ヒーロー不在 2

「あらぁん? あらあらあらあらぁ~ん? まさか、あなたが消毒の邪魔をしたってのかしらん、胸に無駄な脂肪が詰まったメス牛ちゃん?」

「私はただ降りかかる火の粉を払っただけですわ」


 民衆たちが腰を抜かす中、たった一人で正面に立つ摩莉華まりかは涼しげな表情でそう答える。

 その姿を巨大ロボットのコックピットから見た、ピンクマーガリンことケンヤ=ペトロリアムは、不快感をあおる言葉を発しながらも、彼自身が異常な不快感にさいなまれ始めた。


(卑しい《検閲削除》のくせに、よくもまああんなに目立っちゃって! 最強のヒーローたるこのぼくちゃんの目の前に立つことの愚かさ、遺伝子の欠片にまで刻み込んでくれるわぁっ!)


 ピンクマーガリンの、桃色のスーツの下からでもわかるほどの筋骨隆々の腕が、操縦席のレバーの一つを思い切り倒すと、青色に染まった右足がゴウとジェットのような音を立て、黒い左足を軸に回し蹴りを放とうとする。

 だが、足に勢いが乗る前に、摩莉華まりかの手元のフルートから赤いビームが連射され、すべてが軸足に直撃。哀れガソリンオーは、バランスを崩してそのまま背中からずっこけてしまった。可動部が少なすぎるゆえの喜劇――――もとい悲劇だった。


「いやぁん! なんてことするのっ!」

「ごめんなさい、なんだかできの悪いおもちゃを見ているみたいで、楽しそうでしたから♪」

「!!!!」


(この……《検閲削除》)


 ピンクマーガリンにとって、自分よりはるかに劣る存在である『メス』にいい顔されるというのは非常に屈辱的なことだった。

 だが今は、自分の勝利のために耐えなければならない。なぜなら、彼女との戦いが長引けば長引くほど、彼の勝利は確実になるのだから―――――


(でもぉん……どうせなら、絶望に苦しませながら、死なせてやりたいねぇ! まずはあの翼をもいで……膝と腕を折って! 《検閲削除》から口 《検閲削除》まで串刺しにして、そのまま丸焼きにしてやるわぁ!)


 こけたロボットを、背面のブースターで無理やり起き上がらせ、勢いそのままに胸元の開口部から火球を連射。摩莉華まりかと共に、周囲の人々を焼き払おうとするも、これもあっさり彼女のフルートに撃破された。


(このロボット、無駄がありすぎて弱い……)


 実際のところ、目の前の巨大ロボットは摩莉華まりかならその気になればことのほかあっさり撃破できるだろう。だが、摩莉華まりかにとって搭乗者がロボットから降りてきて直接攻撃してくる方が面倒なので、あえて今の状況を長引かせている。


(それに、少し聞きたいことがあるのよね)


「ねぇ、あなた。一つ聞きたいのですけど、よろしくって?」

「んん~? 雌犬の遠吠えなんて、高尚な人間様には理解できませ~ん♪ と、言いたいとこだけど、ぼくちゃんは優しいからね。遺言くらいならきいてあげるよぉん!」

「それでは遠慮なく。ピンクマーガリンさん、でしたっけ? あなたは見たところ、戦隊のヒーローのように見えますけど、なんで一般市民を積極的に巻き込もうとするのですか? 私を悪と断じるなら、むしろ力のない人々を護るのが正義では?」

「うぶっ! うぶぶぶぶぶっ! なぁ~にそれぇ! おっかし~ぃ!」


 どこかずれている摩莉華まりかは、ピンクマーガリン相手に感じている疑問を直接ぶつけてみたが、帰ってきたのは彼女を心底バカにしたような汚らしい笑い声だった。


「そうだよぉっ! ぼくちゃんはねぇ! たった一人で世界を救った、世界のヒーローなんだよぉ! 世界を破壊する薄汚い雌犬どもに、産業廃棄物にも劣る同性愛者、頭がいかれポンチオな宗教狂いに薬中! それとそれとぉ! ぼくちゃんが命がけで戦っている後ろで文句ばかり言ってくる生産性皆無な有象無象! みんなみぃんな! ぼくちんがお掃除してやった!」

「ふぅん……そうなんですね。ということは、私も、ここにいる皆さんも、ピンクマーガリンさんにとっては、うち滅ぼすべき悪なのですね」

「そうよぉん! そして正義の味方は必ず勝たなきゃならないのが、この世の理ってわけっ! だ・か・ら、面倒だからとっとと負けを認めて土下座してくれるかしらん? 今ならその背中に背負ってるカーニバルの飾りみたいな羽をブチブチするだけで勘弁してあげる♡」


 聞いているだけで耳が腐りそうな言葉の数々……とても戦隊のヒーローとは思えない言動だが、摩莉華まりかはなんとなく彼の境遇と思考回路に納得したようだった。


(思考が完全に魔の物そのもの。これは、今後の貴重な事例サンプルになりそうね)


 やや不快感を覚えつつも、彼女の中で何か得たものがあったのか、摩莉華まりかは少しだけウンウンと頷くと――――いまだに呆然としている民衆たちの方に振り向いた。


「だ、そうですよ皆様。山の向こうの巨人も随分と迫ってきてますね。ですから………………ぼーっと見てないでとっとと逃げなさい!!!!」

『うっひゃああああぁぁぁぁぁ!!!???』


 今まで穏やかだった摩莉華まりかが、急に天狗のようなしかめっ面になって大声で怒鳴ったことで、びっくりした民衆たちがその場から蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 だが、それを黙って見逃すピンクマーガリンではない。


「ンムハハハハ! 逃げようったってそうはいかないよぉん! 今度こそ汚物はすべて消毒―――――――」


 ガソリンオーの肩ポットが開き、そこからエビフライ型のミサイルが発射されようとしたその時、ガソリンオーのモニターディスプレイが急にホワイトアウトした。


「む……?」


 幸いメインカメラ越しであったことと、ピンクマーガリンのフルフェイスメットにはバイザーがついているため、まぶしいと感じることはなかったが、それでもあまりの光量に、ディスプレイには白一色しか映らなくなってしまった。

 おまけになぜかレーダーもいかれてしまったらしく、ターゲットの位置どころか自分がどちらを向いているのかさえ分からない。


「くそっ、何が起きやがった!?」


 今までの戦闘でこのような事態を想定していなかったため、メインカメラトレーダーの再起動を試みるピンクマーガリンだったが…………直後、操縦室のディスプレイが何者かによる強い衝撃を受け、ガラスが突き破られるように破砕された。

 メインカメラのホワイトアウトはその直後に収まり、再び視界が正常に映るようになったが、ディスプレイに何が当たったのかがまるで分らない。

 そのうえ、対峙していたはずの摩莉華まりかの姿がどこにも見当たらない。


「あの雌ブタめぇっ! あの光に紛れてにげたのかしらぁん!?」


 ひょっとしたら摩莉華まりかが、の目的を思い出し、目くらましの末に逃走したと考えたピンクマーガリン。そうなると少々面倒くさいが、彼自身はいまだに自分の優位はまだ覆らないと見た。


「ふん、まあいいわぁん。どうせあの雌牛はどうあがいても手遅れ――――」

「これが自爆ボタンでしょうか。昔から押してみたかったんですよね」

「は?」


 ピンクマーガリン以外に誰もいないはずのコックピットから、なぜか摩莉華まりかの声が聞こえた。

 声がする方を振り向いてみれば、操縦席の片隅にある「じばく」という文字が

(元の世界の文字で)書かれた、赤くて大きい円形のボタンが見えない何かによってぽちっと押された。



 とてつもない轟音と共に、オレンジ色のどくろ雲が立ち上った。

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