第12話 猫と岩
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「…ヒマだなぁー…」
そう呟いた私がいたのは虎ノ尾神社の「子宝の池」という場所で、大小異なる鮮やかな朱色の金魚が泳ぐ池を一人で眺めていた。
(…朝は山登りの修行があるから自由時間だって言われたけど、他所様の家で好き勝手になんて出来ないしなー……それなのに、お父様は「勉強してなさい」しか言わないし…)
頬を膨らませながら追いかけっこをしている金魚を羨望の眼差しで眺めていると、不意に影がかかった。
「…ヒマそーだね、遊んであげよっか?」
頭上から聞こえた声に慌てて見上げれば、そこには道着姿の彼がいた。
「え……えっ!?な、何でいるの!?修行は!?山登りは!?」
思わぬ人の登場に混乱しながらも、体ごと振り向いて矢継ぎ早にそう質問した。
「朝から元気だね〜。修行はメンドーだったから抜けてきた。」
事もなげにとんでもないことを言った彼に対して、何故か私が青ざめてしまった。
「ぬ、抜けてきたって……お、怒られるよ!」
「大丈夫だって。修行しなくても俺強いし、父上にバレなきゃいいんだからさ。」
そう言って「どこ行こっかー?」と楽しそうな姿を見て眉を
「…ん?何?具合でも悪いの?」
「…ううん、そうじゃなくてー…」
「やっぱりここにいたのね、秀。」
突如聞こえて来た声の方を見ると、そこには道着姿の優お姉さんが立っていてやれやれといった顔をして彼を見つめていた。
「おはようございます、姉上。朝の修行はもう終えられたんですか?」
「お陰様でまだよ。お父様とお母様からあんたを呼んでくるように言われたの。」
そう言われた彼は、一瞬怪訝そうな顔をしてからすぐにいつも通りの笑顔になって「分かりました。」と快く返事をした。そして、優お姉さんの後を追いかけるように歩き出したかと思ったら、クルッと振り返って私を見た。
「何してんの?君も行くんだよ。」
「えっ…?あ、う、うん…」
当たり前のような顔をしていたけど、一応私は【応龍】で、お客さんではあるけど部外者に変わりはない。だから付いて行っていいのか判らず動かないでいたけど、呼び出された彼が付いてこいというのなら、それに従わない訳にはいかず付いて行くことにした。
………
……
…
「失礼致します。父上、母上、御用件は何でしょうか?」
優お姉さんに案内されて到着したのは、虎ノ尾神社の拝殿だった。そこには白虎殿と銀髪の女性に加え、何故かお父様も座っていた。
「おや、美子様もご一緒でしたか。丁度良かったです。」
「は、はあ…」
何が丁度良かったのか、現状からは把握出来ずに曖昧に返事をした。すると、白虎殿は彼を見据えて口を開いた。
「…お前を呼んだのは他でもない、「
「天狗…?」
聞いたことのある名前に記憶を辿ろうとした時、何気なく見た彼の横顔に思考と目が凍りついた。
「…ああ、ようやくですか。近々動きがあるだろうとは言われておりましたが…そうですか。」
…そう言って微笑む彼は、笑顔なのに冷ややかで、殺伐とした空気を纏っていて、逃げ出したくなるほど怖かった。
「近隣に住む者の中には天狗の被害に遭った者がいるとのことだ。そこで急ではあるが、この後すぐに用意を整えて討伐隊と共に「白旺山」へ向かって欲しい。私は少々外出するため同行しないが、問題ないな?」
「はい。寧ろ私一人でも事足ります。」
何の憂いもない笑顔で返事をすると、白虎殿は満足そうに笑って頷いた。
「見事な心意気だ。今回は応龍様と美子様がいらっしゃるため、多くの
「はい、失礼致します。」
綺麗な笑顔で丁寧に頭を下げて立ち上がり、私をチラリと見て「行くよ」と合図を送った。
「…あっ…、失礼、します…」
ぎこちなく挨拶をしてから立ち上がって、先に拝殿を出た彼の背中を追って歩き出した。…正直、怖くて付いて行きたくなかったけど、ここに留まることも嫌だったから仕方なくその場を後にした。
………
……
…
「ふんふふーんふん♪聞いた?天狗退治だって〜!人間じゃないから手加減せずに好きなだけ暴れていいんだよ?最高じゃない?」
用意のために彼の部屋までやって来ると、跳ねるように振り返った彼はそんなことを言った。ここに来るまでの間ずっと鼻歌を歌っていて、天狗退治が余程楽しみなんだなと思った。
「天狗が白旺山に住み着くのって不定期でさ、俺が生きてるうちに現れるか心配だったんだけど超ラッキーだよね!しかも、応龍様や君が来た時と重なるなんてさ!天狗退治の大手柄を立てれば【白虎】が、俺が【四神】最強だって分かるでしょ?やっぱり最高だよね!」
「ん?何で黙ってんの?…あ、もしかして一緒に行きたかった?うーん、険しい山だから流石に君を連れては行けないけど、ちゃんと金はいっぱい持って帰って来てあげるからさー、元気出してよ、ね?」
落ち込んでいると勘違いした彼は、励ましの言葉を言ってから背中を向けて用意を始めた。
「…ほんとうに、退治しないといけないの?」
浮かれる背中にそう問いかけると、彼は有り得ないとでも言いたげな顔で振り返った。
「当たり前じゃん。悪さして人を困らせてるんだし、それに金だって採れないなら倒すしかないじゃん。」
「人を困らせるのは悪いことだけど、何か理由があるのかもしれないよ。それと、どうしてそんなに金が欲しいの?」
真っ直ぐ彼の目を見つめていると、あんなに躊躇っていたのが嘘だったかのように言葉が口から淀みなく出た。少し肩の荷が下りてスッキリした私とは反対に、彼は眉を顰めて軽く睨むような目を向けた。
「悪事に正当な理由がある訳ないじゃん。仮にあったとしても、被害が出てるんだからどのみち対処しないといけない訳だし。あと、金が必要なのは白虎が五行思想の「金」に当たることから、手にすれば俺らの力がさらに強くなるっていう考えに
少し早口だったけど丁寧に答えてくれて安心した。そして、その説明を聞いて確信した。
「だったら、まずは話してみてからにしようよ。」
「はぁ?話す?天狗と?」
「うん。」
大きく頷いて答えると、彼は呆れたように首を振って白い無地の手拭いを取って立ち上がった。そして、私の横を何も言わずに通り過ぎて廊下を歩いていった。
「ねえ!待ってよ!」
慌てて追いかけてその背中に声をかけても、返事はおろか振り返ることもしないでスタスタと歩いていく。
「天狗って神さまなんだよ!?退治したらダメだよ!ちゃんと話したら分かってー…」
「何言ってんの?天狗は妖怪、悪者だよ。そんな奴と話し合いなんかで解決する訳ないじゃん。」
前を見据えながら冷たい声でそう吐き捨てた彼の背中は、昨日、虎石庭で見たものと全く同じでどこか寂しそうだった。だから今度は逃がさないようにその腕を掴んで自分の方に引っ張った。
「……えっ…」
…腕を引っ張られた勢いで振り返った彼の顔を見て、言葉を失った。寄せられた眉間の皺と固く引き結ばれた口は、まるで泣くのを我慢しているかのような表情で、胸が締め付けられた。
「…離してよ、邪魔。」
絞り出すような声でそう言われたけど、傷付いたその表情に動けなかった私は腕を離すことが出来なかった。すると、彼は小さく舌打ちをしてから大きく腕を振って私の手を払った。そして、それ以上は何も言わずに背中を向けて走り去った。置いて行かれた私はその後を追うでもなく、その場に立ち尽くして彼が走って行った廊下をただ見つめていた。
ーーーーーーーーーーーーー
「…はぁぁぁぁー……」
討伐隊の人達をお見送りしてから二時間が経った頃、眺めていた子宝の池に向かって何度目か分からない溜息を吐いた。
(…結局ケンカしたままだし、天狗退治も止められなかったし……無力だなぁ、私……)
「…はぁぁー…」
溜息を吐いて
「…あなた昨日のー…」
すると、その白い猫はくるりと方向転換してどこかへ真っ直ぐ駆けて行った。
「あっ!待って!」
何かを伝えたそうな目に急いで立ち上がってその小さな背中を追いかけ始めた。
………
……
…
「…あれ?こっち、なの…?」
最近全力で走る機会が多かったせいか、軽い息切れだけで済んだ私が辿り着いたのは予想とは違う「虎石庭」だった。そして、その庭で涼しげな顔をして座っている白い猫に近付いてしゃがんだ。
「…あなた、白虎だよね?どうしてそんな格好してるの?どうしてここに来たの?」
真っ直ぐに目を見つめながら思ったことを素直に伝えると、その猫はゆっくり瞬きをしてから近くにあった岩に飛び乗って一つ二つと渡って行った。そして、九つ目の岩に飛び乗った後振り返り、まるで来いとでも言っているかのように「ニャー」と鳴いた。
「で、でも、怒られないかな…?」
躊躇いがちにそう問えば、その猫はまた「ニャー」と鳴いて答えた。
「…もう、怒られる時は一緒だからねっ…!」
そう言って覚悟を決めて一つ目の岩に飛び乗った。それから何度か落ちそうになりながらも何とか八つ目の岩までやって来た。
「や、やっとここまで来たぁ……あれ?どいてくれないの?飛び移れないんだけど……」
じっと私を見つめながら動く気配のない猫に向かってそう言うと、また「ニャー」と鳴いた。その姿に、ある疑問が浮かび上がってきた。
(…そう言えば、どうしてしゃべらないんだろう…?青龍も朱雀も片言だったけど会話はちゃんと出来たのに……)
「…あっ、もしかしてー…」
そう呟いた私は、黙り込んで白い猫をじっと見つめた。そして、そんな私を瞬きもせずに真っ直ぐ見つめる目に、どうしてここに案内されたのかがようやく解った。
「…九つの岩を落ちずに飛んだら願いが叶うんでしょ?それなら、あなたに願うから叶えてっ…!」
そう言って足に力を入れた私は、身構えて待つ猫がいる岩を目掛けて飛んだ。…私が空を飛んだ瞬間、九つ目の岩が白く光って何も見えなくなった。どこを飛んでいるのかも判らなくて、いつまで経っても足は地に着かなかったけど、不思議と恐怖はなかった。
『……メ、アケル、ダイジョウブ、ミコ』
…三味線を弾いたような、凛々しいのに優しい声がどこからともなく聞こえてきて、無意識のうちに閉じていた瞼をゆっくり開いた。
「…あれ?」
目を開けると、何故か九つ目の岩の上ではなく「黄昏の白岩」の正面に立っていた。それに、声が聞こえたのに、そこには誰もいなくて私一人だけだった。
「えっ?あれっ?白虎…?」
キョロキョロと辺りを見渡しながらその声の主を探していると、突然目の前に白と黒の縞々の尻尾が現れた。
「わっ!?…えっ、あっ!もしかして頭の上!?」
頭の上なんて見られる訳ないのに、何とかその姿を見たくて勢い良く頭を上げた。すると、目の前を白い何かが飛んで行くのが見えて、その影を追うように頭を下げると、玉砂利の上に座る一匹の白い虎の子が私を見つめていた。
「…白虎、だよね?」
そう尋ねるとその白い虎はコクンと頷いて答えた。
『…アリガトウ、コノスガタ、ヒサシブリ…タノシイ、ウレシイ…』
そう言って尻尾をユラユラと揺らした白虎に、更に質問を重ねた。
「…どうして猫の姿をしていたの?久しぶりってどういうこと?」
すると、白虎は一つ瞬きをしてから口を開いた。
『……ズットムカシ、カラダ、イワ、ナル…タマシイ、ネコ、ノリウツル…』
「身体を岩にして、魂だけになってから猫に乗り移ったってこと?」
繰り返して確認すると白虎は静かに頷いた。
「何でそんなことしたの?身体がなかったら困るでしょう?」
理解し難い行動に少々混乱しながらもそう尋ねると、白虎はお腹を地につけ自分の手に顎を乗っけて寝転んだ。
『…トラノコ、ワタシ、シンジナイ…カタチダケ、シンジル、イヤ…』
拗ねたようにそう言った白虎は、私が聞くよりも先に不満な心を吐き出すように語り始めた。
『…トラノコ、シュギョウ、ツヨクナル……ドリョク、サイノウ、カンチガイ…ワタシ、カゴ、シンジナイ……ギシキ、カタチダケ、ココロ、ナイ、シンジナイ……ソレ、ツヅク、アキアキ……』
その言葉を聞いて真っ直ぐに思い出したのは、昨日彼が丁度ここで言っていた言葉だった。その言葉を思い返しながら私は静かに頷いた。
「わたしも、おかしいと思ったよ。でも、それが嫌だからってどうして岩になんかなったの?」
白虎が抱いた悲しみや苦しみについては納得したけど、それがどうして身体を岩にするまでに至ったのかが分からなかったから繰り返し質問した。すると、白虎はその長い尾の先っぽで地面を軽く叩いた。
『…トラノコ、ヤマノウエ、ジンジャ、ツクル、ワタシ、カラダ、フタツ、ナル…アタラシイ、カラダ、チガウ、ヒトツ、フタツ、スル』
「……えっ、えっ!?つまり、虎ノ頭神社をつくる時に一つだったご神体を二つにしちゃったってこと!?新しいのを作ったりしないで!?」
私がそう言うと、白虎は静かに頷いて答えた。…自尊心が高いとは思っていたけど、まさかそんな、神様にお仕えする人が絶対にやってはいけないことをやっていたなんて…と、言葉を失ってしまった。
『…ワタシ、オコル、ココ、イタクナイ……デモ、ニンゲン、サンパイ、クル、チカラ、ナリタイ、カナエタイ……デモ、ヤドル、バショ、ナイ……ダカラ、カラダ、イワ、ナル、オネガイ、キコエル、カナエラレル……』
そう言ってまた尻尾をゆらゆら揺らす姿を見て、ズキズキ痛む胸が熱くなった。
「…優しいんだね。じゃあ、魂だけになって猫に乗り移ったのは何で?」
『…ワタシ、カミ、カラダ、ミエナイ、ジユウ、ウゴケル……デモ、イワ、ナル、ミエル、ウゴケナイ……オネガイ、カナエル、イケナイ……タマシイ、イッショ、イワノナカ、フウイン、ウゴケナイ……ダカラ、タマシイ、ネコ、ノリウツル、ウゴケル、オネガイ、カナエル、イケル…』
そこまで話し終えると、白虎は立ち上がって白岩まで歩いて行き、クルリと振り返って私を見つめた。
『…ミコ、ネガウ……チカラ、カス、トラノコ、タスケル……ネガイ、ホントウ?』
射るような鋭い目と真剣味を帯びた声で、さっき私が願ったことを丁寧に繰り返した。まるで神様に誓うようで緊張したけど、ゆっくり深呼吸をしてから口を開いた。
「…本当だよ。力の使い方を間違えてる彼を、助けたいの。…だからお願い。力を、貸してください…!」
…【白虎】を恨んでるのに、こんなお願いをするのは酷いことなのかも知れない。そうは思っていても、私には引けない理由があったから謝るように必死で頭を下げてお願いした。
…すると突然、フワフワの何かが私の頬を優しく撫でた。驚いて目を開けると、それがさっき見た白黒のしましま尻尾で、その先を辿ると私の肩に乗る白虎と目が合った。
『…ミコ、チカラ、ホシイ……ソレナラ、ワタシノココロ、フレル…ネガイ、カナウ』
「心に触れる…?あなたの心はどこにあるの?」
そう尋ねると、白虎は瞬きをしてからゆっくり首を動かして前を見た。それに従って私も前を見ると、目に映ったのはあの白岩だった。
「…もしかして、あの岩の中…?」
まさかとは思いながらもそう問うと、白虎は頷く代わりに尻尾でペシペシと私の頭を叩いた。
『…イワノナカ、ココロ、アル……ミコ、ワタシ、シンジル、ココロ、サワレル、ダイジョウブ…』
そう言うと、今度は尻尾で勇気付けるように背中を二回トントンと叩いた。それに頷いて答え、白岩にゆっくり歩み寄って右手を伸ばして硬い表面に触れた。
「…お願い、力を貸して。必ず、助けるからー…」
祈りを込めてそう言うと、触れていた白岩が虎石庭の時と同じように白く輝き出した。驚きながらもゆっくり手を前に押すと、吸い込まれるように岩の中へ入っていった。
(…温かくて柔らかい……雲の中にいるみたい…)
そんなことを考えながら手を右へ左へ、上へ下へと真っ白な世界に彷徨わせると、硬い何かが指先に当たった。何も見えなかったけど確かにあるそれを両手で包み込むと、突然それが熱を帯びてドクンドクンと心地の良い音を奏で始めた。
『…ミコ、ココロ、アタタカイ……アリガトウ…』
あの三味線のような声が聞こえた後、雷鳴のように猛々しい咆哮が轟いた。そして、それに呼応するかのように、私の手の中にある見えない何かが白く輝き、秋に吹く涼風が私を包み込んでいった。
続く…
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