第14話 北野宮透夜


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『…ねえ、そんな顔しないでよ。俺がイジワルしたみたいじゃん。』


『…だって、バイバイだから…』


『だーかーら、大丈夫だって。』


『なんで…?』


『分かんない?…だって今度はー…』





「…へっくしょん!!」


…自分のくしゃみに驚いて目を覚ますと、車窓を叩く雨の音がまず耳に入ってきた。


「…あれ?雨…?」


そう言って目を擦りながら窓に近付こうと体を動かした瞬間、頭を掴まれて強引に顔を通路の方に向かされた。



「…お、お父ひゃま…?」


寝起きと驚きが作用し合って呂律が回らず甘噛みでその名を呼ぶと、険しい顔をしたその人が無言でポケットティッシュを顔に突き付けてきた。


「…これで手と顔を拭きなさい。其処彼処にお前の鼻水を付けられては多くの人に迷惑が掛かるだろう。」


「ご、ごめんなさい…。」


慌ててティッシュを受け取って言われた通りに手と顔を拭いた。使ったティッシュをポケットに仕舞おうとすると、お父様がビニール袋を広げてくれたのでありがとうの意味を込めて軽く頭を下げ、そこに捨てた。袋の口を閉じたお父様は、おもむろに懐から時計を取り出して荷物をまとめ始めた。


「…あと五分もすれば着く。慌てないように準備しておきなさい。」


「あ、はい!」


また置いて行かれることがないように急いで鞄に荷物を詰めていると、不意にお父様が手を止めた。



「…美子。一つ聞いておきたいことがある。」


「…?はい、何ですか?」


珍しいなと思いながら私も手を止めて見上げると、お父様は前を見据えたまま独り言でも言うかのように口を開いた。



「…瀕死であった【朱雀】の次期当主殿や重傷を負った【白虎】の討伐隊を治療したのはお前で間違いないな?」


「はい。」


「…それはどのような方法で治療したのだ?」


「方法…んーと、治してってお願いすると手がぴかぁって光って治るんです。」


「…それはいつからだ?」


「えっと、初めて治したのは健のケガだったので、五日前から…?」


一つじゃなかった質問に少し困惑しながらも答えると、お父様は黙り込んで何かを考えるような素振りをした。


「どうしてそんなことを聞くんですか?」


何だか気になって今度は私が質問した。すると、ゆっくり私を見て話し始めた。


「…その力は「治癒ちゆの力」と言って、【応龍】の加護を受けた女性に限って現れる特殊な神通力だ。よって私や光にはない力だが、稀有けうな上に高度な方術と豊富な知識や経験が必要となるためお前の歳で発現するどころか、況してや自在に扱えるような代物ではない。しかし、それをどうやって…」


「あっ、それはー…」


青龍が教えてくれましたと言おうとした時、車内アナウンスが流れてそれを遮った。


「…この話は終わりにしよう。また何かあったら報告しなさい。」


「は、はい。」


報告すべき何かがよく解らなかったけど、聞き返す時間などなかったため、急いで荷物まとめを再開した。




………

……




「…はぁ、はぁ…おっとっと!すみません!」


慣れない人波にあっちへこっちへ流されながらも必死にお父様の後を追いかけると、開けた所に到着した。



(…うん、やっぱりお父様と言えばこっちだよね…一昨日みたいに手を繋ぐなんて…夢でも見てたかな?)


息と身だしなみを整えながら、時計を眺めるその横顔を見つめてそんなことを考えていた。そして、今は空っぽな手を開いたり結んだりしていると、「応龍様、美子様」と呼ぶ声が聞こえてきた。



「…遠路遥々お越し下さりましてありがとうございます。玄武げんぶ様の御命令によりお迎えに参りました。」


ここ数日で聞き慣れたお迎えの時の簡単な挨拶をしたその人は、【朱雀】や【白虎】の時と同様に浅葱色の袴を穿いていた。しかし、視線を上げていくと鼻から首までを大きな一枚の布で覆うという、少し不気味な装いをしていた。


「「玄武神社」までの御移動のために舟を用意致しましたので、先ずはそちらへ参りましょう。」


「舟…?」


新たな乗り物の名前が出て来て少し胸が高鳴った。そして、ドキドキする胸を押さえつけるように手を握り締めて前を行く大人達の背中を追い掛けた。



………

……




雨上がりの道を歩いて辿り着いたのは川底がはっきりと見えるほど澄んだ川の岸辺だった。そこに到着するや否や、案内の男の人は接岸してあった舟に乗り込んで雨露で濡れた座る板の部分を布で拭き始めた。


「お待たせ致しました。岸と舟の間が空いておりますのでご注意ください。また、揺れますのでお乗りになりましたらすぐに御着席下さいますようお願い申し上げます。」


「は、はい。」


板を吹き終わると振り返って私達にそう告げた。初めての乗船に緊張しながら慎重に黒い木造の舟に乗り込むと、グラグラと揺れて怖かったけど水に浮かんでいることが実感できてすごく楽しかった。


「美子。座りなさい。」


身体の重心を動かして遊んでいると、不意に頭の上にそんな言葉が降って来た。それで漸くさっきの説明を思い出して慌てて座ると、お父様も乗り込んで私の正面に座った。


「それでは「玄武神社」へ参ります。転覆や転落の危険もございますので決して立ち上がったり身を乗り出したりなさいませんようにお願い申し上げます。」


私達が座ったのを確認してからそんな注意の言葉を告げたその人は、岸辺の杭に巻かれていた縄を解いて3メートルくらいある竹の竿を手に持った。そして、その竿で近くにあった岩を押すと舟が川の淵の方へ流れていき、水の流れに逆らって進み始めた。


(…なんで水が流れてくる方に向かって動いてるんだろう?いっぱい漕いでる訳でもないのに…)


不自然に、だけど滑らかに進んでいく舟のふちを掴んで川の水面を眺めていると、船尾に立っていた男の人が口を開いた。


「こちらの川は「黒路川くろぢがわ」と言いまして、その昔、玄武がこの地にて社を建立すべき場所を決める際にこの川を泳いだと言われております。またその際、慈悲深い玄武は救けを求め訪れた者が迷わぬように、道標として水の流れとは逆の、つまり川上へ上る路をお残しになったため、このように舟が川を上っているという訳でございます。」


「へぇー…そうなんですか。」


感謝の言葉を告げてから改めて川を眺めてみると、確かに舟の下に薄らと黒くてキラキラと輝く一本の道があった。


(…きれい…川の中に七夕の天の川があるみたい…)


泳ぐ川魚がはっきりと見える程澄んだ川を見つめながら、水の流れる音や柔らかな風の音を聞いてしばしの安らぎと共に初めての舟旅を堪能していた。





………

……





「…お待たせ致しました。降りる際は足元に十分ご注意ください。」


「は、はい。」


グラグラ揺れる舟から何とか落ちずに岸へ降り立つと、見上げた先の光景に目を見開いた。


「…うわぁー…すっご…」



…背の高い木々が生い茂って僅かな光しか差し込まない薄暗い山の中、その僅かに差した光が反射する白い霧が立ち込めたその場所は、一切の穢れを許さぬ厳格さと救いを求める者を余さず包み込むような寛大さが感じられる不思議な場所だった。


(…空気は冷たいけど吸い込んだらスッキリする……気持ちいいなぁー…)


空気をいっぱい吸い込もうと顔を上げて口を大きく開けようとした時、前から複数人が歩いてくる足音が聞こえて来た。




「…応龍様、美子様、玄武の地までお越し下さりまして誠にありがとうございます。この佳き日を迎えられましたことを応龍様と美子様、そして神に感謝致します。」


…霧の中から現れたのは、迎えに来てくれた人と同じような鼻から鎖骨辺りまでを覆い隠すほどの大きな布を身に付けた男女四人だった。一人は背が一番高い男の人、一人は二番目に背が高い女の人で、その左隣には四人の中で一番背の低い男の子がいて、挨拶をした男の人の右隣には私と同じくらいの背丈の男の子が立っていた。


顔に布のマスクみたいなのを着けているだけでも十分特異なことだったけど、着ている衣服も他の【四神】とは異なっていた。


(…あの服、大きな儀式の時にお父様が着る服みたい…でも、何て言うんだっけ……いか……)


袴の装束でも道着でもない、着膨れて動きづらそうなその服を凝視しながら、その名前を思い出そうと頭を悩ませていると、お父様が返事の言葉を口にした。


「いえ、お迎え頂きましてありがとうございます。そして、順番とはいえ挨拶が遅れましたことをお詫び申し上げます。」


そう言って頭を下げるので、私も思い出すのを放棄して慌てて頭を下げた。


「仕来り故、致し方ありません。どうか頭をお上げ下さいませ。」


「ありがとうございます。」


幾度となく見た上辺だけのやり取りに小さく溜息を吐いた。すると、霧の中にいる男の人が袂から一枚の人形ひとがたの紙を取り出した。そして徐にそれを空に放り投げると次の瞬間、何の変哲もなかった紙が瞬く間に私の腰くらいの背丈の人間になった。…人間と言っても、顔はのっぺらぼうだし、髪も生えてないし、肌なんか和紙みたいに真っ白だしで人間味は全くなかった。


「霧が濃いですので迷いませんように、その式神が持つ火の灯りを頼りに参りましょう。」


「しきがみ…?」


初めて聞く言葉を呟くと、その灯りを持った「式神」がとてとてと小さな足を動かして石畳みを歩き出した。そして、それに続くように私以外の人間が歩き出したので私も一歩二歩と歩み始めた時だった。




…トスッ、トスッ


「……ん?」



…不意に背後から、小さな物音がして振り返った。そして、その音の正体に我が目を疑った。




「……玄、武……?」


…舟着場の方からゆっくり歩いて来たのは、小さな亀とその甲羅の上でとぐろを巻く白い蛇で、その小さな足を懸命に動かして真っ直ぐこちらに近寄って来ていた、…私自身、玄武がどんな姿をしているのかは知らなかったけど、青龍や朱雀、白虎と話したり触れ合ったりしていたから直感的にその亀と蛇が最後の四神、玄武であると悟った。



「…美子、どうした?」


驚いて立ち尽くしていた私に気が付いたお父様が霧の向こうから声を掛けた。その声に我に返った私は反射的に玄武を両手で持ち上げてお父様の元へ走って行った。


「な、何でもないです!あの、えっと…リュックが空いてて、タオルを落としたみたいです!」


後ろ手に玄武を隠しながら引きった笑顔でそう弁解をすると、暫く私を無言で見つめてから「…逸れないように」と言って再び歩き始めた。


(…よ、良かったぁ…)


その後ろ姿に安堵の息を吐いて隠していた玄武を顔の正面に持ち上げた。


「…話は後でしよ?それまで大人しくしててね。」


つぶらな四つの目にそう言ってから自分の肩にその二匹を丁寧に乗せた。そして、霧の中に消えて行った背中を追いかけた。






ーーーーーーーーーーーーー






濃い霧が立ち込める境内を小さな灯りを頼りに歩いて到着したのは神社の拝殿で、さっきと同じ並びをした四人の男女と向かい合う形で座っていた。…玄武はというと、私の肩から腕を伝って腿の上に移動して私を見上げていた。


(…後でねって言ったでしょ?今は挨拶だからダメだよ。)


心の中でそう呟くと、まるで意を解したかのようにその目を私から正面に座る【玄武】の人達へ移した。


「…それでは、改めてご挨拶を。私は【玄武】の当主にして、玄武神社の宮司を務めております。左に座するは妻と次男、右に座するは長男で【玄武】の次期当主にして美子様の守護者を担う者でございます。」


一気にそう説明すると男の人の右隣に座る男の子が床に手を付いて軽く頭を下げた。


「…美子様、お初にお目に掛かります。【玄武】の次期当主にして美子様の守護者を務めます、北野宮透夜きたのみやとうやと申します。」


「あっ、えっと、天地美子です。よろしくお願いします。」


髪の色と同じ、深い紺色の切れ長な目に気圧けおされながらも簡単に自己紹介をして頭を下げると、彼も頭を深く下げた。


「では次に、この玄武神社についてご説明致します。」


「はい、お願いします。」


そう答えると、宮司様が口を開いた。



「…この玄武神社はその名の通り、四神の「玄武」をお祀りする神社でございます。その玄武は方位では北、季節では冬を司る神獣であります。また、五徳では「智」を受け持つことから学業成就を、五行では「水」に当たることから雨乞い、海や川の安泰祈願、大漁祈願などの水に関わる御利益、そして亀と蛇の神獣ということから長寿や子孫繁栄などといった御利益を授けるのです。」


「へぇー…いっぱいあるんですね。」


感心しながら腿の上に座っている菓子パンくらいの玄武をチラリと見ると、誇らしそうに鼻をフンッと鳴らした。


「そして、その神獣の加護を受けた我々は「水」の持つ鎮める力を用いて魔を浄めるのです。また、その力に加えて「陰陽道おんみょうどう」を修めた我々【玄武】は「陰陽道」の占術や祈祷、お祓い等も行っております。」


「おんみょうどう…?」


いつも通り解らないところを繰り返すと、それまで話していた宮司様が少し考えるような素振りをした。


「…お答えしたいのは山々なのですが申し訳ありません。「陰陽道」に付きましては非常に難解な上に秘術でもありますので、公言並びに詳細は控えさせていただきたく存じます。ただ、「陰陽説と五行思想を融合させた学問・呪術である」とだけ申し上げておきます。」


そう言うと頭を深く下げてもう一度「申し訳ありません」と謝罪した。それが逆に申し訳なくて、慌てて口を開いた。


「い、いえ!大丈夫です!こちらこそ答えにくいことを聞いてしまってすみませんー…」


私も頭を下げようとすると、隣に座るお父様には手で、腿の上に座る玄武には精一杯身体を伸ばした蛇の頭で止められた。


「…それでは玄武殿。この後の境内の案内は透夜殿にお願いしても宜しいでしょうか?」


私を片手で制したお父様は私に何かを言うでもなく、何もなかったかのように宮司様改め玄武殿にそう尋ねた。


「はい、勿論でございます。」


顔を上げてそう答えると、右隣に座る北野宮透夜君に目配せをした。


「…美子様、境内をご案内致します。」


「あっ、はい。」


名前を呼ばれて腿の上の玄武を急いで掴み立ち上がった。そして、軽く頭を下げてから先を行く男の子の背中を追いかけた。




………

……




「…まずは「御手洗みたらし場」からご案内致します。」


拝殿から出て賽銭箱の前で淡々とそう告げた彼を見つめて首を傾げた。


「みたらし?お団子?」


「…その由来となった川もあるようですが、「玄武神社」のものは違います。神社の手水舎と同じように、参拝にきた者がまず手と口を浄めるための場を川に設けたものです。」


さっきの不思議な「黒路川」だろうか?と考えながらさらに言葉を重ねた。


「川で口も浄めるの?」


「…昔はそのように定めておりましたが、衛生面を考慮して現在では口の代わりに新品の手拭いを川の水に浸し、足を浄めて頂くようにしております。また、口は近くに手水舎を用意しておりますのでそちらでとなります。」


そう言うと、懐から綺麗な手拭いを二つ取り出してみせた。


「あ、ありがとう…」


もしかしなくても二度手間なんじゃ…という言葉は飲み込んでお礼を告げた。


「いえ。」


…そして、そのやり取りを最後に、私達の間には沈黙が流れた。



(…何だか話しづらい子だなぁ…感情がないお人形さんみたいな…)


そんなことを考えながらおしゃべりもせずただ彼の後を着いていく時に、このままじゃいけないと思って意を決して私は声を掛けた。


「…あの!」


「…はい、何でしょう。」


前を向いて歩いていた彼はゆっくり振り返って真っ直ぐ私を見つめた。感情のない切れ長な目に一瞬たじろぎなからも口を開いた。



「…あの…お、お願いがあるん、だけど…」


「…はい、何でしょう。」


さっきと全く同じ声音で全く同じ言葉を繰り返すから、怒ってるのかつまらないのか、はたまた悲しんでるのか一切判らなくて、それが不安を煽って鼓動が早くなる。だけど、自分から声を掛けておいて何でもないと後戻りするなんて出来ないことは重々承知していたから息をたくさん吸い込んだ。



「…わ、わたしのこと!「美子」って呼んでっ!!わたしも「透夜」って呼ぶから!!あと、敬語も使わないで!!」


たくさん吸い込んだ息と一緒に吐き出したから何だか怒鳴っているみたいになってしまった。変な誤解を与えてしまったんじゃないかと冷や汗をかくと、彼がゆっくり瞬きをした。


「…何故でしょうか?」


焦る私とは対照的に、声音も表情も崩すことなくそんなことを尋ねてきた。


「…へっ?…あ、えっと…仲良く、なりたいから…」


さっきまでの心配が無駄に終わったことに安心して半ば放心状態でそう答えると、私をじっと見つめながら黙り込んだ。




「…分かった。そうしよう。」


「…へっ?」


急に言葉を発したかと思ったら聞こえて来たのは聞き覚えのある堅苦しさを感じさせる話し言葉だった。


「…?何か問題でもあったか?」


「…うぇ!?あ、いやっ、大丈夫…」


「…そうか、なら行こう。」


そう言って踵を返して歩き始めた背中を、嬉しさと困惑の混じった目で見つめた。



(…秀は秀で扱いづらかったけど、透夜かれもなかなか大変かもしれないぞ…)


一難去ってまた一難とはよく言ったもので、新たな出会いを喜びながら、新たな試練の幕開けに一人密かに頭を抱えるのだった。






続く…

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