第5話 見る 見られる 見られてる


「どうしました? そんなに外ばかり見て? 音が聞こえて来る原因が何なのか。それほど難しい問いかけでしたでしょうか? 確かに想像のあしがかりになるので 具体的な情報は必要だとは申しましたし、原因と結果は大事なことなので、練習がてら なぜ音が聞こえて来たのかも問いました。けれども所詮は仮染めです。適当で良いことも多々あるのですよ。まさか外を見ていたのは、市政を鑑みて音の原因を慮った? ならば、どうやら貴方は真面目が過ぎるようだ。仮染めなのに」


 言われっぱなしで、言い返したい事は山ほどあったが、恒河沙数とまでは行かないものの、万万千千の言葉の中から唯一出てきたのは、


「仮染め…ですか?」


 これだけだった。


「はい。 生きていることなんて、所詮は仮初めだとは思いませんか? 死が本来であって、生は束の間の幻想である。 使い古された良くあるじゃないですか。ただ、あまり死を助長するようなことを言っていると、社会の暗黙の規約によって……」


「BAN!」

 そう言って、佐藤はテーブルをいきなり叩いた。


「忌避されてしまうでしょうがね。規約にも書いてありますし」


 無意味に驚かされ、まだ波紋の立つ黒い液体の表面を忌々しげに見る。


「さて、そろそろ本当にお名前を聞かせて下さい。話を展開させなくてはなりません。それに貴方、そろそろ私の独壇舌踊どくだんぜつように飽きてきた頃合ではないですか?」


「飽きるなんて、そんな……」

「いいです、いいです。遠慮なさらずに」


 そう言われたものの、だいたい名前が思い出せないのだ。何も遠慮していないので、何がいいのか分からない。ただ、思い出せたとして、得体の知れないこの男に、名前を教えてしまうことには抵抗があっただろう。

 それこそ何が原因で、どんな結果になるか分からないのだ。


「所詮、仮染めなのですから、仮染めの名前でいいのですよ。頭に思い浮かんだお名前を、どうぞ、どうぞ言ってみて下さい」


 相手が明からさまに偽名なのだ、こちらも適当に偽名で答えれば良いのは分かっていたが、口をついて出て来たのは本名だった。


「はぁ、じゃあ、神帰です」

 

「カミキさん? 漢字はどのように?」

「はぁ、神様の神に、帰る。です」

「帰るの方の"キ"ですか。珍しいですね」

「はぁ、森の方の木でもいいですけど……」


「良くない、良くない、その態度。さては貴方、万事がそのような感じですね。貴方が神帰と言ったので、私は今後 貴方を神帰と呼びますが、たった一文字変わっただけで 周囲の人が貴方の背後に見る景色が変わって来てしまう。それがどれだけの影響を及ぼすか、貴方お分かりになってます?」


「私の背後の景色?」


「えぇ、えぇ、名前を聞いた時に連想されるものですよ。神木ならばまだ平凡の範疇に収まりますが、神帰となると一文の特にもならない物語を書いている人間を想像する人も居るかも知れません」


 –––– 誰のことなのだろう?


「はぁ、その人は有名なんですか?」

「まるで」

「なら別に……森の方の木でも、かえ…」「分かりました。神さんとお呼びします」

 

 不躾に話しを遮られた苛立ちは言葉にならず、何かを言おうとして息を吸い込んだ肺の中で、諦めと言う溜息に置き変わってしまったようだ。


「では、名前をお伺いしたところで神帰さん。なぜ困っているんです? 困っている。だから『全療診』の看板をあんなにジックリと見ていたんでしょ? さぁさぁ、生憎ここには我々二人だけ。私としては、こんなに閑古鳥に鳴かれては困ってしまいますが、……いや、閑古鳥さえいないのか。どちらにせよ、ねぇクトウさん。貴方にとっては都合がいい、誰もいないので安心して包み隠さず、——見てるかも知れないけど、お困りごとを話して下さい」


「えっ?」


「いいえ、何でもありません。には誰もいませんよ。奥にバイトの子が控えているだけです」


 —— 人がいたのか。

 私は厨房を見たが、人の気配はまるでなかった。


「こちらから注文をしなければ、出てくることはありませんよ。けれど、可愛い ウリちゃんと言う女の子が働いてくれています。希望があれば呼びますが?」


 そう言って 佐藤はちらりと、……を見た。

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