第11話 鬼才


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「…美子様、虎ノ尾神社は如何でしたか?」


昼食を食べ終えた頃、お父様と話していた白虎殿が私に向かってそう尋ねたので、慌てて飲んでいたお茶を机に置いて笑顔で答えた。


「色々な物があってとても楽しかったです。」


「そうですか、それは良かったです。」


私の言葉にそう返すと、何かを思い出したかのような表情をしてから隣に座る彼を見た。


「そうだ、秀。境内の案内が済んでいるのなら、午後の鍛錬に美子様をお連れしなさい。きっと楽しんでいただけるだろう。」


「承知しました。」


いつもの如く私の意思とは関係なく予定が決まったけど、楽しい場所へ連れて行って貰えるようなので特に嫌だとは思わなかった。


「では、準備をして参りますので美子様は鳥居の下でお待ち下さい。」


「はい、分かりました。」


そう言って頷くと会食の席はお開きになって、お父様は白虎殿と銀髪の女性と、彼のお姉さん改め優お姉さんはお手伝いさんと一緒に出て行き、残ったのは私達二人だけだった。


「じゃあ、そういうことだから先行っててよ。鳥居の場所くらい分かるでしょ?」


二人だけになったのを執拗に確認してから私に近付いてそう尋ねてきた。


「うん。でも鍛錬ってどこに行くの?何するの?」


すると、しばらく黙り込んでニッと意地悪そうに笑った。


「歩いて十分くらいのとこに行って、たのしーことすんの。まあ鍛錬すんのは俺だけで、君は見てるだけだけどねー。」


「たのしーこと?」


更に詳しく聞こうとすると、彼はニッコリ笑って「じゃあねー」と言って部屋を出て行った。気になって仕方なかったけど、また後で聞けば良いやと思い至り私も部屋を後にした。





………

……






「ここで鍛錬するの?」


道着に着替えた彼に連れられてやって来たのは、「鬼塚道場おにづかどうじょう」と書かれた看板のある黒い瓦屋根の古めかしいお屋敷だった。


「そっ。極真空手きょくしんからてを教えてる道場で去年の全国大会優勝者がいるらしいよ。俺も初めて来たからよく分かんないけど。」


「きょくしんからて…?」


私がそう呟くのと同時に彼は道場の引き戸を開けて「すみませーん」と大声をあげた。すると、道場で練習していた人達が一斉にこちらを見た。



「…こんにちは、見学希望の子かな?予約はなかったはずだけど…うーん、小学生以下の部はもう終わってしまったんだけど、折角だから大人の部の方を見学して行くかい?」


組手をしていた爽やかな笑顔のお兄さんがそう言うと、彼も可愛くて綺麗な笑顔をしてみせた。


「見学じゃなくて“道場破り”をしたくて来たんで、お相手お願いしまーす。」


揶揄からかうような彼の言葉を聞いた瞬間、道場の空気が張り詰めてこちらを見る人達の目付きが鋭くなった。



「…えっ、えっと…?」


「おいガキ、今の言葉冗談だろ?」


そう言って爽やかお兄さんの後ろから現れたのは、いかついお兄さんで怒気をはらんだ眼差しで彼を見下ろしていた。


「やだなー、冗談じゃないですよ。…まあ、見た感じ弱そうな奴ばっかだけど、軽い運動くらいにはなると思うんでお願いしまーす。」


…この底冷えするような憤怒と殺気の空気に気が付いていないのだろうか?変わらずの笑顔を向ける彼に、厳ついお兄さんは青筋を立てながら近付き、胸ぐらを掴んで引き寄せた。


「…調子乗ってんじゃねぇぞ?ガキだからって手加減して貰えると思ったら大間違いなんだよっ!!」


「ちょ、ちょっと待っ」


一触即発の空気に慌てて止めに入ろうとするも、胸ぐらを掴まれている彼が片手を上げてそれを制した。


「…そういうのさ、やってから言ってくんない?弱い奴に言われても寒いだけって言うかさ、弱い犬ほどよく吠えるって言うじゃん?ていうかアンタ、汗臭いんだけど。さっさと離してよ。」


嘲笑する彼に堪忍袋の緒が切れたのか、厳ついお兄さんが握り締めた拳を振り上げ、笑みを絶やさない彼を殴ろうとした瞬間だった。



「そこまで!!」


緊張感が漂う道場に響き渡った精悍せいかんな声に、動きが止まる道場生達。そして、一斉に振り返り道場の奥で鎮座する一人の老人に視線が向けられた。


「…私闘は御法度。だが、売られた喧嘩は礼儀を持って返す。小僧、先の言葉を撤回するのなら今だが…悔いはないな?」


勇ましく落ち着いた声でそう語り掛けたおじいさんに向かって、彼は返事をするかわりに綺麗な笑顔を浮かべてみせた。


「…良かろう。ではこれより、小僧と我が門下生による試合を開戦する!」


その言葉に道場にいた私と彼以外の全員が雄叫びを上げて試合の準備を始めた。彼の言っていた“たのしーこと”が危険な物だと漸く解ったが、止める術のない私は微笑む彼の横顔をただ黙って見つめていた。





………

……






茜色に染められた家路を急ぐ人や夕ご飯の匂いがする街を歩きながら、導くように伸びた黒い影を見つめていると、不意に晴れやかな鼻歌が聞こえてきた。


「いやー楽しかったね〜。準備運動にもならなかったけど、全員ぶっ飛ばせてスッキリしたよ。」


擦り傷の一つも負わずに門下生全員と師範を倒した彼は、今日見た中で一番楽しそうな笑顔をしていた。


「君も楽しかったでしょ?瞬きもしないで見てたもんね。」


澄み切った笑顔の彼を見つめ返しながら、私はゆっくり首を横に振った。


「…楽しく、なかったよ。だって、誰かがケガするって分かってるのに、楽しいなんて思える訳ないよ…。」


そう言うと、彼は心底理解ができないといった顔をして口を開いた。


「んーでも、これが俺ら【白虎】のやり方なんだよねー。荒々しい血の神「白虎」に倣ったやり方っていうの?まあ、道場破りは俺専用っていうか、俺の趣味みたいなもんだけど。」


どこか誇らしそうな笑みを浮かべる彼は、機嫌が良いのか道路の白線から落ちないように渡って遊んでいた。



「…白虎は、そんな闘い方しないと思う。自分が楽しいから戦うんじゃなくて、誰かのために悪者と闘うのが白虎なんじゃないかな。」


前を行く背中に向かってそう言うと、跳ねるような足取りがピタリと止まった。



「…誰かのためにって、見ず知らずの奴のために闘えってこと?はっ、そんなのただのお人好しじゃん。だったら自分一人のために戦った方が楽しいからよっぽどマシなんだけど。」


振り返らずに嘲笑うような声音でそう紡いだ彼の背中には、夕焼けが照っていて綺麗だったけど、哀切な雰囲気も漂っていて胸が締め付けられるように痛んだ。



「…ねえ、しゅー…うひゃぁあっ!?」


突然、袴越しに温かい何かが私の脚に触れて変な声を上げてしまった。それに驚いて振り返った彼は私の足元を見て目を丸くしてから安心したかのように軽く笑った。


「…ああ、なーんだ。別に害はないから足元見てみなよ。」


宥めるように優しく笑って私の足元を指差した。言う通りに恐る恐る見ると、真っ白の猫が私を見上げていて目が合うと「ニャー」と可愛らしく鳴いた。


「か、かぁわいいぃ〜…!野良猫かな??触ってもいいかな??」


その猫の目を見つめながらしゃがんで、触りたいけど触って良いのか判らず手を彷徨わせていると、猫を挟んだ向かい側から小さな手が伸びてきて躊躇うことなく猫の頭を撫でた。


「言ったでしょ、害はないって。ほら、触ってみなよ。」


そう促され、ゆっくり手を伸ばして猫の頭に触れると、気持ち良さそうな顔をして小さく鳴いた。それがまた可愛くて、私まで嬉しくなってしまう。


「わぁぁ…!ふわふわしてる!かわいい〜!この仔、どこの仔なの?知ってるの?」


締まりのない顔のまま目の前にいる彼を見つめると、余程面白い顔だったのか軽く笑われた。


「ふふ、変な顔…。うーん、なんて言うのかな…。野良だけど野良じゃないっていうか、俺んちに勝手に住み着いてる居候の猫って感じ。」


「へぇー!だからこんなに人懐っこいんだ!」


「そっ。だけど運が良いね。こいつ、見たら幸せになれる「歩くパワースポット」って言われてて、気分屋だから滅多に見ることが出来ないんだけど自分から近寄って来たじゃん。普段は食べ物にも反応しないのにさ。」


そう言われて再度その猫を見ると、喉をゴロゴロ鳴らして幸せそうな顔をしていた。それが妙に引っかかって見つめていると、閉じていた瞼が開いて秋の月を閉じ込めたような瞳が私を捕らえた。…まるで何かを訴えかけているような瞳の真意が知りたくて一心に見つめていると、急にその猫が宙に浮いた。追うように見上げると、その猫は彼の腕に抱えられていた。


「ほら、もういいでしょ?そろそろ帰らないと怒られるし、色々メンドーだから行くよ。」


「…あっ、うん…。」


釈然としない気持ちと根拠のない確信が頭の中で入り混じっていたけど、暗くなってきた空を飛んでいくカラスが帰りを急かすように鳴くので仕方なく彼の後を追いかけて神社まで帰った。






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「こんばんは!」


「…何しに来たのさ。」


夜ご飯とお風呂を済ませ、後は寝るだけとなった夜の八時頃、私は掛け布団と枕を持って彼の部屋の前に来ていた。ニコニコ笑顔で挨拶する私を、彼は迷惑極まりないといった顔で見つめた。


「一緒に寝よ!」


「嫌だ。」


そう言って閉めようとする障子に枕を挟んで木枠を両手で掴み閉じないようにした。


「…何でっ!君と一緒に寝ないといけないの!?寂しいなら!応龍様と!一緒に寝ればいいじゃん!!」


「そんなことしたら怒られるもん!いいからっ!一緒に寝よっ!!」


「絶っっ対、嫌だぁっ!!」


相反する力が作用する障子はガタガタと暫く揺れていた。すると、彼が一瞬障子から手を離したかと思ったら私の目の前でパンッ!と大きく手を打った。


「わっ!?」


驚いて障子から手を離し尻餅を付いた瞬間、彼は枕を退けて素早く障子を閉めた。


「ふん!俺に勝とうなんて百万年早いね!」


障子越しにそう言われたけど、声だけでどんな顔をしているのかははっきりと分かった。きっと、勝利を確信した顔をしているんだろうけど、この勝負の切り札を持っているのは私だった。



「…ふーん、入れてくれないんだぁー?じゃあいいよ、ここで寝るから。ここで寝て、明日優お姉さんに「閉め出されて廊下で寝ました!」って言っちゃうんだから!」


意地悪くそう言い放つと、閉じていた障子がゆっくり開いてその奥に、不機嫌そうな笑顔を浮かべた彼が仁王立ちしていた。


「…君ってさぁ、良い子そうに見えて実は腹黒い子だったんだねぇ〜。あーあ、騙されたぁ〜、…最っ高に良い性格してんね〜?」


刺々しい嫌味の言葉に私はしたり顔を返した。


「それはお互いさま!お邪魔しまーす!」


掛け布団と枕を拾って敷居を跨ぎ、彼の横を通り過ぎて布団のところへ歩いて行った。


「布団持って来たからこれで寝るね。だから大丈夫だよ。」


そう言って持参した掛け布団を敷くと、彼は大きな溜息を吐きながら障子を閉めた。


「…今更謙虚にならないでよ。それに、掛け布団なんかで寝かせたら姉上だけじゃなくて父上や母上にも怒られるじゃん。」


「馨も掛け布団これで寝たらダメって言ってたけど、何でダメなの?フワフワで気持ちいいのになー…。」


すると、それを聞いた彼は驚いた顔をして立ち尽くし私を見つめた。


「?どうかしたの?」


「…かおるって、【朱雀】の南門馨のこと?もしかして、そいつとも一緒に寝たの?」


「うん、私から一緒に寝よってお願いしたの。それに、馨だけじゃなくて健とも一緒に寝たよ。」


「けん?…ああ、【青龍】の東堂健か。」


その言葉に頷くと、彼は暫く考え込んで口を開いた。


「…何でそこまでして一緒に寝たいの?俺らが君の守護者だから?それとも、他に何か企んでるの?」


真剣な表情に少し緊張したけど、真っ直ぐ彼の目を見て正直な気持ちを答えた。


「…守護者だって思ったことは一度もないよ。友達になりたいから、もっと仲良くなりたいから一緒に寝たいだけ!そもそも、何か企むとかわたしに出来るわけないじゃん!」


胸を張ってそう言うと、彼は大きく目を見張った後、お腹をくすぐられたかのように声を上げて笑った。


「あはははっ!何それ!超ワガママじゃん!」


夜であるということや、誰かに聞かれるかもしれないということを憚らずに思いっ切り笑う姿は、嘘や偽りのない本当の姿の様で、見ていて何だか嬉しくなった。


「あーあ、色々考えてた俺がバカみたいじゃん。ていうか、「何か企むとか出来るわけない!」って自分で言っちゃうとことか流石って感じ。」


お腹を抱えて苦しそうに笑う姿を見ると、嬉しいけど恥ずかしい気持ちも大きくなって、思わず口を尖らせた。


「そんなに笑うことないと思うけど…。」


「あっはは!ごめんごめん!…あーあ!こんなに笑ったの初めてなんだけど!」


そう言うと布団に飛び込んで枕に顔を埋めた。そして、私を見上げてニッコリ笑った。


「笑いすぎて疲れたからもう寝るよ。枕、早く隣に置いて。寝っ転がらないと布団掛けられないじゃん。」


モゾモゾと布団に潜り込んで私がいる方の掛け布団を捲って入るように促した。それが彼なりの答えだと解って笑みを浮かべた。


「うん!あ、でも電気…」


「しょーとー」


彼がそう言うと、天井の照明が自動で消えて室内には夜の闇とほのかな月明かりだけとなった。


「すごい!どうやったの?!」


「魔法使ったの。これでいいでしょ?ほら、寝るよー。」


「うん!」


自分の枕を彼の隣に置いて布団に寝転がると、優しく布団をかけてくれた。それが温かくて楽しくて、眠りに落ちるまでたわいもない話をして夜を過ごした。






続く…

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