第8話 神託と焔

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※注意


今回、流血表現はありませんがそれに近い残酷な描写がございます。苦手な方はお控え下さい。


また、ご覧になった後の苦情等につきましては対応致しかねますのでご理解頂きますようお願い致します。




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「……ふぅ…」


空がほのかに明るくなり始めた頃、僕は一つ息を吐いた。


(もっと僕に筋力があれば良かったんだけど…でも、誰にも見つからずに運べたから後で怒られることはないはず……)


自分の細い腕を嘆きながら、布団で眠る女の子の顔を見つめた。



「…昨日は本当に楽しかったよ、美子。」


起こさないように、でもちゃんと届くように言葉を紡いだ。その声は自分でも初めて聞くような優しい声をしていた。


「…最期に、君と逢えて良かった。ありがとう…。」


言葉にしたら、切なさで胸が締め付けられる。だけど涙は流さず、その代わりに美子の柔らかくて温かい手を握った。



「…さようなら。」


笑顔で最後の挨拶をしてから、名残惜しくも部屋を出て静かな廊下を歩いて行った。






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「…失礼致します、馨です。」


「入りなさい。」


その言葉を聞いてから丁寧に襖を開けると、文机で何かを書いていらっしゃるお父様の姿が見えた。


「おはようございます。これから試練へ参りますのでご挨拶に伺いました。」


「…ああ、ご苦労。」


背中を向けたまま労いの言葉を返すお父様は、僕を一瞥することもなく言葉を続けた。


「…加護の欠如したお前に与えられた唯一の役目だ。失敗は許されないぞ。」


冷たく鋭い言葉が突き刺さるが、その痛みには慣れていた。


「…はい。必ず果たしてみせます。」


お父様の仰る「役目」というものが何を意味するのかは嫌という程分かっていた。だから僕も、いつも通りお父様が求めている答えを返した。


「お前の妹のためでもあると、ゆめゆめ忘れぬように。下がりなさい。」


…試練で帰れなかった者は、その命を以って【朱雀】の繁栄と力の強化に貢献すると考えられている。つまるところ「朱雀への生贄」だ。



「…はい、失礼致します。」


だけど、僕はもうそれに対して何も感じない。加護がないと分かってから、妹がお母様のお腹にいると分かってから、ずっと言われ続けていたから…。



(……最期まで、僕を見てくれないのですね、お父様ー…)


トクントクンと痛む胸を隠しながら歩く廊下は、いつもより少し長く感じた。






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「…着いた…。」


朱雀神社から見送りも護送もなく辿り着いたのは、「紅陽山こうようざん」という山の頂だった。「紅陽山」は朱雀神社の南に位置し、片道一時間程で登れてしまうような低い山で、普段は一般の方でも登れるようになっている。しかし、祭事や儀式がある時は立ち入りを禁じているため、今は僕一人であった。



(……疲れたけど、すぐに始めなくては…)


標高が低く何度か登ったことがあるとはいえ、今日はいつもより荷物が多かったこともあり疲労感も少なからずあった。しかし、休んでいる暇もなく山の湧き水で身を浄め落ちている枝を拾い始めた。そして、集めた枝を大きくて平べったい一枚岩の元まで運んでは集めて、運んでは集めてを繰り返した。



「…これくらいでいいかな。」


木の枝をある程度集めた後、汚れてしまった手をもう一度浄めてから、草履を脱いで一枚岩の上に上がり正座をした。そして、集めた枝と持って来た薪を組んで火打ち石で火をつけた。火が大きくなって安定するまで扇子で風を送り、それが終わったら扇子に自分の名前を墨で書き入れて開いたまま火に焚べた。



バチッ!!


「…っ!」


焚き火の破裂する音に一瞬嫌な思い出が過ぎるが、逃げる訳にもいかず震える手を強く握って、今度は一か月間祈りを込めた丸石と朱雀の朱印を押した護符にそれぞれ自分の名前を書いて火に焚べた。



…パチ……バチッ!



…絶えず暴れ続ける炎に、畏怖の念が強くなる。その赫が、その熱が、僕の身を焼くと考えると尚更に死というものが明らかになる。



「…我、南門馨が南を司る神獣朱雀に願ひ聞ゆ。加護を授け、神託を与えたまへ…。」


声が震えないように気を付けながら、両手を合わせて教わった通りの言葉を述べた。しかし、いくら待ってもその応えは返って来なかった。



(…応答がない場合の対処は知ってる。もう一度…)



ゆっくり目を開いて目の前の、盛んに燃えしきる炎の中にある丸石を見つめた。


「…っ…」


丸石に手を伸ばしては躊躇して、伸ばしては躊躇してを繰り返しても事態は一向に変わらないと解っていた。だけど、どうしても、炎に手を入れることができなかった。



「…やらな、くちゃ…失敗は、許されない、から……」


震える手を押さえ付けて言い聞かせるように呟けば、最後に見たお父様の背中が一瞬だけ脳裏に映し出された。



バッ!!


「…くっ…!!」



…熱した鉄の釘を何千本も刺したような痛みに顔を歪めて呻いてしまった。また、炎から腕を出した後もその痛みが癒えることはなく、歯を食いしばって耐えるほかなかった。




(……痛いっ……だけど、少し赤くなるだけで、痛みを感じるし、水疱すいほうもできていない……)


肩で息をしながら冷静に自分の手と腕の状態を確認した。


(……これは、朱雀の加護によるもの……?)


皮肉にも、こんなやり方で自分の僅かな加護を知ることになるとは思わなかった。しかし、そんな微々たるものが僕にとっては大きな希望になった。


「…っ、続けよう……、朱雀が応えるまで、何度でも……」


そう呟いて痛みのない右手で筆を取って再度丸石に自分の名前を書いた。そして、それをまた炎に加えてさっきと同じ言葉を繰り返し述べた。しかし、やはり応答はなく僕は何度もその行為を繰り返した…。





………

……







「…っ、うっ…はぁっ…、はぁ…」


試練を始めてからどれくらいの時が経ったのか、酷い痛みに朦朧とする意識では判然としない。それでも僕は、意地だけで行為を繰り返していた。




「……ぼ、くにも、加護が…ある、から……っ」


不規則な呼吸の合間に口から溢れ出た言葉は、誰の耳にも届きはしなかった。だけど、その事実だけが今の僕を突き動かす原動力だった。


「…い、らない、子じゃ…ないっ……ぼく、も……」


火傷がなくても震えてしまう右手で、墨で黒くなった丸石に名前を書こうとした時だった。




ゴォオォオ…!!!



…突如、目の前の炎に黒いもやのようなものが絡まって、壁のように大きくなったかと思えば怒り騒ぐように暴れ出して僕を取り囲みながら広がっていった。その光景を、僕は茫然と眺めては崩れるように倒れた。





(……ああ…結局、駄目だったのか……僕は、朱雀の力を持つのに相応しくないと、判断されたのだろうか……)


幸か不幸か、僕のいた一枚岩には炎が燃え広がらず、あの痛みを全身で感じることはなかった。しかし、徐々に熱くなっていく岩と酸素が焼けて薄くなる空気に、ゆっくりと死の淵へ追い詰められていった。



(……もし、生きて帰っていたら、お父様もお母様も、僕が生きることを許して下さっただろうか……)


もう少しも動かすことのできない身体は、次第に痛みも熱も感じなくなっていく。ただ、眠りへと誘うような炎の音だけが耳に響いていた。




(……寂しい人生だったけど、最期に、良い思い出を貰ったから、悔いなく逝けるかな……)


微睡む中でふと思いを馳せたのは、昨日出会って共に過ごした女の子の笑顔だった。


(……君だけだった…僕を、“南門馨ぼく”として見て必要としてくれる人は………それが、嬉しかったんだ、すごく……)


その子とのやり取りを思い出すと、空っぽだった心が温かい気持ちで満たされていく。それがひどく切なくて、愛おしかった。



(……きっと、妹が君を守ってくれるから……君を守る力になれるのなら、こんな最期も悪くないのかもしれない………)


その愛しさが涙となって頬を伝うと、今更どうしようもない欲と後悔が顔を出す。



(……叶うのならば、君を守るのは僕でありたかった……君と、共に生きてみたかった……)


頬を伝う涙が唇に触れた。少し塩辛いそのたった一雫を惜しむように飲み込んで全てを諦めるように目を閉じた。





…パシュッ!!


『ギャァァアァアァア…!!』



…一陣の風が体を撫でるのと同時に、聞き覚えのある空を切る音と、断末魔のようなの叫び声が鼓膜を震わせた。何が起きているのか知りたかったけど、もはや目を開く気力すら残ってない僕は目を閉じたまま朧げな意識の中を彷徨っていた。



「……馨っ…!」



すると遠くから、僕の名を呼ぶ声が聞こえて来た。最期に彼女を思い浮かべていたから幻聴でも聞こえたのだろうかと自分の耳を疑っていると、二つの小さな手が僕の体に触れて仰向けに寝かされた。


…すると突然、瞼越しに強い光を感じた。そして、その光と共に柔らかくて温かい空気が体を包み込んだ。



(……初めての、感覚だ……お腹いっぱいで眠る昼下がりみたいなー…)



次第に消えていくその温もりを追いかけるように目をゆっくり開けると、真っ直ぐに僕を見つめる女の子が映り込んだ。




「…わたしが、分かる?」


小さくて鮮やかな紅色の唇から聞こえて来るその声は、少し大人っぽくて知らない人のようだった。だけど、注がれる真っ直ぐで生命力に満ちた目に疑う余地などなかった。



「……み…こ……」


掠れた声でその名を呼べば、眩しいくらいの笑顔が返ってくる。


「…間に合ってよかった!遅くなってごめんね。」


そう言って僕の手を握る美子の手は、さっきの真綿のような光みたいに柔らかくて温かかった。その温もりに、痛いくらいの喜びが涙となって溢れ出した。



「…な、んで…僕を、助けるの……?僕は、要らない子で…死なないと、いけないのに……!」


涙の意味とは裏腹に、長い年月をかけて呪縛となった言葉を怒りと共に吐露した。助かった安堵と役目を果たせなかった焦りが入り混じって、自分の感情なのに制御することができず、怒りをつけるように美子の手を強く握った。


…すると、美子はもう一方の手を怒りで震える僕の手に重ねて優しく笑った。



「…死ななくていいんだよ。馨はちゃんと朱雀に愛されてるから、いらない子なんかじゃないよ。」



穏やかな声音で紡がれた言葉が耳に届いた瞬間、僕を縛っていた言葉や感情が砕けて消えていくのがはっきりと分かった。軽くなった心のままに美子を見つめれば、また眩しいくらいの笑顔が返ってくる。


「ほら、朱雀も「そうだよ」だって。…わたしも、馨に生きていて欲しいよ。だって、まだ一緒に遊んでないでしょ?」


強くて、眩しくて、美子らしいその言葉に、また涙が溢れてくる。だけど、今度は素直な心でしっかり頷いて答えた。…自分の意思を伝えるのは少し緊張したけど、それがかえって心地良かった。




………

……




「…そう言えば、どうしてここが分かったの?」


泣き終えてようやく落ち着いた僕が口にしたのは、そんな疑問だった。この試練の場は【朱雀】の中でもほんの一握りの人しか知らない。加えて加護の証明であったり神託や焔といった【朱雀】の機密に関わることだから他言は許されず秘匿されている。そして、それは【応龍】である美子も例外ではないはずなのに、どうして此処が分かったのかいくら考えても分からなかった。


「教えてもらったの、朱雀に。」


事もなげにそう言った美子を凝視しながら何とか言葉を理解しようと試みた。



「…えっと、【朱雀】の誰に教えて貰ったの?」


「だーかーら!誰とかじゃなくて朱雀だよ!」



…恐らく、美子の言う「朱雀」は僕の一族を指す【朱雀】ではなく神獣の朱雀を指すのだろうと思った。だけど、その朱雀は神獣で、信仰によって存在するだけで実在はしない。それに、神託もなく神獣の言葉を聞くなんて、そんなこと出来るわけがない。


考え込む僕を見つめていた美子は、不意に真剣な顔付きになって口を開いた。



「…馨、朱雀の『グゥギャァァアァアァ!!!』


突如鼓膜を突いて聞こえたのは身の毛がよだつような金切り声で、その声の方に顔を向けた。




「……えっ…」



…目に映り込んだものに呼吸ごと言葉を奪われた。禍々しい空気を纏ったそれは、黒い炎の羽を持つ鳥のような形をしていて、空を飛びながら鋭い目で僕らを睨んでいた。



『…グゥゥウ…ギィッ!!ギャァア!!』


苦しむように唸った後、羽をばたつかせて鳴き騒いだ。鼓膜をつんざくほどの声に思わず耳を塞いだ。声は聞こえないのに、体の中を掻き乱すように響くそれが怖くて蹲ると、耳を塞ぐ手に柔らかい手が重ねられた。



「…大丈夫だよ、わたしに任せて。」



手の隙間から聞こえてきた声に顔を上げると、僕を庇うようにして立つ後ろ姿が見えた。…小さくて、でも真っ直ぐ伸びるその背中はまるで龍が宿るような威光を湛えていて、思わず見惚れてしまう。



「朱雀。」



静かにそう言葉を放った瞬間、美子の左腕が紅蓮の炎に包まれていく。その炎を辿って視線を下ろしていくと、美子の手に僕の弓が握られていることに気が付いた。…本朱ほんしゅの和弓はいつもの落ち着いた色味ではなく、燃える夏の太陽のような鮮やかな赤色に身を染めていた。


『…グゥゥゥ…』


それを見た黒い炎の鳥は地を這うような低い声で鳴いたかと思えば、美子目掛けて滑るように飛んで来た。


「美子っ…!!」


危険を察知した僕はその背中に向かって彼女の名前を叫んだ。すると、それと同時に美子は弓を構えてつがえ、飛んで来るその黒い炎の鳥に向かって矢を放った。



『ギィヤァァアァアァーー…』



…放たれた矢は、その身に炎を纏いながら一直線に空を駆けて黒い炎の鳥の胸に命中した。矢が胸に突き刺さったその鳥は、最期の息を吐き出すように鳴きながら赤い炎に焼かれて見えなくなった。





「……美子…?」


目の前で起こったことが信じられなくて、立ち尽くす後ろ姿に声を掛けた。


「…まだ終わってない。」


そう言うと何かを探すように辺りを見回して口を開いた。


「どこにいるの?あなたと話がしたいだけだから、出て来てくれない?」


優しくもよく通る声でそう言うと、黒い炎の鳥が消えた場所に薄らと白く光る男の子が泣きながら現れた。それを見た美子はゆっくりと歩み寄って「こんにちは」と言った。



「…聞かせてくれる?あなたのこと。」


柔らかく微笑んで泣きじゃくる男の子に声を掛けると、その子はコクンと頷いた。



『……ほのおが消えたから、朱雀の言葉を聞こうってなって……でも、お父さまもお母さまも肩を痛めていて弓が引けないから、ぼくがやることになったの。』


男の子の言葉に相槌を打ちながら黙って話を聞いていた美子は、きつく握り締められた手に優しく触れてゆっくり瞬きをした。



『…でもぼく、朱雀の力も弓も使ったことがなくて何も聞けなかった。そしたら、お母さまが「情け無い」って言って、それでー……』


そこで言葉を切った男の子は震えながら自分を守るように腕を抱きしめて蹲った。すると、美子は膝立ちになってその子を包み込むように優しく抱きしめた。



「…怖かったね、苦しかったね…。ごめんね、助けてあげられなくて…。」


痛みに寄り添う言葉を紡ぐ美子に、一瞬目を見開いた男の子はその大きな目に涙を溜めて大声で泣き出した。…その泣き声は聞く者の身を切るほど哀切で、大空を翔る鳥のように自由だった。




『……でも、ぼく、悪いことした……いっぱい、いっぱい…』


目を赤く腫らして俯く男の子は、顔を蒼くしながら自分の罪をぽつりぽつりと語り始めた。美子は、また相槌を打ちながら黙って話を聞いていた。



『…ぼく、どうすればいいの…?…ちゃんと謝るから…痛いのも苦しいのも、我慢するから……もう、一人はやだ…!』


縋り付くように腕を掴む男の子を静かに見つめていた美子は、優しく笑って震えるその手を握りしめた。


「…大丈夫、あなたのことが大好きな朱雀がいるよ。ちゃんと連れて行ってくれるから、もう一人じゃないよ。」


美子がそう言うと、男の子の透けた体が柔らかく温かみのある炎に包まれた。男の子は小さな悲鳴を上げて逃げようとしたが、美子は手を離さず真っ直ぐ目を見て頷いた。



「…大丈夫、大丈夫だから、信じて。」


ゆっくり繋いでいた手を離すと、男の子は幸せそうな顔をして眠るように目を閉じた。


『……ごめんなさい…ありがとうー……』


強い風が吹くと同時に男の子は炎と共に消えて見えなくなった。風の行方を追うように空を見上げた美子は、微笑みながら一筋の涙を流した。…その姿は、清々しく神秘的で、言い表せないほど美しかったー…。





………

……






「……と言うことで、この試練は間違っていて正しい手順で儀式を行えば良いんだって。」


「…なるほど。」


事の経緯を美子から聞いて納得しながら頷いた。そして顎に手を置いて考え込む素振りをして口を開いた。


「…まさかそんな残虐な歴史があったなんて…隠匿して「試練」として慣わしにしたのは過失を隠蔽しようとしたのかな…」


「うん、そうみたい。それに、本当は儀式も成人する時か大人がやるものなんだって。幼いうちは力の使い方も難しいし、体も未熟だから無理すると痛めるみたい。だからあの子のお母さまとお父さまも神託の儀式ができなかったんじゃないかな?」


その言葉に一瞬驚いて美子を見つめてしまった。そんな僕をどうしたの?とでも言いたげな顔で見つめ返す彼女に、堪らず笑ってしまった。


「馨?」


「…ごめん、何でもないよ。ただ、感心してしまっただけだから。」


「感心?」


それ以上何も言わない僕に、益々疑問の色は濃くなっていくけど、笑顔を返すだけで言葉は飲み込んだ。


「それよりも、「朱雀の儀式」はどうすれば良いの?」


そう問うと、今度は美子が驚く番だった。そしてしばらく口を閉ざして考え込んでいた。



「…今やるの?無理しない方がいいと思うけど…」


その言葉や態度から、僕を気遣ってくれていることは火を見るより明らかだった。…それだけで僕は十分幸せだった。


「うん。僕の場合、生きて帰るだけじゃ許されないから。」


妹という後ろ盾がある以上、お父様やお母様が僕に望むのは死だけであるということは嫌という程分かっていた。だから、僕が生きることを望んでくれる美子と共に帰るためにも、成果を上げなくてはならない。



「…僕は、例えここで無理をして体を痛めたとしても、生きて良いと認められるならその痛みを甘んじて受け入れるよ。」


僕の決意が伝わるように真剣に、真っ直ぐ美子の目を見つめた。すると、黙って僕の目を見つめていた美子が一つ瞬きをして頷いた。


「…分かった。馨と朱雀を信じる。」


「ありがとう、美子。」


…彼女の「信じる」という言葉ほど頼りになる物はないだろうと思った。だから僕も、心からの笑顔を感謝の言葉と共に返すことができた。




「…えっと、まずは体を山の清水で浄めてだって。」


何もない右肩を見つめながらそう言った美子に頷いて答え、早速体を湧き水に浸した。


(…あれ?あまり、冷たくない…?)


さっき体を浄めた時は身を刺す程冷たかったのに、どういう訳か今触れている水にその鋭さは感じられなかった。


「…そしたら、薪を組んで火を着けて扇子と護符と石に名前を書いて火に入れてだって。」


「…予備でも良いのかな?」


鞄から予備の扇子と護符を取り出し、墨と煤で黒くなった丸石を手拭いで拭いながらそう尋ねた。


「…予備だったら、丁寧に名前を書いて火に入れる時に自分の名前を三回唱えれば良いみたい。」


言われた通りに丁寧に名前を書いて、三回名前を唱えながらそれらを火に焚べた。試練の記憶が何度も蘇ってくるけど、それでも平然としていられたのは僕を見守る瞳があったからだろう。


「…手を合わせてたんがん?の言葉を、だって…」


意味は解っていなさそうだけどそのまま伝えてくれたから、ちゃんと理解することができた。


「…我、南門馨が南を司る神獣朱雀に願ひ聞ゆ。加護を授け、神託を与えたまへ。」


手を合わせ目を閉じてそう願うと、目の前の火が突如勢いを増して燃え始めた。キラキラと琥珀が溶けるように輝く炎を目を見張ったまま見つめていると美子が炎の向こうから歩いて来た。


「…朱雀のさとしを求むる者ぞ、願はばこれを授けむ。」


そう言って差し出したのは、僕の本朱の和弓だった。炎を挟んで向かい合っていたため、受け取るためには炎の上に手をかざさなければならない。…だけど、やっぱり恐怖はなくて、静かに立ち上がってそれを受け取った。いつも使っている物なのに、重厚で格式高いものに感じられて鼓動が速くなった。


「…あとは、矢に火を着けて太陽が一番高くなったら、太陽に向かって射ってだって…。」


いつになく真剣な表情の美子を見てから、空に浮かぶ太陽を見つめた。



(…なるほど。太陽が南の空で最も高くなる正午は朱雀の力が強くなる。それに合わせて早朝から準備をする必要があったのか。)


心の中でそう結論付けてから、矢を取って火を着けた。油紙を巻いていないのに矢尻にだけ火が移って勢いよく燃えていた。そして、いつも通りに弓を構えて矢を番えた。




スパァッ…!!



…ゆっくり昇る太陽が一際輝いた時、火矢を放った。すると、太陽へ向かって飛んでいく矢が、まるで一羽の鳥のように見えた。そしてその姿が見えなくなった次の瞬間、強い風と共に火の玉が太陽から飛んできた。反射的に目を閉じると急に風の音が止んで何の音も聞こえなくなった。恐る恐る目を開いてみると、僕は燃え盛る炎の中にいて美子の姿はどこにもなかった。辺りを見回そうとした瞬間、どこからか篠笛のような声が聞こえてきた。



『……南門馨、なんじの願ひと力を認め我が言を授けむ。』



その言葉の後に甲高い咆哮が響くと、炎に包まれた一本の巻物が僕の正面に現れた。一つ瞬きをして、それを両手で取ると勝手に紐が解かれて僕を包むように広がっていった。


…その光景を眺めていると沢山の言葉が耳に入っては消え、沢山の映像が目に映っては消えていった。



(……これが、神託……)



その全てを確かに受け取って目を閉じると、炎のゴォッ!!という音がして熱風が僕に向かって強く吹いた。…その風に紛れて鳥が飛び立つような音が聞こえた気がした。






「……馨…」



風の吹く音と薪が燃える音、そして僕の名前を呼ぶ声にゆっくり目を開くと、白くて眩しい世界に一人の少女が立っていた。ぼやける輪郭を辿っていくと、二つの大きな目があってその中に僕が写っていることに気が付いた。…それが、ひどく嬉しくて高鳴る鼓動が一際跳ねた。



「…ありがとう、美子…。」


感謝の言葉と共に彼女の名前を呼べば、胸に愛おしさで満ちていく。その愛おしさを微笑みで伝えると、彼女は照れたように笑って答えてくれる。


「…行こう、「赫焔籠」へ。朱雀が飛んでいったからきっと待ってるよ。」


そう言って手を差し出した美子に頷いてみせた。そして、その手をしっかり握り返して山を下っていった。



…もう見ることはないと思っていた世界を美子と二人で駆けていく。この美しく希望に満ちていた世界を、僕は生涯忘れることはないのだろうと思った。






続く…

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