第3話 場面の設定と一人称
「誰も居ないし、誰も見ていませんよ。今は……」
キョロキョロと周りを見回すの行為が気になったのか、安心させるために、佐藤はゆったりとした口調を使った。
周囲を見回すのを止めて 佐藤を見ると、どこにあったのか 佐藤は注文伝票を丸めて遊んでいる。
–––– そう言えば 注文はいつ取られて 飲み物はいつ運ばれたのだろう。
店員の顔が思い出せない。
注文伝票を丸め終わると佐藤は、
「人は想像する生き物ですから」
丸めた伝票を覗き込む。
–––– 想像の世界でも見ているつもりだろうか? 言っていることも、やっている事も意味が不明だ。
「はい?」
その返事で不愉快さを伝えると共に、
——言ってる意味が分からないんだが?
そう、伝えたつもりだが、佐藤には伝わらなかったようだ。
「例えば、あなたは今、何を飲んでいますか?」
佐藤は無視して、佐藤が注文したアイスコーヒーの、氷の溶けかけたグラスに相対して置かれた、白いカップを指差す。その中には佐藤の飲んでいる物と同じ、黒い液体がかろうじて湯気を立てている。
「コーヒーです」
「ホットの?」
「そうです」
「因みにそのコーヒーは、どんなテーブルの上にありますか?」
そう問われたので、反射でテーブルを見てしまう。マホガニー素材と思われる、厚みのある天板のテーブルだった。天板も脚もエッジが効いている。
喫茶店などは、一本脚のテーブルが置いてあることが多いが、ここのテーブルは四つ脚で面積も十分に広い。重厚で立派な物だったが、佐藤もこの場に居て見ているのだ。
––––答える必要があるのだろうか?
「どうです? 立派なものでしょう? ここも私が営んでいる喫茶店でしてね」
問いかけたくせに佐藤は答えを期待していないかのような態度だった。
見れば、先ほど額についた水滴が瞼までつたって来ている。水滴が目に入らないようにウィンクさせているので、佐藤の瞼は神経質震える。
––––拭けよ。
その一言が出てこない。
「人は想像する生き物ですから」
佐藤がその言葉を繰り返してくれたおかげで、漸くしっかりとした苛立ちを手に入れる事ができた。確固たる苛立ちに後押しされて、
「だから何なんですか!?」
周囲に人が居ないのを良い事に、かなりの大声を出す。
——この開き直りにも似た質問に、動揺せずに すぐに答えられるのは、日頃から、相当しっかりと地に足をつけて生きている人間だけである。
その後の人間関係は保証しないが、嫌味を言われた時など、会話の最後に言い放ってみて欲しい。きっと嫌味を言った人間は動揺するはずだ。
佐藤は動揺しなかった。なので答えもしなかった。代わりに質問を重ねてくる。
「この喫茶店が入っているビルは何階建てだと思います?」
「知りませんよ。6Fくらいじゃ有りませんか?」
「お見事! 当たりです」
「だから何なんですか?」
今度は、落ち着いて冷静に問う。
佐藤も相変わらず冷静に、……今度は答えた。
「人は想像する生き物です。その想像を具体的にイメージできる取っ掛かりがあると、人は安心するのですよ」
「だから何なんですか?」
子供が大人に「なぜなに」の質問を繰り返すのと一緒だ。問い続ければ必ず綻びが生まれる。
「だから冒頭言ったでしょう?『あなたが瀕して、窮している。その状況から救ってみせますよ』と…… 、想像を具体的にイメージできる取っ掛かりがあると 人は安心するのです。手に入れたくはありませんか?心の安寧を、……困っているのでしょう?」
–––––困ってはいる。だからここに来たのだ。
佐藤がこちらを一瞥してから、これ見よがしに時計の風貌を撫でた。
「それにしても、あなたも変わった人ですね。まぁ、貴方が何かを考えてる時、主体となるのは貴方であるのは明々白々ですから、わざわざ主語なんて付けないでしょうけど。……貴方は『私』ですか?『僕』ですか? そろそろ分かってもらった方がいいと思います。
あなた一度も『私』か『僕』か言ってない。
何度も申し上げている通り 人間は想像する生き物ですから。具体的にイメージできる取っ掛かりがあると、安心するのですよ。
せめて一人称くらい決めておかないと。……重要なことなんですよ、自分を客観視するのは」
–––– 確かに自己紹介がまだだった。……非礼は認めるが、それにしても回りくどい自己紹介の求め方だ。だいたい目の前にいるのだ、『私』か『僕』かくらいは判るだろうに。
「すいません、自己紹介が遅れました。……えぇと……」
「どうしました?」
「えぇと……」
「思い出せないのですか?」
佐藤がニンマリと笑う。
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