第15話 火種


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「……。」


ザァァァァー…



玄武神社を案内して貰っていたはずなのに、何故か私の目には滝行をする透夜が映し出されていた。


(…説明もなく始めちゃったけど……というか滝も神社の一部なんだ……私もやった方がいいのかな…)


そんなことを考えながら茫然とその光景を眺めていると、目をつぶって合掌していた透夜が突然滝から出てきた。


「…すまない。みそぎの刻限だったんだ。」


滝に向かって一礼してから、ザブザブと滝壺を歩いてこちらにやってきた。そして、滴る雫を拭うことなく私に頭を下げた。


「う、ううん。お疲れさまでした…。それより、早く拭かないと風邪引いちゃうよ?一回戻ってー…」


心配しながらそう言うと、全身びしょ濡れの彼がゆっくり首を横に振った。


「えっ、でも、髪も顔の布もその、いか何ちゃらって服もそのままにしたら冷えちゃうよ?冷えたら風邪引くんだよ?」


すると、自分の服を見下ろして再び首を振った。


「…この服は衣冠いかんではない。半尻はんじりという装束だ。また、父上が召されていた物は狩衣かりぎぬという。」


「何が違うの?」


「…起源、使用目的、対象が異なる。いずれも古代の貴族が着ていたと言う点においては通ずるが、衣冠は礼服の束帯そくたいの略式、狩衣は鷹狩りや蹴鞠などの際に着る装束、半尻は童子が着る狩衣、といった具合に明確な相違点がある。特に衣冠は礼服の略式であるから、大規模な儀式の際に着用する。狩衣と半尻は我々【玄武】が陰陽師として職務に当たる際や貴賓を迎える際の正装として着用する。また、普段は他の神社と変わらず袴の装束を身につけ神に仕えている。」


ペラペラと言い淀むことなく説明してくれたけど、勉強がそこまで得意ではない私には話の二割程度しか理解が出来なかった。だけど、聞き返す勇気も気力もなくて「へー…」と愛想笑いで返事をした。


すると、彼は自分の胸を手で軽く撫でて緩く握った手の平を上に向けた。何かくれるのだろうかと見つめていると、彼が手を開いた瞬間、大きな水の玉が浮かび上がった。


「…へっ…?」


驚いて彼の顔を見ると、さっきまでびしょ濡れだった髪も顔の布も半尻も、乾いて滝に入る前の状態に戻っていた。



「…す、すごい!何したの!?どうやったの!?魔法みたい!!」


秀の「消灯」は白虎の加護でも魔法でもなく文明の利器だったけど、透夜のは完全に絶対に玄武の加護だと思い、その不思議な力に興奮しながら立て続けに質問した。すると、私の勢いに押されたのか目を少し見開いた後、自分の手の上に浮かぶ水の塊を見つめた。


「…体と服に付着した水を操っただけだ。大したことはしていない。【玄武】の者が一番初めに学ぶことだ、誰でも出来る。」


そう言って水の塊を滝壺に向かって投げるとポチャンという音を立てて玉が砕けた。綺麗だったのに勿体無いな…と惜しんで滝壺を見つめていると、彼が何も言わずに歩き出した。


「あっ、待ってよ。次はどこを案内してくれるの?」


濃い霧で逸れないように慌てて駆け寄ると、彼はじっと私を見つめた。



(…何だろ…?ていうか透夜って、誰かに似てるんだよなぁー…)


気まずさのあまりそんなことを考えていると、彼がゆっくり瞬きをした。


「…実の所、玄武神社は玄武を祀る場であるが陰陽道を探究し修める場でもある。そのため案内できる場所と言えば次に行く所ぐらいだが、了承願う。」


「う、うん…?ていうか、見て回るところ少ないんだね。」


「…ああ。その代わり、参拝客は川を下った所にある社家町しゃけまちの方で観光を楽しむようだ。」


「しゃけまち?」


そう繰り返すと頷いて答えた。


「…世襲的に、つまり代々受け継いで特定の神社に奉仕する家が集まって形成された町のことだ。川下の地域は作物や米の栽培に適した環境で農業や酒造りが盛んなため食事処や土産屋が多く、観光地として名を馳せている。」


「へぇー、楽しそう!後で行けないかな?」


期待を込めた目で見つめると、暫く考え込む素振りをした。



「…俺が父上から命じられたのは“境内の案内”だ。その命には“社家町への案内”は含まれていないため、独断での返答は難しい。すまない。」


そう言って頭を深く下げるので、慌てて首を横に振って口を開いた。


「あっ、だ、大丈夫だから!悪いことした訳じゃないんだからすぐ謝んないでよ!」


すると頭を下げていた透夜が急に顔を上げて首を傾げた。


「…?【応龍】である美子の要望に応えられないのだから謝罪するのが道理だろう?」


「えっ…?」


その言葉を聞いた瞬間、さっきの拝殿での出来事が脳裏を過った。


(…そっか、【応龍】の私が聞いちゃったから、秘密のことなのに答えられなかった玄武殿が悪いことになっちゃったんだ……聞き返したのは癖というか好奇心だったんだけど、これからは気を付けないと…)



思い出して罪悪感に苛まれている私を見つめては、不意に懐から玄武殿が使ったのと同じ人形の紙を取り出して空に放った。すると、その紙がまた灯火を持ったのっぺらぼうの小人に変化した。


「わぁ…!さっきも見たけどやっぱりすごいね!」


しゃがんで小人を見つめながら思ったことを素直に伝えると、意外にも沈黙が返ってきた。


「…?どうかしたの?」


「…いや。そろそろ移動するとしよう。」


何故か私から目線を外しながらそう告げると、踵を返して歩き始めた。そして、その後を追うように灯りを持ったのっぺらぼうが走っていった。


(…何だろ?やっぱりよく分かんないなぁ…せめて顔が全部見えたら何か分かるかもしれないのに……でも下手なこと言って謝らせるのは嫌だしなぁ…)


頭の中でグルグルグルグルそんなことを延々と考えていたけど、霧でぼやけていく灯りに気が付き、慌てて霧の中を走っていった。






ーーーーーーーーーーーーー






「…うわぁ〜!」


着いた瞬間、思わず感動の声を上げてしまった。…その場所は、大きな大きな池の真ん中にお社みたいな木造の建物が建っていて、更にその池を囲むように灯籠が設置されていてその灯籠の炎が水面に反射しながらも白い霧に包まれていて、なんとも幻想的な雰囲気が漂う場所だった。


「…ここは「陰陽堂」だ。その名の通り陰陽道を探究するための場だ。中にはそれに関する文献や道具があり、ここで占術や祈祷をする。」


「へぇー!見てるだけでも楽しいね!それにこんなおっきな池、初めて見た!」


陰陽道に関係する場所なら中には入れないんだろうなと察して、なるべくそっちに触れないように言葉を返した。すると、暫く私を見つめてから目を陰陽堂の方に向けた。


「…これは池ではなく「黒澪湖こくれいこ」という湖だ。先刻の「白浘はくびの滝」と合わせて玄武の化身だと言われている。」


「玄武……あっ!こっちがまん丸だから亀で、あっちが長いから蛇ってこと?」


右肩の玄武をヒントにそう答えると、透夜は言葉の代わりにコクンと頷いて応えた。


「やった!…んー、じゃあさ、この湖を囲んでる灯籠にも意味があるの?」


正解を喜びつつも会話を途切れさせないように慎重に考えて言葉を重ねた。


「…ああ。玄武は五行では「水」に当たる。そのため水にまつわるものがここには多くあるが、陰陽説では「火」が対となって一つの要素を形成する。相反する陽と陰が調和してこそ自然の秩序が保たれることから灯籠を多く設けている。」


「……へぇー…」


愛想笑いをしながら何度目か分からない生返事をした。勿論理解なんて出来なかったけど、陰陽説とやらについて少し話してくれたことは分かったので思わず頬が緩んだ。


「…?何故笑う?」


そんな私の変化に気が付いたのか、真っ直ぐ私を見つめながらそう質問した。


「だって、嬉しいじゃん。」


「嬉しい…?」


「うん。さっきは教えてくれなかったこと、難しかったけどちょっと教えてくれたから、ちょっと仲良くなれたのかなって。」


笑顔でそう言うと、透夜の切れ長な目が少し大きくなった。そしてそのまま固まって黙り込んでしまったので声を掛けようと口を開いた時だった。



「…失礼致します。透夜様、美子様。玄武様がお呼びですので舟着場までご移動願います。」


弓みたいな持ち手がある提灯を持った浅葱色の袴の男の人が急に霧の中から現れて、湖畔に立っていた私達にそんなことを言った。


「あっ、えっと、はい。」


何も答えない透夜に代わって動揺しながら返事をすると、その男の人は一礼してから再び霧の中へと消えていった。



「び、びっくりしたぁー…呼んでるって、何だろうね?」


ドキドキする胸を押さえながら透夜を見ると、何故か無言で底の見えない湖を見つめていた。


「…どうしたの?」


「…。」


顔を覗き込んでそう尋ねてみても返事はおろか瞬き一つせずに立ち尽くしていた。すると急に、すぐ近くで座っていたのっぺらぼうの小人が立ち上がって男の人が消えていった方へ走って行った。


「えっ!?ちょ、ちょっと待って!ほら、透夜!行かないと迷っちゃうよ!」


こんな霧の中に置き去りにされたらまずいと思って慌てて彼の手を握って引っ張った。そして、離れていく灯りを追いかけるように二人で白い濃霧の道を駆けて行った。






ーーーーーーーーーーーーー






のっぺらぼうの小人を追い掛けて走って行くと、白い霧の中に黒い影が浮かび上がった。恐る恐る近付いてみると、その影の正体に小さな声が漏れた。



「…走って来たのか?」


「お父さま…?どうしてここに?」


質問に質問を返すと、お父様の背後から別の影が現れて頭を下げた。


「…急かすような形になってしまい申し訳ありません。お怪我はされてませんか?」


「だ、大丈夫です。」


また謝罪させてしまった罪悪感と何故怪我の有無を問われたのかの疑問が混ざって苦笑いをしてしまった。だけど、玄武殿とお父様は私のそんな表情には目もくれず、繋がれた私達の手の方を凝視して黙り込んだ。


手に穴が空くんじゃないかと思うくらい見つめられて、流石に恥ずかしくなった私はそっと手を離した。


「…勝手に握っちゃってごめんなさい…。」


「…いえ…」


小さな声で謝ると、それまで黙っていた透夜が漸く返事をしてくれた。すると、それを見守っていた玄武殿が不意に私の名前を呼んだ。


「…玄武神社では水以外の飲食が禁じられておりますので、社家町の方で昼食の席を設けております。そのためこうしてお呼び立てしたという訳でございます。」


さっき透夜が説明してくれた社家町に行けると知り、胸が躍り出した。そして、笑顔で頷くと玄武殿と透夜が先に舟に乗り込み、それに続く形でお父様と私が乗り込んだ。


…さっきよりも人数が多くて、尚且つ向かい合って座っているにも関わらず会話は一つもなかった。皆それぞれが別の事を考えているような、そんな奇妙で静かな舟は綺麗な水によってゆっくり川下へ流されて行った。





ーーーーーーーーーーーーー





「…ふぅ、ごちそうさまでした。」


お箸を置き手を合わせて挨拶をした私がいたのは、社家町で一番立派な外装の料理屋さんの宴会が出来そうなくらい広い個室だった。そこで振る舞われたお昼ご飯は色とりどりの野菜や海の幸が贅沢に使われた懐石料理で食べるのにすごく緊張した。


(…もっと食べやすい物にしてくれたら良かったのに…でも残さず食べて私偉い!)


不満と自賛を心の中で呟いてからお茶を飲むと、斜向かいに座る玄武殿が布のマスクを身に付けてお父様と話し始めた。


(…流石にご飯の時は外すんだ…ていうか…)


湯呑みで口を隠してお茶を飲んでるフリをしながらチラリと正面の彼を見た。


(…うん、目元だけでも十分かっこいいけど、でも隠してるのがもったいないなぁ…)


静かにお茶を飲む透夜の顔を見つめながらそんなことを考えていると、お父様と話していた玄武殿が急に私の名前を呼んだ。


「…この後の予定なのですが、宜しければこの町の観光でも如何でしょうか?観光地として有名な場所ですからきっとご満足頂けるかと思います。」


その提案に待ってました!と言わんばかりの笑顔を浮かべた。この料理屋さんに入るまでの町並みが古めかしくて、でもお祭りみたいな活気があって楽しそうだったから案内してくれるなんて願ったり叶ったりだった。


「はい!おねー…「失礼致しますっ!!」


私が案内を頼もうとした時、突然襖が乱暴に開いて真っ青な顔の女将さんがこちらを見て言葉を飛ばした。


…そのただならぬ雰囲気に、場の空気が一気に張り詰めた。


「も、申し訳ありません!しかし、直ぐにお伝えしなければと思いましてー…」


「…良い。用件を。」


慌てた様子で謝罪をする女将さんの言葉を遮って短い言葉を返したのは玄武殿だった。


「は、はい。実は、町の北部に妖怪が出現し人々を襲っているとの情報がたった今届きまして、どうか退治を…!」


女将さんの言葉に、心臓が大きく脈を打った。


「よう、かい…?」


言葉にすると、脳裏を過ったのはあの夕暮れの光景だった。



(……あの時の、鬼みたいなのが、人を…?)


過ぎたことなのに、甦った恐怖に身体が震え出す。


(…大丈夫、大丈夫…退治、するだけ…)


落ち着かせるために心の中で励ましの言葉を呟いても、恐怖に縛られた身体は小刻みに震えていた。



…すると突然、左手に温かい何かが触れた。よく見るとそれは私よりも遥かに大きな手で、痛いくらい強かったり擽ったいほど弱かったりと忙しない、不器用な力加減に顔を上げた。




「…お父、さま…」


震える私を包んだその人の名を呼べば、無感情な目だったけど、どこか優しげな表情で頷いてくれた。


「…美子、此処は玄武の地だ。誰も【応龍】のお前に事態の収束を願ってはいない。…分かるな?」


いつもと同じ起伏のない冷たい声なのに、紡がれたその言葉は胸を温めて恐怖を和らげてくれた。だから、私もしっかりと頷いて応えた。


「…玄武殿。我々も妖怪退治に同行しても宜しいでしょうか?」


それを見届けて、お父様は透夜と話している玄武殿に向かってそう言った。


「…勿論でございます。では、参りましょう。」


玄武殿のその言葉に軽く頭を下げたお父様は、私の手を取って立ち上がった。そして、部屋を出て行く玄武殿と透夜の後を追っている時に前を向きながら口を開いた。


「美子、よく見ておきなさい。神の加護を持つ者の定めとお前を守る者の力を。」


修行の時や勉強を教えてくれる時みたいに真剣な顔をしながら言ったその言葉に、緊張感のようなものが身体を駆け巡った。だけど、もう恐怖はどこにもなくて、力強く頷いてお父様と共に喧騒の町を走っていった。






続く…

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