6.笹塚 聖良

「お疲れ。」事が終わると先に車に戻り後部座席に座っている側近に挨拶をする。真顔で「お疲れ様です。」と此方に言葉を返してくる彼女。相変わらず表情から彼女の思考は読み取れない。

死体を投げてどんな事を考えたのか、恐らく彼女はサイコパスの様な非人道的な思考を持った人格者では無いので“楽しい”等とは思って居ないだろうが、そうは言っても矢張り分からない。俺は彼女の事を100パーセントは愚か80パーセントすらも理解出来ないかもしれない。ただ、その理解が出来ない事を相手に問いかけた所で答えてはくれないだろう。ただ、俺が彼女に望んでいる物は“能力”や“経験”であり他人への理解とは違う。なので俺も彼女を理解しようとは思わないでおく事にした。

「帰るぞ。」車のエンジンをかける。ここから屋敷のある繁華街へは結構な距離が有るので、死体を処分する会場をここに仕立ててくれた組員も助手席と空いている方の後部座席に乗せる。


「親分、今日の奴は何で死んだんすか。」出発してから沈黙が続く車内でタバコを吸いながら運転していると、助手席に座っていた組員が口を開く。隣に居る組員は死体処理を何時も頼む舎弟で、その度に帰りの車で死体の死因や役職を問い掛けてくる或る意味面倒くさい奴だ。何時もなら教えないのだが、今日は側近が居る為教えても構わないだろう。もし情報漏洩や裏切りが発生すれば側近に処分させれば良い。

「嗚呼、さっきの死体か。彼奴はただの自殺だ。組を辞めたかったんだろうよ。金請求したら、金が払えねぇって文句言って気が付いたら、見た事もねぇ拳銃で顬撃ち抜いて部屋で死んでやがったわ。」タバコの灰を灰皿に落としながら言う。辞められず自ら死を選ぶのは凄くダサいと思うが、まだ辞められずに逃げるより遥かにマシだとは思う。そう思いながら、バックミラー越しに側近の様子を見るが特に何も顔に表情を浮かべず、その上何かを語る様子も無かった。

「神崎、お前はどう思う?組を辞められず自ら死を選ぶ奴の事。」タバコを灰皿に押付けて火を消しながら問いかける。些か彼女がどう考えているのか興味があったし、何時か自分の後釜として組長になるであろう彼女の答えを聞いてみたいという好奇心もあった。

「辞めたがる人間の死を止める義理は無いですし、死んだとしても生きていてそのまま組員として動くとしても、抜けたがっている人間は使い物にはならないので自分で死んでくれただけマシだと思いますよ。まぁ、死体の処理が些か面倒ですが。」之が彼女の意見。この彼女の意見は俺にとって容易く理解出来る物だった。組員は結果としてただの1つの駒であり、その駒が使えなくなればただの捨て駒。どうやら彼女は、1部自分と意見が似ている部分が有る様だ。

彼女はただ真顔だった。この様な発現をした後も真っ直ぐ前を見て真顔のままだった。だから彼女は面白い。だから俺は彼女に女としてでは無く、1人の人間として惹かれた。後の2人の組員は、彼女の俺の問に対するこの発言に少し怯えているのだろう。この車の中の空気が異常に緊張している気がする。そんな中丁度屋敷の近くの大通りの交差点に車が差し掛かり赤信号で車が止まる。


「おいお前。」助手席に座っていた組員に無言で鍵を押し付ける。組員の体が一瞬ビクッと震えたので車も一瞬揺れた。俺がそれに対して小さく1回舌打ちをすると、更に体がビクッと震えたので、此奴は後で特訓だな…などと思った。それは良いとして、俺にはこの後どうしても今日中に行きたい場所が繁華街にあったのだった。「運転して屋敷まで帰れ。俺は用事を済ませてから帰る。迎えは要らねぇ。じゃあな。」其の儘シートベルトを外し、赤信号の車道を歩いて其の儘繁華街の方へと向かう。側近含め、自分の部下達の顔を見ずに車を降りたので彼らがどの様な顔をしていたかは知らないが、正直興味も無かった。


相変わらず騒がしい繁華街。今日も人が多い。ただ今日は繁華街に用事があった訳では無い。俺の用事は、繁華街の少し奥に位置する路地裏にあった。路地裏の最深部の方へと足を進め薄いピンク色のカーテンが閉まった、木枠の窓の着いた家の目の前で立ち止まる。同じく木製の扉の横にあったインターフォンを押すことはせずに、窓を数回コンコンと叩けばピンク色のカーテンが数ミリ開き、そこから男は此方を覗く様に目だけ出す。其の儘目が合えば男は何も言わずにカーテンを閉め、今度は建物の入口である木製のドアを開く。

「よくいらっしゃいました。」腰の少し曲がった年老いた男は此方に礼をすると、其の儘椅子に腰かける。「1つ頼み事があってな。フォールディングナイフを作って欲しいのだが…16の娘に買い与える物なんだ。出来れば特注品で彼女の手に合うように作成したいのだが…。どうだ?出来そうか?」

この男は普段はここに住んで居ない。俺でさえもこの男が何処に住んでいるのか知らないし、そもそもこの男はこの店には約2週間に1度しか訪れない。なので彼に出会えるのは今日しか無かったのだ。「16の娘さんにですか…。成程。笹塚様のお願いとあらばお聞きしましょう。明日、笹塚様の御屋敷にお尋ねしますがいつが良いでしょう?」相変わらず仕事の早い男だ。俺のバタフライナイフの作成に関わった時も、オリジナルの物を設計から数日で完成させた。「明日、午前の10時で構わないか?入口は組員に命令して裏口を開けておく。裏口を使えば良いだろう。」正面玄関は大通りと面しているので、些か危険だ。警察に出会い職務質問される可能性や、銃刀法違反で捕まる可能性も懸念しなければならないし、昼間から俺の屋敷に激しく出入りがあったとすれば近隣住民の中で噂話が立ってしまうだろう。それは面倒くさい。非常に。

「了解しました。今日の所はもうお帰りください。夜も更けましたし冷えますのでお体にお気を付けて。」老人は椅子に座ったまま俺を見送る。相変わらず変な人だ。自分に用があれば夜が更けた後に訪れる様に言うのに、夜が更けたので早く帰れなんて言うなんて。まぁそれがこの老人の良い所なのかもしれないが……。


一応辺りを警戒しながら全くもって人影の無い路地裏を抜ける。相変わらず騒がしい繁華街。今日は凄く冷える日だ。何か温かい飲み物でも買おうかと思い屋敷の方に帰らず其の儘の足でコンビニに向かう。「いらっしゃいませ。」と声をかけられる。定員のその声を無視して、コンビニの奥の方にある飲み物の売り場へと足を進める。取り敢えずホットココアとビールを数本籠の中に投げ入れる。

「せーちゃんじゃん。」と後ろから急に声をかけられる。俺の事を“せーちゃん”と呼ぶのは1人しか居ない。後ろを振り向けば過去に見た事が有る様な、面影のある顔。「伊崎。」彼の名は伊崎 蒼。過去に所属していた不知火組で出会った同年齢の青年。「久しぶり。元気してた?」まるでサッカー部の男子高校生の様なノリ。組で出会ったあの時から全然変わっていない。「ああ。」彼と居ると普段寡黙な俺も必然的に喋る事になる。彼の手を見ると、彼は手に500mlの水を持ってその場に立っていた。「取り敢えずお会計済ますか。」彼はそう言えば其の儘レジの方に向かって足を進める。レジはもう日付も変わる時間なので1つしか開いておらず、伊崎が会計を終わらすのを其の儘待機列に並び待つ。ただ、数分待っても会計が終わる様子が無かったので、レジの方へと歩いて行き様子を見る。


「すんません。やっぱ良いです。」伊崎はそう言えばレジの店員に礼をして其の儘立ち去ろうとする。どうやら水を買うのに金が足りなかった様だ。「おい店員。これで払ってやってくれ。あとこれも会計宜しく。」自分の持っていた籠を店員に渡し、カウンターに1万円札を置く。この量であれば1万円あれば余裕で足りるだろう。店員はポカンとしながらも、そのまま会計を済ませ此方にレシートと釣り銭を渡してくる。「有難う。行くぞ。伊崎。」俺はビニル袋を受け取り2人で座って話そうと思ったので、そのままの足で近所の公園の方へと足を進める。


深夜の部分部分が街頭に照らされた公園に辿り着く。いい歳した男が2人で公園に行くのは少し恥ずかしい気もしたが、繁華街で立ち話すれば目立つしお互い警察に職質等をかけられれば困る身であるから、仕方が無い。「公園とか久しぶりだよ。昔さ、この公園来たことあったよね?あれ、無かったっけ?」伊崎は公園を懐かしむ様に見回す。

俺はその伊崎をその場に置いて其の儘近くにあるベンチに腰下ろす。公園は確か禁煙だった気もするが、この夜中だ。どうせ誰も見てやしないだろうとタバコに火を付ける。「ちょっとー。みんなの公園何だからタバコはダメでしょ?」相変わらず注意してくる伊崎のその言葉も俺は無視して吸い続けるが、伊崎は昔とは違い何度も執拗に言う事は無かった。まぁ、昔は未成年喫煙だったしその所為か。「最近はどうだ。お前ん所は。まだ不知火に居るのか。」彼は俺を注意した後にベンチの俺の横の席に腰を下ろした彼に問いかける。煙草の煙は寒い空気を切り裂くようにもくもくと上空へと上がっていく。少しの沈黙が2人の間に流れた。yes or noで答えれば良い質問なのに何を迷うのか。俺には不思議だった。


「実は、せーちゃんに俺折り入って話が有るんだわ。」少しして先に口を開いたのは伊崎だった。普段はニコニコしていて、深刻な顔を全くしない彼が、非常に深刻そうな顔をして此方に話を振ってくるので、思わず話をきちんと聞く態度を取ろうと煙草の火を携帯灰皿で消し彼の方へと視線を向ける。「せーちゃん、組長……って言っても分からないか…。瀬尾さんから追われてるんだ。せーちゃん捕まったら瀬尾さんに殺されちゃう……。」

彼はだから早く逃げろと言うのだろうか。さっさとこの世界から離れて素性も変えて安全な場所で生きろと。いや、俺に対して言える筈が無い。彼は俺の過去を全て知っている。知っているからこそ言える筈が無い。仮に側近の神崎四季であれば言えたかもしれないが、少なくとも俺は伊崎がそんな勇気のある自分の過去すら断ち切れるような精神の強い人間だとは思って居なかった。


「だからどうした。」その後彼が俺に対して放つ言葉は想像出来て居た。正々堂々と戦えとでも言うのだろう。まぁきっと彼も、あの不知火組に楯突きその上戦いに勝利するのはほぼ不可能だと分かっている筈だ。

「だから、自分が生きれる選択肢をして欲しい。仲間や部下を守って死ぬんじゃなくて、部下にさせるんじゃなくて自分自身でしたかった事を成し遂げて欲しい。」伊崎その言葉からは、この件に対する伊崎の必死さが伝わって来た。俺に生きろと言うらしい。親からも望まれず、前に仕えていた人間にさえ生きることを認められず命を狙われて生きている俺に対して。「俺が生きてどうするんだ。」俺は神崎四季を、そして伊崎蒼を自分のこの件で振り回す訳には行かなかったし、この件で彼女彼ら達の命が絶たれることがあってはならないと思っていた。

だから俺は「お前も一緒に俺と生きてくれるなら良いぞ。」とだけ言葉を口にする。彼らに生きて欲しいのはただの俺のエゴだ。それ以上でもそれ以下でも無い。「うん。せーちゃんとなら一緒に生きても楽しいかもね。」伊崎は冗談半分で、クスクスと笑いながら頷く。


「今度、俺の屋敷に遊びに来ないか?お前に会わせたい奴が居るんだ。」他の組の人間を自分から自分の組の屋敷に招き入れるのは初めての試みだったが、昔から自分と交友関係の有る彼であれば、大きな問題は無いだろうと思い、自分の屋敷に来るのを誘ってみる。それに側近である神崎四季と伊崎を会わせて、伊崎に彼女の組長としての素質を評価して貰いたいと思っている。

「ん、うん。良いよ。せーちゃんの組のお屋敷に今度遊びに行くね!あ、それなら……。」ニコニコしながら伊崎は自分のポケットからスマホを取り出し、スマホの画面をタップして何やら作業を開始して。「はい、これ。僕のメルアド。そういえば交換して無かったなって思ってさ。連絡取るのとかこっちの方が楽でしょ?」伊崎のスマホの画面に表示された1つのメールアドレス。思わずそれを見て笑いそうになる。そのメールアドレスというのは彼の拘りなのか全て食べ物の名称で構成されていた。俺の携帯のメールアドレスは、初期の覚えにくいメールアドレスの儘なのに、傍から見て適当そうな伊崎のメールアドレスがちゃんと設定されている上全て食べ物で構成されているのが面白くて仕方が無い。しかし、彼らしいと言えば彼らしいかもしれない。彼は昔から食べるのが好きだったからだ。

「登録した。次、これ俺の。」初期のメールアドレスで、規則性の無いアルファベットと数字の並んだ俺のメールアドレス。こういう部分にもやはり人の性格が現れるのだろうか。几帳面な人はこの数字の大文字小文字でさえも気にして、メールアドレスを整えるんだろうな…なんて思いながら自分のメールアドレスをスマホの画面に必死に打ち込む伊崎の様子を見ていた。


少しして、スマホにメールアドレスを打ち込み終わったのか伊崎が顔を上げて「今日はもう帰ろうか。」と伸びをしながら言う。今は何時だろうと時計を見れば、公園の時計の針は2時を過ぎようとしていた。流石にこの時間まで屋敷を留守にするのは不味い。もしかしたら、側近や門番に酷く心配をかける結果になってしまうかもしれない。俺はそう考えた。「そうだな。お前も気を付けて帰れよ?」目の前に居る伊崎という男はいつ見てもやはり危なっかしく感じる。こんな夜道に1人で歩かせたらチンピラに絡まれて、重症を負ってしまうのでは無いかと心配になる程度に。「大丈夫だよ。せーちゃんも夜道は気を付けてね。」彼は子供の様に無邪気な笑み此方に向けてそのままベンチから立ち上がる。俺ももう帰ろうと思いベンチから立ち上がった。そのまま2人公園の出口まで歩いていく。2人とも何も話さなかったので、革靴の靴底が砂に摺れる音だけが辺り一帯に響いていた。

「気を付けてねー。」公園の前で二手に別れる2人。そうだった、俺の屋敷は公園を左に出てそこから歩くが、不知火組は右に出て少し歩いた所にあるのだった。もう別れるのか…と少し名残惜しくは感じるが、メールアドレスの交換は出来たので会おうと思えば何時でも会えるだろう。「お前こそな。じゃあな。」お互い歩きだすが俺も伊崎も相手の事が気になるのか、相手の方を気が付いたら向いていた。伊崎に大きく手を振られたので俺も大きく振り返すと伊崎は子供の様に嬉しそうにして、そのまま走って帰っていった。

彼のこの子供みたいな部分が俺は好きだ。それは恋愛の好きつまりはloveでは無いが、likeでも無い。何方と言えば家族としてのimportant(大切)だし、俺は彼の事昔から兄貴だと思っていた。勿論同年齢の為、恥ずかしく“お兄ちゃん”と呼んだことも無ければ、相手にそう思って居るとも打ち明けたことも無い。言えば自分の中で思っていたその世界が壊れてしまうようで怖かった。それに、相手が自分をどう思っているのか知らなかったから余計に怖かった。なので、打ち明けようとは微塵も思わなかった。



そんな考え事をしながら歩いていたが、気が付けば足はきちんと屋敷の方へと向いていて、屋敷へと辿り着いて居た。

門番には酷く心配をかけたようで帰った時には大騒ぎしていたが、側近には特に何も言われなかった。

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