第16話 陰陽師


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騒然とする町を駆け人影がまばらになった頃、突然前を走っていた透夜が人差し指と中指を真っ直ぐ立てた右手を口の前に、左手で真一文字を引いて何かを呟いた。その瞬間、


バチィッ!!


「わっ!?」


電気が弾けるような音と白い光が身体を震わせ、それにびっくりして足がもつれ、盛大に転んでしまった。ヒリヒリ痛む顔を上げて恐る恐る音がした方を見ると、砂埃が舞う中に大きな大きな人の手があって、私はガラスみたいな箱の中にいた。


「…手?」


有り得ない光景に驚いて目を擦ると、そこには砂埃と透明な壁があるだけで大きな人の手なんてまるでなかった。



「…怪我はないか、美子。」


目を何度も擦りながらその一点ばかり見つめている私にそう声を掛けたのは、さっきまで手を繋いでいたお父様だった。


「…えっ、あっ…だ、大丈夫です。」


転んだことが情けなくて、俯きながらお父様の手を借りて立ち上がると、その箱の中にいるのが私だけじゃないことに気が付いた。


「…見事な反応だ。」


「…いえ。」


透明な壁や天井を見ながら称賛する玄武殿と軽く頭を下げた透夜、そしてお父様と私の四人が同じ箱の中にいた。


「…応龍様、美子様、これより先は危険ですので退治中はこの結界から出られぬようにお願い申し上げます。」


玄武殿が振り返って私達にそう告げると、お父様が頷いて口を開いた。


「分かりました。お二人のご武運をお祈りします。」


「…ありがとうございます。」


お父様の言葉に深く頭を下げた後、踵を返して歩き出した玄武殿の後に続く透夜が、結界を出る寸前でチラッと振り返って私を見た。


「あっ…」


私も何か言葉を…と思った瞬間、地鳴りのような音が全身を包んで震わせた。




「…えっー…」


…見上げた先には二人の巨人が立っていた。人のような頭や胴をしていたけど、“人間”とは大きく異なる部分があった。“脚”と“腕”だ。一人は異様に脚が長く、もう一人は腕が異様に長かった。


「…あれは「手長足長てながあしなが」といい山に住み着き人を襲ったり、海に出て船を襲ったりする巨人の妖怪だ。」


言葉を失ってそれを見つめる私にそう教えてくれたのは隣に立っていたお父様で、教えてくれたことのお礼を述べる代わりにお父様の袴を握った。


…すると、怯える私を見つめた脚の長い巨人がニタァと笑って大きく足を振り上げた。それに嫌な予感が過ぎる。



バチィイッ!!!


その大きな足が透明な結界に触れるや否や、さっきと同じ電気の弾けるような音が白い光と共に響き渡った。


「…っ!」


その音の衝撃に思わず目を瞑ってお父様にしがみ付くと、頭の上から聞き慣れた冷たい声が独り言のように言葉を紡いだ。



「…結界をも厭わぬとは……物は使いようか。」


「えっ…」


何のことを言っているのかさっぱり解らなくて顔を上げると、繰り返される足長の攻撃を静かに眺めるお父様が目に映った。…少しだけ見えたその目が何を考えているのか、恐怖で混乱する頭ではいくら見つめても解らなかった。



…ドシン、ドシン


地団駄を踏むかのような足長の攻撃が急に止んで静かになったかと思ったら、今度は姿の見えなかった手長が砂埃の中から足音を響かせながら現れた。そして、顔を近付けて結界の中に私とお父様がいるのを確かめると、足長と同じようにニタァと不気味に笑って何かを持ち上げた。


「…っ!?」


…太陽と重なっていて見えたのは影だけだったけど、長い腕の先にある物が何かは嫌でも判った。車だ。よく送迎なんかで使われる十人乗りの大きな車がひっくり返って浮いていた。


「…ま、さかー…」


嫌な予感にその先の言葉を失うと、車を持つ長い腕が勢いよく振り下ろされた。何度も踏み付けられた結界では耐えられないだろうと考え、ギュッと目を瞑って再びお父様にしがみついた。



「…浅はかだな。同情の余地もない。」


…うるさい心臓の音が耳を塞ぐ合間に聞こえてきたのは、この場には不釣り合いなほど落ち着いた幼い声だった。目を開いてその声のした方に顔を向けると、二階建ての木造建築の屋根に立つ小さな影が見えた。


「…とう、や…?」


か細い声でその名を呼ぶと、平然とした様子で屋根の上に立って手長を見つめる瞳が瞬きをした。


「…二度は言わぬ。速やかに山へ帰れ。」


相手は巨人の妖怪だというのに怯むことなく対峙するその姿は、堂々としていて美しかった。


『………』


すると、動きを止めて静かに透夜の言葉を聞いていた手長がその大きな目をギョロっと動かして屋根の上の小さな影を見つめた。そしてまた、ニタァと不気味な笑みを浮かべたかと思うと、持っていた車を透夜の頭上に振り下ろした。


「透夜!!」


思わずそう叫んだ瞬間、手長の身体がピタッと止まった。


『………?』


身動いでも微かに揺れるだけで自由が利かない身体に目を見開く手長。すると、屋根と宙に浮く車を蹴って空高く舞い上がった人影が静かな声で言葉を紡いだ。


「…足下の罠にも気付かぬとは、程度が知れるな。」


動けない手長を見下ろしながらそう言うと、人差し指と中指を立てた右手を口の前に置いて何かを呟き、左手に持っていた三枚のお札を真一文字を引くのと同時に放った。その三枚のお札は青白い光を纏いながら、まるで弾丸のような速さで手長へと向かっていった。


バチバチバチバチィ!!!


『ゥオォオオォォゥアアァァー…!!』


お札が身体に触れた瞬間、凄まじい音と光に包まれた手長は雷に焼かれているかのようで、断末魔の叫びを響かせながら消えていった。







「…お怪我はございませんか?応龍様、美子様。」


静かになった世界でまず聞こえてきたのは、そんな言葉だった。呆然とした顔を向けると、そこにはいつの間にか玄武殿がいて真っ直ぐこちらを見つめていた。


「はい。お陰様で私も娘も擦り傷の一つもありません。感謝申し上げます。」


「…いえ、当然のことをしたまでです。」


聞き慣れた心のない会話を他所に、ふとあることを思い出した。


「…あ、あっ!!も、もう一人いました!!足が長いの!いっぱい踏んで、それでどこかに行っちゃってー…」


お父様の袴を握ったまま玄武殿にそう言うと、砂埃の奥から「…失礼致します。」と言う声が聞こえてきた。


「…その足長に関しましては既に退治を終えておりますのでご安心ください。」


まるで何事もなかったかのような顔付きで現れたのは、さっきまで妖怪と闘っていた透夜だった。


「透夜!ケガしてなぶっ!!?」


無事を確かめるために慌てて駆け寄った結果、自分が結界の中にいることを完全に忘れて透明な壁に思いっきりぶつかり鈍い音を響かせた。ぶつけた顔面を抑えながら蹲ると、砂をさらう風の音が聞こえて影が掛かった。


「…失礼する。」


私の正面でしゃがみ、落ち着いた声音でそう言うと顔面を抑える私の手に軽く触れた。すると不思議なことに、声も出せない程の激しい痛みが溶けるように消えていった。


「…痛くない…?」


「…玄武の「水」の力を応用した鎮めの力だ。痛みや毒を和らげる効力を持つ。」


簡単にそう説明してくれた透夜を、口を開けたまま見つめていると後ろから肩を叩かれた。


「…呆けてないで言うことがあるだろう。」


「あっ、ありがとうございます…。」


「…いえ、失礼致しました。」


軽く頭を下げてから立ち上がると、静かに玄武殿の左隣に歩いて行った。


「玄武殿、この事態をどのようにお考えですか?」


いつもと変わらない様子でそう問いかけたお父様を見上げると、その視線の先にいる玄武殿が軽く頷いた。


「…はい。恐らくは山より追われて来たものではないかと。」


「山…?」


そう呟くと玄武殿は後方に見える山を一瞥してから言葉を続けた。


「…はい。彼方に見えるのは「玄聆山げんれいざん」という霊峰でございます。玄武の御魂が眠る地であることから我等【玄武】の修行の地として重宝してきた山なのですが、どういう訳か物の怪が住み着き町へ頻出するようになったのです。」


「えっ…?」


その言葉に思わず首を傾げてしまった。すると、そんな私に代わって透夜が「父上。」と玄武殿を見上げて言った。


「…山から下りて来たということは、町の四方に張った結界が破られたことを意味します。しかし、そのような気配は感じられませんでした。故に先ずはどのような手段を用いてこの地に侵入したのかを調べるべきかと。」


スラスラと述べられた意見に考え込むような仕草をした後、袂から栞のような紙を複数枚取り出してそれを空に放った。すると、その紙が目も口も柄もない真っ白な小鳥になって四方八方へと飛んで行った。


「応龍様、美子様。このような事態となってしまい、大変申し訳ございません。原因・被害状況等に付きましては後程ご報告申し上げますので、調査が終わるまでは我が拙宅でお待ち頂けますでしょうか。」


そう言って頭を下げた玄武殿の後ろから、同じような布で口を覆った人が現れて会釈をした。


「それではご厚意に甘えて。これ以上の被害がないことを祈ります。」


「ありがとうございます。…頼んだぞ。」


「はい。」


会話を終えると、お父様が私の肩を抱いて案内の人が歩いて行く方へ身体を向かせた。止めようのない歩みに頭だけ咄嗟に振り返ると、玄武殿と話し込む透夜の後ろ姿が見えた。助けてくれたことや痛みを和らげてくれたことにちゃんとお礼を言いたかったけど、遠ざかる後ろ姿に諦めるしかなく案内されるままに歩いて行った。






ーーーーーーーーーーーーー






「…はぁー、お風呂気持ちよかったぁ〜!」


日が暮れて静かな宵の頃、お風呂から上がった私は案内された客室で髪を乾かしていた。


「馨に言われたからちゃんと拭かないと、ねっ…!」


大きなタオルで乱暴に髪を拭きながら、面倒だなという思いに駆られる頭に言い聞かせるみたいにそう呟いた。すると、その独り言に返事をするかのようにお腹がグゥ〜と情けない音を立てた。


「…うわ、恥ずかしいー…」


聞いてる人は誰もいないのに赤くなる顔と鏡越しに目が合って、苦笑いをこぼしながら慰めるようにお腹を撫でた。


(…ご飯になったら呼びに来るって言ってたけど、いつ来るのかな?…うーん、でも玄武殿も透夜もまだ帰って来てないみたいだしなぁ…)


こんなことになるんだったら密かに溜めておいた飴玉を持って来るんだった…と後悔の念を抱いた時、トッ、トッと畳を踏む小さな小さな音が聞こえて来た。


「…あっ!!玄武!どこ行ってたの!?急にいなくなるからビックリしたよ!」


ゆっくりとした足取りでこちらに歩いてくるその姿を見て一目散に駆け寄ると、二匹とも口をパカっと大きく開けて頭を左右に揺らした。


「もう!大変だったんだよ!巨人の妖怪が現れて町がめちゃくちゃになっちゃったんだから!」


顔の高さまで持ち上げて少し怒るようにそう言うと、今度は頭を下げて落ち込んでいるような仕草をした。


「あ、ごめんね。怒ってるわけじゃないんだよ。ただ大変だったんだよって言いたかったの。」


俯いてしまった顔を覗き込むように見つめると、また口を開けて頭を揺らした。


「楽しそうだね。…あ、そうだ、お話ししようよ。そのために来たんでしょ?」


そう言うと玄武が頷いた後、甲羅の上で塒を巻いていた白い蛇がスルリと私の腕を伝って畳に下りた。そして、そのまま障子を通り抜けて出て行ってしまった。


「…あっ!ついて来いってこと!?」


手の上の置いていかれた亀に向かってそう言うと、ゆっくり頷いて答えた。よしっ!当たったぞ!と心の中でガッツポーズをしてみるものの、それどころではないことを思い出して慌てて白蛇を追いかけ始めた。




………

……




「…あっ!いたいた!やっと見つけた!」


履き物を取りに行くのに時間がかかり、結局広い庭を全部探し回って辿り着いたのは、庭の隅っこにあるちゃぶ台くらいの小さな池だった。案内役なのに置いて行ったことについて一言くらい言おうかとも思ったけど、軽く息を切らす私を見上げながら細い舌をチロチロと動かす白蛇が何だか楽しそうだったから、「まあいっか」と笑って済ませた。


「ここでお話しするの?夜風はよくないんだよ。」


地面に下りたそうな目で見つめる小さな亀を白蛇の正面にそっと下ろしながらそう言うと、何も答えずに歩き出し、甲羅の上に蛇を乗せて池の中へと入って行った。


…そして、そのまま水の中で三回、円を描くように泳いだ瞬間、透明だった池の水が晴れた夜空のような色になって、瞬く星のような白い光がキラキラと水の中で輝き出した。




「…わぁー…きれい…」


『…キレイ、ウレシイ、アリガトウ…』


思わず口から溢れた感動の言葉にそう返事をしたのは、池の真ん中に浮かぶ玄武だった。陸にいる時とは違って白い蛇が亀に纏わりつくような体勢だったけど、きっとこっちが本来の形なんだろうなと思った。


『…ココ、ワタシノイエ…スコシ、キュウクツ、デモ、スキ…』


「えっ?ここが?玄武神社じゃないの?」


そう聞き返すと、気持ちよさそうな顔をした玄武が頷いて答えた。それにまた疑問が深まっていく。


「でもここ、社家町のある所だよ?神さまとしておまつりしてるのは玄武神社なのにどうして?」


『…ココ、ジンジャ、リョウホウ、ワタシ、マモル…カワ、ツナガル、バショ、ワタシ、マモル…』


「川…?あっ、黒路川のことか!」


ポンと手を叩いてそう言うと、玄武がまた頷いた。そして、どうして二か所も守るのかを聞こうとした時、それを遮るように玄武が口を開いた。


『…ミズ、ワタシ、ヤドレル、チカラ、ツカエル…カゴアルモノ、カゴナイヒト、ホシイ、チカラ、チガウ……バショ、ワケル、ミズ、タクサン、アル…』


「うーんと…ちょっと待ってね…」


分かりそうで分からない言葉をなんとか理解しようと試みるも、部分的にしか噛み砕けなかった。


「…えっと、「水」っていうのは五行思想のやつだよね?それで、玄武が力を使うには水に宿る必要があるってこと?欲しい力が違うっていうのは?」


『…フタツ、セイカイ……カメノコ、クワシイ、アト、キク、イイ…』


「そ、そうだね…後で透夜に聞いてみる…。」


自分の理解力のなさに顔を顰める私を見つめていた玄武が、ちゃぷっと小さな水音を立てて近付いて来た。


『…ヒト、クル、ジカン、ナイ…オハナシ、オシマイ…ダカラ、オネガイ、イウ…』


真剣な顔付きで急ぐように、だけど慎重に言葉を紡いでいく玄武を見つめながら無言で頷くと、小さな口を一生懸命動かして話し始めた。


『…オネガイ、カラダ、チカラ、カイホウスル……コワス、ジンジャ、「ゴシンタイ」…』


「…ご神体を、こわす…?」


「美子。」


玄武のお願いを繰り返したのと同時に後ろから、名前を呼ぶ声が聞こえて来た。弾かれたようにその方へ頭を向けると、見知った子供がそこに立っていた。



「…とう、や…」


緊張で張り付く喉から何とか声を絞り出してその名を呼ぶと、彼は無表情のまま一歩二歩と近付いてきた。


「…夕食の準備が整ったため呼びに来た。ここで何をしている?」


混乱していたからというのもあるが、あの不気味な顔の布を身に付けていないことに驚いて無言でその顔を凝視していると、不意に透夜が手を伸ばして私の髪に触れた。


「…髪は乾かした方がいい。風邪を引く。」


そう言って離れていく手を見てみると、ゴルフボールくらいの水の球が浮いていることに気が付いた。そして、自分の生乾きだった髪を触ってみるとすっかり乾いていた。


「あ、ありがとう…」


ぎこちなくお礼を言うと、透夜は立ち上がってお屋敷の方へと歩き出した。それを見て、慌てて池の縁にいた玄武を持ち上げてその背を追いかけた。


「…夕食の前に父上から応龍様と美子にご報告がある。故に後程聞くことだが、先に伝えておく。」


追いついて肩を並べると、先に口を開いたのは珍しく透夜の方だった。


「…調査の結果、やはり「玄聆山」から下りて来たものだと判明した。しかし、結界を破らずに町へ侵入したことからあの二体の他に妖怪が関与しているという考えに至った。故に明日、玄聆山へと赴きその妖怪を討伐する運びとなった。」


「別の妖怪…?」


結界を壊さないで侵入できるなんて相当強いんじゃ…と思った瞬間、嫌な予感がして透夜の服の袖を引っ張った。


「わ、わたしも行く!一緒に行く!」


駄々をこねるみたいに大きな声でそう言うと、透夜はしばらくの間言葉を失って大きく見開いた目で私を見つめながら立ち尽くしていた。



「…それは、父上と応龍様がお決めになることだ。俺には、判断のしようがない。」


「あっ…」


子供の私達に行動の選択がないことなんて、嫌というほど知っている。だから「ごめん…」と小さく謝って手を離した。


「…行こう。お二人がお待ちだ。」


「…うん。」


気まずい空気が私達の間に漂う。痛む心を慰めるかのように夜の風が頬を撫でるけど、深く刻まれた傷が癒えるはずもなく、ただ無言で彼の後に付いて行った。






続く…

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