7.瀬戸 水行

「水君お疲れ様。」優しい少し歳を召したバー兼情報屋のオーナーは今日も店仕舞いをした後、適当な賄いを出してくれた。今日の賄いは明太子スパゲッティ。僕の大好物だ。「オーナー、ありがとう。」彼は僕が好きなのを知っていて少し大盛りにしてくれたらしい。こういう時、表向きはバーの店で働いていて良かったと常々思う。


僕の名前は瀬戸水行。オーナーの店で働く至って普通のバーの店員。

容姿も標準的で、黒髪に一重。そして白い肌でこの国の男性の標準身長に標準体重。

全てが標準的だ。


「今日はもう上がって良いよ。後、明日の仕事は21:00開店だから20:00には来てくれれば良いからね。因みに私は昼間は情報屋として情報の仕入れの仕事があるから開いてないよ。多分裏口の鍵は19:00少し前位から開いてるから早めに来るならそれ位にしてね。」それにこの男はとても優しいので、今の様に毎度自分の出勤時間や店の明日の開店時間、彼が仕事場に辿り着く位の時間を教えてくれる。お陰で毎日店の前で待ちぼうけを喰らわなくて住んでいるし、逆に遅刻せずに住んでいる。とても有難い話だ。


「お先に失礼します。お疲れ様でした。」付けていたエプロンを丁寧に折り畳みカウンターの上に乗せる。時計の針は深夜の2時を指している。今から家に帰れば2時30分には着くだろうし、バーで賄いを食べて夕飯は済ませたので夕飯を食べる必要も無い。後は家で本業の方の整理をするだけだ。恐らく4時には眠れそうだ。

相変わらず外は寒い。気が付けばもう11月も終わりが近い。今年も残り約1ヶ月。早いものだ。気が付けば腰の曲がったお祖父さんになってもいるのではないかと心配になる位時の流れが早い。深夜と言えども繁華街に案外人の影がある。普段通りの道を歩いていれば、何処かで見た事のある男を見かける。少し青みがかった髪を後ろでハーフアップの様に結んでいる男。まさかな…と半信半疑のままその男の後ろをこっそり追う。僕の記憶が正しく、その上彼が僕の知っている人であれば恐らく彼の名前は伊崎蒼。そして彼は僕の今すぐにでも殺したい位人生で1番第嫌いな人。

その男は此方に気が付かないまま、繁華街を抜けた。此方の方面には所謂裏社会の人間の家があると噂されており、中には大きな組の屋敷もあるとか。僕はそのままバレない様に男の尾行を続ける。恐らく、此方の方面に来るということは彼は裏社会の人間で間違い無いだろう。だとすれば尾行がバレれば彼の所属している組の人間に命を奪われる可能性が高い。そうでなくても、拷問される羽目になるだろう。何としてもそれだけは避けたい。そうなるのならまだ、警察に捕まった方がマシだ。


彼は暫く歩いた後、少し大きな一軒家の目の前で立ち止まりそのまま入口の門番らしき人に話しかけると一軒家の中に入って行ってしまった。流石の僕でもこの一軒家がどの組の物で誰の所有物なのか迄は把握していない。確か家にその手の資料が存在していたので、家に帰って調べようそう思い遠巻きからその一軒家の外観の写真を撮ると、其の儘門番や他の組の人間にバレない様にこっそりと、繁華街目指してこの住宅街を抜ける。

こっそりと尾行していたからか、スマホで時間を確認すれば2時30分を過ぎ3時近かった。この後家に帰り資料を確認するとなれば今日は徹夜だろうか…?いや、それだけは何としてでも避けたい。明日の自分の業務に支障が出るとそれはそれで困る。取り敢えず資料の確認は明日にする事として家に帰ったら直ぐに寝る計画を脳内で立て始めた。

明日の依頼人は確か入っていない。明日は仕事21時からだし十分に余裕がある筈だ。資料確認の1つや2つなんて明日でも明後日でも変わりやしないだろう。



ピピピピピッと部屋にタイマーの音が響く。朝が来た様だ。昨日自分が4時間寝られるように時計をタイマーをセットしたので、目を覚ませば差程眠くは無かった。時計の針は7時30分過ぎを指している。結局昨日帰宅して眠りに着いたのが3時30分近かったので妥当ではあるだろう。寝過ごした訳では無く良かった…と安堵しつつベットから降りて朝食の準備を始める。朝食と言っても、コーヒーに目玉焼きそしてトーストと平均的な朝食だ。箸などで目玉焼きを食べるのは面倒臭い上時間がかかるので、目玉焼きをトーストの上に乗せて其の儘食らう。そのままそれを珈琲で胃の中に流し込めば朝食の時間の削減になる。食事は正直好きでは無い。食事は幸福でないといけないと言った奴が昔居た気もするが、そんなのは自分に関係無い。食事は僕にとって昔から栄養摂取の作業だった。楽しいと思った事は1度も無かった。オーナーの作った明太子スパゲッティは本当に好きだけど……。


食べ終わった皿とコップを食洗機にかけた後、僕は1番奥の壁一面が書類や資料で埋め尽くされている部屋に移動する。恐らく高校生の持っている大学の赤本や分厚い辞書よりも遥かに多くあり、目的の物を探すのはとても大変だ。全て紙面での管理なので、パソコンの様に検索する訳にも行かず目的のファイルを探すまでにまず時間が掛かる上、中には内容別に分けられていない物も存在する為、一つ一つ中身を見なければならない。

幾つか資料を開いている内に今から調べに行った方が早いんじゃないか…と思った。確かにそうだ。この大量の資料を開いて居たら日が暮れてしまう。さっさと調べに行ってしまおう。あの建物が誰の所有物でどの組の物なのか探れば良いだけだ。適当に髪を解かし適当な服を着て適当な容姿でそのまま家を出る。外は晴天で、日差しが強く僕の頬を暖かい冬の日光が照らした。


昼間の繁華街は人が多かった。この時間、ちょうどお昼時で昼ご飯を繁華街で済ませる商売人が多いからだろう。普段深夜に開いていないような飲食店もこの時間だけは開いている。夜中辿った道は覚えている。腐っても殺し屋だ。流石に自分の対象の家の位置等忘れる筈は無い。夜中も曲がった曲がり角を曲がり夜中に訪れた住宅街の様な場所に抜ける。記憶を辿りながら歩いていると昨日伊崎が入っていった気がする見覚えのある建物。相変わらず出入口には門番らしき人が立ちはだかっている。こうなったら、迷子の振りをして聞いてみるしかない…そう思って。


「ねぇねぇ、お兄さん。迷子になってしまって…ここは誰のお宅かね?」スマートフォンで地図を見ながら困った顔をして門番の顔を見る。片方の門番は困った顔をしてもう1人の門番の方に目をやり、もう1人の門番は「おいお前、何の用だ。」と質問に質問を返してくる。いつもの僕であれば、ここでイライラして相手の胸倉を掴んでしまっている所だが、今は自分の中では世界一大切な任務の最中。そういう訳には行かない。粘る為に何度も何度も2人の門番に問いかけていると、門番の背後にある建物の扉が開く。

「どうしたの?何か騒ぎ?」扉の向こうから姿を現したのは昨日見かけた人生で1番殺したいと思う男、伊崎。彼が姿を現すと門番2人は咄嗟に頭を下げて「伊崎様」や「兄貴」と崇める。兄貴と呼ばれるなんて大層なお立場だ事……。僕はその光景に内心少し呆れと苛立ちを抱きながらも伊崎の方の顔を見て子供の様に笑って、「ここ何処ですか?迷子になってしまって。繁華街までの出方を教えて頂きたくて。」と伊崎本人に直接問掛ける。彼の性格からして僕が瀬戸であると気が付かなければ100パーセント答えてくれるだろう。彼は嫌な位に他人、特に迷子や放浪者には優しいと過去にこの身を持って知っているので、僕はその優しさすらも嫌いだっだ。が、今はその優しさを受けずして彼の情報は得られない。伊崎、彼は自分のその優しさの所為で近い将来死ぬ事になるとは少しも思わないだろう。お前のその優しさが仇となったなと心の中の僕が嘲笑う。

「僕のお屋敷なんだ。お前達は顔上げな。うーん……。繁華街か…ここからなら目の前の道を左に出て2つ目の曲がり角を右に曲がって直進すると直ぐだよ。繁華街で1番大きな中華料理屋さんが辺りに出るから。」相変わらず優しい口調で優しい笑顔。その声もその顔も聞くだけで、見るだけで吐き気がする。今すぐにも耳と目を塞ぎたかったがそうすればかえって心配され、より長い間彼の元を滞在する羽目になるだろう。それだけは絶対に嫌だと思い、真面目に聞いているフリをする。


そのままそれ以上追求する事はなく自分の家に帰ってきてしまった。自分が一般人の迷子を装っている時点でもうこれ以上は聞けない、無理だと思ったのだ。結局伊崎本人の口から得られた情報は、ここが伊崎の住んでいる屋敷であるという事実のみ。そして非常に胸糞悪いが少し前に自分が調べた通り、彼は不知火組の若頭であり兄貴として慕われる立場だと言うことが露呈した。つまり全ての資料から考えるに結果としてあの場所は不知火組の屋敷であると考えられる。

そんな事を考えながら資料を目の前にボールペン片手に考えていると、インターフォンが鳴る。何の届け物も頼んでいなかった筈だ。隣人の引越し挨拶か何かだろうか。そう思いながら重い腰を上げて玄関のドアを少し錆びたチェーンが付けたまま開ける。ドアの向こうには人っ子一人居ない。辺りを見回すが人影すら見えない。「ちっ……誰だよ。」一通りドアから顔を出して辺りを見回し終わると、半分イライラしながらドアを思い切り閉める。



瀬戸が丁度自宅のドアで見えない来訪者を探している時、少し遠くの建物の二階の窓から彼を見つめカメラで何か撮影をする人影があった。

その人影はカメラの画面を確認し、撮れているのを確認すれば口元に笑みを浮かべてそのまま窓の傍から姿を消した。

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