否していた。それは心の奥底にある自分の理想によって否定される恐怖が自分の持ち合わせていた勇気に勝ってしまった結果だろう。


「話は終わりだ。質問は?」その後一通り何も言われないまま淡々と作業的に話は終わっていった。此方に質問をするのは不可能だ。そう俺は考えて首を横に振る。此処で首を縦に振れば話す機会を設けてくれたのだろうが、此処で話そうとした所で先程の二の舞になるのでは無いかと思った。それこそ恥だ。そう思った俺は何も余計な質問もしなかった。「部屋に戻って良いぞ。」組長のほうもはなしが終了した様で部屋から出て良いと言われると、そのまま「失礼しました。」と礼をして組長の部屋を後にする。

部屋を出て腕時計を確認すると、既に時計の針は午後5時半過ぎを指していた。2時間半近くこの部屋に滞在していた様だ。本当に話は長かったし聞こうにも聞けない事ばかりで本当に歯痒い思いをした。半分最悪の気分で部屋を出て自室に戻るが、ふと思い出す。この事をどのようにして笹塚に知らせるかと言う件だ。

普通に会うことが可能であれば、普通に呼び出すのだが恐らく一筋縄では行かない。あの男のことだから、俺にこれから先付き人を寄越すと考えられる。ので自由に出られ無い上に自由に会えば恐らく俺も彼も殺される。それだけは絶対に避けたい事態だ。


暫くして良い方法を思いついた。これなら2人でコソコソ会い相手を瀬尾の手から逃がすことが出来るかもしれない。期待を胸に空っぽのメールに文字を打つ。それも一言『今夜11時、添付ファイルの場所で。(添付ファイル)』送信先の欄にランダムの文字で構成された規則性の欠けらも無いメールアドレスを打ち込む。これで良いだろう。これが上手く行けば彼を逃がすことが出来る。そう確信してスマホの画面を落とし、そのまま出かけの準備を始める。

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