第17話 破壊


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「…ふう、見つからなくて良かった…。」


月が雲に隠れたせいで薄暗くなってしまった廊下を進んで辿り着いたのは、もちろん透夜の部屋の前だった。


「…意外と遠かったなぁ…というか、こんなところでかくれんぼするなんて思わなかったよ…。」


額に滲んだ汗を拭いながらそんなことを呟くと、さっきまでの道中が思い出された。



(…大人の人達が明日の準備のためにあっちへこっちへ移動してて大変だったなぁ……布団と枕持ってるとこなんて見られたらさすがに言い訳できないし…)


もしも見つかっていたらと想像してみると、苦笑いがついつい溢れてしまう。


「あ、道案内してくれてありがとう、玄武。」


言い忘れていたお礼を、私が持って来た枕の上に寝転がる玄武に言うと小さくお辞儀をしてくれた。


「聞けなかったからすごく助かった!それに、なるべく人と会わないようにしてくれたでしょ?だから、ありがとう!」


もう一度笑顔で伝えると、まん丸な体をユラユラ揺らして踊っているかのような動きをした。


「玄武はいつも楽しそうだね。…透夜も、そうだったら良いんだけど…」


無表情で何を考えてるのか判らなくて、必要以上のことは話してくれない。だから、陰陽師のお仕事も守護者としての任務も、望んでいるのか嫌なのかが判らなかった。


「今だってさ、疲れてるはずなのに吉凶占いと祈祷、明日の準備までしてるんだよ?頑張りすぎだよね!」


透夜の代わりに愚痴でも溢すかのように語気を強めて言いながら、掛け布団に横たわった。


「楽しいなら良いんだよ?好きなら良いの。でも、そうじゃないと思うんだ。だって、透夜って似てるんだもん……お父さまに…」


…ずっと頭に引っ掛かっていた謎が解けたのは、さっき透夜が夕食だと呼びに来てくれた時だった。


「…大人は言ってやらせる、子供は言われたことをやる…それが、当たり前の人達なの。…当たり前だから、うれしいも悲しいもなくて、空っぽな人達…」


健も馨も秀も勿論私も、自分達のいる世界が「そういうもの」だということは知っていた。だけど皆、それはおかしいということも知っていて、どうにもできないから苦しんでいた。多分まだ子供だから、諦められない部分や感情があるからこその苦悩だと思う。


…だけど、透夜は違う。子供なのにそれを受け入れて、諦めて感情を殺してその通りに生きてる。


「…でも、まだ完全じゃないと思うんだ。苦しいって思うこと、あると思うの。」


自分に言い聞かせるように呟くと、玄武が私の顔の前までゆっくりと歩いて来た。それを黙って見つめていると、一歩二歩と近付いて小さなその頭を私のおでこにくっつけて目を閉じた。


「…うん、ありがとう……わたし、がんばる、ね……」


急に心地の良い睡魔が襲ってきて、微睡みの中でそう言うと誰かが私の名前を呼んだような気がした。だけどもう目なんて開けられなくて、温かい夢の中へと落ちていった。






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「……ん、んー…?」


白くて柔らかい光に起こされて目を開けると、流れる川のような、綺麗な木目の天井が見えた。それから頭を動かして辺りを見ると、自分のリュックや服が置いてあった。


「…あれ…?…いつもどってきたんだっけ…?」


目を擦りながらいくら思い返してみても、その疑問の答えは出てこなかった。だけど、代わりに枕の下に落ちていたある物が答えを教えてくれた。


「…これ、玄武殿と透夜が使ってた式神の紙…ってことはー…」


そこまで口にすると、嬉しさで胸がいっぱいになって顔が緩んでしまった。透夜だという確かな証拠ではないけど、私には十分すぎるくらいの物だった。


「よしっ!わたしも頑張らないと!」


拳を握ってそう宣言をした後、布団を勢い良く放り投げて身支度を始めた。






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簡単な朝食を終えた後、すぐに出発となった私達がいたのは白い霧が漂う玄武神社の大鳥居の下だった。人数は玄武殿、透夜、お父様、私に加えて大人の人が十数人くらいで、私とお父様以外の人達は皆、黒い狩衣と顔に布を身につけた、いわゆる陰陽師のお仕事衣装を着ていた。


「…それでは、これより玄聆山へ向かいます。応龍様と美子様はくれぐれも我々から離れぬようにお願い申し上げます。」


「はい。」


玄武殿にそう返事をしたお父様を見上げていると、私の視線に気が付いたのか口を開いた。


「…言いたいことがあるような目をしているな。」


「あっ、えっと…はい…。」


心の中を言い当てられたような気がして体が少し跳ね上がった。だけど、なんだか私の問いを待っているかのような沈黙で、おずおずと口を開いた。


「…あの、どうして「一緒に行く」と玄武殿に言ったんですか…?」


そう。こうして玄聆山への妖怪退治に同行することになったのは、私がワガママを言ったわけではなく、お父様が昨日の夕食の時に同行を求めたからだった。


(…お父様は私みたいに他の家と仲良くしたい訳じゃないから、いつもはただ報告を待つだけなのに…)


気になっていたけどお父様の考えてることなんて解らないし、聞くこともできないから真相は諦めていた。だけど、まさかこうしてチャンスが巡ってくるなんて思わなかった。


「…私が「行かない」と言っても、お前は勝手に行くのだろう。なら同行した方が良いと思っただけだ。」


「えっ…?」


「…お前は禁じてもそれを掻い潜って死地へ飛び込むのだと、朱雀と白虎の地で学んだ。なら親として当然の選択だろう。」


そう言うと、お父様は私の手を取って歩き出した【玄武】の人達の後を追った。手を引かれながらその大きな背を見つめると、無性に頬と胸が熱くなった。



(…言うことを聞かないって、呆れられてるだけなのかもしれない……でも…知ろうとしてくれてるんだ、“天地美子わたし”のことをー…)


急に知ったお父様の一面に、戸惑いと嬉しさでいっぱいいっぱいになってしまう。だけど、同行してくれたことへの感謝だけは伝えたくて、繋いでいた手を強く握って歩を速めた。





………

……





「ふぅ…疲れたぁー…」


出発してから一時間ほどで山には到着したが、それから二時間ほど歩き回っても妖怪はおろか、動物の一匹だって見つけることが出来なかった。


「…美子。」


休憩を取るために立ち寄った川のほとりにあった岩の上で座っていると、最前列を歩いていて話すことのできなかった透夜が竹の筒を持って近付いて来た。


「あ!透夜!昨日のことなんだけどー…」


すると、その言葉の先を遮るかのように、持っていた竹の筒をグイッと私の目の前に差し出した。


「…休憩は短い。昨日の雨で泥濘ぬかるんでいるため余計に体力を消耗しただろう。今は回復に努めるべきだ。」


「う、うん…?でも、竹でどうしろと…?」


押し付けるような行為に戸惑いながらもそう言うと、透夜は竹の上の部分を取った。そして、長い方の竹に刺さっていた栓を抜くとさっき取った竹の上の部分をひっくり返して水を注いだ。


「へー!すごい!水筒だったんだ!」


私の言葉にコクンと頷くと、水を注いだ竹のコップを私に差し出した。お礼を言いながらそれを受け取って水を飲み干すと、喉の渇きと疲労がスッとなくなっていった。


「…もしかして、ただのお水じゃないの?」


驚きながらそう言うと、透夜はまた頷いて答えた。


「…玄武神社で祈祷を捧げた神水だ。玄聆山にて修行をする際は必ず携帯する決まりだ。」


竹の水筒に栓をしながらそう答えると、私の持っていた竹のコップを受け取って蓋をした。


「透夜は飲まないの?」


「…飲まなくても大事ない。」


「なんで?」


「…修行は最低でも一月ある。その時に飲める水はこの竹筒一本分だ。それ故、水を口にせずとも生きられるようにはしてある。」


「えっ…それってー…「玄武様!!」


突如響いた声は緊張感をはらんでいて、自然とその声のした方へ身体が向いてしまった。


「ご報告します!先に調査をしていた班より「山上にて襲撃を受けた」とのことです!なお、敵の姿は確認出来ずっ…うわぁぁぁあ!!?」


すると突然、玄武殿の正面でしゃがんで報告していた男の人が、何かに足を引き摺られているかのように腹這いのまま離れていった。そして、そのまま足を括られて吊るされているように空に浮いたと思ったら、物凄い勢いで川の岩に叩き付けられた。


「えっ…?」


一瞬のことで何が何だか理解のできずにただ見つめていると、突然誰かに手を掴まれた。


「透夜っ!?」


「っ…!」


何も言わずに現場から離れる後ろ姿は、どこか余裕がなさそうで不安に揺れていた。



それで漸く今の状況を理解した。

逃げるほど危険な状況なのだと。



「わっ!?」


すると突然、走っている私達に青葉が横殴りの雨のように襲いかかってきた。


「くっ…」


透夜が瞬時に結界を張ってくれたけど、葉で切ったのか、布の紐が切れて透夜の顔がはっきりと見えるようになっていた。


「透夜!ケガしてる!」


露わになった顔を見ると、その頬に一本の赤い線が出来ていて微かに血が滲んでいた。


「構わない。それより、俺から離れるな。」


そう言って辺りを見回す目は、鋭いけど焦りがあるように見えて思わず繋いでいた手を強く握った。




『……ケケケケ、ミツケタ』


不気味な声が聞こえた瞬間、結界の外から赤黒い小さな手が伸びてきて透夜の襟元を掴んだ。


「っ!?」


そして次の瞬間、その手に強く引かれた透夜は物凄い勢いで私から離れていき、川の中へと引き摺り込まれていった。


「透夜!!待って!!やめて!!」


結界が解けなくて追いかけることも出来ない私は、ガラスのような壁を叩きながら叫ぶことしか出来ずに消えていくその姿を見つめていた。


「透夜っ!!!」


『…ケケケケ』


私の叫び声に返ってきたのは、透夜が連れ去られる前に聞こえてきたあの不気味な声と全く同じもので、私は睨むように辺りを見渡した。


「どこ!?隠れてないで出て来て!!」


『…ケケケケ、オマエ、ウマソウダナ』


返事になってない言葉に苛々と焦りが膨らんでいく。なのに、それを揶揄うような笑い声だけが聞こえくる。


「答えて!!透夜はどこ!?」


『…ケケケケ、アイツハクウ、オマエハダメダ、ツヨスギル』


「食、う…?」


また返事にはなっていなかったけど、聞こえてきたその言葉に首が締め付けられて息が出来なかった。


「ま、待って!!やめて!!透夜を、食べないで!!」


『…ケケケケー…』


その笑い声を最後に、いくら叫べど声はもう返ってこなかった。






「…透夜を、食べる……」


絶え絶えになった息の合間にそう呟くと、最悪の状況が頭の中に描かれる。それを振り払う元気もなくてただ悲しみに暮れてペタリと座り込んだ。





……トス、トス、トス


嗚咽に混ざって聞こえてきたのは、聞き覚えのある軽やかな足音でゆっくり顔を上げるとその足音の主人と目が合った。


「…玄武……」


小さな四つの目が涙に濡れた私の目と重なる。その強くて綺麗な目に、涙が更に溢れてくる。


「…ごめんね…頑張るって言ったのに、何も出来なくて……」


その目を見ていられなくて、俯きながら自然とそんな言葉を口にしていた。


「…透夜、連れて行かれちゃった……食べるって言ってた…なのに、わたし、何も出来なくて……」


自責の言葉が悲しさと悔しさを煽って身体が震えてくる。それを抑えるように強く手を握るけど、痛みが増すばかりで役には立たなかった。



…トス、トス……



不意に、規則正しい足音が止んで静寂が響いた。顔を上げると、すぐそこに玄武がいて真剣な顔で私を見上げていた。



…その目は、何を伝えたいのだろう。

言葉のない意思は伝わらない。

今の私じゃ、分からないのにー…



『…オネガイ、カラダ、チカラ、カイホウスル……コワス、ジンジャ、「ゴシンタイ」…』



「あっー…」


一瞬過ったのは昨夜、玄武が私に言った言葉だった。


(…玄武は、ちゃんと言ってた。伝えてたんだ。私がやるべきことを…)


目を閉じて、何度も何度も玄武の言葉を繰り返した。そして、願いによって開かれた目の前の道をしっかりと見据えるように目を開いた。



「…ごめん。もう、迷わないから。…わたしをここから出して、玄武。」


そう言った瞬間、玄武が結界に噛み付いた。すると透明な結界が、本物のガラスのように粉々に砕けて散った。


「ありがとう。…行こう、神社に。ご神体を壊しに…!」


紐の切れた透夜の布と玄武を拾って立ち上がると、泥濘む地面を蹴って走り出した。…帰り道なんて覚えてなかったけど、不思議と自分の進むべき道が見えて、迷うことなく山路を駆けていった。







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「はぁ、はぁ……着いた、けど…」


何度か転んだため、泥まみれになりながらも何とか玄武神社まで戻ってきたものの、私は拝殿の前で立ち尽くしていた。


「…ご神体が本殿にあること忘れてたっ!!」


…そう、一応神社の家の子であるから御神体が何なのかは知っていた。そして、それがどこにあるのかも…。


「…本殿は、特別な時に、神社で一番えらい人しか入れない……そして、わたしはそのどちらでもないわけで…」


まるで誰かに説明しているかのように呟いてから頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「しかもここ、【玄武】の神社だし、わたしは【応龍】だし、天地神社でも本殿には入っちゃいけないって言われててぇー…」


どんどん口から出てくる事実が私の頭を悩ませる。…ついさっき迷わないと決めたのが嘘みたいだった。


「…ん?あ、玄武…」


足をゴンゴンと突かれていることに気が付いて足元を見ると、私に何度も頭突きをする玄武と目が合った。


「…うっ……わ、分かったよ!後でたっぷり怒られればいいもんね!」


半分ヤケクソになりながら、涙目で拝殿を駆け抜けてその奥の、厳かな建物の戸に手を掛けた。


「…あ、カギ!?そんなの貸してくださいって言って借りられるような物じゃー…」


すると、肩に乗せていた玄武が私の腕を伝って立派な南京錠の前まで移動した。そして、鍵穴に尻尾を突っ込んで器用に動かすと、ガチャっと言う音が聞こえた。


「すごいね!ありがとう!」


何だか泥棒ゴッコをしているような気分になって楽しくなってきた。だからお礼を笑顔で伝えてから、掛かっていた南京錠を外して重い扉を開けた。






「…あれが、ご神体?」


…灯りのない暗い本殿の中央にある丸い何かを見つめながらそう言うと玄武はコクンと頷いた。痛いくらいの神聖な空気に緊張しながらも慎重に歩いて近付くと、土でできたバスケットボールのような球体の物だと気が付いた。


「…これを、壊せばいいのね?」


再度玄武に訪ねるとまた頷いて答えてくれた。神様の身体に触れるようですごく緊張したけど、ゆっくりと手を伸ばしてそれを取った。


「お、重いっ…!でも、これ…何だか変な感じ…」


妙に手に馴染むと言うか、懐かしいと言うか、とにかく怖いという感じはしなかった。じっくり眺めていたかったけど、重さで腕に限界が訪れそうになったからさっさと壊そうと持ち上げた時だった。


「誰か!!本殿に何者かが侵入しているぞ!!」


「!!?」


大人の人の声が聞こえてきて思わず身体が固まってしまった。まさか、神社に人が残っているとは露ほどにも考えていなかった。


「動くな!!どうやってここにー…えっ…」


灯りを持った人達が扉から三人ほど入ってきた。そして、その犯人を見つめて固まった。


「っ…!ええい!!どうにでもなれ!!」


それを最後のチャンスだと思って後先のことなんて考えずに、勢いよく腕を振り下ろした。



パキーンッ……



「…わぁ…」



壺が割れるような音が響いた後、本殿に響いたのは感嘆の声だった。


…割れた土の塊の中から出てきたのは、冬空のような冴えた青色に耀く水晶玉だった。いや、よく見てみると、その青く輝いているのは球体の中に満ちている液体で、球体の水槽という方が正しいのかもしれない。



『…ミコ、ミズウミ…』


…見惚れる耳に聞こえてきたのは、泡沫が弾けるような静かで綺麗な声だった。それで漸く、自分の置かれている状況を思い出して、急いでその球体を拾い、惚けている三人の大人の人達の間をすり抜けて走って行った。







「はぁっ!はぁっ!」


後ろから私を呼ぶ声が聞こえてくる。だけど、振り返ることはしなかった。


「…着いた!黒澪湖!着いたよ!玄武!」


重い水槽を持ったまま走って辿り着いたのは、玄武が言っていた「ミズウミ」の場所だった。


「ここでしょ!何すればいいの!?」


濃霧の中、私を探して駆け回る大人の人達の足音と呼び声から逃げるように湖の周りを走りながらそう問い掛けても答えは返ってこなかった。


「ミズウミなんて、ここしか知らな「美子様!!」


突如霧の中から手が伸びてきて、慌てて避けると息を切らした男の人が凄みをきかせた顔で私を見つめた。


「…美子様、何故このようなことをなさるのですか?それは、我等【玄武】の心臓でもあるのですよ!」


「っ…!」


初めてお父様以外の人から叱られて、恐怖で身体が固まった。だけど、その男の人は一歩二歩と大股で近付いてくる。


「…さあ、お返し下さい。そして、このことは必ず応龍様にもお伝えしてー…」


『…ミコ、オイデ…』


威圧する声の先を奪った声は、波一つない鏡のような湖から聞こえてきた。それに動かされるように迫り来る手を避けながら、私は球体の水槽を抱えて湖に飛び込んだのだった。






続く…

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