5. 神崎 四季

「例の件はどうなりましたか。」自室に呼び出した組の情報屋を自分は椅子に座り、相手を椅子の目の前に立たせて問いかける。情報屋は口を開かずにその場でモジモジと立っている。この部屋に呼び出してからあまり時間は経っていないが、流石にこの態度では苛立ちを覚えるのは時間の問題だろう。

「何?言えないの?」自分より歳下にこの様に扱われて何が良いんだか…理解は出来ないが相手が怯えているのは分かる。早く言えば済むことなのに何故この様に伸ばすのか理解が出来ない。私はただ、彼に対して“伊崎 蒼”と言う1人の人間に関しての情報を聞いているだけなのに。作業的に事実だけを自らの口から述べれば良い、簡単なサルでもできるような作業では無いか。気が付けば呼び出してからもう既に15分が経とうとしている。これは、脅しでもしない限り吐かないだろう。

「言えないなら、貴方の指1本ずつ落として行っても良いのよ?」相手は冷や汗をかき、怯えた様な表情をして首を横に振る。一応先に言うが殺す気は無い。指の数本を飛ばすことはあっても、殺す気は無い。「こ…此方です。」どうやら此方の脅しに降伏する様だ。分厚い資料のようなものを此方に震えた手で差し出して来た。

「組長にはこの事秘密にして下さい。知られたら面倒なので。それと、これ。報酬。」資料と引き換えに、組長に言わない事を約束させ、その上1万円札が数十枚束になった物を渡す。情報屋はそれを受け取ると、少し小走りで私の部屋を出て行った。


「はぁ…全く。使えない情報屋ね。」こんなに情報の伝達が遅ければいざと言う時に役に立たないでは無いか。と呆れながら先程渡された資料を机の上に広げる。取り敢えず、組長含め今自分が調べているこの件とは関係の無い組の人間が、此方の部屋に侵入しない様に内側から鍵とを閉め、チェーンをかける。早速情報とのご対面だ。

今日情報屋に調べさせたのは、不知火組の伊崎蒼に関して。彼は過去に私との因縁がある人物。半年前のあの誘拐事件の事を彼に徹底的に問いただし、彼に忘れたなど絶対に言わせない。この世界に入ったのは彼に復讐を行うのが目的なのだから。情報の書かれた書類の初めは、既知の内容が多かった。特に彼の私生活に関する記述は知っている物が多かった。少しの間ではあるが、生活を共にしていた時期もあったからだろう。

ただ、2冊目の冊子から内容がガラリと変わった。過去の様々な人間との人間関係が書かれていたが、そこに自分の名前とその下に見覚えのある名前が書かれていた。そこに書かれていたのは“笹塚聖良”という文字。笹塚と伊崎の関係性を指す言葉は他の誰への記述よりも濃く、特別感を感じる様な物だった。

「組長と彼奴が…過去の仲間…。」これは面倒な事になりそうだ。旧知の仲とすれば此方が彼奴に手を出すのは容易では無いだろう。それこそ、向こうが此方に喧嘩でも売らない限り。ただ、恐らく向こうに此方の存在は知られていない筈ではあるから、向こうから攻撃を与えられる事は無いだろう。だとすれば、此方から攻撃を与えるしか方法は無い。ただ自分の組長と彼奴が旧知の仲である時点で、自分の組長に攻撃をすることを隠し、欺かなければならないのも確かだ。組長を利用させて貰う。そもそも組に入ったのは伊崎に復讐するのが目的。それが達成出来れば規約違反で殺されようが、追放されようが私には関係無い。

資料を見ながらただ呆然とそんな事を考えている時だった。ドアをノックする音が部屋の中に響く。急いで資料を引き出しの中に詰め込み、ドアを開く。ドアの向こうに居たのは自分の組長である笹塚聖良。監視カメラでも設置し監視でもしていたのかよ…と思える様なタイミング。全く。恐ろしい男だ。


「何か御用で?」ドアを開けて自分の組長に問いかける。約20センチの身長差があるので見下ろされる、見上げる形になるので少し威圧感を感じる。「ドライブに行くぞ。」思わず自分の耳が可笑しくなったかと思う様な発言。ドライブってそんなタチでは無いだろう。恐らく何かの隠語。この人が真面目にドライブに誘うとは到底思えない。「了解です。」適当なジャケットを手に取り羽織る。

腕にしていた腕時計を見れば、時計の針は23時過ぎを指している。この時間からドライブに行く阿呆は居ない。恐らく何かの任務だろう。相手は無言で外の車の方へ歩いていってしまったので、此方は置いて行かれないように少し早足で着いていく。

そのまま助手席に乗り込むと、後部座席の様子を見る。後部座席には大きな袋が1つ。どうやら袋の外側は血液が漏れ出さない様に加工されて居る様だった。組長は車のドアを閉めると此方が後ろを見ている事に気がついたのか「後ろの袋は死体だ。」と少し小さな声で告げる。年頃の娘に死体の処理をさせる気か。うちの組長は正気では無い。何を考えてこの様なことをさせるのか全く理解出来そうに無い。「そうですか。」私は平然を装いそう答える。平然を装っていたと言うだけで少し声は震えてしまった気もするが、相手の顔を伺うと無表情であったので少し安堵した。

その後、何方も口を開く事が無かった為、二人の間に静寂が訪れた。私はその静寂の間、その死体について考えていた。自分を死体と共に出掛けさせる理由も考えるべきだろうが、それよりもこの死体が誰の死体で何故死に組で処理される事になったのかが気になった。本当は聞きたいのだが、聞いたら怒られそうだ。部分部分は察しがつくし、分からない部分は死体処理の過程で拾って行けば良いだろう。そんな思考を脳内に張り巡らせていると、港から距離のある、少し高さのある崖に車は止まった。


「行くぞ。」そう声をかけられれば、車から降りる。冬の夜の空気は冷たい。頬に刺さる。死体の袋は組長が直々に持ち上げている。恐らく、私が女でまだ筋力も足りないので持ち上げられ無いと判断されたのだろう。崖の方に立っている組員も半分困惑している様に見えた。「組長。準備は出来てますよ。」その組員のすぐ側にあったのは、大きな石と沢山の袋。これから死体を小分けにして海に投げ捨てる気の様だ。「作業を始めてくれ。神崎、お前は良く見てろ。」煙草の煙を吐きながら組長は此方を見向きもせずにそう告げる。「ええそうね。」とだけ短い返事を返せば、私はそのまま組員の方に歩いて行く。組員達は少し驚いた様子だったので一言。「気にしないで。続けて頂戴。」とだけ声をかける。

地面に広げられたブルーシート。その上に死体を広げる。腐敗は全くと言っていい程進んでいない。そして血で汚れておらず死んでいると言われるまで眠っていると勘違いしそうな程綺麗な死体だ。目を細めて良く見ればこめかみに赤い円形の傷があった。どうやらこめかみを1発撃ち抜かれて死亡した様だ。恐らく自殺か処刑。ここまで綺麗だと自殺の可能性が高そうだ。


時間が経つにつれてどんどんバラバラになっていく死体。体の至る所にある関節全てに刃を入れ丁寧に切り分けられる。手首、膝、肘、肩関節。あらゆる部分で様々な部位に分けられていく。この光景を今何かに喩えるとすれば、精肉工場が1番正しいだろう。豚なら首を切り落とし血抜きをする生肉工場。頭を銃で撃ち血液の流れを止め体に血液が巡ることを許さない、目の前の以前は人間であったはずの肉片はこれから食肉として出荷される解体される豚に異常な程重なる。ただ、それに対して嫌だとは微塵も思わないし、不気味だとか気持ち悪いだとかも微塵も思わない。可哀想と言う感情すら微塵も湧いて来ないし抱く事は無い。


腹を切れば汚物がその場に広がる。切り分けていた組員はその汚物をブルーシートの端の方に集めて置き、他の部分の解体に取り掛かる。流石に人間の臟と言えども、魚程では無いが良い臭いとは言い難い。胃液特有の酸を感じる匂いや、糞尿特有のアンモニア臭や食物の発酵した何とも言えない香りが付近に漂う。見ている分には不快では無いのだが、この香りは流石に良いとは言い難い。そんな香りの中でも文句1つ言わず、作業を黙々と進める組員。これは洗脳されている、麻痺していると言っても良いレベルだろう。


ある程度切り分けた死体の大きな部分を袋に詰めた後、臟と切り分けている間に生まれた肉の屑や少し大きめの塊をそのままブルーシートで包む。どうやら、このブルーシートも共に処理してしまうつもりのようだ。私は感動した。なんて効率の良い。これなら武器の処理や死体の処理の時何一つ余す事無く処理出来るでは無いか。と。そして組員達は細かく分けられた袋を崖っぷちに置く。どうやら今から投げる様だ。

「組長、投げても構いませんか?」投げたいと言う感情はその言葉には含まれて居ない。現に微塵も投げたいとは思っていない。そんな浅い好奇心がこの言動の理由では無い。私はただ死んだ人、人の死と言うものを己の身で感じたいだけだった。案の定、私がこのような発言をすると考えていなかったのか組長の顔を見ると、少し驚いた様な顔をしていた。ただ直ぐに「構わない。」と了承を貰えたので良かった。ここで反対されたら、私は昔から漫画やアニメでよく見るような幼い子供の様に、泣き喚いたり相手の手や身体を掴んででも強請るようなタイプでは無かったので、静かに引き下がるしか無かったからだ。

私は袋の方へと歩み寄り少ししゃがむと、袋を両手に1つずつ手に取る。崖っぷちに8つ程置かれていた。男の大人死体の筈なのに切り分けられているからか片手に持っている1袋5キロの米袋とそう大差は無かった。昔から体を鍛えている私にとってこの重さはあまり苦では無かったのだが、組員は私の事を心配そうな目で見つめる。私はその視線を無視して、崖の下に思い切り右手に持っていた死体の入った袋を投げ落とす。下を覗くと、袋は小さな水飛沫を上げて夜の暗い海の中に消えていった。


すると途端、私は死体に対して何の興味も抱かなくなった。目の前にあるのは自分と関係無い人間のただの死体。ただの人形と変わらない。左手に持っていた袋を海の方へと適当に投げるとそのまま海の方を見る事無く踵を返して組長の方へ戻る。人の死というものは、私が思っていたより遥かに軽い物で、特に他人の命というものはその他人が特別な関係で無い限り、私には何も影響が無い。ということを知った。

「もういいのか。」という組長の声に私は浅く頷きそのままの足で組長の目の前を通過し、車の後部座席に腰を下ろす。つい数十分前まで死体が置かれていた筈だが血液の付着も無ければ何の温もりもない。ただの冬の寒い空気に触れ、キンキンに冷えてしまっただけの後部座席だった。

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